緑の縁
『協力、ですか。』
パチパチと焚き木の弾ける音に無感動な声が混じる。
背景に溶けそうな黒い横顔は、暖かな橙の光を以てしてもその表情を読み取らせようとしない。
しかし銀次は確かな手ごたえを感じて話し始めた。
「俺は今一人で子供達の保護と成仏を行っている。これまでは仲間がいたんだが・・・まぁ諸事情により全く人手が足りていない。
だからお前の手を借りたい。できれば子供達が食事を取れる場所と、それから凍えずに寝れる場所を整えたいんだ。・・・実は今休ませているあそこは、本来脱衣所でな。」
『そうでしたか。たしかに拠点の安定は大切です。
しかし仮に自分が手を貸すとして、その間地獄にいる子供達はどうなるのでしょう。』
「もちろん準備さえ整えば俺も地獄へ行って、もっと多くの餓鬼を救って成仏させてやりたい。しかしどう足掻いても現状では無理だ。その時までは―――」
『銀次殿。貴方が思う以上に、あの場所の状況は酷い。こうしている間にも多くの子供達がのたうち回っている。今すぐにでも自分はあの場所へ救出に戻るべきだと考えております。』
木藤の謂わんとすることもよく分かる。
長い間地獄を彷徨ってきたのなら、数えきれない程の修羅場もあったことだろう。
苦しむ餓鬼達を多く見てきたからこそ、救出に焦る気持ちも理解できる。
しかし、銀次は長期的に餓鬼達を救い出せる環境も整えていきたかった。そして、その為にも木藤の助けは必要不可欠なのだ。
早速、表出してしまった齟齬を埋められる言葉を探している所で、ぐいと後ろから袖が引かれた。
「んぁ・・・?チエミか。どうしたんだ?」
いつの間にかに背後にやってきていたチエミは、何か焦っているように地団駄を踏んでいた。
その様子に隣までやってきていた木藤も、声を掛ける。
『眠れないのか?』
『あのね、お雪ちゃんがね。』
拙い動きで指さした先に、うっすらと光の柱が立っていた。
その光景にすべてを察した銀次は、素早くチエミを抱き上げて走り出した。そして、ほうけたまま立ち尽くす木藤に叫ぶ。
「木藤、お前も来い!お雪の成仏する所、見ててやんねえと!」
扉を開け放った時、まだ弱い光を放ったお雪が浮かび始めていたところだった。
『こ、これが・・・』
初めて成仏を見て硬直している木藤を置いて、銀次はお雪が成仏する前に食べさせてやると決めていた物を用意しに走る。
そんな僅かな間にも、光は徐々に強くなってしまう。
日中はたくさん遊び、夜には美味しいハンバーグをたくさん食べて。それから温かいお湯に浸かり、柔らかな布団で眠る。
そんな小さな幸せの中で、彼女の成仏となる条件が満たされた。
色々と不備の多い環境だったにも関わらず、お雪をここまで満足させられることができたことが、銀次は純粋に嬉しかった。
すでに若干光の欠片が散り始めてはいるが、天へ迎えられるまでの猶予はまだ少しばかりあるらしい。
少し涙ぐんでしまいながらも、銀次は残された時間でしてやれることをする。
「間に合ってよかった。もう行っちまうなら・・・これなんてどうだ?!」
『・・・!』
大急ぎで冷蔵庫から取ってきたプリンを、お雪の目の前に掲げる。
少しぼんやりしていたお雪が分かりやすく目を輝かせたのを見て、銀次はスプーンで掬ったそれをお口元に運んでやる。
小さな口を大きく開け、もぐもぐと口を動かしたお雪は満面の笑みを浮かべていた。
『あっあとー』
もう一口、あーん、と大きく口を開けて頬張ったプリンを味わい、こくんと飲み込んだお雪は、小さく頷く。
まるで、もう思い残すことはないという表情を最期に、光が一気に強くなり体が高く浮かび上がった。
美しい欠片の舞い散る中、負けないくらい輝く笑顔を浮かべ、もう銀次の手も届かない空へと昇っていく。
徐々に遠くなりつつあるお雪は、手を振っていた。
だから銀次も負けじと振り返し、声を張り上げる。
「次の人生では、もっと美味いもんいっぱい食うんだぞ!そんで・・・それから!たくさんたくさん、幸せになれよ!
