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古桜庵にて待つ  作者: 挿頭 草
第一章:賽の河原
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異界

最初に目の前にあったのは灰色。

それが空の色だと気が付くまでに、銀次は何度も瞬きを繰り返した。



「痛い。」



吸い込んだ空気が酷く冷たいせいなのか、それとも地面がゴツゴツしているせいなのか、地に付いた頭が酷く痛んで銀次は呻く。

血濡れの左手が折れた刀、それから砂利に触れたのを皮切りに、これまでの記憶が舞い戻る。



そもそも、俺は何故こんな所にいるのか。


夜襲を受けた屋敷から逃げ出して・・・お美希を殺した、裏切り者の助六を森の中で追いかけた。それで殺すつもりが抵抗されて、逆に崖から落ちて。



簡単な回想を終えたところで、銀次は改めて辺りを見渡す。

その記憶の続きとしては、明らかに相応しくない景色だった。



河原に似た石と砂利に覆われた地表は、水辺の一切ない礫砂漠。

遠く地平を臨む世界は、空の色を反射したようにすべて灰色一色に染め上げられていた。

まるで生命の色をもたない死の世界で、色彩を持つのは自分しかいないのではないかと錯覚するほどだ。


現実離れした景観に、銀次は肌を粟立てながらも現状を分析する。



目を覚ますまでは間違いなく、林の中にいた。

それだというのに、自分が落ちてきたはずの崖すら見当たらないのは、どういう事だろうか。

目の前に転がっていた折れた刀を拾い上げる。

直前まで自分が握りしめていた得物だ。



―――助六が崖から落ちた俺を回収して、ここに運んだ・・・のか?いったい何のために?


思案に暮れながらも傷だらけの体を起こす、その時ようやく胸元に感じる重みに気付いた。



「お美希・・!」



崖から落ちた衝撃で、離れ離れにならずに済んだ幸運に感謝しながら、胸元の小さな存在を確認する。

柔らかい頬っぺたを胸板に付けたまま、目を閉じているお美希は、まるでいつもと変わらない。



「ごめんな。お美希・・・」




―――守ってあげられなくて。


そう続けようとしたところで、銀次は言葉を失った。

その小さな胸元が微かに上下していたからだ。




「・・・っ!まだ、生きてる・・早く医者を探さなくては・・!」



毒々しい色に染まった腕を中心に、体が冷えている。

しかし確かに息はあった。

患部を縛ってから、出来るだけ外気に露出しないように着物の袂で包み、上から抱きしめる。


毒の種類や進行状況が分からない以上、一刻も早く人里へ出る必要があった。



しかし周囲を見渡しても、辺りに人影は無い。

それどころか、人家や田畑すら見当たらないのはどういう事なのか。

異様な景色に困惑しながらも、小さな体を温めつつ銀次は走り出した。



「はぁっはぁっ・・・一体、なんなんだここは。」



走り続けること一刻。

肺が絞られるまで足を回しても、一向に人の痕跡が見えてこない。

銀次の過ごしてきた人生の中で、このような場所は見たことも聞いたこともなかった。それこそ異国なのではないかという考えがよぎりつつ、平面を走り続けることに飽いた銀次は、僅かな傾斜を登って灰色の平原を見渡した。




