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古桜庵にて待つ  作者: 挿頭 草
第一章:賽の河原
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地獄

賽の河原への出立を前に、準備を済ませた銀次はもう一度自らの装いを見下ろした。



「やっぱりこいつが一番動きやすいな。」



墨色の丈の短い着流しは、火鼠の一員として御勤に使っていたのを再現したものだ。

それを選んだのは感傷でという訳ではなく、単に地獄で身を隠すのに適した色合いと、使い慣れたものを着用したかったからに他ならない。


使用感と実用性を重視する銀次が、その着流しに合わせて作り出したのはもう一つ。

麻理子も普段着に好んでいた『じーんず』を、着流しの下に履いている。

破れ難く、汚れても洗い易い。そしてこの上なく丈夫な未来の袴を、銀次は気に入っていた。

しかし、はたから見ればめちゃくちゃな和洋折衷に、黙っていられなかったのは木藤だった。



『その、何というか、斬新な着こなし方ですね。』



「おう、ありがとな!」



相手を傷付けないよう最低限の言葉で表現した木藤だったが、単細胞な銀次相手には意図が伝わらず、あっけなく褒め言葉として受け入れられてしまう。


生きた世代の違いもあるせいかなのか、銀次は異文化へ寛容さが半端ない。

古き日本男児として、しかもジーンズ(敵国文化)への忌避を根本から叩き込まれた者としては、なかなか許容できるものではなかった。


ここに来てある程度は薄れてはいたが、未だに慣れることがない異文化の香りに一抹の不快感を感じずにはいられない。

その存在が未だに心の根底に影を落とす、祖国の敗北を否が応でも再認識させられてしまうからだ。



しかし、銀次はただの民間人だ。


これまでどんな事をしていたかは知らないが、古来の人間であるが故に、その衣服の由来も何も知らないことを木藤も知っている。

そんな相手に向かって、それを言葉に出すほど木藤は感情的な男ではなかった。

だから忌々しいジーンズから視線をもぎ離し、今度はその腰にさげられた二本の刀に向けた。


いくら相手が太刀打ちできない程の化け物だったとしても、武器を持ちたくなる気持ちは分かる。

しかし、武器としては若干難がありそうな得物に、木藤はもう一度疑問を呈した。



『銀次殿は、脇差しか身につけないのですか?昔の方は太刀と脇差を差してるかと思っていたのですが。』



銀次の腰に下がった刀は二本。まるで忍者のように体の左右に差された小振りの刀は、脇差といっても過言ではないほど短く、木藤の思っていた古き武人のそれとは大きく異なっていた。

