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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

狐な彼女の恩返し〜謝る必要はないので、お引き取りください〜

作者: 冬瀬

久しぶりの短編です…。お手柔らかに……




「エマ・ローデン。お前は我が国の民でありながら、ネマイラに機密を売った。加えて聖女アルミラを“悪しき魔女”だと悪意のある噂を流し、彼女をひどく苦しめた。アルミラが心に負った傷は一生癒えることはないだろう。その罪は重い」



 冷たい石の床。

 冷たい声。

 冷たい視線。

 わたしは鉄格子を挟んで、薄暗いこの場所には場違いな、上質で気品あふれる洋服を着た男の人を見上げる。

 この国の皇子様である彼がわたしに向ける目は、ゴミを見るそれだ。


(……整った顔してるなぁ。本当に)


 わたしはご尊顔をすぐ近くに拝めることになったので、彼の美麗な容姿を眼に焼き付ける。

 皇子様をこうして見ることができるのは、これで最後に違いなかった。

 自慢できる思い出のひとつとして、勝手に餞別をもらって去ろうと思う。



「お前は奴隷落ちだ。彼女の受けた苦しみを味わえ」



 嫌悪感が滲む攻撃的な声色。雲の上の人に射るような目で見つめられて、わたしは膝の上に視線を落とす。

 今この瞬間、わたしの奴隷落ちが決まった。

 罪状は、聖女様を貶めた罪。

 もっと詳しく言うと、わたしに罰を告げた彼の未来のお嫁さんを、「魔女」だと噂を流して迫害させた罪だ。



「最後に異論があるなら聞こう」



 彼から放たれる重い圧。

 ここでもし「ある」と言っても、絶対に論破されて終わりだろうし、そもそも異論なんてない。


 だって、わたしは彼が言う通り、聖女アルミラを隣国のネマイラ王国から迫害させたきっかけを作ってきた張本人なのだから。


 死刑にならなかっただけ、まだマシだと思えるくらいの措置だ。

 いや、若くして統一したばかりの帝国をまとめているやり手皇子様の性格からすると、簡単に死ねると思うなよという思いあっての罰かもしれない。それか、聖女様のご慈悲で生かされたか。


 まあ、でも。わたしにとって自分に与えられる罪なんて正直なところ、もうどうでもよかった。



「ハッ。何も言えないか」



 何も間違いはないし、答えても決定が覆ることなんてないから黙っていたのだけれど、皇子様に鼻で笑われる。すんごく黒い笑みだ。

 サラサラな黒髪を揺らす彼を羨ましいな、なんて思いながら、わたしは大人しく事が終わるのを待った。



「カイ。後の処理は任せる」

「ハイ」



 皇子様は隣に控えていた近衛騎士に告げて、わたしの処分が確定する。

 皇子様は牢屋を立ち去り、その場に残されたのは処理を任された騎士様とわたし。



「明日にでもあんたを奴隷商に引き渡す」



 皇子様もパンチのある笑みを残していったけど、騎士様もなかなかストレートな告白だ。

 わたしは彼のことも、じっと見つめる。


(……そっくりだなぁ)


 無造作にハーフアップにした、少し長めの茶色い髪に、緑の瞳。

 凛々しい顔立ちからは男性の色気が出てるけど、それでもやっぱり“彼女”にそっくりだ。

 まあ、彼女と彼は兄妹なのだから、似ているのは不思議なことではないのだが。


(最後に、会いたかったな)


 わたしはカイという騎士様を見て、彼の妹であるリーシェを思わずにはいられなかった。


「……なに?」


 黙って見ていたことに気分を害したのか、彼に吐き捨てるように問われる。


「いえ。何でもありません」


 わたしは今考えたことを追い払うように、首を横に振った。

 騎士様はそれ以上は何も言わずに、踵を返す。

 振り向いた時に見えた髪を結っていた紐は、リーシェが彼の無事を祈って作った組紐だった。

 


