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古桜庵にて待つ  作者: 挿頭 草
第一章:賽の河原
25/53

カレーライス

「ああ、やっと戻ってこれたぜ。迂闊に乗るもんじゃねえな、まったく。」





まだ少し息を荒げたまま、古桜庵の床にへたり込んだ銀次に、昼寝から目覚めたお美希がかわいらしく首をかしげている。

同じように銀次に視線を向けるお雪とミチルはオウカノヒメに遊んでもらっていたのか、でんでん太鼓を囲んで三人向かい合っていた。

しかし子供達から銀次に視線を移した途端に、みるみる表情を怒りに染めるオウカノヒメが怖い。





「もう、いきなり走って行っちゃうもんだからびっくりしたよ・・・大丈夫?鬼には会わなかった?」


台所から現れた麻理子は、器用に腕の中でケンジにミルクを与えながら歩いてきた。

抱っことミルクの両方を同時に味わえてうれしいのか、腕の中のケンジが機嫌よさそうにしているのが銀次には幸いだった。



「ああ。すまねえ。すっかり子供達の世話を任せちまった。時間はかなり使っちまったが、この通りなんとか無事だ。」




既に時計の針は4を指している。

三度目の地獄訪問ではあったが、これまでとは違った方向に落ちたものだから帰るのに時間が掛かってしまったのだ。

しかし、今回もあの車輪の鬼に遭うことなく帰ることが出来たのは幸いだった。



「たわけが。地獄など貴様のような人間がそう何度も立ち入って良いものではないわ。

しかも一日に二度も落ちるなど・・・貴様、そんなに鬼の責苦を味わいたいのか。」



それでもオウカノヒメには度し難い行動だったらしい。手厳しい叱責に銀次もたまらず言い訳する。



「いやいや、俺だって軽い気持ちで落ちたんじゃねぇよ。

でも今回も鬼の気配なんて感じなかったんだぜ。もうどっか行っちまったんじゃねえのか?」



単なる楽観かもしれないが、という懸念を浮かべながらも銀次は先ほどの往復を思い返した。


景色はこれまでと同じく不気味な真っ赤な空と黒い木々が立ち並び、その間を温かく生臭い空気が立ち込めていて。

しかし二度の来訪時とは違い、木々の先に僅かに血の川が見えた。


以前麻理子が話していた、多くの餓鬼たちのいる川なのかもしれない。

そんな推測を浮かべながらも、そちらへ向かうことはせずに帰ってきた。

麻理子の話が確かなら、そこに多くの鬼がいることは確実だからだ。



警戒しながら急ぎ帰ったが、結局鬼と遭遇することはなかった。

あの索敵能力と素早さを持つ鬼が居たならば、潜っただけですぐに見つかってもおかしくないはずなのに。

この経験から、銀次は半ば鬼の不在を確信し始めていた。

しかし、オウカノヒメは頑なに銀次の楽観を否定する。



「たわけ。あの鬼どもが持ち場を離れるなぞあり得ん。彼奴はもうずっとこの一帯を根城に人間狩りをしておるのだぞ?


