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古桜庵にて待つ  作者: 挿頭 草
プロローグ
2/51

憎悪の行先

歩き慣れた夜道を全力疾走する。

遠くに見える赤色が、そうでない事を信じながら。


しかしーーー

辿り着いた道の果てに、轟音を立てて燃え上がる屋敷があった。



「う、そだ。」


ついさきほどまで目の前にあった、暖かな団欒が。

家族の思い出が火鼠の拠り所が、燃えて、焼けて。炎に塗りつぶされていく。

音を立てて崩れていく我が家の有様に、銀次は理解が追い付かぬまま立ち尽くしていた。



「なんてこった・・・。こんな様子じゃ中も・・・」



やがて後から追いかけて到着した助六の、まるで他人事のような呟きが耳に刺さる。

呆けた頭が3秒後、ようやくその意味を怒りに変換して動き出した。



「バカ野郎!諦めるにはまだ早いだろうが!」


未だ足元が崩れ落ちるような錯覚に囚われながらも、銀次はまとわりつく最悪の想定を振り払って飛び出した。



「お美希を頼んだぞ。」



「坊ちゃん・・中はもうーーーって危険すぎやす!」



止めに掛かる助六の胸にお美希を押し付けて、銀次は疾走した。






*****





「親父ぃーーー!!!お袋ぉおーー!!」




門戸を蹴破り、叫びながら炎の手薄な中庭を抜けて母屋を目指す。

その途中で幾度か目にする引き倒された障子が、ただの不注意による火事ではないことを示していた。


「遅かっ・・た・・・?」




色んな意味で手を打つのが遅かった。でも―――

夜襲を受けたとて、親父のような手練れなら。きっと親父なら。お袋と一緒にもう脱出しているはずだ。

そうだ。そうに決まっている。

蔓延する煙の中、幾度も脳裏に浮かび上がる予感を振り切りながら、銀次は床の上のそれに気付いた。

廊下の至る所に点在する、血の跡。

誰かの争った、血の跡。



奥へ進むに従って、その飛沫が増している。

知れず、前へ突き出した足が震え出す。

どうか、どうか、たのむ。


「おやじ・・・おふくろ・・・」



応える声の代わりに轟々と燃え上がる壁が、ふすまが、梁が。

進む先を指し示すように道を開けている。


急がなくては、ならない。

頭では分かっているのに、足がうまく動かない。

それでもゆっくり、ゆっくりと、体を前へ送り続けて――――辿り着いたのは、屋敷の裏手の土間。



お袋がいた。

背を切られたお袋が、不自然な形で頭を洗濯桶に突っ込んでいる。

そしてその手前には親父が―――背をもたれていた。

お袋を背に守るように、庇うように。折れた刀を手にしたまま、深く切られた額から大量の血を流して。



「あ、ああ・・・・・ぁあああ」



一歩ずつ、その躰に近づくにつれて体中が震え出す。

ガクガクと揺れる自身の震えが伝播するように、親父の体がぐらりと傾き、倒れた。

手を触れて、その額からこれ以上血が出ないように傷を抑えながら、もう片方の腕でお袋を引き寄せる。

まだ温かく、重たかった。

しかし、明らかに―――




はやくおやじとおふくろをつれてにげないと。

はやくはやくにげて、つれていかないと。

だけど、だめだだめなんだどうみたってふたりとも、もう



「ぁああああぁあああああ"あ"あ"ーーーーー!!!!」



おれがもっとはやくおやじにそうだんしていれば。

すぐにそうしていれば。



「ああああああーーーーー!!!」



後悔と怨嵯の絶叫を吐き続ける。

腹の底から心の臓から、頭の中から思考などすべて無くして。無くなってしまえ。

だってもうここには何もないのだから。



「坊ちゃん!!」




不意に肩に衝撃が走って、視界がブレる。

血まみれの手で、自分の両肩が揺さぶられていた。

眼前にいたのは為衛門だった。幹部の為衛門。呼吸が荒く、着物まで血に濡れている。怪我をしているのか。


それから、助六。外に直接つながる勝手口の扉を開いて、何やら叫んでいる。何もなかったようにスヤスヤと眠るお美希を抱いたまま、拳を握りしめて。


おまえ、こんなとこにお美希を連れてくるんじゃ―――




「坊ちゃん、謀反を起こした者がいます。とにかく、今はここから脱出しましょう。早く―――こちらへ」



喘ぐように耳元でそう呟いた為衛門が、二人を掴んだままの俺の肩を引く。




「脱出―――?何言ってんだよ。それよりおやじとおふくろを助けてやってくれ。早くふたりを医者に連れていかないと」



「早く!!もう時間がない!」



無気力に足をもつれさせる俺の胸倉を掴むと、力いっぱい頬を打たれた。

血泥に塗れてひっくり返るが立ち上がる暇もなく、再び為衛門に胸倉を掴まれる。



「――親方様も奥方も死んだ!!早く目を覚ませ!!」



「じゃあ二人を置いていけってのか・・・?!」




至近距離で凄む為衛門の眼光に負けずに怒鳴り返した。

が、激しく揺さぶられた拍子に両手を、おやじとおふくろを手放してしまう。




「なにしやが「貴方は―――お美希様を守らなくてはいけないでしょう!!!」



―――!!!