見下ろした先も同じような景色の連続だったが、若干これまでと違う変化が見つけられた。


平原の至る所に、真っ黒い水溜まりがあるのだ。そして遠目に見えたのは、一本の枯れ木に寄り掛かるように立つ小屋。


ようやく見つけられた人間の営みの欠片に、銀次は心を弾ませた。





さっそく傾斜を駆け下りた銀次は、小屋の方へ向かって駆ける。その途中、意にも介していなかった小さな黒い水溜まりに右足を突っ込んだその時―――



「うわっ・・・!」


刹那、体重が失われる感覚に全身が硬直する。


世界が反転すると同時に視界が、色と景色が塗り替わる。

眼前を支配するのはそれまであった灰色ではなく、赤と黒。


赤い空を埋め尽くす黒い葉と黒い木の幹。丈の高い雑草。そしてその間を赤い霧が漂う、異様な空間だった。それはまさしく―――



「・・・この世のモノではない。」



先ほどの灰色の世界でも薄々感じていた所見ではあった。が、その違和感を一層強く感じさせるこの場所には、まさしく異界といっても差し支えないほどの不気味さがあった。

暑苦しさを感じる程の気温なのに、何故か全身の鳥肌が止まらない。


「ここはなんなんだ・・・?」



一体どうして、何がキッカケで突然こんな場所に来てしまったのか。

思い当たるのは、直前に無遠慮に踏み入れてしまった黒い水たまり。

何の変哲もない水たまりが、入口だったということだろうか・・?。


異様なコントラストに目を奪われながらも、銀次は警戒する。



―――この場所は、よくない。



不気味さとは別に、なぜか本能的にそう感じるのだ。

生臭い赤い霧を嗅がないように息を止めて、銀次は歩き出した。


すると、再び灰色の世界に反転し、肌寒い砂利の海に膝から崩れ落ちた。


「戻ってきた、のか・・?」


後ろにはこれまで通ってきた景色と、先ほど片足を突っ込んだ小さな黒い水たまりが波紋を浮かべていた。

やはり、水たまりは先ほどの場所への入口で間違いないらしい。



「・・・。」



銀次は今更ながら、逃走経路にいわくつきの樹海を選んだのを後悔していた。

この場所が樹海のどこなのかは分からないが、おそらく神隠しの多発する霊峰の原因が、このなんの変哲もない水たまりなのだ。


そして今まで幾人もの人間が、この水たまりに飲まれている―――



改めて恐ろしいと感じた。

自分の意思とは無関係に、異空間に連れ去られる現象。これまで怪異や極楽浄土や地獄、神仏などを信じてこなかった銀次にとって、これほど理不尽なことは無い。



正直、こんな場所からはさっさとおさらばしたい所ではあったが、元の樹海へ戻る道すら分からない。今は一刻も早く人の力を借りる必要があるというのに。


しかも見上げた空には僅かに茜色が差し始めていた。

自分だけならともかく、お美希をつれた状態での野宿はなんとしても避けたかった。

仮に小屋に人がいなくても、寒さを凌ぐ場所が必要だ。



眠ったままのお美希を抱きしめて前を向くと、目の前にはまだ大小無数の黒い水たまりが点在している。

今度は黒い水たまりを踏まぬように注意しながら、銀次は小屋に向かって歩き出した。




大きなものは迂回し、時には助走をつけて飛び越えて。

一つ一つ慎重に越えて進んでいく。

しかし、そうして小屋が目前というところまでやってきて、銀次は落胆する羽目になる。



小屋の周りがすべて、大きな黒い水たまりで囲まれていたのだ。

しかも一歩で出られなさそうなほど、幅も広い。

まるでちょっとした濠のような出で立ちに、銀次は頭を抱えて立ち尽くした。



「どうやっても避けては通れないか・・・」



出来れば、あの異界にはもう行きたくなかった。

それに先ほど踏み入れた小さな水たまりは3寸ほどの大きさだったが、抜けるのに数歩歩いた。おそらく、現実の水たまりの大きさと出口までの距離は異なるのだ。



目の前にある大きな水たまりの縦計は15尺ほどもある。

もし、水たまりの大きさが出口までの距離に比例するというなら、さらに歩くことになるだろう。

15尺ともなると、お美希を抱えての状態の今じゃ飛び越えることも難しい。


どうしたものか、考えあぐねている間にも、日が傾き始めている。



「・・・。」



銀次は大きく深呼吸をして、覚悟を決めた。



「お美希。にぃには頑張るからな。」



助走をつけて、出来るだけ黒い水たまりの先を狙う。

砂利だらけの草履で水際ギリギリで踏切り、前へ飛び出す。



「いけえぇっ!!」



大きな水面の真ん中、黒い波紋が現れた途端に視界は途絶えた。






再びあの赤黒い森が目の前に広がっていた。

さっきは気付かなかったが、どこかでカチカチと虫の鳴くような音が聞こえる。

そして日没が近いせいか、先ほどよりも暗さが増しており霧が濃い。



とにかく不気味な森ではあるが、銀次はとくにこの霧に嫌悪感を覚えていた。

空気とは言えないほど生暖かく、腐敗した肉のような、吐き気を催す臭気の塊だ。


できるだけ吸い込みたくなくて、銀次は屋敷から取ってきた火鼠の旗を鼻から下と、体に巻き付ける。しみ込んだお袋の血と崖を転げ落ちた時の泥の匂いが鼻につくが、それでもないよりはマシだ。

周囲を警戒しながら、銀次は前へ歩き始めた。

虫が近くにいるのか、カチカチという鳴き声も近づいてくる。



「やはり現実の水たまりの大きさと、出口までの距離は異なるか。」



既に十数歩は歩いているのに、未だ帰りの反転は起きない。

一体どのくらい歩けばたどり着けるのだろうか。

そんな焦燥感で太い枯れ枝を踏み折ってしまった、その時。


木々の間で、何かが動いた。



――――!!


