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古桜庵にて待つ  作者: 挿頭 草
第一章:賽の河原
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古き桜の小屋

土気色の巨大な顔。

濁りきった大きな黒い目に自分の姿が映っているのが見える。



「う・・・あ・・・っ」


恐怖に固まった喉から出た声を嗤うように眼前の顔が歪み、その視線に当てられた全身が恐怖に硬直する。


まばゆく光り輝く足元と、頭上に振り上げられる鉈。

しかし既に空中にある体は躱すことも、方向を変える事も出来ずに前へ飛んでいく。



―――死ぬ

脳裏に浮かぶ鮮明なイメージを拒み、破れかぶれに突き出した右手の刀が、勢い余って化け物の車輪に巻き込まれた。




ガリガリガリ―――!!

何かの砕け散る音と、降りかかる破片。自分の口から漏れる悲鳴と、それに混じる別の絶叫。地面に着く草履の裏。

全ての音と光が交錯して、反響して。音と光の洪水の中で世界が反転していく





―――――。



声をあげることすら出来なかった。

膝から崩れ落ちた地の上、その朱色が夕焼けを映した砂利の色だと気付かない程、直前まで対峙していた恐怖の残滓に翻弄されていた。



そもそも、十分な距離を取って逃げ切ったはずだった。

そんな銀次の確信を覆すように、出口に足が掛かった瞬間に目の前にあったのは、化け物の顔だ。




まるで簾のようにまばらに散らばる髪の間、濁った黒い目が銀次を凝視していた。刹那、歪められた顔に浮かんだのは怒りか、愉悦か、憎悪か。

判別の付かない激情を浮かべた化け物から、死の一閃を受け取る寸前。


脳裏に焼き付く夢にまで見そうな光景に、銀次は無意識に胸を掻き抱いた。



「かえって、きたのか・・・?」




ガタガタと震えながらも、自分が、胸元の妹がまだ生きていることを確認し、呼吸を整えながらゆっくりと身を起こす。


化け物は、ついて来なかったらしい。周囲には自分たち以外、なにも、動くものもない。


目の前にあるのは暗くなり始めた灰色の地平線と、目的地としていた古ぼけた小屋。

異界のものとは異なる冷たい風が、恐怖に狂った頭を覚ましてくれる。

体のどこにも新しい傷はないし、お美希も、眠ったままということ以外に異常はない。




「よかった・・・。」




例の化け物―――角を生やしている様子から鬼と呼ぶべきだろうか。

至近距離まで迫られながら、あの鉈が振り下ろされる前に脱出出来たのはまさしく、奇跡だ。



そもそもあの移動速度を考えるなら、最初に異界に踏み入れてしまった時に出くわしていた可能性だってある。

そうなればこの小屋に辿り着くどころの話ではなかっただろう。


銀次は自分の行いの軽率さを恨むと同時に、この場所に来てしまった事の意味に気付く。



辿り着いたこの場所はすべて、黒い水たまりに囲まれている。

つまり――



「この小屋を離れるには、またあの異界を抜けなくてはならない・・・」




痛恨の極みだった。

夜が明ければ、ようやく拾った命をまた賭けることになる。

そう考えるだけで反吐が出そうだったが、今は目の前の小屋へ―――早く妹を休ませることに思考を無理矢理に集中させる。



「それにしても古い小屋だな。」



目の前に佇む木造の小屋は、人の気配はおろか、半壊と言っても差し支えないほどオンボロだった。

壁の木目には泥がこびりつき、隙間が多い。



『古桜庵』



黒い塗料でそう書かれた木版が入口に打ち付けられているが、庵と呼ぶには明らかに小さい。

そして名前の由来となっていると思われる、巨大な枯れた桜の幹に寄りかかり、壁の一部を壊してめり込ませながら、かろうじて建物としての風体を保っていた。


桜の支えがなければ間違いなく倒壊していたのだろうが、代わりに重みに耐えきれなかった太い幹が根元から折れて屍を晒している。

桜を主とした庵ならば、明らかに本末転倒な結果だろう。



普段ならけっして近づかない類の家屋だが、迷いなく銀次は引き戸をこじ開け、冷たさを増す風から逃げるように身を滑りこませた。



「御免。どなたかおられぬか」



黙って中を使わせてもらうのも悪いと思い声を掛けるが、やはり返答はない。

外から漏れる光をたよりに室内に目を凝らすと、中は思った以上に広かった。



棚に積まれた食器、用途のよく分からないカラクリの他、壁際には食台のような低い台や畳椅子が積まれていた。

他にもよくわからない機材が並べられていたが、唯一用途が分かったのは壁に掛けられた不思議な文様の付いた装置だけだった。

カチカチと音を鳴らしながら一定間隔で棒を動き回らせるその装置は、時を知らせるものだろうか。

定期的によくわからない文字を差していた。


室内の物はどれも埃を被っていたが、綺麗に並べられ使い込まれていた様子が伺える。




奥へ進むと、畳椅子が積まれた土間のような造りになっていて、奥の方には段差があり、板張りの炊事場が広がっていた。

全体的に炊事場を主とした造りと、調理具が揃っている様子から、元々は茶屋や食事処として使われていたのではないだろうか。


そんな推察を浮かべながら、銀次は小屋の隅に畳椅子を集め、そこへお美希を寝かせた。



