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或見舞の話

それは唐突な知らせだった。僕の高校時代の親友、仲澤が入院したというのだ。一年の臥薪嘗胆を経て東京の大学へ行った彼とは数年来疎遠になっていたが、入院をきっかけに家族のいるこの川北市に戻ってきたらしい。


僕は地元の教育大学に通う大学生で、生まれてこのかた、一時も離れずこの川北市に住んでいる。現在僕は母校である川北照石高校で教育実習中であり、かつての恩師たちに指導されながら、忙しくも充実した日々を過ごしている。


そんな中突然入った旧友の入院という知らせにいてもたってもいられなくなり、なんとか作った一日の休暇で彼の見舞いに行くことにした。


見舞い当日、身支度を整えてから雑然とした小物入れから車のキーを探すと、すぐに見つかった。それには不釣り合いな大きさのキーホルダーがついていたからだ。このキーホルダーは大人から子供まで抜群の知名度を誇る大人気ゲーム「ティンクル・バルーン」シリーズの敵キャラクター、「バンディ」を象ったものだ。


僕は中学生の時、女子ウケを狙ってさして好きでもない「バンディ」のグッズを持ち歩いていたのだが、それが5年も続くともうすっかりお気に入りのキャラクターになってしまっていた。


フェルト製の「バンディ」を手で弄びながら車に乗り込む。この車は親から借金をして買った自慢の愛車である。小さな中古車だが、やはりそこはマイカー。一国一城の主になった気分で軽快に川北市の街並みを抜け、病院へ向かう。


仲澤が入院している新堂病院は川北照石高校のほど近くにあったのでそう時間はかからなかった。見舞い用の果物を持って受付を済ませる。


「仲澤さんの病室は北病棟ですね。この本病棟から向かって西の通路を進んで下さい」


人の良さそうな受付の看護師の指示に従って病棟を移動する。しかし通路を抜けて北病棟のロビーに出たところで突然悪寒に襲われた。


「空気が…冷たい。ここで、哀しいことが起こったんだな…」


そう思ったのは北病棟の受付に「精神科」と書かれたプレートが掲げられていたからだ。なんてことだ、我が親友は精神を病んでいたのか。


そこでとある記憶が甦った。僕達がまだ高校生だったときの話である。


僕と仲澤は3年間ずっと同じクラス、6組であった。といってもそれは6組の生徒にクラス分けなどはないから。6組は勉強に力を入れたコースで、入学以降他のクラスとは全く交わらないのだ。


どれほど俗世と隔絶しているかは、6組の教室のある場所から見てとれる。1組から5組が校舎の主な部分である、通称「本館」にあるのに対し、6組の教室のある通称「新館」は、むかし不審火で焼失した体育館、その跡に建てられた安普請の小さな建物だった。


「新館」とは名ばかりのその校舎は、その安普請具合、立地、果ては建築思想に至るまで批判され、6組生徒をして「プレハブ小屋を三段重ねただけ」「豆腐建築」「火災保険の墓場」などと言わしめた。


新館の蔑称には事欠かないが、その中で最もポピュラーなものの1つに「隔離病棟」というものがある。由来は単純で、新館は本館から隔離されたように建てられており、新館には基本的に6組の教室しかないからだ。


閉鎖されたコミュニティでは独自の文化が発達するものだ。6組ではそこから転じて新館のことを「精神病棟」と呼ぶようになり、そこにいる自分達を「精神病患者」と呼んで自虐するようになった。しかし皮肉なことに、そう言って笑っていた彼は今や本物に入院しているのだ。


精神科の受付で面会を申し込むと、陰気そうな看護師に幾つか説明を受けた。どうやら彼は普段は落ち着いているものの、極めて情緒が不安定であり、ふとした拍子にしばしば錯乱して珍妙な話を語りだすらしい。


最後に彼を刺激しないように警告され、面会証を受け取った。ちょっと顔を合わせて終わろうと軽い気持ちで見舞いに来た僕は予想外の事態に、もう帰って白子で一杯やりたいとばかり考えていた。


僕は飲み会での女子ウケを狙って、「自分には白子ノルマがあり、毎日白子を食べなければならない」などと吹聴していた。

しかしそんなことを続けているうちに本当に毎日のように白子で一杯やりたくなってしまい、この歳でプリン体や尿酸値が気になってくる始末である。

まったく、中学の頃の「バンディ」の件から何も変わらないな、と独り苦笑する。


白子への愛慕に後ろ髪をひかれながら、ひきつった表情のまま教えられた病室に向かうと、病室の扉の向こうから何か声が聞こえる。扉に手をかけたまま開ける踏ん切りがつかずにいると、どうやらこれは仲澤の声らしいと気づいた。


「綺麗な平清盛…生々しい友達…神々しい運転手さん…ヤラしいガイドさん…しょっぱいコーギー…臭い姫路城…」


僕の手は震えていた。かつての親友の声で紡がれる脈絡のない言葉の羅列は、生々しい異物感をもって恐怖心を掻き立てた。僕はこの瞬間、かつての彼はもうおらず、この扉の先にいるのは狂人のみだと確信した。

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