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古桜庵にて待つ  作者: 挿頭 草
第一章:賽の河原
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ミルク

「生者って・・・?私が?だとしたらなんで私、こんな所にいるんだろう・・・なんだか、よく思い出せないや。」



「覚えてないのか?まぁ分からんにしても、桜の精の力を使えるのは生者だけだ。まったく、生きてたなんて・・・全然気づかなかったぞ。」



驚きより先に銀次の胸を占めるのは、安堵の気持ちだった。

そもそも年若くして命を落とすことほど不憫なことはない。本人は帰りたくないという言葉を口にしていたが、麻理子のようなお人よしは、友人や家族にもそれなりに愛されていただろうと、銀次は思っている。



それに自分も含め、生者ならばなんとかして元の世界へ帰れるのではないだろうかという期待があった。

何故生者たる麻理子が地獄へ飛ばされてしまったのかは、未だ想像の及ばないところではあった。


しかし事情はともあれ、同じ生者として元の世界へ戻るまで、目的を共にすることが出来るのではないか―――そんな打算を含めながらも、銀次は目の前の少女を祝福する。



よかったな、と言おうとした刹那。ほんの一瞬だけ、白っぽい何かが視界いっぱいに映った。――――ような気がした。




「うん?」




瞬きの先に見えたのは、台所の前で笑顔のまま立ち尽くす麻理子だ。

理解しきれない光景に呆けた銀次の姿が、さらなる笑いを引き出してしまう。




「どうしたの銀次くん?口が開いてるよ。」



「い、いや、ちょっと疲れてるみたいだ。」



「ほんと?なら、そこで座ってて。とりあえず私がミルクあげとくからさ。」



そう言ってミルク、とやらのの容器を開け始める麻理子。

その所作をみながら銀次は我に返った。


そうだ、赤子達の食事を用意せねばならないのだった。


慌てて立ち上がった銀次は頭を切り替えて、初めての未来の道具が使われる様を目に納めようと、麻理子の手元を凝視する。

麻理子が生者だったならば、いずれ元の世界へ帰ることになるのだ。


先に彼女が帰ることになれば、今後は一人で用意することになる。そのためにも、やはり今のうちに覚えておく必要があった。



「スプーン、匙で摺り切り一杯が20ミリリットルね。あ、ミリリットルは単位で――。また後で説明するから先に作ってしまうね。

飲む分だけ粉を哺乳瓶に入れて、それから熱いお湯で粉を溶かして、線の位置まで水を入れて、薄めて冷ますの。」



「なるほど、その溶けた汁を赤子に飲ますんだな?」



スプーンを何度か往復させ、湯と水を入れた麻理子は哺乳瓶の蓋を閉めると容器を振り、突起の部分をお美希の口元に含ませた。

最初は嫌がっているように見えたが、お美希は中の液体を口にした途端、喉を鳴らして飲み下し始めた。



「うわ、すごい勢い。よっぽどお腹がぺこぺこだったんだね。」



「・・・なんて便利なんだ。こんなものが我々の世にもあれば、さぞ多くの赤子が救われただろうに・・・」



あっという間に空になった哺乳瓶を手に、今度は銀次が餓鬼の分を作ることになった。

自分で創り出すときの為に、試しに一匙だけ分けて口に含んでみると、麻理子に注意を受けた。


「大人の唾液が入ったミルクは赤ちゃんにあげちゃダメだからね。餓鬼ちゃんはわかんないけど・・・口の中のばい菌が、赤ちゃんに移っちゃうから。あと使い終わった哺乳瓶は熱湯に漬けて殺菌してね。あ、菌っていうのは―――」


「分かっている。衛生を保つんだろう?気を付けるようにする。」



それから手元の哺乳瓶と同じものをもう一つ創り、黒い口に含ませた。

こちらも最初は困惑しているようだったが、ゴクゴクとミルクを飲み干して、げっぷまでしてしまう。

あまりの気に入りように、2人とも声を出して笑ってしまった。



「餓鬼ちゃんって不思議ね。幽霊なのに、まるで生きてる赤ちゃんみたい。」



「ああ。挙動や反応はほとんど生きている赤子と一緒だ。ただ、俺が知っている餓鬼はへその緒の付いた嬰児だったが、手足を動かして移動をしてたぜ。おそらく、実際の月齢とは体のつくりが・・・」