妾が眠る前から何百年もの間じゃ。それが急にいなくなるなどあり得る訳がなかろう。」



「そんなこと確かめてみなきゃ分からねえだろ?お前だってここ数百年は寝てて一々あいつらの動向を見てた訳じゃないんだ。


なあ、もし鬼が近くにいないなら、すぐにでも餓鬼達を迎えに行きてえんだよ。

この機会を逃したくねえんだ。分かるだろ?」



鬼の不在が一時的なものだとするならば、猶更急いで餓鬼達を救出しなければならない。

縋るように麻理子に同意を求めたが、オウカノヒメ程ではないにしろ彼女の反応も渋いものだった。



「銀次くん、まだ体が回復し切ってないんでしょ?もう夕方だし・・・準備も無しで今すぐはちょっと厳しいんじゃないかな。」



「貴様・・・阿呆も大概にしておけ。貴様のようなただの人間が地獄を散策するなど・・・!むざむざ鬼にやられに行くようなものじゃぞ!」




心配そうに眉を下げる麻理子と、反対に眦を吊り上げるオウカノヒメ。

心優しい麻理子の反応はある程度理解できるものだったが、珍しく声を荒げたオウカノヒメのあまりの剣幕に、悪いと思いながらも銀次は少し笑ってしまった。


これまで散々こき下ろすような事ばかり行ってきたオウカノヒメが、まるで自分を心配してくれているように怒るなど、思っても見なかったからだ。



「貴様・・・!妾の言葉を愚弄するか!!」



そんな銀次の反応を嘲笑と受け取ったオウカノヒメは更に沸点を下げていく。しかし―――



「そんなに怒鳴るなよ。ほら、お雪もミチルも怖がってるだろ。」



「うっ・・!」



銀次の言う通り、先ほどまで機嫌よくでんでん太鼓を振っていた大人が急に声を荒げ始めた事に怯えて、お雪もミチルもくっついて縮こまっていた。

やせ細った幼子が恐々と見上げる姿はとても痛々しく見え、オウカノヒメもたまらず言葉を失う。

ケンジだけは我関せずとげっぷをしていて―――そして。



ぐぅううううう。




銀次の腹の音がなり、先ほどまで立ち込めていた剣呑な雰囲気が薄れていく。




「すまねえ。別にお前を馬鹿にしてる訳じゃないんだ。ムダに地獄を走り回ったせいで昼飯を食いそびれててな・・・」



「・・・昼ごはんどころか、もう夕方だもんね。今日は早めの晩御飯にしようか。お昼と同じカレーでいいよね?」




「貴様、まだ話は終わっておらんぞ。これ以上地獄に行くなど、即刻取り止めよ。そもそも、貴様らはあの場所を分かっておらぬ。さもなくば酷い目に―――」



ひそひそ声で話の続きを展開するオウカノヒメだったが、カレー、の言葉に振り返ったお雪とミチルの勢いに気圧されてしまう。



「ふふ。2人ともすっごく気に入ってくれたもんね。でも昼と同じメニューになるけど大丈夫?」



『うま、うま!』

『・・・ッ!』



麻理子の膝元までやってきて肯定の視線を向ける子供達に、銀次も少し興味が湧いてくる。



「おいおい、俺がいない間にどんなもの食ってたんだよ。気になるじゃねえか。」



「銀次君はカレー初めてだよね。楽しみにしてて、もう出来上がってるからすぐに出せるよ。」



「おい貴様。地獄に行くのは・・・」



「分かってるって!とりあえず今日の所はやめておく。さすがに夜になっちまうと餓鬼達を連れて無事に帰る自信がねえからな。今は少しでも体力を―――ってなんだこりゃ?」



勝手に話を切り上げられて不満気なオウカノヒメも、麻理子が出してきた料理にチラリと視線を移す。

ほかほかに炊きあげられた輝く白米に、独特の香りを纏った茶色い液体が掛かっていた。



馴染みのないコントラストに銀次は喉をならす。

そもそも白米自体が久しぶりだった。

白米を出そうと思えば出せる環境ではあったが、慣れない食事の準備となるとどうしても馴染みのある玄米かおふくろの味(雑穀米)だけだったし、麻理子は麺か粉を使った料理を出すのが主だった。

