無力
銀次はいつも無力だ。
現世においては弟を死なせ、謀反の兆候に直前まで気付けず、なんの対応もできず、両親を死なせ、最後の家族である幼い妹まで命の危険に晒した。
挙句の果てに流れ着いた隔離世でも、それはさして変わらなかった。
世の理に深い知識を持つオウカノヒメ。
未来の知識を駆使し、快適な生活に役立てられる麻理子。
兵士としてだけでなく、農耕の知識も深く体格にも恵まれた木藤。
自分が彼らより優れたものを持っていない事も、銀次は早々に理解した。
これまで培ってきた技術も知識も心得も、一つとして生活を助ける充てにはならないと。
即戦力しか必要とならない隔離世での暮らしに於いて、自分は役に立たない。
だから、更に弱い者達を守る為には、真摯に学び努力するしかないという結論に達した。
そんな努力でも、弱き者達を救う力になるのなら、本望だった。
けれど、自分の決断によって弱き者が傷付けられていたとしたならば、それは―――
『銀次殿・・!』
瞬きの間に怪物との間を詰めた銀次を、止める事が出来なかった。
立ち尽くした木藤と、そのずっと先で振り上げられた鎌が、紫の軌道を描く。
しかし銀次の首を狙って放たれた斬撃は、そこで止まっていた。
「なんでなんだろうな、まったくよぉ。」
ギチギチと、刃同士の擦れる音と間延びした場違いな声。
その出処と、思っていたものと異なる展開に木藤も、逃げ延びた餓鬼も、そして鉄蟻ですら戸惑っているように見えた。
一人だけそんな外界を置き去りにしながら、銀次はなおも独りごちる。
「いっつもいっつも。なんで、こんなことになっちまうんだろうな。」
言葉を聞いた者たちに、その不平の真意は理解出来なかった。
しかし銀次から溢れ出たその言葉は、自分の人生、もとい自分自身への怒りと絶望の権化であった。
いつもそうだった。
自分が気付いた時にはいつも惨劇が終わっている。
親父もお袋も、次郎丸だってそうだ。
おかしいと思った時にはいつも手遅れの状態からスタートして。
しかも今回の手遅れの原因は、明らかに自分だった。
「お前達、痛かったよな。苦しかったよな。」
眼前の鎌を受け止めたまま、すぐ近くで転がっていた黒い小さな塊に語り掛けた。
突然背後を取られたのか、背中と足を丸めて突っ伏すような形のまま事切れているのは、お雪と同じくらいの歳の頃の餓鬼だ。
木藤の進言した通り、もっと早くに助けにきてやれば、今頃庵で元気に遊びまわっていたかも知れない。
この子だけじゃない。川の水に浸かるように倒れている子も、林から半分飛び出して倒れている子も。
あの子も、この子もその子もみんなみんなみんなみんなみんな
自分のせいで引き起こされた地獄に、ぐるぐると頭の中を、胸の内をかき乱され、もう溜息しか出なかった。
親父もお袋も次郎丸も。
「俺の方が死んじまえば、良かったのに。」
『銀次殿、早く逃げてください!自分が囮になります。なので早く・・・!』
「木藤」
後ろから足音が走ってくるのを聞き取って、銀次は首を振った。
「お前も大概なお人よしだよな。全部俺のせいでこんな事になってるってのに。
それでも守ってくれようとするんだもんな。まったく」
本当に、と言いながら刀の背で鎌を弾き返し。
「―――自分の無力さが嫌になるぜ。」
叩きつけたもう一本の刀の背が、巨大な紫の鎌を粉々に砕くのだった。
『銀次、殿。』
木藤は目の前で起きている光景の、意味が分からなかった。
―――ギシャァアッ!!
「おーら、こっちも見栄え良くしておくか?」
まるで曲芸のように大振りの鎌を躱し、持て余した片手で脚の根本を切断する。
大きくのけぞった巨体は、見た目を裏切らない重量を以て岩を砕く。
それなのに、関節の付け根を狙って突き立てられた刃は、まるで大根でも切るように易々と化け物を切り刻んでいく。
―――彼は、普通の民間人ではなかったのか?
木藤の見立てでは、この巨大な鉄の蟻に生身の人間が太刀打ちなど出来るはずもなかった。
だから、この化け物との戦闘は避け、隠れながら出来うる限りの救助を行う手筈だった。
しかし。
血をまき散らして地に落ちる紫の刃を、右足で踏み砕き黄色の体液を撒き散らした。
圧倒的に不利に見える小さな体が、呼吸一つ乱さないまま巨大な化け物を一方的に痛めつけていた。
ーーー想定以上に事が良い方向へ進んでいる。
このまま彼が鬼を倒してくれるかも知れない、という期待も感じて始める一方、木藤はこの状況に薄ら寒いものも感じ始めていた。
目の前で銀次が残った脚をなます斬りにしている。
「そーらそらそらそら。」
ギャァアア!!