相変わらずお美希は眠ったままだった。


ささやかに上下する小さな胸も、丸く紅が差したやわらかい頬も、毒々しく変色した腕も、何も変化はない。

まだ、生きてくれている。


しかし。

本来なら赤子が腹を空かせて目を覚ます時間を、とうに過ぎている。

それは、飲ませてやれる乳が無い以上に恐ろしい事だった。


乳が無くとも何かで重湯を作れればそれを与えられるし、それも不可能ならば最悪自らの血を飲ませるつもりだった。

しかしこのまま目を覚まさず、一切栄養を取ることが出来なければ、いずれお美希は死ぬ。



「お美希・・・。」



ずっと守り続けてきた小さな妹を、もう唯一となってしまった家族を失うなど―――絶対に、絶対に許されない事だった。



なんとしても、この命に代えても、お美希は守る。

強い決意を胸に銀次は立ち上がり、辺りを見渡す。



―――せめて水分だけでも口に含ませてやりたい。




そんな思いから土間や台所の辺りで甕を探す。

古い造りの家屋には台所に井戸を作ってある所もある。が、この小屋にはそういったものは無いらしかった。


代わりにみつかったのは、本来水瓶があるべきところにはめ込まれた、薄い鉄で出来た四角く大きな(たらい)と、取っ手付きの筒だ。



たらいの中には使いさしのような茶碗や湯呑が突っ込まれていたが、古ぼけた小屋の割に、鉄のたらいと筒には錆ひとつなく美しい。


鉄は本来、水との接触を避けるべきというのが通説だ。しかし、このたらいは水を溜めて使う用途らしく、排水用らしき穴と、そこから地へつながる筒まである。


上部の筒の取っ手には左右に紅色と蒼色の紋様が記されており、それが何らかの意味を示しているらしかった。


初めてみる形の台所に戸惑いながらも、銀次は上部の筒の取っ手に触れてみた。すると不意に取っ手が右に倒れてしまった。




―――!!


直後に地響きのような異音が響き渡り、筒が振動し出す。

何事かと銀次が身構えた、その時。



ジャーー!!!

筒から勢いよく飛び出したのは、鉄の匂いを纏わせた赤い水だった。




「筒から、血だと・・・?」



不気味な音を立てて赤茶色に濁った水が、飛沫をあげて次々と穴に向かって吐き出される。



茫然とする銀次の目の前で、血のような水はたらいの穴へどんどん吸い込まれていき―――反比例するように出てくる血の色と匂いは薄まり、煙まで放ち始めた。


見る間に透明度を増していく液体に、銀次はそっと着物の袖をつけて正体を確かめる。



「信じられねえ。」



一体何が起きているのか分からないまま、もはや湯といっても差し支えない液体が目の前に流れ続けていた。





*****




灰色の雲の先にある月が、ぼんやりと夜空を照らしている。

灯りとしては心もとない光だが、引き戸を半開きにして小屋の中に導き、お美希の前に銀次は腰掛けた。



泥と血に汚れたお美希の体を、温かく湿った旗で拭いてやる。


そうしてやるだけで、外気で冷やされた体はじんわり赤みが差し、健康的に見える。

後は目を覚ましてくれればいいんだけどな、と独りごちたのち、銀次は不思議な筒のことを思い返す。




あの後、いくら待っても再び筒が血を吐くことは無かった。

それどころか、取っ手を戻すまで無味無臭の高温の湯を吐き続け、銀次は大いに驚かされる事になる。



そもそも湯を用意するのは薪がいるし、水も、鍋も手間もいる。

そういった過程をすっ飛ばして湯を出してくれる筒など聞いた事がない。

しかし過程はどうあれ、この状態での温かい湯は、大変ありがたかった。


お美希の全身を拭き終わった銀次は、今度は自分の傷口を洗うためにたらいの前に立つ。



「明日は風呂に入れてやろうかな。」



温泉地には竹を割ったものに湯を通して供給する所がある、と聞いたことがある。

恐らく内部にそれと似たような仕組みを持っているのだろう、と想像しながら取っ手を正面に倒す。

しかし―――





「ん、何故だ?湯が出ない。」



先ほどまでは無制限に出ていた湯が一向に出てこない。

流れてくるのは清潔ではあるが、冷たい水だけだ。

出来れば、自分も温かい湯で血だらけの体を洗いたかったのだが・・・




―――まあいいか。



体の傷を拭うだけなら、冷たい水でも我慢できる。

そう思って着物を脱いで流れる水に付けた、その時。


外の灯りを取るために少しだけ開けていた引き戸が、大きな音を立てる。

けっして風のいたずらなどではない、動物的な物音に銀次は瞬時に身構えた。



「・・・ッ!何者だッ。」



もし相手がこの小屋の持ち主だったならば、大変な無礼だぞという認識を浮かべながらも、銀次はお美希を庇うように引き戸の前に立った。



返答は無い。

しかし固唾を呑む銀次の前でほんの少しだけ戸が動き、一人分の隙間に陰が差す。

後ろに広がる夜の空に来訪者の影が揺れて、姿を現―――――さなかった。



否。姿を現さなかったのではない。

姿が、無かったのだ。



唖然とする銀次の眼前。

薄暗い砂利の海で曖昧な輪郭を躍らせた影が、舐めるように敷居を乗り越えていた。



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