・・・っておい、木藤!お前も手ぇ振ってやれよ。これで最期なんだぞ!」
『は、はい。』
声を上げているとなんだか泣きそうになってしまって、銀次は喉のこわばりを誤魔化すように木藤につっかかる。そうして突っ込まれた木藤は困惑していたが、瞬時に「最期」の言葉の意味を察して大きく手を振る。
『もっと早く見つけてやれなくて、すまなかった。次は、もっと幸せになるんだぞ!』
『お雪ちゃん!ばいばい!』
「あーぅー」
たくさんの見送りを受けながら、手を振る小さな体が崩れ、美しい欠片を振らせながらお雪が昇る。
宵闇の空に穴が開き、その先から差す金色の空に吸い込まれながら。
『あっあとー!あっとー!!』
何度も、拙い『ありがとう』を遺して、お雪は還っていった。
美しい星の海を、小さな魂が昇る。
もう体などない小さな存在になったけれど、その胸は、心に当たる場所は温かく幸せに満ち溢れていた。
ここのたどり着くまでの道のりは辛く、遠かったけれど。
そんな過程も今となってはいい経験だと思えるほど、幸せだった。
その赤子が産まれたのは普通の一般家庭だった。
多くの兄弟と優しい両親に囲まれ、貧しいながらも満ち足りた生活を送っていた。
しかし、その幸せは突如訪れた戦争と共に終わりを告げた。
空襲の中、轟音と共に崩れた家。
焼ける街。
押し寄せ逃げ惑う人々の中、逃げる途中で家族とはぐれて一人ぼっちになった。
やがて訪れたのは大きな混乱と貧困だった。
家族がどこに行ったのかも分からない。
自分がどこにいるのかさえも。
頼れる人は誰もいなかった。
声を掛けてくれる人は誰もいなかった。
だってそんな孤児はそこら中にいたのだから。
瓦礫だらけの焼け跡で、何日も親と食べ物を探した。
けれど幼くおぼつかない足取りのせいで、早い者勝ちに敗れ、どこに行っても食料はおろか、何も残っていなかった。
仕方なく毎日炭を食べ、泥水を啜った。
歩き続けて歩き続けて、横になって目を瞑ったその時。
何かに体を掴まれ放り出された。
瞬きした途端、それまで見ていた景色と明らかに異なる世界が広がっていた。
真っ赤な川が流れる石だらけの場所で、自分と同じような子供が所狭しと犇めいている。
その中に一人だけ大きめの子供がいた。
少しだけ自分の兄に似ていて、そんな安堵感から歩み寄った。しかし―――
『近づかないでよ。気持ち悪い。』
浴びせられた拒絶と刃に、痛みの余り絶叫をあげてしまう。しかしその声すらもうるさいとばかりに、追加される暴力にやがて意識を失ってしまうのだった。
その日から、その大きい子供は恐怖の象徴になった。
その大きい子供はいつも何かに怒っているか、怯えていた。
何に対して、どうしてなのかは分からない。
分かりたくもなかった。
ただただその不安定な暴力に晒される事を、周りの子供達も気付いていた。皆いつも逃げていた。
その日も刃物で体を切られ、声を失った。
けれど嬉しそうに笑う大きな子供に、体当たりをした人がいた。
『おい!大丈夫か?!貴様・・・なんてことを!』
大人だった。
圧倒的な力で大きな子供を打ちのめし、刃物を取り上げると辺りを見渡していた。
そして他の小さくて歩けない子を抱き上げると、次は自分に声を掛けてきた。
優しい目をした男の人だった。
『一緒においで。ここから離れよう。』
キフジという男の人は、もう一人の女の子と、何故かあの大きな子供まで連れてきた。
怖かったけれど、暴力を振るわれそうになると男の人がすぐに助けてくれたし、少し年上のやさしいおねえちゃんが手を引いてくれたからちょっとだけ安心できた。
それから灰色の場所に連れてこられた。
ここにいる大人はみんな優しかった。
マリコ、ギンジ、オーカノヒメ。
毎日たくさんの美味しいごはんと温かいお風呂に入れて貰えて、すごく嬉しかった。
まるで、両親や兄弟たちといる時みたいだった。
途中、マリコとオーカノヒメがいなくなって寂しかったけれど、代わりに最初の大人、キフジも帰ってきてくれた。
みんなで一緒にいられて、幸せだった。
『あっあとー!あっとー!!』
感謝の言葉は伝えても足りないくらいだった。
みんな大好き。毎日おなかいっぱいで幸せ。