 命を救ってくれた、あの天使のような恩人。

 路地裏で震えていた孤児のわたしに食べ物や服をくれて、「エマ・ローデン」という名前もくれて、大切な時間を分けて一緒にいてくれた大事な人。

 罪人になった今、彼女に合わせる顔などない。

 リーシェと会えなくなるのは承知の上で、わたしはここにいる。


(お兄さんと、幸せにね……)


 やっとだ。

 やっと、リーシェは難病から解放されて、苦しみのない幸せな日々を過ごすことができる。

 外で元気よく遊べるし、好きな食べ物だってたくさん食べられる。お兄さんが家に帰って来ないのを、自分で迎えに行くことだってできるのだ。

 そこにわたしはいないけど、この国にはもう聖女様がいるからもう大丈夫。心配することは何もない。

 勿論、わたしのことも心配しないで平気だ。

 もともと路地裏でゴミを漁る生活をしていたのだから、それなりに慣れると思う。

 今は新生活に向けて、静かな牢屋で睡眠を取っておかないとね。


 わたしはのっそりと立ち上がり、部屋の隅で身体を丸める。



 

 そして、元気になったリーシェと花畑でごろごろ転がって笑いあう夢を見たその翌日。


 わたしは罪を償うため、奴隷になった。











 わたしがリーシェと出会ったのは、もう七年も前の話になる。

 出会ったのは、路地裏のゴミ捨て場だった。


「大丈夫?」


 それは今まで聞いてきた声の中で、一番綺麗で優しい声だった。

 お腹が空きすぎたからか、ついに幻聴まで聞こえるようになったとわたしは思った。

 だからそちらに見向きもせず、少しでも体を冷やさないように、抱え込んだ膝に顔を埋めていた。


「大丈夫なわけないよね。ごめん」


 でも、また幻聴が聞こえる。

 今度はさっきよりも間近に声が聞こえた。

 わたしは淡い幻想を打ち砕かれることを覚悟しながら、恐る恐る顔をあげた。


「あ、こっちを見てくれた!」


 そこには緑色の綺麗な目をした、お人形さんみたいに可愛い女の子が、わたしの前にしゃがみこんでいた。

 とっても綺麗で可愛い子だったから、わたしはそれが夢なのではないかと、自分の頬をつねる。


「……いひゃい」


 でも、きちんと痛覚があるから、現実にいるみたいだった。

 わたしが困惑している間に、彼女は自分の首に巻いていた大きなマフラーを外す。

 何をするのかと思えば、それを私の首にぐるぐると巻いた。彼女の温もりが残ったマフラーは、ふかふかでとても優しいにおいがして……。


「お腹すいてない? 一緒においでよ」


 優しい言葉をかけてくれたその女の子は、わたしの答えなんか聞かずに、柔らかい手でわたしの手を握って、家に入れてくれた。


「あ、の。わたし……」


 どうして良いか分からず、玄関で立ちつくしていたけど、彼女はそんなわたしの困惑を他所に、てきぱきお風呂を沸かす。


「お風呂入って、ごはん食べよう!」


 彼女は幼い体でせっせとわたしに世話を焼き、一緒に食事までさせてくれた。


「おいしい?」

「……うん」


 わたしがこくりと頷くと、彼女は満面の笑みで笑って。お花みたいな子だな、と幼いながらに思った。


「私の名前はリーシェ。一年前におかあさんが死んじゃったから、今はお兄ちゃんとふたりで暮らしてるの」


 お花みたいなその子は、リーシェという名前。


「リーシェ……」


 わたしは素敵な響きに、ついそれを口に出す。


「うん。あなたのお名前は?」


 リーシェに聞かれて、わたしはフルフルと頭を横に振る。

 気がつけばひとりだったわたしに、名前はなかった。昔はあったのかもしれないけれど、誰にも呼ばれないからなくなってしまった。


「そっか! じゃあ……」


 彼女はそれを馬鹿にすることはしなかったが、うーんと考え込む。

 わたしはそんなときにも、もらったパンを口に入れて頬張っていた。


「エマ! エマ・ローデンにしよう。私の好きな本に出てくる人の名前なの。私はリーシェ・オーリア。あなたのことはこれからエマって呼ぶね!」


 リーシェは緑色の目をパァッと輝かせ、わたしに名前をくれた。

 そうしてその日から、わたしはエマ・ローデンになった。

 名無しの子どもだったわたしは、その日エマ・ローデンに生まれ変わったのだと思う。



 リーシェに出会って、エマになってから、わたしは変わった。

 おかあさんがお金を残してくれたとリーシェは言っていたけれど、子どもふたりで暮らしている彼女たちに頼ったままではいられない。

 リーシェはとっても頭がいいから、彼女に会うとわたしはいつも勉強を教えてもらった。

 そのおかげで働き口が広がって、騙されることも少なく、わたしは次第にお金を稼げるようになった。

 そしてリーシェと会ってから三年。新聞配達と飲食の仕事をして、安い部屋を借り、わたしは自立して生活できるようになった。

 

