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古桜庵にて待つ  作者: 挿頭 草
第一章:賽の河原
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三組目の来訪者 肆

「ねぇ!どうしちゃったの?!だれか。銀次くん!助けて!」




「おい!どうした?!」




風呂場の外、先に庵へ向かっていたはずの麻理子。

突如耳に飛び込んできた緊迫した声に、即座に駆け付けた銀次だったが―――二人の前にたどり着いてすぐ、目の前の光景に言葉を失ってしまう。




『あーぅ!まんまんまー!』




「銀次くん!エスメラルダが。エスメラルダちゃんの様子がおかしいの・・・!」



一見、それはいつも通りの光景だった。

オレンジ色の夕明りに照らされた空の下、エスメラルダは麻理子の胸の中でその顔を見上げて、機嫌良く手足を振り回していた。

しかし、いつも通りと異なる部分は、明白に、明確にあった。

餓鬼たる証拠である真っ黒な外皮。それが剥がれ落ち、中からは文字通りまばゆい光を放つ笑顔を見せていたのだ。



麻理子が取り乱すその怪奇現状は―――銀次だけが知る、別れの一つだった。


徐々に光が増す体を抱き締めながら、何も知らない麻理子が半狂乱になって叫ぶ。




「エスメラルダちゃん!どうしたの!?だ、大丈夫よ!大丈夫ママがついてるから!だから、大丈夫だから・・・!」



もはや自分に言い聞かせるように、叫び震えながらエスメラルダの体を掻き込む麻理子に、銀次は心臓を握り締められたような気持ちになる。


いつかこの日が来るのは、分かっていた事だった。



あらかじめ麻理子に釘を刺すべきだったのは銀次だ。

エスメラルダと幸せそうに過ごす麻理子の気持ちに、水を差すのが嫌でそれを先送りにし続けていたのも銀次だ。



これは自分の責任だ。この咎は自分にある。

それでもその痛みを一番に負うのは麻理子だった。のしかかる自責の念に塗り固められた唇を開き、重く傷を伴う事実を引っ張り出した。



「麻理子・・・エスメラルダは・・・この子は、成仏しようとしている光なんだ。だから・・・」




お別れを、と言おうとしたが言葉にならなかった。

魂の抜けたような、呆けたような麻理子の表情が痛くて、上手く話せない。

そんな臆病者の顔を真っ直ぐに見つめて、麻理子はかろうじて聞き取った言葉を反芻した。




「これが、成仏?」




涙に濡れた顔のまま、無理矢理にその言葉を飲み込んで、ゆっくりと咀嚼して。

彼女なりに時間を掛けて、ようやくその意味を理解した時、エスメラルダを抱きしめていた腕が緩められる。



その隙間を縫ってふわりと持ち上がった体が、麻理子を見下ろした。

既に黒さを失った、本来のかわいらしい姿に戻った赤子は、純真無垢な瞳を向けて麻理子を見ていた。

満面の笑みを浮かべたエスメラルダは、両手を麻理子に伸ばすと、もぐもぐと口を動かした。




『まぁま、まー』




エスメラルダがよく使うその喃語の意味を、銀次はこの時ようやく理解した。



「おい、その言葉って・・・」




遠い未来で母親を呼ぶ、最初で、最愛の愛称。





「・・・もしかして、ずっとママ、って言ってくれてたの?」




『まぁまー』




「あ、あああああ・・・」




麻理子が顔を覆い、膝を突いて崩れ落ちる。

ゆっくりと立ち昇っていく体を迎えるように、雲が割れ、奥に見えた群青の空から光の柱が降り注ぐ。

昇っていく光輝く体は徐々に崩れ、キラキラと欠片が舞い落ちていく。

キャッキャと手足をぶんぶん振り回しながら、どんどん小さくなっていくエスメラルダを、銀次は見上げた。



「成仏するって事は、あいつは・・・エスメラルダは幸せだったんだ。

お前が、エスメラルダの未練を叶えてやってくれたから。あいつはもっと幸せな場所に行ける。

だから、その事を悔いる必要なんて無い。だから・・・」




「―――。」




「桜の精は言ってた。縁があればまた逢えるって。

だからきっと、これは今生の別れじゃないんだ。成仏とやらは、次また会う為に必要な事なんだ。」




幻想的な光の雪を浴びながら、銀次はただ泣き続ける麻理子の肩を支えて励まし続けた。

けれど、麻理子は顔を覆ったまま項垂れてしまう。

そんな様子に、天へ昇っていくエスメラルダが手足を止め、少し寂しがっているような素振りを見せているのに気がついて、銀次は強く肩を掴んで揺さぶった。



「もうしばらく会えないんだ!頼むから。最後に何か言ってやってくれ。

あいつにとっては俺じゃなくて、お前が一番なんだ!