そんな気持ちに包まれているうちに、もっと幸せな場所があることを思い出せた。
きっとそこで、両親や兄弟達とも会えるということも。
でもそれだと大人たちや、あのやさしいチエミおねえちゃんとはここでお別れになってしまう。
怒られちゃうかな。そう心配していたら、優しいギンジがプリンをくれて、バイバイしてくれた。
チエミおねえちゃんも、キフジもみんなバイバイしてくれた。
怒られるかと思っていたのに、みんな喜んでくれた。
うれしかった。
今度は、自分がみんなにありがとうって言ってもらえるようになりたい。誰かの役に立ちたい。大きくなりたい。
小さな魂はそんな夢を膨らませながら、昇っていくのだった。
『銀次殿。』
「おお。」
黄金の柱が徐々に薄くなっても天井を見上げ続けていた木藤が、呟いた。
初めて見たであろう成仏に、何か思う所があったのだろう。
その心の在り処を感じたくて、銀次は敢えて返事だけに留める。
『成仏とは、どうやって起きる・・・いや、起こすことができるものなのでしょうか』
「・・・俺もまだ完全には分かってねぇ。だが、ここで生前に残した強い苦しみや欲求を無くしてやる事で、縛りが消えた魂は成仏する方法を思い出せるんだとさ。」
これもオウカノヒメの受け売りだが、と付け加えると、木藤は何やら考え事を始めたようだった。
初めての成仏を目の当たりにしたにしては、木藤は落ち着いている。
泣きじゃくって大変だった麻理子や、混乱し通しだった自分を少し恥ずかしく思いながら、銀次は第二次世界大戦期の日本人はこんなものだったのかもな、と考える事にする。
多くの人が亡くなる時代は、平和な時代よりも死が民の近くにあったはずだ。
死が近かったのは銀次の時代も同じだったが、浄土だの地獄だのというのは坊主共が都合良く振る舞う為の方便だと思っていた銀次とは違い、死を恐れぬ為により強固な宗教的な教育が根付いているのかも知れない。
そんな考察を浮かべていると、再び木藤が声をあげた。
『一つ聞きたいのですが。』
「おう。」
『すべての子供達を成仏させることは、できるでしょうか。』
唐突に語られたそれに、まるで夢物語のようだ、と銀次は思う。
しかしその真っ直ぐな問いを無下にすることも憚られて、銀次は真面目に考える。
この地獄にどれほどの餓鬼達がいるのかは分からない。
しかし、時間と手間を掛ければどうだろうか。
幸い、時間の観念が無いこの隔離世において時間の経過はあまり関係ないと言われている。だとするならば、重要なのは手間と仁ということなのだろう。
何より、この場では最も足りていない要素であるが―――
「ああ、可能だと思うぜ。だが絶対的に今は無理だ。原因はそれはさっき話した通りだが・・・それは分かるよな?」
『ええ。まだ納得できてはいないですが。』
「いいだろう。それなら明るくなってから周辺を案内してやる。今夜はもう風呂に入って寝ろ。体が血生臭い。」
『・・・・・わかりました。』
分からずやの木藤に腹を立てた銀次は、気持ち程度の嫌味と共に風呂へ放り込んで、自分は脱衣所で横になる子供達の隣に滑り込むのだった。
時折風呂場から届く、驚嘆の声に耳を傾けながら。
翌早朝、木藤を連れて各所を回った。
夜が明けて露わになった瓦礫の山と、黒焦げの桜の幹。それから最後に名ばかりの畑を見せて回った。
昨日頑張って植えた野菜の芽は、やはり寒さの為かいくつか縮んでしまっていた。
「こいつは昨日植えたんだがな・・・ちょっと厳しいか。」
一番弱った芽にダメもとでジョウロの水を掛けてやったが、少しばかり伸びはしたものの茎も葉も立ち上がらず地面に倒れたままだ。
落胆する銀次の一方、横で見ていた木藤はそのジョウロに大きく反応していた。
『その水は?』
普段から感情の見えにくい木藤だったが、どうやら驚いているらしい。
鉄仮面のまま視線だけが土から生まれる雑草とジョウロの間を往復している。
その様子に少し笑ってしまいそうになりながら、銀次は仁と生者の力、この世界にまつわる不思議を最初から説明してやった。
「―――という事で、仁を使ってこのジョウロは草花を育てることが出来るらしい。ある程度までこいつで育てて、あとは普通の水で野菜を収穫できれば仁の節約にもなるんだろうが・・・さっき言った通り、俺の知識不足もあって本末転倒になっててな。使いどころに困ってたところだ。」
