反吐の海の中で。
ホムンクルス ~瓶の中の未来 Ⅶ
頭が痛い……。頭が痛い……。痛烈な痛みだ……。
自分が吐いた反吐の中で、もがき続けた私は、脳みそを掻き回されるような激痛に襲われた。
初めてではなかった。前に一度だけ、同じような激痛に苦しんだことがあった。
三ヶ月前、一日五万円という高額な報酬につられて、ある製薬会社の新薬の被験者になったときがあった。一日二回、朝六時と夜六時に、ドクターから渡されたドリンクを飲むだけの、簡単な被験だった。
朝五時頃起きて、六時になったらドリンクを飲み、部屋に届けられた軽めの朝食を摂り、ベッドの上に横になって、部屋にあるテレビや、DVDを鑑賞するだけの生活。三時間ごとに血液が採取され、脳波、胸部検査、小水なども、その時、調べられるが、苦にもならない。二十畳ほどの部屋に監禁され、三十日間、外部と接触できなかったが、テレビやDVDの他にも、部屋には各種運動器具、サウナルーム、マッサージチェアーが、供えられ、気を紛らすことができた。
ただ一つ、私を悩まさせたことがあるとすれば、渡されたドリンクを飲むと、異常な活動的な気分になってしまうことだ。急に体力が向上したような気分になる。気力がみなぎり、自信が溢れてくる。マグマのような活力が私を包み、エネルギーの塊になったような気分になるのだ。
私は、部屋にある各種運動器具で身体を鍛え、腕立て伏せや腹筋運動、ヒンズースクワットで、満ち溢れた精力を発散させた。精力を発散させた後は、雑誌や文庫本、哲学書を読み、頭脳を酷使した。
それでも、体力がみなぎったこの身体は、疲れを覚えることはなかった。
驚いたことに、三十日間の披験中、私がぐっすりと眠ることできたのは、たった三日間だけ。後の二十七日間は、ほとんど寝ずに過ごしたのであった。
激痛が、頭に走ったのは、家に戻されてからだった。
被験期間終了後、アパートに帰った私は、滅多に入らぬ大金を持って、飲みに出かけた。何軒も飲み屋をハシゴし、朝まで飲み続けた。夜明けとともに、公園の水飲み場で顔を洗い、何時間もかけてアパートにたどりついた時、それは起こった。
脳みそを、掻き回されるような激しい頭痛……。
私は、虫の吐息で救急車を呼んだ。そして、携帯電話で救急車を呼びながら、気を失ってしまった。
二日間、正体もなく眠りに落ちていた私は、意識を回復したとき、私の頭の中から、激しい痛みが消えていたことを知った。
あれほど酷い激痛だったのに……。
不審に思った私は、診てくれた医師に訊ねた。
医師は、「君の体には、なんの異常もないよ……。君が寝言で、頭が痛い……、頭が痛いと言ってたから、MRIを使って調べてみたが、どこにも異常はなかったよだった」と言って苦笑した。そんなことはない、もう一回調べなおしてくれと、私が食い下がっても、医師は取り合ってくれなかった。自分の下した診断に自信があるのだろう。いくら食い下がっても、あいまいな返事をするだけで、私を軽くいなしたのであった。
実際のところ、私は、すこぶる調子が良かった。このままフルマラソンに出ても三時間ぐらいで走れる自信さえあった。
いや、もしかしたら、二時間で、フルマラソンのコースを走り抜くかもしれない。脳みそを掻き回されるような激痛に襲われた後の私は、気力、体力とともにみなぎっていたのだ。
あの、激烈な頭痛は、一体なんだったんであろうか?
私を苦しめ、死の恐怖さえ感じた熾烈な痛みは、どこに消えたのだろうか?
病院を出た私は、おぼつかない足取りで、街を彷徨ったのだった。
いま、あの時、私を襲った激痛が、また起きている。このまま廃人になるかもしれないと思うほどの痛みが、私を襲っている。
私は駅内にあるベンチの上に倒れ伏してしまった。
(俺は、医者に行くんじゃあなかったのか? 腕にできた赤い発疹の原因を診てもらうために……)
ベンチの上に倒れ伏した私は、しばらくして、寝言のようなつぶやきとともに目が覚めた。
腕時計を見ると、時計の針は夜十時を指していた。深くため息をつき、街に出る。驚いたことに頭の痛みは消えていた。
街に出ると、街の中心部にある電光掲示板が、電車内で起きた通り魔の殺人事件を告げていた。通り魔の実名が示され、犠牲者の名が後に続いた。
犠牲者は、私の目の前で殺されたOLを含めて五名。あの時、あの場所で、一瞬にして五名におよぶ人命が、汚らしい通り魔の手によって奪われたのだ。
= そのⅧに続く =