泣きそうな助六の胸の中に、眠るお美希がいた。

何の不幸も知らずに。これからどんな波乱があるかも知らずに。ただただ安らかに、幸せそうに眠っている。



ああ。そうだった。

こいつだけは。妹だけはなんとしても。



「まだ、眠ってやすぜ。」


「ああ。」



ぼやけた視界の中で、幸せそうに眠るお美希を受け取る。

目を覚まさぬように、こんな惨劇を一片たりとも見せぬように、深く深く懐に抱きかかえた。




―――絶対に、守る。



そして促された裏の戸口へ足を掛けながら、最期に両親を振り返った。



「すまねえ。親父。お袋・・・」



後悔も、悲しみも、怒りも噛み締める間もなく屋敷の奥、中心部から天井が崩れ始めた。

炎がすぐそこまで迫っているのだ――もはや形見になるものを取る時間も無い。




幾秒にも満たない別れの逢瀬の中、お袋の頭が沈む桶の中にそれが浮かんでいるのを見えた。

刹那の思考の果てに、血濡れのそれを引っ掴んで銀次は飛び出した。


後ろに続く為衛門が握りしめられたそれを見て頷き、続いて飛び出した。




「――火鼠の、救貧の旗。」






裏口から飛び出すと、塀に囲まれた裏庭にまで炎が広がっていた。

植えてあった夏の作物にまで炎が移るということは、おそらく油が撒かれているのだろう。

熱風がお美希を焼かぬよう注意深く抱き込んで、二人に向き合った。




「敵は何人いる?」


「複数いること以外は分かりません。ここに来る途中、某も向かってきた幾人か――幹部の仁平と右衛門を倒しましたが・・・他にも火を放っている者もいるようです。」


「俺っちも数人、怪しい動きの奴らを見掛けやした。だからこっちに逃げてきたんです。。でもこれから・・・俺たちゃあどうしたらいいですか・・?」




途方に暮れる助六はともかく、為衛門の呼吸が荒い。傷を負っている場所から血が失われているのだろう。

急いで医者の元へ連れていく必要があるが、謀反者がどこをうろついているのか分からない状況で丸腰は危険すぎる。



「とりあえず為衛門は応急処置をするから、その間に助六は武器を調達してこい。」



「分かりやした!すぐに戻ってきやす。」



脱兎の如く飛び出す助六の背を見送り、傷を見ようと瓦礫の上に為衛門を寝かせようとする。

が、為衛門は意地を張ったように固辞する。



「・・・坊ちゃん。いや、若旦那。」


「黙って任せてろ。傷を見るから。」



「いいえ、某は大丈夫です。それより時間がないのです・・・話を聞いてください。」



しゃがみこんだ途端、銀次の胸倉がくっつきそうなほど為衛門に引き寄せられた。

鬼気迫る表情を浮かべる為衛門の雰囲気に押されて、その手を止める。




「若旦那。助六は裏切り者です。」



「・・・っ!」



考えられない―――いや、最初からその可能性は十分に考えられたはずだった。

ただ感覚的に。否、自分がただ疑いたくなかっただけで。


一度でも信用して相談した男が裏切るなど、そんな訳ないと吠えたかった。

吐きそうになりながらも、銀次はその根拠を為衛門に問いただす。

どうして、どうやってこんな事を引き起こしたのか。



「若旦那と助六が席を外してすぐ、仁平と右衛門が刀を抜いて、親方様と斬り合いに・・・ごほっ」



「どうして、助六が裏切り者だと思った・・・?」



「証拠はありません。ただ最近、助六は仁平と右衛門に頻繁に呼び出しを受けて、何やら話し込んでいました。

それに若旦那が屋敷を離れる直前、助六と仁平達が目配せをしているのを見ました。

今思えば、あれが合図だったのかと・・・。

そのあとしばらくして炎が。裏切りの証拠なども燃えてしまったと思います。


本来なら、あの場で若旦那の事も斬るつもりだったのでしょう。しかし、先に席を立ってしまった。

だから隙をみて助六が若旦那を仕留めるつもりで付いていったのだと、某は思います。」



「・・・。」



あくまで、為衛門の根拠は推測に留まる内容だ。

がしかし、助六に毒物事件を打ち明けてすぐに、今回の惨劇が起きたのだ。

疑わないということはあり得な・・・・



―――いや。

俺が助六に打ち明けたから。俺が毒に気付いているとバレたから・・・今回の惨劇が引き起こされてしまったのではないか。

謀反者たちの目的が火鼠の解体だったとして、俺に知られれば直ちに粛清が起きる。そうなる前に、強硬手段を急ぐのは当然の流れだ。

助六ならあの暗闇の中でも、何らかの信号を()()()出すことだって出来ただろう。


まさかまさかまさか



「若旦那。某はこの場を離れて応援を呼んできます。親方様がこうなった以上、今は少しでも人手が必要ですから。

若旦那はこの辺で少し、待っていてください。」


「お、おい。待てよ。」



