語らいの夜
「よかろう。貴様には世話になったことじゃ。
ああ、まずはそこな女子、麻理子と言ったな。色々と勘違いがあったようじゃ。無礼を詫びさせてもらう。」
「あっ、いえ全然大丈夫です!気にしてないですから」
悠然と茶卓に腰掛け、謝罪といえるのか怪しい桜の精の態度にも関わらず、お人好しの麻理子はヘラヘラと笑っている。
銀次はため息をつきながら蝋燭を継ぎ足した。
「我が名はオウカノヒメと申す。事情あって、ここで長らく待ち人をしている・・・いや、おった、と言う方が正しいか。
まぁ、それはどうでもよい。」
「オウカノヒメねえ。寧ろ振る舞いも見た目も姫というよりはババア―――あっつぅ!?」
偉そうな態度に棘を刺したつもりだったが、即座に顔面に卓上のろうそくをひっかけられる。
冗談どころではない反撃に、銀次はたまらず悲鳴をあげた。
そんな醜態を鼻で笑った桜の精―――オウカノヒメは、麻理子の視線を受けて再び口を開いた。
「妾は地獄に出ずる桜の枝より生まれ、ここへ運ばれたのちに長らく根付いてきた。
この土地の土には馴染まぬ性ゆえ、仁を少しずつ消費しながらここまでながらえてきたのじゃ。
この場所も当初は余りある仁があったのじゃが、今はこの通りよ。
細々と仁を消費しながら、生を維持しておったがいつからか葉は消え身は折れ、あとは死を待つだけのところじゃった。
そこで銀次。貴様が現れたという所じゃ。」
命の恩人、とほぼそう言っても過言ではない立場に対して、やたら不遜な態度を取られるのは何故だろうか。
額に張り付いた蝋燭の塊を剥がしながら不満を蓄える銀次をよそに、麻理子は真面目な質問を投げかける
「ずっと不思議に思ってたんですが、仁って何なんでしょうか。エスメ・・・餓鬼ちゃんを成仏させると増える、とは聞いたんですが。」
神妙な面持ちで質問する麻理子に、オウカノヒメはひととき目を瞑った。それから蝋燭の光に照らされた手元のプリンを見つめて、言葉を選びながら空気を震わせた。
「仁とは、いわば人間の念の塊。魂の外殻。魂を縛る形無き肉。」
「人の念の、かたまり?」
「そうじゃ。人、動物、ほか、あらゆる生き物が持つ肉体は、数多の生命の塊で造られておる。
そしてそれらは肉体の主である者の意識に縛られ、互いに依存し、執着している。
人間はまるで衣を纏うように仁を纏って生きているのじゃ。
主の死した時もその魂と共に肉体を離れるのじゃが、生ある内に魂や仁が満たされなかった場合、欲や執着となって魂の枷となる。」
「数多くの命の塊って、細胞のことかしら・・・。
っていう事は、成仏の邪魔になっている仁が解放されたから、餓鬼ちゃんは成仏出来るということですか?」
「そうじゃ。元々全ての魂は教えられずとも極楽浄土へ向かう道を知っておる。
だが、人間どもに限っては様々な枷や苦しみそのものに囚われたり、知能の高さゆえ複雑な欲を待ち、留まる事が多い。
そういった者達が抱える様々な欲を解放することで、魂は本来の場所へと還り、引き剥がされた仁は妾の糧となり、そなたらの望む物質を創り上げているのじゃ。
しかし、いにしへより人間どもには死後に彷徨う者が多くての。
いつからか、隔離世と重なるように、そうした者たちが集められる空間が生まれたのじゃ。
貴様も知っておろう。地獄、と呼ばれる場所じゃ。
浄土の珠の枝を用い、生きた古き人間共が創り出したと言われておる。」
「地獄ねえ。だとすりゃあの外にある水たまりは、入り口なんだろ?なんでもっとマシな場所に作らなかったんだ?」
ため息をつきながら、銀次はあの水たまりのせいで散々遠回りさせられた事を思い出した。
無作為にばら撒かれた水たまりには、むしろ入り口と言うより罠のような、悪意が感じられた。
「知らぬ。そもそも妾が眠りに着くまではあんなに多くはなかった。なにゆえ、増えたのかもわからぬ」
そう言って首を振ったオウカノヒメは、元いた地獄の様子を思い出したのか、皺くちゃの顔をさらに歪めて身震いする。
「誰かが追加で作った、って事はないですか?神様とか、すごい力を持った人が他にいるとか。でもそんな事して、何の得があるんだろう。
そもそも、昔の人もなんで地獄なんて作っちゃったんですか?」
「さあのう。人間共の考える事はわからぬ。その方が支配しやすいからなのかも知れぬのう。
地獄には多くの異形も生まれておる。妾や鬼どももそうじゃ。多くが役割を与えられておっての。
妾、地獄桜も珠の枝を始祖に持つと言われておったが、今ではなんてことない。他の者達と同じ、地獄の管理を任された使いパシリよ。
まぁ古株の妾は、もっぱら仁を手放し始めた者への施しとして、望む幻を魅せる程度のことが役割じゃったがな。
まったく、酷く陳腐で・・・下らない役割じゃったよ。」
「地獄の者達への施しなんだろ?別に下らなくはないだろ・・・」
生まれ故郷を想う割には顔色が優れない理由は理解したものの、銀次はオウカノヒメの言葉に、自らの生き方を否定されたような気がして突っかかる。
しかしオウカノヒメはただ大きなため息をついて一言吐き捨てるだけだった。
「銀次。貴様はほんに浅はかな男よな。」
「・・・あぁ?どういうことだてめぇ。」
真正面からの侮蔑を受けていきり立つ銀次を、麻理子がなだめる。
「まあまあ、銀次くんは浅はかじゃないから。気にしちゃダメだよ。
オウカノヒメさんにもう一つ聞きたいんですが、どうしてオウカノヒメさんは地獄から隔離世に来る事になったんです?