「聞いてよ、エマ。昨日もお兄ちゃん、夜遅くまで帰って来なかったんだよー」

「お兄さん、三つ違いだっけ?」

「うん。今年で十六歳。……そのうち家に帰ってこなくなっちゃうのかなぁ……」


 お休みがもらえる日には、必ずリーシェと食事をした。働いて少しずつ貯めたお金は、全部オーリア家のために使うつもりでいた。

 とはいえ、わたしはリーシェのお兄さんとはまともに顔を合わせたことはない。

 リーシェも、ひとりで留守番をしなければいけない寂しさにわたしを助けた下心があったから、お兄さんに「孤児のエマ」という存在は暗黙の了解で隠していた。


「お兄ちゃんがいなくなったら、私、あの家にひとりぼっちだ」


 悲しそうに呟いて、リーシェはサンドイッチをかじった。


「わたしがいるよ。それに、リーシェならすぐにかっこいい彼氏ができる」


 公園でピクニックをしていたわたしは、リーシェをちらちら見ている男の子たちを見つけてそう言った。

 リーシェは照れ隠しに笑いながら、「そうかなー」とはにかんだ。





 その数日後、リーシェは病に倒れた。





「リーシェ……」

「そんな顔しないで。今はどこも辛くないの!」


 今までそんな兆候は全くなかったのに、彼女は不治の病と呼ばれる難病になってしまった。

 次第に体が弱っていく病だ。

 治療法は痛みを和らげたり、病の進行を遅める薬だけ。


「本当に大丈夫なんだよ」


 彼女のほうが怖いだろうに、リーシェは家のベッドでわたしに言う。


「……また、お兄ちゃんに迷惑かけちゃうなぁ」


 しかし、リーシェは心の支えである、唯一の家族である兄に対する罪悪感のほうが勝るようだった。


「私、高い薬なんて飲みたくないのに」


 リーシェは苦笑する。

 それがどうしても痛々しくて、わたしは思わずこう言った。


「大丈夫。リーシェはちゃんと元気になる。薬飲んで元気になったら、たくさんお兄さんにありがとうって言えばいいんだよ」


 なんの根拠もない言葉だったけれど、わたしは本気だった。

 どんな手を使ってでも、わたしを暗闇から救い出して生かしてくれた彼女を助けると。

 この日わたしはそう心に誓った。











 そうして、有効な治療法が見つからずに、リーシェがベッドから起き上がることができなくなる日が増えて約四年後。

 彼女は余命を数ヶ月だと宣告された。

 リーシェは泣いていた。

 自分の高額な薬を払うために、兄は血を吐くような努力をして近衛騎士にまでなったのに、何の意味もなくなってしまったと。

 そして、どうせ死ぬと分かっていたなら、もっと一緒にいたかったと。

 わがままばかりの酷い妹だと、彼女はわたしの腕の中で目を腫らして泣いた。



「ごめんね。リーシェ」

「…………え?」

「わたしもちゃんと命かけて頑張る」



 だから、わたしは覚悟を決めた。



 敵国ネマイラ王国にいるという聖女に賭けようと。



 それは噂でしかなった。

 新聞配達の仕事をしながら、耳にした隣国の、都市伝説のような代物。

 でも、わたしは藁にもすがる思いで、帝国を去り、王国に入った。


 必死になって探して、探して、探して。


 辛いのはリーシェだと言い聞かせて、あの手この手で情報を掴み。

 わかったのは、聖女が軟禁状態でネマイラ王宮に囚われているということだった。


 調べれば調べるほど、頭のおかしい聖女の労働環境。彼女は飼い殺しにされていた。

 帝国でも暴君やら、何やらだと皇帝や皇子が批判されることがあるが、この王国のほうが最悪だった。


 そして。

 わたしは帝国の情報を売ると言って王宮に侵入し、国王に毒を盛ろうとしたと聖女様をハメて、王宮から彼女を追放させた。

 彼女のことを「魔女」だと噂を流し、ネマイラ王国を出て帝国まで来るように誘導したのもわたしだ。

 それから帝国に、王国の密偵が国境付近を彷徨いているというデマを流して、彼女を保護してもらえるように働きかけたのもわたしだ。