「お気持ちはお察し致します。ただ、今は時間がありません。

助六にお気をつけください。今は従順なフリをしていますが、いつ牙を向くか分かりません。奴はあんなナリをしていますが、腕が立つ。粛清は若旦那にお任せ致します。

―――では御免。」




火の粉の舞う中、駆け足で為衛門は去っていく。

残された銀次の胸の内を荒れ狂わせておきながら。




「坊ちゃん!武器は刀2本と弓矢を1組、くすねて来やした・・・ってあれ?為衛門の旦那はどちらへ?」



入れ違うように戻ってきた助六の目を、見ることが出来ない。



「・・・。為衛門は応援を呼びに行った。ここで待っていろと言っていた。」



俺が打ち明けた毒物事件を、この男はどんな気持ちで聞いていたのだろうか。

神妙なとぼけ面を下げて、内心あざ笑っていたのだろうか。



「こんな所で待っているなんて危険でさぁ!さっきも怪しい奴らがうろついてたんですぜ!早くここを離れやしょう。」



「・・・ああ」


間抜けな演技を続けながら、銀次は目の前の男の言葉に腸が煮えくり返りそうになる。


怪しい奴らだと?

裏切り者はお前なのにか?


掴み掛かりそうになったところで、近くの家屋の屋根から火矢が2本足元に突き刺さった。




襲ってきた敵を撃ち、斬り倒して進む。

初めて人を手に掛けたこと省みる間もなかった。


傷を少しずつ増やしながら、霊峰の麓、神隠しが起きるとかで誰も近づかなかった山を突き進む。

夜明けの光が足元を照らし始めた頃、ついに追ってくる者はいなくなった。



「はあ、はあ・・・ようやく撒きやしたね。」



「・・・ああ。そうだな。」



躱し切れなかった腕や脚の傷から、血が流れ続けている。

しかし、ここまでくればもう、大丈夫だろう。

そう判断した銀次が岩場の根元へ、へたり込むように吸いつけられる。


「・・・お前、怪我はなかったんだな。」


「ええ、坊ちゃんのおかげですよ。へへっ」



結局、助六はしつこく付いてきて途中、向かってくる敵を斬ることもあった。

裏切り者だとするならば、敵に反感を買うような行動だとは思うが・・・信用はもう地に落ちていた。

銀次は油断することなく助六から距離を取り、目を離さない。


そんな思惑を知ってか知らずか、手元から取り出した苦無を自慢げに遊ばせ始めて―――助六がこちらを振り返り、目を丸くする。



「坊ちゃん。大丈夫です?お美希様は・・・・」



「うん・・・?」



不意に見下ろすと、はだけた胸元からこぼれそうなお美希がのぞいていた。

可愛らしく着物の襟を掴んだまま、眠りこけている。

抱き直しても相変わらず、目を閉じたままで―――。



「お美希。」



――――。



体をゆする。いつもだったら、もっと寝たいのにと不機嫌になって泣き出すくらいの勢いで。

それなのに、目を覚まさない。


おかしい。お美希はずっと胸に抱いていた。逃げる間も、かすり傷一つ許さなかったはずなのに。

異変を察した助六が、表情を無くして近づいてくる。



「そんなに揺さぶっちゃ「触るんじゃねえ!!」



付き飛ばした拍子に、だらりと垂れ下がったお美希の腕。そのふくよかな腕の真ん中に、紫の痣が出来ていた。



毒。


脳裏に浮かんだ答えが、いつお美希に与えられたのか。

銀次の記憶の中での答えは一つだった。

握りしめた刀を振り上げる。



「お前に!!預けた時に!!お前が!!」


「坊ちゃん!どうしたんでぇ?!お美希様は・・!?まさか・・」



力任せの斬撃をもんどりうって逃げ回る助六に浴びせるも、ふらついた足のせいで避けられる。



「お前がやったんだろ全部!裏切りも!毒をもったのも!」



憎い。

家も親も兄弟も。たった一人救い出せたはずの妹も。

全部こいつのせいで。こいつらのせいで。




「違いやす!坊ちゃん!誤解でさぁ!おらぁなんにも―――」



「黙れっ!!」




力任せに振り下ろした刀が、避けられたはずみで岩にぶち当たって折れる。

飛び散った破片が額を切り、より視界が悪くなる。

それでも折れた刀を振り回しながら助六を狙った。


蔦を、枝を、木を薙ぎ払いながら全力で追いかける。

林を抜け、草原を抜け、崖まで追い詰めて。

もう、裏切り者を殺すことでしか、生きている意味がなかったから。


それなのに。



ドンッという軽い衝撃で足元の石を踏み外す。

俺の胸を突き飛ばした瞬間の助六の顔は、何故か涙に濡れていて。



お前にそんな顔をする資格なんてない。



そう言い返すつもりで開いた口は、次の瞬間には崖を転がった衝撃で血反吐をまき散らしていた。

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