三組目の来訪者 壱
お美希を背に外へ足を踏み出すと、音量は一層激しくなった。たまらず銀次は耳を塞ぐ―――が、餓鬼特有の泣き声はそんな足掻きをものともせず、直接頭のなかに響く。
うっかり失念していた事象に頭を抱えながらも、銀次は辺りを見渡し、即座に音の発生源を見つけ出した。
「あれは・・・」
庵のすぐ外にある地獄の入口、黒い水たまりのほとりに同じ色をした赤ん坊がいる。仰向けに手足をバタバタと振り回して泣く姿は、お美希より少し上の月齢を思わせた。
しかし、今回銀次の衝撃を誘ったのは、その赤子ではなかった。
「餓鬼、じゃない・・・?」
泣き喚く餓鬼を守るように腕を回したまま、砂に半分埋もれているのは、人。
これまでの真っ黒な来客とは違い、明らかに異なる。自分たちと同じ、あざやかな色彩を持つ姿に、銀次は言葉を失った。
ーーーまさか、自分たちと同じ生きた人間か?
一瞬の思唆に耽り、我に返った銀次はそばに駆け寄ってその身を揺さぶる。
「おい!大丈夫か?!しっかりしろ。」
薄い桃と白の細い縦縞を並べた柄の、丈の長い衣装。見たことの無い形の衣服は所々破れ、辺りには謎の金属片が散らばっている。
その様子だけで、ここに来るまでの波乱を懸想させた。
長い黒髪を地に散らばらせ、うつぶせのままぐったりと意識を失っているのは、若い女だった。
一見怪我はなさそうだが、臓がやられている可能性もある。
桜の精に治療してもらう方がいいだろうと考え、赤子もろとも庵へ運びこんだ。
布団の上へ女を寝かせ、号泣状態の赤子を抱き、あやしながら女の様子をみた。
薄手の上質な生地で作られた布地は、どこか南蛮の衣服の形に似ているようにも見える。
そして、そういった異国の装いは例に違わず高価なものだ。それを普段着に使用できる程となると、もしかすると良家の子女なのかもしれない。
「もしかすると、お前はこの女人の子供だったりするのか?」
少し号泣の勢いを落とし始めた赤子に話しかける。
黒い裸体を隠すように巻き付けられた上質な手ぬぐいは、おそらく女が巻いたものなのだろう。少しでも地肌を守るような気遣いを感じる。
女人がこの餓鬼の母親だということはないだろうか。
場当たり的な予想ではあったが、本当だとすれば、女人は生者ではなく死者である可能性もある。
もし、自分たちと同じように色があるのも、なんらかの特殊な死者だということは、あり得るのだろうか。
そもそも、銀次は餓鬼が何故黒い色をしているのかも知らなかったし、黒い色ではない死者がいてもおかしくはないと考えていた。
「もし彼女が母親だったら、お美希にも乳を恵んでもらえないか頼むしかないな。」
苦笑しながら銀次は独りごちる。
自分の力では母乳は作れない。そしてこの子も、お美希も空腹を感じているのだ。もし彼女が死者であっても可能ならば力を借りたい。
そんな助力を思い浮かべたところで、今度はお美希がグズリだした。
「んまぁ・・・ふっ・・・まぁー」
「すまねえ。乳の代わりになる物を今、用意するからな」
慌てて重湯を作りだすも、今度はお美希の泣き声に触発されて、せっかく落ち着きを取り戻していた、胸元の赤子までも泣き出し始めた。
『「アァァァーーーン!!」』
まさしく阿鼻叫喚だ。
空腹を訴える爆発的な音量の中で、銀次は死に物狂いで重湯を準備し温度を整えにかかる。
せっせと匙を動かしていると、ポンと何かが肩に触れた。
「あの、大丈夫ですか?」
起き上がった女が耳を塞ぎながら、顰め面でこちらを見ていた。
恐慌状態のまま驚きを露わにすることもできず、目の前の乳飲み子達に振り回されていた銀次は、泣き声に負けじと大声で女に問いかける。
「お前、乳は出せないかっ?!」
顔の色を変えた女が黙りこくり、数秒の空白の後に返ってきた言葉は―――
「はぁあああああああ?!」
*****
「すまねえ。ちょっと取り乱してたもんでな。あの子の母親かと思っちまってた。」
重湯を飲ませ終えた銀次は、ようやく大人しくなった赤子達を布団に寝かせてから、目の前に座る人物に詫びた。