金太郎の挙動を思い出して語り始める銀次。だが、その話を聞く麻理子の表情が徐々に暗くなっていくのに気づいて、口を閉ざした。



「そっか、幽霊だもんね。そんな小さな時に、死んじゃったんだよね。」



餓鬼の現実を目の当たりにして、麻理子は何を思ったのだろうか。

機嫌を取り戻した黒い赤子を見つめると、唐突に強く抱きしめた。

突然の抱擁にあーうーと喃語を発して喜ぶ餓鬼に、銀次は目を細める。


麻理子の反応は、真っ当な心を持つ者の反応だ。つまり未来の世ではそんな良心を持つことが普通ということで。

乱世に生まれた銀次にとってはそれが、何よりも尊いことだった。



「未来の世では、赤子を殺すような貧しさはないのか?」



「めったにない。たまにニュースで悲惨な事件はあるけど、殆どの赤ちゃんは望まれて生まれてきてる、と思う。」



「親がいない子はどうなる?」



「児童養護施設っていう公的機関が管理している施設で、安全に大きくなるまで育ててもらえるはず。」



永禄の時点で子が死ぬのは、極めてありふれた話だった。

子殺し、子捨て、口減らし。溢れかえるほどの絶望と貧しさと苦しみが、そこら中で蔓延っていたのだ。それを止めようと思う心すら、庶民に根付かない程に。


そうか、と頷きながら、銀次は思わず心からの言葉が漏れ出る。



「未来の世は、本当に良き時代だな。」



貧者が餓えない未来。子供が死なない未来。

火鼠の目指した世界が、未来にはある。



「・・・銀次くんは、ここで子供達の幽霊を成仏させてるんだよね。」



唇を歪めた麻理子が、不意に声をあげる。



「ああ。そうだ。元の時代に帰る為だが、そうしている。」



「あのさ、私も成仏の、お手伝いをしてもいいかな?それと・・・この子に名前を付けてあげてもいいかな?」



「・・・ああ。もちろんだ。とびっきり良い名前にしてやってくれ。」



そう答えてやると、強い決意を宿した瞳が嬉しそうに瞬いた。


名付け、とはその存在に対する最大限の祝福だと、銀次は思っている。

だから金太郎と出会った時の自分と、同じ結論に辿り着いた麻理子に、銀次は微笑みながら認める。

この少女はやっぱり、自分と似ているのだ、と。






「餓鬼ちゃん。今日からあなたのお名前はエスメラルダちゃんよ。」





「あぁ?!」




「えっと、エスメラルダっていうのは宝石の名前で―――」



「そうじゃねえ!!なんだってそんな珍妙な名前になるんだ?!大体それ女の名前か?男の名前か?どっちかもわかんねぇぞ!それに長い!もっと言いやすい名前は無いのかよ。」



前言撤回、やっぱり自分には似てないと内心吠えながら、銀次は麻理子に食って掛かる。

が、譲れないところがあるのか、珍しく麻理子も負けずと言い返す。



「何よその言い方。全国のエスメラルダさん謝って!未来ではね、こういう名前が普通なの!それに、私が名前決めて良いっていったんだから、別にいいでしょ?。」



「ぐっ・・・確かに。」



「ねっ!エスメラルダちゃんも、エスメラルダがいいよね?!」



そう言われてしまえば何も抵抗出来ない銀次に、麻理子はこれ見よがしに何度も黒い赤子に名前で呼びかける。

そして心なしか、餓鬼の方もそんな語り掛けを喜んでいるように見えて、銀次は何も言えなくなるのだった。



「さぁエスメラルダちゃん。ママとお風呂に入りましょうね~。」



『まー、キャッキャッ!』





「・・・まあ、いいか。」



こうして銀次たちと麻理子、そしてエスメラルダとの生活が始まり、当面銀次はお美希を、麻理子はエスメラルダの面倒を見ながら、成仏と桜の精の復活を待つことが目標となった。