 まあ、まさか、そこに皇子が来るとは思わなかったけど。


 全てわたしが始めたことだから、その間、どれだけ聖女様が理不尽な扱いを受けたのかも知っている。


 だからわたしは、犯した罪を償わなければならない。






◇◆*◆◇






「アルミラ」


 そう彼女の名前を呼ぶのは、帝国の皇子ギルベルト・ソロニアだった。

 聖女アルミラは、彼を振り向く。


「ギルベルト様。どうかなさいましたか?」


 彼女が嬉しそうに笑うのを見て、ギルベルトはアルミラの前まで歩み寄るとそっと抱き寄せる。


「ギ、ギルベルト様!?」

「お前を苦しめるものは、俺がちゃんとなくしてやるからな」


 ギルベルトは細い体を壊さないようにそっと離し、彼女に言った。

 アルミラは言われたことを理解して、少しだけ悲しい表情になる。


「アルミラがそんな顔をする必要はない。悪い奴らが当然の報いを受けるだけだ」


 アルミラを窮地に追いやった人物をギルベルトは許さなかった。

 王国を潰すのにも、そう時間はかからないだろう。


「これからはお前の好きなように生きていい」


 ギルベルトの真っ直ぐな瞳に、アルミラはこくりと小さく首を縦に振った。


「あ、カイ様」


 すると彼女は、後からやってきたカイの姿を見つける。


「リーシェさんの様子はどうですか?」


 アルミラは数日前に聖女の力で治癒したリーシェのことを、真っ先にカイに尋ねた。


「アルミラ様のお陰で、すっかり元気になりました。本当にありがとうございます」

「とんでもないです。病気は治せても、落ちてしまった筋力の回復はできないので。ゆっくりリハビリはしないといけないんです……。すみません」


 彼女は申し訳なさそうに謝る。


「何で謝るんですか。リーシェはもう治らないような難病だったんです。回復したのも奇跡なんですよ」


 カイは慌てて首を振った。


「お前は自己評価が低すぎる」


 ギルベルトも少し呆れた表情でアルミラの頭を撫でる。


「す、すみません。王宮では、そんなこともできないのかって言われてたから……」


 アルミラが困ったように答えると、ギルベルトとカイは顔を見合わせた。


「徐々に慣れていけばいい。当分の間は、カイの妹のことを任せてもいいか?」

「俺からも頼みます」

「わ、わかりました! 任せてください!」


 アルミラはギルベルトから任された仕事に、強く返事を返す。







 アルミラとリーシェは、ギルベルトの計らいで城の一角で生活するようになった。

 リーシェは動くようになった体と、以前よりカイと頻繁に会えるようになったことに喜び、楽しい日々を送っていた。


 しかし、ふとした時に思い出すのは、長年一緒にいてくれた親友。


 家には一応、城に住むことになったという書き置きはしてきたが、彼女としばらく会えていない。

 次に会う時には、元気な姿を見せて驚かせてやろうとリーシェはアルミラと共に日々のリハビリに励んでいた。


 そうして一ヶ月の月日が経った。



「うわぁ。久しぶりの街だ〜」


 リーシェはアルミラとギルベルト、カイと共に城下におりて、久しぶりに街を歩く。

 自分の足で、またこうして散歩できることに、リーシェは感動を隠せない。

 リーシェは途中でアルミラとギルベルトと別れ、カイと共に家に帰ることになっていた。


「家に帰るのも久々だね、お兄ちゃん」

「そうだな」


 ふたりで歩きながら、リーシェはちらりとカイを窺う。


「あのね、お兄ちゃん。後で寄りたいところがあるんだけど」

「いいよ。あのふたりの邪魔もしたくないし」


 彼は頷く。

 リーシェはパァッと笑った。


「じゃあ、何かお土産買っていこう!」


 それから家で少しくつろぐと、久しぶりに会う親友が好きなお菓子を買って、彼女はその子の家を目指した。











「お邪魔しました」


 沈んだ声で、リーシェは新聞社から出てくる。


「……いなかったのか?」


