妻の出迎えはストレンジ
玄関を開けたら、廊下で妻が死んだフリをしている姿が目に飛び込んできた。
床には、指で書いたであろう「メリークリスマス!」の赤文字が、ダイイングメッセージのように残されている。
普通の夫なら、慌てて妻の容態を確かめるところだろう。
けれど、私は妻の奇妙な行動に慣れている身なので、妻の身体を避けるように壁沿いに通り過ぎ、鞄と上着をイスの上に置いてから腰を屈め、妻の手元に置かれたケチャップの空容器を取り上げる。
「身体にツリー用の電飾を巻き付けてるか、あるいは、パーティークラッカーでも鳴らされるかと思ったんですけどねぇ……」
予想外だという口振りで私が呟くと、妻は俯せのまま腹を震わせ、ケッケッケと不気味に笑った。
出迎えてくれるのはありがたい限りだが、できれば普通にしてほしい。そんな気持ちを心の中にしまったまま、妻にウエットティッシュを渡し、二人で廊下の清掃を始めた。
*
思い返せば、妻との出会いも奇妙なものだった。
私は入社してから毎日、通勤のために地下鉄を利用しているのだが、その私に向かって、のちに妻となる彼女は次のように話しかけてきた。
「地下鉄はお好きですか?」
たとえば、毎日文庫本を読んでいる相手に、小説は好きかと訊ねるのは自然なことである。
だが、スーツ姿でビジネスバッグと経済紙を持った相手に、地下鉄は好きかと訊ねるのは不自然である。
一瞬、新手の詐欺か勧誘かと思ったが、地下鉄に興味は無いと告げると、何事もなかったかのようにその場を離れたので、おかしなこともあるものだと、その時は大して気にも留めず、その日のランチタイムには、この朝の出来事はスッカリ忘れていた。
「のど飴はお好きですか?」
同じ路線に、同じ時間に利用しているせいか、一週間後に再会した。
ストーカーかと思ったが、待ち伏せするなら、同じ日の夕方や翌朝に会っていてもおかしくない。
どうやら、再会したのは偶然だったようで、ミントの清涼感が苦手だと告げると、彼女は色彩の洪水になっているトートバッグから未開封の板チョコを取り出し、これは甘くないからと言いながらスーツのポケットに捻じ込み、足早に立ち去った。
振り返ってみれば、彼女のことを気にするようになったのは、この頃からだったように思う。
*
聖夜の夕食は、チキンライスとコールスロー、それから粉糖を雪のようにまぶしたガトーショコラだった。
どうやら妻は、チキンライスの調理後、半端に余ったケチャップから、今日のサプライズを思い付いたらしい。
「チョコレートがお好きなんですか?」
出掛ける際、必ずと言って良いほど、トートバッグにチョコレートを忍ばせているくらいである。ひょっとしたら、カフェイン中毒や砂糖依存症にでもなっているのではないか。
気遣いがちに、食べ終わった皿を洗って水切り籠に置きながら妻に問いかけると、籠に置いた皿を布巾で拭きながら妻は答えた。
「いつか工場見学できるんじゃないかと思って」
妻の回答は、いつでも斜め上である。どうやら、フィクションと現実の区別が付いていないようだ。
何枚買っても、金色のチケットは同封されてませんよ。そう言いたい気持ちをグッとこらえ、私は今夜のロードショーは何の映画だったかと、今朝読んだ新聞のテレビ欄を思い出そうとした。