そして、エスメラルダと名付けられた女の餓鬼は、食欲の旺盛な大変な甘えん坊だった。



『まぁぁああ!』



「はいはい、ミルクを飲みましょうね~」



200みりりっとる ものミルクを一気に飲んだかと思えば、抱っこをねだり、泣く。

どんな形であれ抱擁をくれてやれば機嫌よくしてくれるのだが、お美希に比べて若干重いのが玉に瑕だった。


「うっうっ、腱鞘炎なのかな。手首が痛い。」



そう泣言を漏らしながらも、麻理子はいつもエスメラルダを抱かかえている。

銀次がお美希との交代を提案しても、頑なに譲ろうとしないのだ。



「隔離世での傷や病は時間経過では治らん。大事になってからでは遅いぞ。」



「えっ!そうだったの?・・・うーん、でも大丈夫。この子を抱っこしてると、私もなんだか落ち着くから。」



母性が目覚めはじめているのか、麻理子は何事もエスメラルダを優先する。

そんな麻理子の気持ちを感じ取っているのか、エスメラルダの方も麻理子の傍だと夜泣きが減り、心なしか精神的に成長してきているように見えた。



『ぁー!まぁー!』



「うん、美希ちゃんと三人で仲良くあそぼっか!」



「はー、うー。」



赤子達にめいいっぱいの愛情と手間を掛ける麻理子を、微笑ましく思う。しかし銀次には別の憂慮もあった。

これだけ情を掛けたエスメラルダとの別れを、果たして麻理子は受け入れられるのだろうか。


銀次でさえ、金太郎やサヨとミヨの別れは心に来るものがあった。

しかし。

それを口にする事が、二人の関係に水を差すような気がして、銀次は何もいう事が出来ないのだった。




ともあれ、生きた時代の異なる者同士の生活は始まったばかりで、双方にとって驚きの連続だった。

その主な要因は、それぞれの文化や知識の違いによるもので―――



「布おむつかぁ・・。紙おむつって作っちゃダメかな。あ、でもゴミも出るしなぁ。我慢しなきゃダメか・・・」



「すげぇな。シャンプーを使うと髪の汚れが綺麗に落ちるじゃねえか。よかったな、お美希。」




数ある違いの中で、先に音をあげたのは麻理子だった。

未来の便利さを知っている以上、そこから断絶された環境とあってはそうなる事は、銀次にも予想できた流れだった。

そして、古今の価値観を違えた最たるものといえば―――



「銀次くん、この家ってお風呂無いの?!」



「この庵に風呂は無い。赤子達はそこの、しんく、とやらで濯いでやるがよかろう。」



「うん、それはそうだし、もうやってるっていうか・・・銀次くんはお風呂どうしてるの?」



「俺は湯を浸した手ぬぐいで体を拭っているぞ。」



「・・・ソウデスヨネーー。」



女人である以上、体を清潔に保ちたいという気持ちは分からんでもない。

男である銀次だって、風呂に入りたいとは思っていた。

しかし、永禄の世では湯を使って体を整えることは贅沢だったし、薪もなしに清潔な湯を存分に使えること現状が、すでに恵まれていると感じていた。



エスメラルダを抱いたまま、愕然とした面持ちを浮かべる麻理子を、銀次は少々気の毒に思う。

仁を使って風呂場を作るという考えも浮かんでいたが、如何せん仁が今どれくらい残っているか、桜の精の復活にどれくらいの量が必要かもわからない。

フラフラと外へ歩いていく麻理子を見ながら、銀次は大きくため息をついた。


実際、庵を修理するのに結構な量のモノを創ってしまった自覚があったから、これ以上自分たちの為に仁を浪費する気にもなれなかった。

だから申し訳なく思いながらも、麻理子には諦めてもらうよう説得するつもりで、その背を追う。

すると―――



「あぁ?なんだこりゃ。」



庵の裏手、目の前にあったのは、白い壁に囲まれた建物だった。

十畳くらいの大きさだろうが、小屋というには豪華過ぎる。取り付けられた金属の引き戸は小洒落た栗色で、中が見えないように粗い硝子がはめ込まれている。

この時点で、硝子の向こうから漏れる橙色の光と、人型のシルエットにいやな予感がし始めていた。




「あ、銀次くん!見て見て、じゃーん!ウチにあったのと同じお風呂を創ってみたの。よかったら銀次くんも後で入ってみて!」




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