「全く、セクハラもあったもんじゃないですよ。でも、私も赤ちゃんがあんな状況ならテンパっちゃってたかも。
それより、ありがとうございます。
私とあの子をここまで連れてきてくれたの、あなたですよね?」
「セク・・・?テンパとやらは分らんが・・・こちらこそ、あやしてくれて助かった。お陰で二人ともよく眠っている。それと、聞きたいことがあるのだがお前は―――」
「あ、私の名前、麻理子っていいます。木津原 麻理子。あなたは?」
「俺は銀次だ。ただの銀次でいい。ついでに赤ん坊の方は妹で、お美希という。
そんなことより、お前は何があってこんな所までやって来たんだ?あの赤子はどうした?」
不思議な言葉を操る女人は、餓鬼の母親ではないらしい。
へぇー、ただの銀次くんかぁーなどと呟く様子は幼く、やはり言葉遣いから良家で育った印象を受ける。しかし、女人というより少女のような弱々しさを感じる。
だとすればどうして地獄に、それも餓鬼と一緒にいたのか。そして生者か死者か。溢れ出る疑問を麻理子と名乗る少女に投げかけた。
「うーん、私も気になるんだけど・・・実は、ところどころしか記憶が無いの。
最初は病院に入院してて、色々あって。死んだと思って、気が付いたら赤黒い森にいたの。本当に気持ち悪い場所で・・・化け物がうろついてた。
逃げる途中で変な赤ちゃんを沢山みつけたんだけど、逃げる途中でほっとけなくなって、一人だけ連れてきたの。
最後の方は走って逃げ出して・・・
そういえば、私、歩けるようになってて、目も・・・。
あ、私、元々歩けなかったんだよ。ついでに視力もあんまり―――
あ、えっと・・・ごめんね、人と話すの久々で喋るの下手なんだ。説明分かりにくいよね。」
未だ混乱しているのか、要領を得ない説明を語ったのち一人で落ち込み始める少女に、銀次はため息をつく。
状況説明ですらこの調子なのだから、よほど自分に自信が無い人間なのだろう。時折オドオドと飛ばされてくる視線を受けながら、銀次はそう推察する。
だから、励ます意味も込めて言葉をまとめてみた。
「気にするな。つまり、麻理子はビョウインという所に居たところ、気が付いたら地獄におり、元々は歩けなかったはずが、鬼から逃げられるほど足が回復していた。
そうして逃げる途中であの餓鬼を拾い、今はここにいる。
つまりそういう事だな?」
「そうそう・・・って!鬼?!あそこって地獄だったの?!だからあの子も餓鬼―――どうりで変な訳よね。・・・ってことは私、地獄に落ちちゃったのかあ。そんなに悪いことした覚えなんて、ないんだけどなぁ。」
コロコロと表情を変える少女に観察しながら、銀次は状況を整理する。
麻理子の語る話は、訳も分からず地獄に飛ばされた下りがサエの話と酷似している。となれば、話の通り、麻理子は死者である可能性が高い。
だとすれば彼女も成仏の対象になってくると思われるが、肌ツヤも良く健康的そうな様子は、これまでの餓鬼達と違って、何が未練となっているのかは読み取れない。
思案に区切りをつけて、銀次はため息をついた。
考えても分からないなら、とりあえず一緒に過ごしてみるのがよかろう。だからとりあえず、久しぶりに出会った同い年との交流を楽しむことにしたのだった。
「ところで・・・ビョウインとかニュウインってなんだ?」
「えっ!病院を知らないの?病院は怪我や病気を治療する所で、入院はそこでしばらく過ごす事なんだけど・・・。もしかして、銀次くんは・・・あ、あなたのこと銀次くん、って呼ぶね?
銀次くんはずっとここに住んでる人なのかな?それなら、あの地獄とか黒い赤ちゃんの事を教えてくれない?」
「俺たちもこの世界に紛れ込んだのは最近だから、よく分からないんだ。
詳しい事は桜の精が目覚めない事には分からんが―――」
銀次は知る範囲で隔離世と地獄や餓鬼の説明、それから桜の精を回復させる為に餓鬼を成仏させているという話をした。
すると初めて銀次を真っ直ぐに見つめた麻理子は、大袈裟に驚いてみせる。
「すごいよ銀次くん!