そんな疑問に銀次はあっけらかんと答えてみせる。



「こいつは脇差しじゃねえ。この刀は打刀(うちがたな)って言ってな、重い太刀より軽いし戦いやすいんだ。タッパの小せえ俺が使うにはこいつが一番なのさ。」



『・・・銀次殿は戦いの経験がおありなのですか?』



自分の知らない知識をまた一つ習得しながら、木藤は銀次を注視する。

そこまで戦いに特化した体形に見えないのと同様に、当の本人も「いや・・・そこまでは・・」と言葉を濁す所から、戦闘には自信がなさそうな印象を受ける。

そんな軟弱なイメージもまた、木藤の決意を確固たるものにするのだった。



『銀次殿。貴方の事は必ず守ります。しかし、自分が合図するまでは決して前に出ぬよう、約束してください。』



木藤にとって、民間人とは絶対的に庇護し、危険から遠ざけるべき者だ。

それは自身が日本兵の一人として生きていた時から、一切変わる事の無い信念だ。



駐留していたその南国に、敵国の侵撃が始まった時。

無関係な地元民に攻撃が及ぶ前に、島外に逃がせという命令を受けたのが木藤だった。

占領下ではあったにも関わらず、地元民はみな素朴で親切な者たちばかりで、部隊の者はみな地元民との交流に心温められていた。



『誰一人として、死なせるな。』


籠城戦が始まらんとする時に部隊長の血命を受け、急ぎ離脱した船で後続の地元民を引率し、あとわずかで避難完了という時。

海上で謎の爆発が起きた。

炸裂する爆風と光の中で、後続を振り返る事すらできなかった。

恐らく魚雷だったのだろうが、今となってはそんなこと(死因)などはどうでもよかった。



あの後、後続の地元民達の船がどうなったか。

守るべき民間人達がどうなったのかを、木藤は知らない。

しかし、どう考えても敵国が船団の後続を攻撃しなかったとは思えなかった。

そして、同様の攻撃を受けたならば民間人などひとたまりもなかったはずだ。



命令を、民間人を守れなかった。




魂に刻まれた悔恨が疼き続ける。

目が覚めた謎の場所で、異形の子供達を救う旅もその延長に過ぎない。

次は、次こそは。


何があっても、救える命は救う。

自分が死んだ事を知らずとも、知ったとしても、それは変わらない。


だから、今度こそ間違えない。




『銀次殿は、必ず守ります。』



本来なら民間人を死地に連れていくことすら憚られる。

しかし、今回はそうもいかない。だから、せめてその身の危険だけは阻止しなくてはならない。


だが、そんな決意を知りもしない男がへらへらと笑って言う。



「俺ぁ大丈夫だって。かわりに、お前は餓鬼達を守ってやれ。」



以前地獄を歩いたことのある経験で、無駄に自信を持ってしまっているらしく、渾身の言葉も伝わっているか怪しい。

頭が痛くなりそうな感覚を覚えながらも、木藤は自らも準備に取り掛かるのだった。






******







『じゃあ、行ってくる。』


「お美希の事、ありがとうな。遅くても夕方には帰ってくると思うから。」



準備を終えた銀次と木藤は、水溜まりの前まで見送りにきてくれたチエミに握手をしていた。

お美希は絶賛午前寝中だ。



『うん、いってらっしゃい。がんばってね。』



心配そうな顔をしながらも、我慢して手を振ってくれるチエミに、銀次は必ず帰ると約束し、後ろを振り返った。

古桜庵の裏手にある、一番大きな池だ。

以前ここに落ちたことがあるが、木藤の地図を確認してもここが川に一番近い事が分かっている。



「それにしても、あっちには餓鬼がたくさんいるんだろ?食料を持っていかなくてよかったのか?」



『それはお勧めしません。』



風呂敷を背負っている銀次に対し、荷物が重くなるのを危惧しているのだろうか、木藤の装備はやたら軽装だ。

腰回りに小さな荷物鞄とロープをつけているだけで、地獄に行くには心許ないような気がした。

が、それ以上の文句を許さないとばかりに、木藤がもう飛び込んでしまった。



「おい。・・・っと。こっから先は静かに行かねえとな。」



そう呟いて踏み出した先、慣れたくない世界が顕在していた。

足元のぐらつきが収まると同時に、禍々しい赤い空を覆う黒い草木が広がっていた。

つい先ほど飛び込んだはずの銀次が見当たらず、辺りをキョロキョロと見渡すと、『こっちです』と声が聞えた。


「お、おお。すげぇな。うまく紛れ込んでやがる。」



真っ黒な地面に溶け込むように、すぐ足元で木藤が腹ばいになっていた。

銀次も慌ててそれに倣うが、色のある体でやってもどうも目立つ。

そこで、風呂敷から血のしみ込んだ頭巾を取り出して、頭に被る。前回の経験を生かした産物に木藤も納得がいったのか、コクリとうなずいて先を顎でしゃくった。



『ここからは体高を低くして。ついてきてください。』




木藤の指示に従い、身を下げ音を立てず、素早く前に進む。

これまで以上に妙な地面の凹凸に足を取られそうになるも、二人で順調に進んでいった。

そして――――




「河原だ。」



丈の高い雑草を掻き分けた先、見晴らしの良い河原が広がっていた。

白っぽい石の原に所々黒い塊が見え、その先を流れる赤がある。緩やかに流れる様はまるで血だ。

色さえ違えは美しい景観だったのだろうが、空も水も赤く、石の原に点在する多くの黒に銀次は総毛立つほどの気味の悪さを覚えていた。

そして何より、所々にある黒色のそれに銀次は違和感を感じていた。



「なぁ、あの黒いのって『しずかに!鬼です』



銀次の言葉をさえぎって、木藤が頭を下げさせた。

吊られて視線を向けた河原の左方、遠い河上の方に何かがいた。



距離は120メートル程はあるはずだったが、それはやたら大きく見えた。

灰色の巨大な体を揺さぶりながら、ゆっくりとこちらへ進む姿はまるで―――



「・・・蟻、なのか?」




そうとしか例えられない形だった。

大きな腹を引きずり、そこから生えた金属質な6本の爪先だけが紫色で、それを地面に突き刺しながら進んでいる。

しかしその大きさが違いすぎる。


高さは4メートル程もあるだろうか。突き刺さった場所の石ころが砂煙のように粉砕される様は、木藤が言った通り生身の人間がとても太刀打ちできるものではない。


それが河原と林の境を探し回るように、前足を鎌のように振り回して草木を刈り取っている。その刃先から、時折光る何かが飛び出しているのだが、それはさすがに銀次にも見えなかった。