そんな手の届かない憧れの食材と一緒に現れた茶色の液体に、銀次は若干眉根を寄せてしまう。

見栄えで判断するのは良くないが、これはいくらなんでもあんまりではないだろうか。




「これが・・・美味いのか?」



そのまま口に運ぶのも憚られて、皿に添えられた匙で液体を何となくかき混ぜる。

すると横で見ていたオウカノヒメが例の如く歯噛みしていた。



「美味いに決まっておろう!ああ口惜しや。妾も早く体が手に入れば腹いっぱい食えるというのに。」



「うーん、お前が言うならやっぱ美味いんだろうなぁ・・?」



オウカノヒメは銀次よりも未来の食事に馴染みが深いのは周知の事実だ。

だからこの反応は間違いないのだと、言い聞かせて匙を手に取った。


茶托の正面に座ったミチルも小皿に同じメニューが出され、卓に置かれたと同時に掻き込みだした。

ぐずり出したお雪にも麻理子が口に入れてやると、急に大人しく咀嚼し始める。


自分だけが置いて行かれている世界に、銀次は踏ん切りをつけて匙を口へ運んだ。








その後、銀次は3回もおかわりをする事になったのだった。






早めの夕食を終えた銀次は、餓鬼達3人と共に湯浴みの為にプレハブ小屋にやってきた。



「おーい、俊介。いるか?」



朝以降、ずっと缶詰だったらしい俊介は昼飯にも参加しなかったらしい。何かあったかと思いながら戸を開けると、布団に寝そべって暇そうにしている俊介がいた。



『ねえ、開ける前にノックしてよ。マナーがなってないんじゃない?』



怒り気味な俊介の態度に驚いたのか、ビクリと繋いだ手を跳ねさせるお雪とミチルを安心させようと、銀次は敢えてほんわかと答える。



「のっく?まなー?わかる言葉で教えてくれよ。なんせ俺は昔の人間なんでな。今から風呂使うぜ。」




『これだから原始人は嫌だよ。僕、外でぶらついてくる。さっさとしてよね。』




相変わらずの嫌味にも慣れてきた銀次は、へいへい、と返事すると慣れた手つきで子供達の準備に取り掛かる。

よっぽど誰とも関わりたく無いのか、つまらなそうに出て行こうとしている俊介が少し不憫に思えて、今晩のメニューを発表してやった。



「そういえば今日の晩飯、カレーだぞ。食ってこいよ。俺もさっき食ったんだが、あれは最高だった。」



手放しの賞賛は銀次にとって大袈裟ではない。

出来れば毎日食べたいと思う程の料理に出会ったのが初めてで、まさしく最高と言っても差し支えなかった。

未来に於いてはカレーを超えるほどの美味も多々あって、それを知る俊介にとってさほど心惹かれない、という可能性もあったが―――



『え、マジ。カレー出るの!?・・・やるじゃん。』



少し小走りで駆け出して行った俊介の反応から、銀次は彼も同志なのだと悟るのだった。



『あー。うー。』



おんぶ紐の中のケンジは風呂の気配を察したのか、もぞもぞし始めたので降ろしてやる。

肌着を外している間も腕と足をぶんぶん振り回して、興奮を表現するケンジは風呂好きだ。

初めて声をあげるようになったのも風呂に入っている時だったから、特に好きなのだろう。

裾と袖を捲った銀次は、早速沐浴に取り掛かる。



「お雪、ミチルもおいで。ケンジを洗ってる間に頭を洗って待っててくれ。」



俊介がいなくなって安心した様子の二人も浴室に招くが、お雪はまだ幼過ぎて指示が通らない。

手が空くまで相手をしてやれない為、場が荒れるかと思っていたがお利巧なミチルがうまく誘導して頭を洗ってくれた。



「ありがとうなミチル。洗ってくれて助かるよ。」



『あいあとー。てぃたうかるよー』



『・・・。』



銀次の言葉をマネするお雪と、はにかんだ笑顔を見せるミチルと、温かいお湯で磨かれてご機嫌なケンジ。

和やかな雰囲気に包まれた風呂場に、その時が訪れた。



『あー。うー。』



ベビーバスに寝かせたケンジが、鈍く光り始めた。

お雪とミチルの背中を磨いていた銀次もすぐにその光に気が付いた。



「ケンジ・・もう行っちまうのか?!まだ二日しか経ってないのに・・・ちょっと待ってろ!

ミチルすまねえ、お雪が溺れないように見ててくれ!!」



予想より早まった成仏に慌てた銀次は古桜庵へ走り、すぐに麻理子とオウカノヒメを大声で呼んだ。

中でカレーを食べている俊介だけが訳が分からない顔をしていたが、もはや理解を待っている時間は無かった。

二人を連れて浴室に戻った時、既にケンジは極光に包まれ空へ向かっている所だった。



「ケンジくん!もう行っちゃうの?!早すぎるよ。」


「おお、なんと神々しい光か。喜べケンジ、お前はもっと良き所へ行くのだ。達者で暮らすのじゃぞ。」


「まぁー・・・」



麻理子は寂しさを、オウカノヒメは息災を、お美希も何かを言い、皆思い思いの別れを投げかけている所に、遅れて俊介がやってきた。



『え、これ何なの?何がおきてんの、ねえ!』



純白の欠片が舞い散る中、自分の知らない所で起きている非日常に動揺した俊介が、震えながら銀次の腕を掴む。

餓鬼である俊介が成仏を理解できていない事に困惑しながらも、優しく説明してやる。



「ケンジはな、未練や苦痛を捨てたから成仏して天国に行く所なんだ。だから俊介もお別れしてやってくれ。」



みんなで見送ってやろう、と付け加えようとした銀次はそこで言葉を途切れさせる。

相対した激情の強さに、理解が追い付かなかったからだ。



『なんで・・・?!理解出来ない・・ッ!!この僕を差し置いて成仏?ダメだ。


ゆるせない。許せない!おいお前ッ!降りて来いよ!そんな高い所でッぼくを、僕を馬鹿にしてんだろ?!