『なるほど』
短く返事した木藤は、しばし弱った苗の前に屈みこんだ。
それから『少し借ります』とだけ言うと、工具と瓦礫を漁って何かを作り始めた。
あまりの手際の良さに、銀次もポカンと眺めることしかできない。
そしてあっという間に作り上げたのは支柱だった。
弱っていた苗のすぐそばに立てると、今度は注意深く茎を巻き付かせた。
『もう一度、水を掛けてください。』
言われるがまま、その苗に水を掛ける。
すると、これまでの様子が嘘のように次から次に伸びた枝が支柱に巻き付き、どんどん上に伸びていく。
あっという間についた花の姿に、銀次は腰を抜かしそうになった。
「嘘だろ・・・?!さっきまであんなに弱ってたのに。」
『この芽・・・胡瓜はある程度成長した場合、近くに支柱がなければいくら時間が経とうとも、適切に成長できません。
野菜は雑草と違って成長に合わせて施肥、植栽や剪定など人間の補助が要ります。なので成長が早くなるなら、その見極めもさらに難しいでしょう。
自分の実家は大工と農家をしていました。幼い頃からよく両親の手伝いをしていましたし、農業の方は自分が継ぐつもりでした。その為、部隊の中では一番知識があった方かと。』
早口でボソボソと告げる木藤は、新たに伸びた胡瓜の蔦を巻きなおしながら根本の雑草を引き抜いていく。
無駄のない動きは、まさしく農家の息子という言葉の裏付けに他ならなかった。
「木藤。俺は百姓仕事はからっきし素人なんだ。頼む、餓鬼達を救うためにもお前の力を貸してくれねぇか?」
思いもよらない助っ人に、銀次の鼻息も荒くなる。
しかし木藤の反応は芳しくないものだった。
『手を貸したいのは山々ですが・・・そもそもこの環境で野菜は厳しいかと思います。例えば胡瓜はこういった土や日照量、とくに気温が適していない。このままでは他の野菜も実をつけるのは厳しいでしょう。』
「土は創り出せばなんとかなるか?いや、日光や気温はどうにもならねえか・・・くそ。ここまで頑張ったってのに。」
せっかく汗水垂らして作った畑も、手に入れたお宝もこれでは報われないではないか。
仕方ないとはいえ残念な結論に、大きく落胆する銀次。
そんな様子を気の毒に思ったのか、木藤は記憶の片隅にあった代替案を捻りだす。
『そういえば敵国・・・いえ、海外には温室というものがあったそうです。
全面をガラス張りにし、外気や風を遮断し温かくした上で、季節に関係なく好きな野菜を育てることが出来たのだとか。
しかし・・・建材費が高く、よっぽどの豪農でない限り手は出せなかったようではあります。』
ため息交じりの声は諦めの混じったものだったが、銀次は木藤の言う建物に可能性を感じずにはいられなかった。
現物を知らない為、麻理子が風呂場を作ったように一瞬で作ることは出来ない。
しかし、木藤の見識でおおよその形と建材さえ教えてもらえれば、自分達で建築することは出来るのではないだろうか。
「外気に関係なく好きな野菜だと・・・?建材なら作れるかも知れねえぞ。ガラスってあれだろ?びぃどろとかの。」
『・・・?ビードロとは少し違いますが、透明で平らな板です。』
「透明な板か。大きくしたらかなり重たくなりそうだな。なあ、プラスチックとかじゃダメなのか?」
銀次が思い浮かべたのは哺乳瓶の容器に使われている耐熱プラスチックだ。
あれは中に熱湯が入っていてもさほど熱く感じず、そして軽い。同じ品質の物を平らに大きく創り出して、それを組み合わせれば使えるのではないだろうか。
『プラスチック・・・そうか、その手がありましたか。』
納得した様子の木藤に、銀次はここぞとばかりに頼みこむ。
「なあ木藤。俺が建材を準備するから、一緒にその温室とやらを創るのを手伝ってくれねえか?この礼は必ずするからよ。」
『・・・・。』
平身低頭で頼む銀次に木藤は相変わらず鉄面皮だった。
黙って考え込む男に銀次はなぁ、と声を掛ける。
すると―――
『ああ、申し訳ありません。建築方法を考えていました。それで、どれ位の大きさにしますか?』
もはや断るといった次元に無い木藤に、銀次は噴き出してしまうのだった。