お前だって、それを分かってるだろ?!」




本当は自分に麻理子を説教する資格なんてない。それは本人にも痛いほど分り切っていた。

けれど、今だけは自己嫌悪と傲慢さに蓋をして、銀次は叫ぶ。


何故、エスメラルダが銀次ではなく麻理子に一番懐いていたのか。その理由に銀次は心当たりがあった。

銀次は金太郎の一件から、餓鬼に深く愛着を持つ事を躊躇っていた。

理由はただ単に、自分が傷つきたくなかったからだ。

ただただ自己保身。いずれ来る別れに傷つき、辛い思いをしたくなかったからという理由で。



しかし、麻理子は最初から全力でエスメラルダと向き合い、愛してきた。

だからこそエスメラルダ自身も、最も麻理子に懐いていたのだ。




「・・・!そう、そうだった。」




叩き付けられた事実に、自らの役目を察した麻理子は目を拭って立ち上がった。


立ち昇る光の柱の根本から頂点を見上げた麻理子は、息を吸い、吐き。

そして心配そうにこちらを見下ろすエスメラルダに向かって、腹の底から大音量を放った。



「エスメラルダちゃん!短い間だったけど、ママとっても、楽しかったよ!

いっぱい・・・いっぱい遊んで・・・くれて、笑ってくれて・・・ッありが、ありがとう!

本当はもっと一緒にいたかったけど・・・ッ、ぐっ・・・生まれ変わる事があったら・・・!

うッ・・・また、ママに会いに来てね!待ってる、から。


ずっと、ずっと・・・だいすきだからね―――!!」



涙と鼻水を垂らしながら、無理矢理に作ったぐしゃぐしゃの笑顔と、精いっぱい吐き出した途切れ途切れの告白を吸い込んで、エスメラルダは幸せそうな笑みを浮かべていた。

そして―――







『まぁまー・・・』




あとに残ったのは、光の柱と舞い散る欠片。

再び崩れ落ちた麻理子を支えながら、銀次はエスメラルダが消えてしまった天空を見上げ続けていた。















美しい群青の空を、一つの小さな魂が昇る。




生前。

ようやく心から焦がれた者達の元へ辿り着いた命は、反対にその者達には必要とされていなかった。


親となった者達は未だ心が育っておらず、子を迎えるには早過ぎたからだ。



誰も自分を見てくれない。

触ってくれない。


どんなに泣いて訴えても手を伸ばしても、必要な施しは受けられず、飢えと絶望しか知らない生だった。

結局、産まれて一年を待たずに息絶えたその体は、朽ちるまで放置された。




死して投げ捨てられた賽の河原で、自分の存在も罪の意味も分からず存在し続けた。

ただただ燃える川辺を這い回り、身を焼かれながら飢えと渇きに翻弄されていた。

けれどもう、泣くことは無かった。

声をあげることの無意味を、知っていたから。



しかし、無限とも思える日々は突如終わることとなる。

暖かい何かが体に巻き付いたと思えば、視界が急に高くなり目の前に知らない女の人の顔が現れた。




「どうしてこんな所にいるの?!パパとママはどうしたの?」



言葉の意味はわからなかったが、頭を撫でる感覚がとても優しくて、何故か胸の奥が溶けるような、温かさを感じた。

そして目の前のその顔を見つめる内に、どうしてかこれまで忘れていた苦痛が次から次へと溢れてきて、声が、涙が溢れてしまった。



「よしよし。大丈夫よ。私が守ってあげるから。一緒にここから逃げようね。」



お腹が空いてつらい。

体が痛い、熱い。

寂しかった、悲しかった。



大きな腕に運ばれながらわんわんと泣き続けるうちに、やがて景色は移り変わり、知らない顔が増えた。


けれど怖い人ではなかった。

そこでの暮らしには、もう痛いことも辛いこともなくただただ体とお腹がポカポカして、幸せだった。

お腹が空けばたくさんお乳をもらえて、眠くなるまでたくさん抱っこしてもらえた。

自分より小さな妹も出来た。

それから。




「ふふ。そろそろお腹いっぱいかな?じゃあママとお昼寝しましょうね。」



「ねっ!エスメラルダちゃん、ママって呼んでみて。ねぇ、ママ。」



「おはようエスメラルダちゃん・・・。まだ夜中かぁ。ママ、もうちょっとだけ寝てもいいかな・・」




ママ。あったかくて、いい匂いのママ。

ギンジも好きだけど、いつもお話に付き合ってくれるママが一番好きだった。

片時も離れたくない。大好きだと、たくさん伝えたかった。けれど、うまく言葉が話せないこの体のせいで、何も伝えられなかった。

何年ここで過ごそうとも、成長することの無い体には無理な話だった。

だから――――




『ぁま、あー』



新しい体を手に入れて、次会うときには自分の言葉をもっとたくさん伝えたい。

不思議と、新しい体を手に入れる方法は魂の中に刻まれていた。

これまでは、ただ目の前の飢えと苦痛に翻弄され、忘れていただけで。


けれど今は魂も心も満ち足りていた。だから、あとはタイミングだけ。体を捨てる準備はとうに出来ていた。




『まぁ、まー』


温かい湯けむりの香りと、ママの心地よい声音。

トライアンドエラーの果て、ようやく思っていた言葉を発することが出来た時、喜びに心と魂が打ち震えた。

その言葉を伝えられた時の、一瞬おどろいたような、ママの顔が忘れられない。

ああ、うれしい。



ママ。


長らく自分を縛り付けていた体が光り輝き、全てが羽のように軽くなる。

何故かママは泣いていたけれど、最後には笑顔で見送ってくれた。

やっぱり、ママの笑った顔が一番好きだ。



ママ。

待ってて。すぐに新しい体に着替えて、戻ってくるから。



銀白の残滓の漂う空を、小さな魂は急かすように飛んでいった。

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