成瀬梅野88歳
無事に朝を迎えることができた。梅のばあちゃんも今はおいしそうに朝ご飯のパンをかじっている。
『おいしいですか?』
『うんうん、おいしいわぁ』
嬉しそうだ。
成瀬梅野さん。88歳要介護3認知症あり。食べ物に強い執着があり、あちこち徘徊しては食べ物なら人のものでも構わず食べてしまう。体は強く足腰もしっかりしている。歩行器や杖なしに歩行可能。
それゆえに気が付くとどこかにいってしまう。
尿意、便意はなく、紙パンツにパットを装着。定時にトイレへ連れていく。トイレに座って排泄できればいいのだが、パット内にしていることが半分。まれに、パンツを下げた瞬間にそのまま出してしまうことがあり、それをされると、ズボンも床も大変なことになる。便まみれになることもしばしば。
入浴はあまり好きじゃない様子。浴室はもちろん暖かくしてある。しかし、
『さむい、、、さむいよぉ、、さぁぁぁむむい・・。』と、服を脱ぐところからやや抵抗がある。
シャワーをかけると、
『あついいぃ、あついですぅぅ・・あ、あ、あ、ああついいい・・・』
『成瀬さん、38度ですよ、ぬるいぐらいですから』と、声をかけながら頭と体を洗う。
湯船につかる。あ、あ、あ、あ燃える、死ぬ、死ぬぅぅ・・・。
『死にません、死にません。40度です。ぬるいぐらいですよ?』
と、言いつつも、少し浸かると。
『ぬるいです、ぬるいです、熱くしてください。』
『もー成瀬さんは自由だなぁ』と、いつものことなので笑いながら入浴してもらう。
着替えも、自分ではできない、脱がせて、着せるところまで全部やるのだ。
歯は、上の前やや右に1本、下やや前左に1本計2本。笑うと歯茎と2本がしっかり見える。
入れ歯を作りたくても、ものすごく抵抗するので作ることが不可能なので、2本のままなのである。
そんな成瀬梅野さん88歳、長女である。
家族は妹が2人。小さいときに両親を戦争で亡くし、親代わりに必死で働いて妹2人を育ててきたのだそうだ。郵便局に定年までずっと勤めていたとのこと。とにかく妹たちに幸せになってほしかったらしく、身を粉にして働いたそうだ。妹2人は結婚しているが、成瀬さんは仕事が忙しく、婚期を逃してしまったようだが、本人は気にしていない様子。とにかく、自分のことよりも妹たちにすべてを尽くしてきた。
頑張って働いて、妹たちも手を離れ、定年を迎えてしばらくすると認知症が発症。様子も性格も変っていく姉に何か恩返しをとのことで、きらめきに入居にいたった。と、妹さんたちが涙ながらに話していた。妹さんたちも姉の幸せを願っているのだ。
人の数だけドラマがあると思う。
成瀬さんが特別じゃなくて、みんな話すと本当にすごい。
吉永さんはバスの運転手をしていたそうで、走行中爆撃機に襲われ、爆発の中必死に逃げたことがあるそうだ。アクション映画みたいだ。そして、美人!昔の写真を見せてもらうと、宝塚スターみたいに美人。思わず嘘でしょ?と口にしておこられた。年月とは残酷だと初めて思った。
みんないろいろな人生があるんだなぁ、と思いにふけっていると、朝食が終わった成瀬さんは談話室でプリンを食べている。
あれ?プリンなんて珍しいな、と思いつつ、近づくと理由がわかる。
『成瀬さんプリンおいしいですか?』
『お、お、お、おいしいぃぃ。』
『でしょうね。俺が後で食べようと思ってたおやつですからねぇぇぇぇ!』
『ひ、ひ、ひ1口あげる・・・。』
『いるか!。ああ!?、コーヒーも、成瀬さん、これも飲みましたか!?』
『お、お、お、お、おとなのあじがした・・・。』
はぁぁぁぁぁぁ。と、深いため息。おやつに食べようと思っていたプリンとブラックコーヒーをやられた。まぁ、手の届くところに置いた自分が悪かったと反省。
『おいしいならよかったです。コーヒーも飲んじゃってください。』
『それは苦いからいらない。』
『いらんのかい!!』
成瀬梅野88歳。きらめきに来て幸せなのだろうか?