明らかに、銀次が強すぎるのだ。
暴れ狂う巨大な蟻の身振り一つで、人の身など瞬殺されてもおかしくない。
それを神業のように最小限の動きで躱し、余った手の動きで的確な位置へ攻撃を送っていた。
―――こんなことなら、もっと早くに連れてくるべきだった。
そんな後悔がよぎった時、紫の鎌が破壊されて飛び散った光に、銀次の横顔が照らされる。
そうして露わになった表情に、助けに走ったはずの足が動かなくなった。
『泣いて、おられるのか。』
涙は流していなかった。
それに狂気じみた言葉を吐き出す舌も、打刀を振り回す腕も、怒り狂っているようにしか見えない。
しかしその無表情な顔に空いた二つの眼が、あまりにも空虚で、まるで泣いているように見えた。
その時、先ほど自分の脳裏に浮かんだ後悔が、別の形になって耳に届く。
「こんな雑魚を、どうしてこんなになるまで放っておいちまったんだろうなぁ。」
最初、自分が責められているのかと思った。
しかし噛み締められた口元に、そうではないと察した。
もっと早く連れてくればよかった。
それと同じよう事に銀次殿も気づいたのだ。
雑魚、と称した相手を許容した自ら絶望しているのだ。
だが男の心境を察した所で、掛けてやれる言葉が見つからなかった。
木藤としては、鬼を倒して貰えるだけで周辺の救出活動は一気に捗るし、そもそも来てもらってるだけでもありがたいのだ。
しかしーーー。
狂ったように刀を叩きつける姿を見てられず、木藤は被害者達の方へ踵を返すのだった。
6本の脚を切り落とし、砕けた鎌が光を吐き出して真っ黒な炭へと変わる。
もはや残ったのは巨大な腹に付いた体だけで、かろうじて息がある残骸に銀次は飛び乗った。
「さて、食ったもんをばら撒くか?それとも潔く死に晒すか?
まあ、好きな方を選べよ。」
ギ、ギギギ・・・
選べと言いながら、既に刃先を腹に沿わせる銀次の元へ、誰かが近づいてきた。
砂利を踏む音の軽さに思わず振り返ると、先程逃げ延びた餓鬼だった。
「おう、怪我はねぇか?」
『・・・ひっ』
声を掛けただけで怖がらせてしまったらしく、尻餅をついてしまった餓鬼に銀次はポリポリと頭を掻いた。
しかしその指先に絡みつくねばっこい化け物の血に、自分の見た目がどういう状態になっているかようやく気付く。
「・・・こりゃあ風呂に入らねえとな。なぁ、お前も来い。この先に俺たちの屋敷がある。腹いっぱい飯を食わせてやるからな」
『あの・・・』
あまり怖がらせたくなくて、無理に明るい調子で語り掛けた銀次だったが、気遣いの成果は芳しくないらしい。
こちらを遠慮がちに見る餓鬼は、先程鬼に追いかけられた時と変わらない形相をしている。
それでも逃げ出さずにいるのは、まだ人間だと認識してくれているのだろうか。
そんな自嘲を浮かべて苦笑していると、木藤が駆け足でやってきた。
『銀次殿、大変です!・・・子供達が。』
その背に負われた餓鬼は、先ほど鬼に斬られ魂を吸い取られた餓鬼だった。
打ち捨てられた餓鬼達同様、物言わぬ躯となっていたはずだがーーー今は銀次の方を恐々と見上げていた。
『ありがとぉ、おじちゃん。』
見渡せば、骸と化していた無数の餓鬼達が次々と動き始めていた。
産声を、泣き声を、うめき声をあげ、それぞれの痛みと苦しみと、そして辛うじて保たれている息災を知らせる音がそこら中に溢れかえっていた。
普段なら聞き慣れて何とも思わない音に、銀次は何故か膝が崩れた。
先程まで腑を焼き尽くすほど席巻していた怒りと絶望が一気に冷え散って、先程まで振るっていた刀を落としてしまう。
「今度は、手遅れじゃなかったってことか。」
改めて、認識した現実を口にすると急に視界が明るくなったような気がした。
『突っ走り過ぎです。色々と。』
「は、はは。すまねぇ。でもよかった。・・・本当に良かった。」
眉間に皺を寄せる木藤に叱られながら、久しぶりに心の底から笑った気がした。
すると突然、目の前が閃光に包まれた。
見覚えのある白い霧と光が晴れて、自分の目線が一気に下へと下がっていく。
「うっ、おわぁ!!」
数メートル上空での一瞬の浮遊と、地面へ吸い寄せられる感覚に身を固くする。
しかし衝撃はいつまで経っても襲ってこなかった。
『こ、これは・・・』
「あっ、えっと、その、すまねぇな!ちょっと待ってろ!!」
慌ててその上から飛び退いた銀次は、今の今まですっかり忘れていた。
木藤に至っては知ってさえもいなかった。
鬼は人と魔道具の融合体であることを。
そして魔道具、今回で言えば鉄蟻を討ち取る事で、融合が解除されること。
そして知らなかった。
鉄蟻と融合した事で媒体だった人物は持ち物、もとい衣類を全て失いーーー
「・・・う、うう・・・」
『銀次殿!!自分の上着を!コレを使ってください!!』
「お、おう!すまねえ、あっ!ちょっと!俺ぁこっち向いとくから着せてやってくれ!」
『・・・っ!!自分がですか!?』
醜悪な化け物の中身が、美麗な女人であった事を。