自分達も困ってるのに、幽霊達も助けてあげようなんて。
すごく優しいんだね。」
「そんな事ねえよ。俺ァただ、お美希を助けるついでに始めただけだ」
まるで人格者と言わんばかりの手放しの賞賛に、銀次はつい頬を掻いてしまう。
だから仕返しとばかりに、銀次も自分なりに麻理子を褒めちぎった。
「お前だって鬼から逃げる途中で餓鬼を拾うなんざ、そうそう出来ることじゃねえ。大した度胸のお人好しだと思うぜ。
もし俺らの組織に入ってくれりゃあ、大した幹部になれただろうなぁ。」
「組織?ってことは銀次くんは何処かの会社に勤めてたの?」
「カイシャ?それも知らねえ言葉だが・・・実は、俺は尾張の盗賊、火鼠の者なんだ。
まぁここに来る前に焼き討ちに遭っちまって、今は解体されちまったようなもんなんだけどな。」
世情に疎そうな麻理子でも通じると思っての告白。
しかし、麻理子の反応は銀次の予想とは異なる形で返ってきた。
「え、盗賊?尾張・・・?」
そう呟いたまま考え込む麻理子。黙りこくったかと思えば、上から下まで銀次の装いを凝視し始める。
何かまずいことを喋ってしまったかと己の軽口を後悔した銀次だったが、返ってきたのは分かりやすい困惑だった。
「ごめん、ちょっと変なこと聞くんだけどさ。銀次くんがここに来たのって、何年・・・?」
「ん?ここに来たのはつい数日前で、永禄六年の皐月八日だが。」
あっ、と小さく声をあげた麻理子はややあって、目を泳がせはじめた。
ブツブツと数字を呟きながら何やら思案を重ねる様は、何かの記憶を呼び覚ましているようにも、非社交的な人間特有の、言葉を紡ぐのを躊躇っている姿にも見える。
しかし真意を測りかねる質問をされたうえ、黙りこくられた側としては釈然としないもので、銀次はたまらず少女に小言を垂れた。
「おい、なんでそんなことを聞いた。気になるじゃねえかよ。」
「えっとね。銀次くん。驚かないで聞いてほしいんだけど。
―――私がここに来たのは令和六年。たぶん、私は銀次くんの時代より未来から来てるんだと思う。」
ほう、と相槌を口にしてみたものの、驚愕のあまり麻理子の言葉がうまく頭に入ってこない。
沈黙してしまった銀次の代わりに、今度は麻理子が言葉を並べる番だった。
「銀次くんが来たのは永禄、だったよね。えっと、たしか戦国時代あたりだから・・・大体460年ぐらい先の未来になると思う。
病院も入院も知らなくて、服装とかも違和感あるなって思ってたんだけど・・・やっぱりそうだったかぁ。すごいなぁ。」
緩い感想で締めくくった麻理子―――遠い未来の幽霊の様子に、銀次は軽いめまいを感じる。
そんな悠長な反応で済ませられるほど、銀次にとって許容できる問題ではなかった。
「460年、だと・・・?」
確かに桜の精は、隔離世は時と死から隔絶されていると言っていた。
しかしこれほどまでに現在と遠くの未来が入り混じっているものとは、銀次は想像していなかった。
否、麻理子からすれば銀次たちは過去であり、現世とはかけ離れた存在なのだ。
銀次が来たのちに460年が経過したのか、それとも未来が今に入り混じっているのかは分からない。
しかし永禄の時代を軸にして考えていた認識が瓦解し、新たな懸念が生まれる。
隔離世からすれば永禄の時代など瞬きの一つに過ぎず、過去未来の無限の時の流れと繋がっているとするならば。
自分達がその中から、帰るべき時代を見つけだすことなど出来るのだろうか。
仮に帰る方法が見つかったとして、自分達はその瞬きの時代へ、本当に帰れるのか。
目下最大の目的である、現世への帰還。
このただ一つの願いが、銀次には途方もない夢現と化してしまったように、思えてならなかったのだった。