四組目の来訪者 参
「普通、って言っても、所詮素人の私たちにしてあげられるのは、もうこれくらいしかないんだけどね。」
そう呟く麻理子は、ミルクを飲み終えた赤ん坊を抱えて汚れた身包みを外していく。
ボロボロの生地はもはや脱がす、というより外す、という表現が正しい。
そうして現れた軽そうな身には、骨と皮だけの手足が付いていたが、滑らかな表皮のどこにも傷跡などは残っていないし、ポッコリと膨らんだお腹には、たらふく飲んだミルクが詰まっているのが救いだった。
あとは着替えて寝かしつけるだけの流れに、先ほど待ったを掛けたのは麻理子だ。
「それくらい、だなんて言うなよな。俺たちにとっちゃ、毎日温かい風呂に入るなんてあり得ない贅沢なんだぜ。」
そう文句をつけながら、麻理子から受け取った赤ん坊を湯の溜まったプラスチックの桶に漬ける。
途端、湯の色が焦げ茶色へと変わり、温まった異臭がもわっと辺りに広がった。
墨の様に湯水を染めていく黒は、こびりついた泥と血が溶けているだけなのだが、まるで体色が湯に溶けたかのように錯覚させられる。
当の赤子も久しぶりの風呂に悪い気はしないのか、引き絞っていた口元は緩み、心なしか表情も和らいでいるように見えた。
「・・・よかった、なんだか喜んでくれてる気がする。やっぱり食後はお風呂よね。
そう考えると私たちの時代って、本当に恵まれてるわよね。先人の方々にはほんっとうに有難う。
じゃあ、次は二人ね。先に頭を洗いましょう。」
脱衣所に呆然と立ち尽くしていた幼児二人も、麻理子に手を引かれて浴室に足を踏み入れる。
注意深くシャワーで頭に湯を掛けると、警戒したのかビクッと体を震えさせていたが、やがて抵抗することなく受け入れ始める。
麻理子は二人に頭を伏せさせ、目に泡が入らないように気を付けながらシャンプーを泡立てていくが、よっぽど汚れが多いのか泡の生成が捗らない。
二人して頑固な汚れに立ち向かっていると―――
「まっこと人間とは罪深き生き物よ。恵まれれば恵まれるほど、己が幸福に気づかず贅を求めるのじゃからな。」
「んー言ってることは分かるんだけどな。その体勢で言われると妙に賛成したくないってぇか・・・お前も手伝ってくれないか?手だけは使えるんだろ?」
浴室の扉を開けた状態で、脱衣所の板間置いた豪奢な揺り椅子に腰掛けたオウカノヒメが、同じように赤子用のばうんさぁに座るお美希の横で踏ん反りかえっていた。
「何を言うか。貴様らの無駄遣いのせいで、妾の体が不完全だということを忘れたか。このようなか弱い手が、プリンより重いものを持てる訳がなかろう。こうして貴様の妹を観てやってるだけでも感謝せよ。」
「あーぁうっ!キャハハ!」
「・・・・。」
その無駄遣い、で創り出したでんでん太鼓を、ノリノリで振りかざすオウカノヒメに、大喜びのお美希。そんな微笑ましい光景がなければ、とっくにクビにしていた所だ。
そもそも、ばうんさぁや揺り椅子なども創れと命令したのはオウカノヒメなのだ。
事あるごとに麻理子に未来の物品の話を聞いては、あれやこれやとねだる。
そのせいで、最近少しずつ古桜庵にはモノが増え始めているのが現在だ。
「はぁ・・・まあ、無駄遣いでも、餓鬼達も使えるものならいいんだけどよ。それより、邪魔するなよ?作戦通り頼んだからな。」
頭を振った銀次は頭を切り替えて、目の前の汚れに集中することにする。
そう、この場にお美希とオウカノヒメを呼んだ理由はちゃんとあった。そして、その効果は思ったより早く表れることになる。
『・・・ふぁ』
「ほう。」
「ね、銀次くん。今のって」
「ああ、そうだな」
銀次の手元、なすがまま磨かれる乳飲み子から、声が漏れた。
気を付けていないと聞き逃してしまいそうなほど小さな笑い声だった。
相変わらず呆けたように湯の中から宙空を眺める赤子は、実際気を許した訳ではないのかも知れないが―――しかし確実に、2人の前で初めて声をあげたのだ。
「これって・・・オトモダチ作戦、成功なのか?」
「そう!絶対そうよ。まずは一歩、って感じかな。」
「妾は成功とは言えん気がするがのぅ・・」
オトモダチ作戦。
麻理子発案のその作戦とは、子供達にお美希が喜んでる姿を見せることで、この場所がはっぴーで安全な場所なんだと察してもらう、という単純なものだった。
効果の程は不明確だったが、とりあえず赤ん坊の餓鬼は少しだけ気を許してくれている気はする。
あとはもう二人の子供達にも通用するかだが・・・
『『・・・・』』
「・・・この子たちはまだ時間が掛かるかも知れないね。」
僅かに泡が乗った二つの顔は、ただ感情も無くこちらを見ているだけだった。
逃げもせず、怖がりもせず、楽しんでもいない、全くの無表情。
ただ麻理子の与える施しを、なすがまま受け入れる人形のようだった。
―――まるで、従順でいることを強要されてきたみたいだ。
そんな言葉が浮かんで、銀次はいたたまれなくなる。
