妖しきブラックオパール
ロロク貿易の社長室。仕事道具とコーヒーメーカー、デスクの他にはホワイトボードしか置いていない、小ざっぱりした部屋である。そのホワイトボードには「緊急ミーティング」の文字が書かれている。
「詳しくは言えないが、最近かなり物騒な事件があったと警察から情報提供があった。 そこでウチも防犯に力を入れていきたいと思う。」
ロロクはホワイトボードの前に立ち、一時的に搬入された円卓に座る社員達に話をしている。
「鼻の利くトルアさんがいてくれたおかげで、今までトラブル無くやって来れたが、残念ながらトルアさんはトモルと交代でローイさんの仕事について行くことになった。」
「えっ!?」
アイドは思わず立ち上がる。
「トルアさんがいなくなっちゃうなんて、そんな急に…」
「ごめんね、アイちゃん。 でも夫の仕事にはずっとついて行きたかったのよ…」
トルアは申し訳なさそうにしている。ローイが続きを話し出す。
「その代わり、息子のトモルをロロク貿易で雇用してもらうことになったよ。 妻と同じように鼻も利くし、力も石の知識もあるから採掘でも役立てると思うよ。」
「怪しいヤツはすぐにとっ捕まえてやるから安心しな!」
トモルは鼻息荒く言う。アイドは不安を隠せない表情をしていた。
(本当に大丈夫かな…。 早とちりで関係ないお客さんを捕まえたりしないかな。)
トモルはサッとアイドの方を向く。
「お前今不安になっただろ。」
「バ、バレた。」
「大丈夫だって! まぁ一緒に頑張ろうぜ!」
ハッハッハと高らかに笑いながら、トモルはアイドの肩をバンバン叩いた。
★
数日後、アイドが店を閉めているとロロクがスーツを着込んで社長室から降りてきた。
「あれ、ロロクさんお出かけですか?」
「あぁ、リリーさんに食事に誘われてね。 今度オパールを使ったジュエリーを売り出したいからその相談に乗るんだ。 店で話せばいいのに、『親睦を深めるのも兼ねて食事でも』っておっしゃっていてね。」
(リリーさん、本当にがっつり狙ってるんだな…。 トモルの鼻は本物かも…)
「じゃあ行ってくる。」
と、ロロクはさっさと店を出ていった。
(大丈夫かな、トラブルにならないといいけど…)
アイドは心配そうに見送った。
★
夕暮れ時のレストランのテーブル席で、食事をする男女が1組。ルビー色のワインを口にしながら、リリーは聞く。
「ブラックオパール?」
「えぇ、オパールの中で最も希少で、美しい遊色効果を見せます。 リリーさんのジュエリーのコンセプトにぴったりかと。」
「そう…確かに希少で美しい石よね。 私も大好きな石だわ…でも。」
リリーは妖しい瞳でロロクを見つめる。
「私、貴方が社長室で見ていた石がいいわ。 ブルーグリーンの美しい石。」
ロロクの耳がぴくりと動く。
「部屋の白熱灯の光に少し反応して、石の中に赤紫の色彩がチカチカ見えたわ。 あれってアレキサンドライトでしょう? 5カラットはありそうな大粒だったわね。 おいくらなのかしら。」
ロロクは少し微笑んで人差し指を自身の口の前に寄せ、「お静かに。」と囁いた。
「生憎、あの石は売約済みなのです。 申し訳ございません。」
「なぁんだ、残念。 なら今度、お勧めいただいてるブラックオパールを見せてもらいに行こうかしら。 赤が良く出てるものがいいわ。」
「ありがとうございます。」
ロロクはにっこりと笑う。
(まぁ、今日狙ってたのはアレキサンドライトだけじゃないんだけどね…)
リリーは内心ニヤリと笑い、グラスの中の赤ワインを一息に飲み干した。
★
すっかり日も沈み、星が瞬く冬の夜。よろけるリリーを支えるようにしてロロクはレストランを後にした。
「リリーさん、大丈夫ですか? 飲み過ぎですよ。」
「うーん…」
リリーはふらふらと危なっかしく歩いていたが、足のバランスを崩した。
「危ない!」
ロロクは思わずリリーを抱き止める。腕の中でリリーは「ふふ。」と笑いながらロロクを見上げた。
「私、酔いすぎちゃったみたい。 貴方といると舞い上がっちゃって…。 この意味、分かってくれるかしら?」
「………」
ロロクは黙ってリリーを見つめる。
少し離れた所に紺色のマントを羽織った真っ白な猫が佇んでいた。2人の猫を見つめて少し震えていたが、目線をそらし、反対方向に歩き始めた。
(付き合ってるんだ、あの2人…。 別に、不思議でもなんでもないじゃない。 私に関係ないし…)
その時、スズの背後から間の抜けた大声が聞こえてきた。
「あーっ!! おまわりさん、こっちこっち!!」
驚いて振り返ると、ロロクがスズに向かって手を振っている。仕方なくスズはロロク達の元に来た。リリーはぽかんとしている。
「この方、飲みすぎて気分悪くなっちゃったみたいで! あ、リリーさん大丈夫ですよ! こちらのおまわりさんはぼくと顔見知りなんです! 介抱は女性の方が安心できるでしょ?」
ロロクはペラペラと喋っている。スズは黒い笑みを浮かべてリリーを見た。
「へぇ…お家まで送りましょうか? お姉さん…」
「えっ? あ、あの、大丈夫だから! あはは、ありがと! じゃロロク、またお店でね!」
ふらついていたはずのリリーはすくっと立ち、逃げるように走り去って行った。
「ふー…面倒な絡み方されてたから助かった。」
「…アンタ、私を利用したわね。」
スズはじとっとロロクを睨んだが、気になっていたことを聞くことにした。
「あの猫恋人じゃなかったの?」
「ただの取引相手だよ。 仕事の話も兼ねて食事してたんだが、店を出たら急に絡んできてね。 ちょうど君がいたからうまくかわせたよ。」
「やっぱり利用したんじゃない!」
スズはぷりぷり怒っている。ロロクは急にスズに顔を近づけた。スズはびくっと跳ねる。
「な…な、何!?」
「…悪かったよ。 今度、礼はちゃんとするから。」
ロロクは少し申し訳なさそうな顔をした。スズはこくり、と頷くので精一杯だ。
「じゃ、僕はもう帰るよ。 おやすみ。」
「あ…おやすみ。」
挨拶すると、ロロクはさっさと歩いて行ってしまった。スズは早くなった鼓動が治らず、身体中が火照っている。
(何!?今の…。 鼓動が早くて、痛い。 私、まさかアイツのこと…)
ざぁっと寒い風が強く吹いた。冷たい空気も風も、白猫の火照りを冷ますことはなかった。
続く