 探している人物が見つからなかったことを察したカイは、怪訝な顔で尋ねた。


「うん。一ヶ月前に辞めたって」


 家はもぬけの殻。働いていた飲食店、新聞社にも彼女はいない。………いるはずがない。


「そろそろ時間だ。また今度探そう」

「…………うん」


 リーシェは手に持っていた土産の菓子に視線を落とす。

 その後、アルミラとギルベルトと合流したが、リーシェの暗い顔は戻らない。

 親友が何も言わずにいなくなったことが衝撃で、どこかうわの空だった。


「どうしたんですか、リーシェさん。もしかして気分が?」

「……いえ」


 彼女は力なく否定する。


「大切な友人が、いなくなっていて……」

「えっ」


 アルミラは驚いた様子で、リーシェとカイの顔を見比べた。


「何も言わずにいなくなるなんて。何かあったのかな。怖い思いしてたら、どうしよう。いつも無理してたって、なんでもない顔してる子なのに」


 リーシェは悪いことばかり想像してしまい、顔を青くする。

 心配したアルミラが、助けを求めるようにギルベルトを見た。


「……家族に連絡は?」


 ギルベルトはリーシェに聞く。


「家族はいません。親がいない子なんです」


 カイは初めて聞く妹の友人の話に目を見張る。


「その人の名前はなんて言うんですか。女の子なら、今すぐにでも探してもらわないと……」


 アルミラはリーシェの手を握った。






「エマです。エマ・ローデン。私が名前をつけてあげた、小さい時からの親友なんです」







 その名に、ギルベルトとカイが揃って息を呑んだ。



「どうしよう。もしかして、私の病気を治すために、どこか危ないところにでも行っちゃったんじゃっ」



 リーシェは居ても立っても居られなくなって、「探してもらわないと!」と騎士団の屯所に向かおうとする。


「ま、待て。リーシェ」

「待たない! 今この瞬間にも、エマが危ない目にあってるかもしれないんだよ!? 私が助けに行かないと、あの子を助けてくれる人は、誰もいないんだよ!?」


 カイは咄嗟にリーシェの腕を掴んだが、振り払われた。

 そんな兄妹を見て、ギルベルトが口を開く。



「エマ・ローデンは、もうここにいない。彼女はネマイラへの情報漏洩と、アルミラに対して悪質な噂を流した罪で奴隷落ちした」


「…………え?」



 信じられない言葉が聞こえて、リーシェは顔色を失った。



「奴隷、落ち……?」



 理解が追いついてこない彼女は、茫然と呟く。

 ギルベルトは、整った顔を微動だにせず「そうだ」と告げる。



「……嘘だ。嘘だ。何かの間違いだよね、お兄ちゃん!」



 彼女はカイにしがみつき、身体を揺らす。


「俺が罰を下したんだ。間違いではない」


 ギルベルトは追い討ちをかけるように、リーシェに言う。

 彼女は涙をためた眼で、その場に崩れ落ちた。


「なんでよ。なんで、エマがそんな目にあわなきゃいけないのッ。お兄ちゃんがいない時、いつも私のことを気遣って、側にいてくるような子が、なんでっ!?」



 リーシェはそこでぴたりと止まった。



「……私の、せい?」



 近くにいたアルミラが、ハッとする。



「もしかして、私の病気を治すために、エマ、王国に乗り込んだの? 『わたしも命をかけて頑張る』って、そういうこと、だったの?」



 リーシェは途切れ途切れになりながら、その可能性を言葉にしていく。



「私のせいだっ。私がいつもエマに弱音ばっかり吐いてたからッ。あの子、私のために」



 それ以上は言葉にならなかった。

 リーシェはどうしようもない感情を涙とともに溢れさせる。



 その場にいた他の三人は、ただ黙って、彼女が泣き止むのを待つことしかできなかった。












 死を前にしても、自分の前で決して泣かなかった妹が泣いていた。


 家族なのに、何も分かってあげられていなかったことを、カイはその日知った。

 彼はギルベルトに黙ってエマ・ローデンを探し始めた。