咄嗟に身を屈め、息を殺す。

上半身を雑草の陰に埋めて、それに気づかれていない事を祈りながら。



カチ・・・カチ。



それは虫の鳴き声などではなかった。

金属の、車輪が回る音。



カチカチカチカチ



そして音の発生源たるそれは遠目には一見、人間にも見えた。しかし、見れば見るほど明らかに異なっている。



カチカチカチカチカチカチカチ




異様に長い曲がった腕に握りしめた鉈。そして、一輪の車輪の軸に一体化した短すぎる足。

黒い角の生えた土気色の頭は瓢箪のように歪み、白目のない真っ黒な目だけでキョロキョロと辺りを見渡していた。

森の悪路をなんの障害もなく進んでいく車輪の上で、樹上の枝に鉈をぶつけながら進む巨大な縦長い体は、けっして人間などではない。



カチカチカチカチカチカチカチ――――ヒヒッ



「・・・・・ッ」




屈んだ頭の上、至近距離から不規則な呼吸音が聞こえる。

銀次は雑草の根元まで頭を擦りつけて、口元を抑えた。

自分の頭のすぐ上に、いる。



―――こいつは、やばすぎる。




全身の毛が総毛立ち、震えが止まらない。

ガチガチと鳴る奥歯の音で、ソレに気付かれてしまうのではないか―――そう思える程の静寂の中で、早く去ってくれと祈り続ける。

普段はよく泣いてしまうお美希が、この時ばかりは眠っているのが幸いだった。



カチカチカチ・・・フゥ・・・カチカチ・・・



久遠に感じる時の後、化け物は退屈したような吐息を残し背を向けて離れていく。

暗い森の奥に向かって、ゆっくりゆっくりと動くその体を凝視しながら、銀次は顔をあげる。

が、遠ざかっていく姿を完全に見ることはできなかった。

パチンという音を残して、白い痩躰は森の奥へ高速で去ってしまったからだ。


ただそれが去った後も、しばらく銀次は動くことが出来なかった。



―――アレは、なんなんだ・・。



お美希を抱きしめて立ち尽くしていると、森の奥、化け物が去っていった方向から叫び声が聞こえた。

人の、叫び声だった。



―――はやく、一刻も早く、ここから抜け出さなくては。



自分以外に人間がいることの喜びはなかった。

ただただ圧倒的な恐怖に支配され、銀次は脇目も降らず走り出した。

身を屈め、枝を踏まぬよう注意しながらも、銀次の胸中は恐慌状態だった。

武器となるものは、腰に下げた折れた刀だけ。

ダメ元で抜いてはいるものの、こんな状態ではどうあがいたって太刀打ち出来る訳がない。


叫び声からするに、あの化け物は人を襲う。そして移動速度も速い。戦っても勝ち目はない。

そしてなにより―――



日没が近い。

入った時はまだ優勢だった赤い光が徐々に失われ、今は黒い木々の輪郭がかろうじて視認できるほどだ。


出口に辿り着かなければ、真っ暗な中、化け物のうろつく森に取り残されることになる。

それだけは絶対に阻止しなければならなかった。


全力疾走で森を駆け続けるうちに、ようやく正面に明るい夕焼けが見え始めた。―――元の世界の光が漏れているのだろう。

探し求めていた出口に動揺して大きく喘いだ拍子に、口元の旗がずり落ちそうになる。



カチ・・・カチ



途端、後ろからあの化け物の音が聞こえはじめた。けれど、銀次は振り向かず、真っ直ぐ前を見て走り続ける。もう出口の目の前まで来ているなら、自分の方が早いはずなのだ。




カチカチカチカチカチカチ



音はもうすぐ後ろまで来ていた。

けれど間に合う。走れ。そこへ向かって飛び込め。


草履の泥を跳ね飛ばし、目の前の空間に向かって大きく跳躍する。前へ。前へ。

どうか、間に合って―――



パチン










眼前に、土気色の顔があった。



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