蟻の進行方向の延長線に自分達がいることに、木藤はすぐに気づいたらしい。

あと100メートルほどに迫ったところで、方向転換の可能性が無い事を察すると、肩を叩いて撤退の合図を示す。



が、その時少し先の林からバキリと枝が折れ、何かと一緒に落ちてきた。

どさり、と鈍い音を立てて硬い石原に落ちてきたのは――――5歳くらいの餓鬼二人だった。



『いやああああ!』

『いや・・・!えっく。だすけで。だすけで・・・!』



落ち方が悪かったのか、一人は片足を引きずりながらも蟻と反対方向、こちらに向かって一目散に掛けてくる。

すると物音に気付いたのか、鉄の蟻がしばし脚の動きを止め―――――猛然とこちらに駆けてきた。

走る度に石に突き刺さる紫の刃が轟音を立て、まるで地響きのように鳴り響かせながらこちらへ迫ってくる。


「あぶねぇ!!」



『銀次殿!無理です!隠れましょう!』




銀次の袖を力いっぱい引いて、後ろの草むらへ抑え込もうとする木藤に、銀次は怒鳴りつけた。



「てめぇ!何言ってんだよ!あの子を見捨てるつもりだってのか?!」



自分達が隠れていることも忘れて怒声をあげる銀次に、木藤は何も言わずただ黙って押さえつけてくるだけだ。

そして銀次は気付く。

目の前の石の原に転がっている黒い塊の正体を。



『・・・駄目なんです!きっとああなっては自分には救えない。連れて帰った子もおそらく同じだ。だから・・・』



石の原に転がっているのは、全部餓鬼だった。

ぐにゃぐにゃの体が、踏まれ、潰され、ゴミのように打ち捨てられている。

赤子も幼子も関係ない。よく見れば石原だけでなく、林の中にもたくさん転がっている。

この人数がやられたのなら、きっとそれ相応の時間も経っているはずなのに。どの子供も、目を覚ますことなく死体のように転がっている。

それはつまり――――





「あいつが、やったってことか?」




何をしても回復できない餓鬼達。その原因を作ったのが。




『うあああん!うああああん!・・・ぅガッ』



逃げ遅れた餓鬼が紫の刃で抱き込むようにして捕らえられ、鋭利な刃に触れた体から光る塊が飛び出した。

銀次は似た光を知っている。

魂の入れ物としての役割を終えたそれが、隔離世に返される時。

空に昇っていく、魂の光に酷似していた。

飛び出した光は刃から逃れるようにもがくが、紫の刃に触れたところから、その身を吸い取られていく。



「魂が吸い取られている・・」



光が完全に吸収され体が崩れ落ちると、鉄の蟻は興味を失ったようにもう一人の餓鬼に体を向けた。

後ろの仲間の声が聞えなくなったことに、すべてを察した餓鬼は、走り、泣きながらも半狂乱になって叫ぶ。




『おがあざんん!!だずげて!ぉぉおがあざん!!』



飛び出そうとした銀次の体が、思い切り押さえつけられた。

信じられない思いで睨みつけると、歯を食い縛り指が白くなるほど力を込めて木藤が袖を握っていた。




「どけ。」



至近距離で睨み合った木藤の顔は、これまで同じような光景を何度も見てきたのだろう。

抗っても、蹂躙されるしかない現実を受け入れ、逃げ隠れながら救える命を救う。

だから、冷静にこんな状況にも耐えられるのだ。

そして、これからもそうやって耐えていくのだろう。



それを間違ったことだと、銀次は思わなかった。











『銀次殿!!・・・?!』






だが、銀次はそんなのゴメンだった。



だから、自らを縛る袖を破り捨てて疾走した。



唖然とする木藤を置いて。

恐慌状態の餓鬼を追い抜いて。

時の流れが何十にも引き伸ばされた感覚の中で、二本の打刀を抜く。

振りかぶられた紫の刃を正面に捉えて、銀次は歯を食いしばった。


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