 見つけてどうするのかは、正直自分でもよくわかっていない。

 でも、リーシェが泣いたのを見たあの日、心にできてしまったしこりのようなものが、彼をその出来事から目を逸らすことを許さなかった。


 エマ・ローデンを奴隷商に引き渡したのは自分だ。

 調べればすぐに見つかると思っていた。

 でも、彼女は一向に見つからない。


 そして同時に、エマ・ローデンが何をしたかを、カイは一から調べ直した。


 彼女は国の情報を確かに漏らした。

 でも、それは帝国にとっては然程痛手にならない情報だった。

 ネマイラ王国で彼女がしたことは、アルミラを魔女だと言いふらしただけではなかった。

 ネマイラ王国がギルベルトの手によってあっという間に陥落させられた後、アルミラが毒を盛ったと罪を被せたのも、エマ・ローデンの仕業とわかった。

 さらに彼女は嘘の情報を流し、結果的に皇子にアルミラを保護させた。


 やっていることは、決して正しいものだとは言えない。


 だが、それでも。


 たったひとりの家族であるリーシェを助けてくれたことに、間違いはなかった。


 

 家族である自分が嘆いていただけだったのに、エマ・ローデンは自分の人生を捨ててでも、アルミラをこの帝国に連れてきた。





 何よりも大切な妹の命を助けてくれた彼女を、自分が見捨てたのだ。






 どうやら彼女はエマ・ローデンという名を使わず、「名無し」として生きているようだった。


 やっとその「名無し」の彼女を見つけた場所は、皇都から遠く離れた鉱山。




 彼女はそこで、ボロボロになって働いていた。










◆◇*◇◆








「さっさと、運べ!」



 毎日毎日同じことの繰り返し。

 硬い岩山を掘って、運んで、積んで、戻って。

 なかなかに体が引き締まってしまったと思う。

 もし、リーシェが今のわたしを見たらなんていうだろう。

 お風呂には入れないし、洗濯もできないから、初めて会った時と同じくらい汚い。


(でも、リーシェなら、また笑いかけてくれるかな)


 今頃、彼女は元気にやっているだろう。

 それを想像するだけで、わたしは今日も生きていられる。

 何にもなかったわたしに、リーシェが大事なものをくれた。だから、わたしもリーシェに恩返しがしたかった。

 食べさせてくれたり、服をくれたりした分を、お金として返せなかったのが申し訳ないのだけれど。


 わたしは荷車から取ってきた石を落とすと、また元の場所に戻ろうとした。



「おい。お前。名無しだよな」

「はい……」

「ついて来い」



 初めての呼び出しに、わたしは訝しみながら監督官の背後をついていく。


「ここにいろ」


 そして奴隷には入ることが許されない綺麗な建物の前に連れてこられると、わたしはそこで待たされる。

 そうしてしばらくした後に、その建物の扉から現れたのは、リーシェによく似た彼女のお兄さんだった。


「あ……」


 わたしは慌ててその場に跪いて、首を垂れる。


「す、すみません。騎士様がいらっしゃるとは思わず」


 奴隷ごときが騎士様と一緒の目線になってはいけない。わたしは謝った。



「……やめてくれ」


「?」



 上手く彼の言葉が聞き取れず、わたしは恐る恐る顔を上げる。

 すると、彼はわたしの前にしゃがみ込んで、素敵な顔を歪めていた。

 それは嫌悪ではなく、痛みや悲しみからくるような表情だ。



「あ、あの。もしかして、リーシェから何か聞きましたか?」



 わたしは彼がそんな表情をする理由がよく分からず、何となくで尋ねる。

 いや、まあ、本当はリーシェが元気にしてるか聞きたいから、彼女の名前を出したというのもあるのだけど。



「あっ。これまで、わたしがオーリア家にお世話になったお金の請求ですか!? すみません! 奴隷になってしまったので、お金が稼げなくて。……どうしよう。臓器でも売ればお金になるけど、そんな機会ないし……」