このクソガキが、もう一回切り刻んでやるよ!そしたらそんな舐めた行動取れないよなぁっ?』



「お、おい落ち着けよ、お、お前・・・今なんて言った・・?」



拳を握りしめ、声の限り汚い言葉で罵り尽くす。

その怒りや虚勢よりも、銀次は―――否、麻理子もオウカノヒメも。言葉の意味に凍りついていた。



『そうだよ!その小五月蠅いガキ共も、他の奴らも、みんな僕が切り刻んでやった!

だって僕が、僕だけが、ぼくが支配していいんだから!ぼくが!

なのに勝手に成仏だって?そんなもの許さない。絶対に許せるか!


降りてこいよぉぉ!!降りてこいぃいいい!!』




勢いのまま次々と手につく物をケンジに向かって投げつけるが、もうケンジは空の高い所まで浮かび、昇りつめて――――やがて雲の合間に吸い込まれていった。



口汚い罵声と、愕然と立ち尽くす者達を残して。














小さな魂が昇る。

昇って、昇って、温かい場所を目指す。



小さな男の赤子が生まれたのは、寒村の一角だった。

度重なる飢饉と疫病で疲弊しきった村に生まれた命に、祝福の声は無かった。

大人ですら生きるのに精いっぱいだったのだ。


乳を与え続けてきた母も、やがて乳が枯れるほどにやせ細り、命の選択として赤子は雪山に置き去りにされた。



さっきまで触れていた温かい肌が離れ、代わりに触れた雪に赤子は絶叫する。

めいいっぱい手を伸ばして元のぬくもりを探すが、次々と突き刺さる寒風に悶絶した。


冷たい、寒い、冷たい、寒い、冷たい―――――



そうして二度とぬくもりを得ること無く、赤子は果てた。




次に意識が浮上したのは生温い風の吹く河原だった。

寒さを感じないだけ、赤子にとってマシな環境だった。しかし、すぐに空腹に喘ぐことになる。



おぎゃーおぎゃーおぎゃー・・・っがっ



乳を求めて泣き続ける赤子に、急に与えられた痛みと沈黙。

未熟な視界の端で、その原因を作ったと思われる者が揺れた。



『ねぇ、うるさいの嫌いなんだけど。黙ってろよ。』



しばらくすれば傷は癒えた。

しかし、泣けば痛めつけるという一方的なルールを理解出来る年齢まで、赤子は生きていなかった。


その為、泣くたびに物理的に幾度も沈黙させられることになった。

しかし、そんな痛みと空腹の日々は、ひと月も経たぬうちに終わりを告げた。



いくつもの怒号と物音が聞こえたあと、また近くに誰かがやってきた。


自分を拾い上げた腕に一瞬身を固くするも、何の痛みもやってこない。

殆ど視力の無い目を向けて腕の持ち主を眺めると、大人のようだった。



『坊やもおいで。もっと良い場所へ一緒に行こう。』



優しい声だった。

そして、その日から腕の持ち主と旅に出る事になった。

時折、誰かから理不尽な痛みを与えられる事もあったが、その度に怒号が聞こえ、すぐその腕が傷跡を撫でてくれた。


本人にとってはどこに行こうともどうでも良かった。

いつだって自分を抱き上げてくれるその腕が、大好きだった。



やがて辿り着いた場所では、もう痛めつけられることは無くなった。

お腹いっぱいになるまで乳を貰えたし、触って抱きしめてくれる大人たちはみんな優しくて大好きだった。

そして何より、温かいお湯に入れてもらえるのが嬉しかった。

お湯の中にいれば、どんな辛い思い出もどうでも良くなった。自分を撫でてくれる大きな手が、そんな事忘れてしまえと教えてくれたから。


そうして色んな事を忘れる内に、大切な事を思い出した。

もっと楽しくて、うれしくて、温かい場所があることを知ってる事。

そこへ行かなくちゃいけないこと。



この温かい手を離れるのはちょっとだけ名残惜しいけれど、いつかまた会えるはずだと、赤子は知っていた。

会えない因果を捻じ曲げてでも、この大きな手にまた会いにくるつもりだったから。




小さな魂は決意に心を弾ませ、空へ消えていった。

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