桜の木だけでここまで移動してくるのって、大変だったんじゃないですか?」
「ふむ。どうだったかのう。あまり思い出せんのう。」
「はん、嘘つきやがって」
あからさまな誤魔化しに銀次がつっこむと、オウカノヒメは視線を逸らした。
「まぁ、なんというか・・・妾の役割のせいで一人の人間に酷く憎まれてしまってのう。
身を切られ、本体を焼かれ。死ぬかと思ったが、折れた枝だけを持ってここに連れて来られてな。
以来、妾はずっとここにおる」
「オウカノヒメさん、本当はここから離れたいんじゃないですか?
また仁が無くなったら、今度こそ枯れてしまうんじゃないですか。だったら・・・地獄に、戻りたくはないですか?」
提案を含む問いかけに、オウカノヒメは首を振る。
「いや、妾はここで良い。いつの日か死ぬることがあるならば、それはそれで良かろう。」
「そんな・・・」
投げやりとも潔いとも取れる言動に、麻理子が眉を下げ唇を紡ぐ。一方で、銀次はオウカノヒメの言動に少し違和感を感じていた。
高慢ちきで偉そうなこの桜の精が、そんな風に受動的に死を許容することが―――極めて短いつき合いの中で捉えた性格にはそぐわないように思えたのだ。
ただそう思い至った決断に唯一心当たりがあるとすれば、最初に口にした、待ち人とやらの存在だ。
この不毛の地に立つオンボロな庵は、自分以外の生きた人間がここに流れ着いたことに他ならない。
その人物がどこへ行ったのかは想像も付かなかったが、この庵の造りは明らかに桜の木の存在を意識した形になっている。
つまりこの庵はオウカノヒメが来たあとに建てられたものなのだ。
この庵を立てた人物こそ、オウカノヒメの待ち人なのではないだろうか、と銀次は考えていた。
そして、今もこの場所で待ち続けている。
そんな気がしてならなかった。
「なあ、さっきお前の言ってた待ち人ってこの庵を建てたやつなんじゃないのか?それで今もーーー」
「やかましい。妾の身の上など、貴様になどに語り聞かせてやる道理はないわ。」
辛辣な拒絶に銀次は首を竦める。
オウカノヒメの言い分も最もだ。自分だって突然現れた見知らぬ男に、そんな話などしたくはないだろう。
貢献の割に己の好感度の低さを自覚していた銀次は、潔く詮索を諦める。
そして本人もその事についてこれ以上語る気は無いらしく、別の話題を切り出した。
「妾の話はもう良い。
それより銀次。貴様の妹の毒気は抜いた。しかし貴様の体は未だ治療が終わっておらぬ。
現世に出た途端死にたくなくば、もう少しここで仁を稼いでから、旅立つしかあるまい。
それに、貴様らが仁を消費し過ぎたせいで、治療に使う分がまったく足りぬようでな」
「はい・・・すみません。それは私のせいです。」
身に覚えのある麻理子がしゅんと項垂れるが、オウカノヒメの説教の勢いは衰えない。
「一体なにをすれば三人分の仁をここまで減らせるというのじゃ?
まったく・・・そういえば先ほども気になっておったが、そこな女子、食い物をそのまま出しておったな?
料理を完成の状態で創造するのは仁の消費が激しい。
創るのは材料だけにして、知っている物ならば出来るだけ材料以外の工程は自らの手で行うのじゃ」
「えっ!そうだったのか?俺も食料はぜんぶ料理にした状態で出しちまってたぜ。」
「すみません、次から気をつけます」
調理という概念すらなく、すべて料理をそのまま創造してしまっていた銀次も、もれなく無駄遣いの共犯だった。
節約していたつもりだったのに、想定以上に仁を使ってしまっていた事にショックを受ける。
ーーーもちろん、絶対に謝ったりなんかはしないが。
対照的にペコペコ頭を下げる麻理子に、何か思うところがあったのかオウカノヒメは何か言いにくそうに視線を逸らした。
「よい。妾も銀次に伝える前に力を失ってしまっておったからな。
そうだな、どうしても欲しいが創るのが難しいもの、例えば・・・プリンとか・・・そんなものだけ完成した状態で創り出す方が良いじゃろう。」
「あっ、それなら大丈夫ですよ!私プリンも含めて、洋菓子は大抵作れますから!」
けっして自慢ではない、純粋な喜気を滲ませた麻理子の笑顔。
それを目の当たりにしたオウカノヒメの反応は、銀次も見たことのない程俗っぽいものだった。
「なんじゃと・・・それはまことかっ!?」