元の世界で似たような状態の子供を見たことはあった。多くは奴隷に出されていたり、長期間の折檻を受け続けた子供達だった。
無事助け出されても、ここまでの症状ともなるとどの子供も既に手遅れで、大抵生きながらえさせることは叶わなかった。
しかし、死で苦痛から逃げられない場合はどうなるのだろう。
否、死してもなお、延々と苦痛が与え続けられてしまう環境があったなら。
そこまで考えて、銀次はぞっとする。
それこそ、まさしく地獄ではないのだろうか。
銀次は改めて目の前の子供達を見つめ、語り掛ける。
「怖がらなくていいからな。俺たちは味方だ。お前たちに痛い事はしないし、嫌がることもしない。
これからは楽しいことも、うれしいこともたくさんある。俺が必ず、お前たちを幸せにする。だから、安心してくれ。」
銀次は子供たちと、そのガラス玉のような瞳に映った自身に誓った。
そんな姿に麻理子も思うところがあったのか、手を止めて笑いかけた。
「そうよ。これからは何でも言ってね。ごはんも食べたいモノがあれば、出来る限り用意するから!」
「麻理子は食い物の事ばっかりだよなー。もしかして食いしん坊なのか?」
「うーわっそんな事言うなら、もう銀次君にはごはん作ってあげない!」
「麻理子よ、銀次の分の飯は妾へ寄越すがよい。」
「いやいやいや、なんでそんな話になっちまってるんだ?悪かったよ!!謝るから飯抜きはやめてくれ!」
そんな軽口を交わしながら、銀次達は再び湯浴みを再開する。
何度もシャンプーとボディーソープを繰り返し、全身の垢を落として磨き上げ、未来の唄を歌いながら湯船に漬けた。
先に眠ってしまった赤ん坊の餓鬼を寝かせ、風呂に籠ること2時間、丹精込めて磨き上げた子供達はみんなピカピカのホカホカになったのだった。
『んっー・・・・』
ふかふかのバスタオルに包まれ、脱力したような声をあげる乳飲み子に、銀次は笑いそうになる。
「どうやら、ちび助は満足してくれたみたいだな。お前たちも、気持ちよかったか?」
2人の幼子達も清潔な寝間着に着替えて、温かい庵へ移動させた。
「そういえば、3人ともお名前を決めてあげなくちゃね。ねえ、あなた達は自分のお名前言える?」
『『・・・・・』』
1歳くらいに見える餓鬼はともかく、年齢で言えば間違いなく言葉を話せそうな4歳くらいの餓鬼も、未だに発語している所を見た事はない。
今後傷が癒えてくることがあれば、聞き出すことは出来るかも知れないが・・・
「こんな事なら木藤に聞いておけば良かったな。こんな様子じゃ本人から聞き出せるのはずいぶん先になりそうだ。外にいるあの男児は自分の名前があるようだったし。
とりあえず、小さい子供達だけでも名前を決めておくか?」
「うん、それが良いかも。私、いくつか名前の候補を決めてあるんだけど「いや、名前は二人で決めようぜ。なあオウカノヒメもそう思うだろ?!」
「名前か。まあ後悔の無いように全員で決めるが良かろう。」
「え、そうかな?じゃあ仕方ないか。」
エスメラルダの前例がある麻理子を遮って、銀次は強引に命名権の分割を強硬するのだった。
そうして試行錯誤の末、ようやく三人分の名前が決まった。
「ケンジくん。生後三か月くらいかなぁ?お美希ちゃんよりも小さく見えるし。好きなものはお風呂、っと」
「ぷろふぃーる、ってやつだな?ええっと、、お雪。1歳と半年といったところか。焼きそばが好き、と。」
麻理子曰く、食べ物の柔らかさなどの基準が重要らしいので、銀次は推定年齢や特徴も紙に書き記してまとめておくにする。
「今日から貴様の名前はミチルじゃ。歳の頃は4歳ということにしておこう。なあ、どうじゃ―――ん?」
オウカノヒメも熟孝の末、漸く決まった御名を当人へ伝えようと振り返る。しかし、ただでさえ反応の薄い子供達はより静かに――――うずくまったまま寝息を立てている所だった。
「少しは安心、してくれたのかな。」
「・・・まあ腹が満たされて風呂に入れば眠くなるよな。」
「貴様ら、お雪とミチルを布団に運んでやれ。ケンジはお美希と一緒にバウンサーじゃ。」
「ふふ。オウカノヒメさんったらもう名前使いこなしてる。」
誰に言われずとも声を潜めて行動を開始する麻理子とオウカノヒメを見て、銀次は心に温かいものを感じるのだった。
そう、子供達を幸せにすると決意したのは銀次だけではないのだ。
そうして温かい布団で眠る子供達を見つめながら、銀次は頭の片隅でもう一人の少年の事を思い浮かべるのだった。
ーーーあいつ、何してるんだろう。
風呂に向かう時、同じ所に背を向けて座っているのを見かけた。
差し入れたプリンもそのままで、手をつけた様子もなかった。
日も傾き始めた寒空の下、今もあのまま座っているのかも知れない。
「よし。」
銀次は立ち上がった。
「麻理子、ちょっと頼みがあるんだがーーー」
意地の張り合いなら、負ける気がしない。
今度はどんな手を使ってでも、あの少年を休ませてやる。