 どうやってお世話になった分を返そうかと考えたけど、なかなか返済は難しそう。

 さて、どうしたものかなと思った時だった。



「もう、いい。やめてくれ」



 お兄さんに、両手で肩を掴まれた。



「これ以上、俺に惨めな思いをさせないでくれ」



 彼は苦しそうな顔で、わたしを見ている。



「俺は、リーシェを救えなかった。それなのに、命をかけてリーシェを助けてくれた君を見捨てたんだ。悪いっ」



 お兄さんは、今にも泣き出しそうな声を振り絞って、謝罪を口にした。

 わたしは展開についていけず、きょとんと首を傾げる。



「……? 別にお兄さんが謝ることなんて、何もないですよ? わたしは悪いことをしたから、奴隷になっただけです」



 あの時は、一生分の悪いことをしたつもりだ。罪に問われるのは仕方ない。



「何かよくわかりませんが、もしお兄さんの気が悩むなら、わたしがこれまでお世話になった費用は見逃してくださると助かります。お返しできそうにないので」



 でも、借りたものを返すことは出来なそうなので、見逃してもらえるなら見逃してもらおう。



「ちがっ。俺は君にそんなことを言わせるために、ここに来たんじゃ……」



 お兄さんは悲痛な表情のままだ。



「お兄さんが謝ることは何もないので、早く帰ってリーシェにわたしは元気にやってるって伝えてください。リーシェって、わたしと話すとき必ずお兄さんの話をするんですよ。寂しがり屋なので、たまには顔を出してあげてくださいね」



 あ、わたし汚いので、あとで手を洗ってくださいね。と付け加えて、わたしは笑った。

 この兄妹はどちらも揃って、汚いわたしでも果敢に触れてくるらしい。


 彼は言葉を探しているのか、わたしに置いた手を離そうとしない。

 お兄さんの言葉が出てくるのを待つのと、仕事をサボるついでに、わたしもちょっと考えた後に口を開く。




「……リーシェ、元気にやってますか?」




 そう言った次の瞬間には、わたしは何故かお兄さんの腕の中にいた。



「えっ。ちょ、汚いので」



「わたしはリーシェじゃないです!」と、自分でも意味のわからないことを叫びながら、わたしはお兄さんから離れようとする。



「頼むから、もう何も言わないで」



 さっきからこんな感じだけど、もしかして、わたしはお兄さんに怒られているのだろうか。



「君はもう頑張らなくていい。次は俺が頑張るから」



 どうしよう。お兄さんから、すごくいい匂いがする。

 ああ、この匂いはあれだ。

 リーシェがかけてくれたあのマフラーと同じ匂いだ。



「全部ひとりで背負わないでくれ」



 やっぱり似てる。

 ものすごく優しいところがそっくりだ。




 わたしはこっそりお兄さんの顔を盗み見て、なんだか涙が出そうになった。










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 ご評価、ご感想など、お待ちしております!

 面白かったら、いただけると、本当に喜びます。


 




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― 新着の感想 ―
[一言] エマァァァァ幸せになってー!
[一言] リーシェのその後が気になって仕方ないし、カイや他の方々のその後なんかも知りたいっと思ってしまいますが、無粋ですね 視点が違えば、こんなにも人はすれ違うんだなと知れる作品でした、 面白かった…
[良い点] 兄は一生後悔してくれそうで良かったです。 視野の狭さはそれだけ主人公のやり方が上手かった事と、妹と会話が出来ていなかった弊害ですかね。 主人公が気にしていない分、罪の意識に苛まれそう。 で…
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