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小野寺麻里奈は全校男子の敵である 10 (縦書き版)

 それは北高の教師たちを恐怖のどん底を陥れた一連の事件から二週間が経った六月のとある雨が降る放課後のことだった。

 扉に「北高文化祭実行委員会 第一回 文化祭参加団体代表者会議」と張り紙がされた新校舎三階の会議室から不機嫌な顔で飛び出してきたのは、北高で一番のモテモテ女子高校生である松本まみにも負けていない美しい顔立ちをした長身の女子高校生である。

「待ってください。まりんさん」

 そう言いながら、彼女の後を追いかけるように会議室から出てきたのは、平均より少し背が低い地味顔の、こちらは大きな胸を除けばどこをとってもまったく見栄えのしないメガネ女子高校生だった。

 その見栄えの悪い彼女に見栄えのよい方が怒りをぶちまけた。

「こんなことなら予定どおり恭平を代理で出席させればよかった。この私を二時間もあんな小部屋に閉じ込めてバカで下品な生き物である男どもと同じ空気を吸わせておきながら、ファイユームのアップルパイどころか紅茶の一杯も出さないとは無礼にも程があるというものよ。実行委員会とやらはよほど気が利かないバカか、そうでなければ他人の苦しむ姿を見て楽しむ変態の集まりに違いない。ヒロリンもそう思ったでしょう?」

 彼女たちが所属しているクラブが根城としている広大な学校敷地の端にポツンと建つ古い木造校舎にある部室に足早で戻りながら、「すべてを浄化する天使の歌声」とも評される美しい声にはまったく不似合な黒い言葉で会議の主催者を悪の組織のごとく盛大に罵る自分の意見に同意を求める見栄えのよい方の女子高校生の背中を眺めながら、見栄えの悪いもうひとりが小さな声で別の感想を口にする。

「……私は実行委員会の方々に申しわけない気持ちでいっぱいです」

 ということで、いつものふたりである。

 そして、わざわざ語る必要もなさそうではあるが、とりあえずこのふたりは九月に開催される北高文化祭に関する各種資料の配布や注意事項の説明などをおこなうために開かれた参加団体代表者会議に創作料理研究会の代表として参加していた。

 しかし、創作料理研究会が誕生からわずかの間に挙げてきた数々の大戦果を知っている者にとっては、創作料理研究会の中心人物であるこのふたりが常識人の集うこのようなまじめな会議に参加していたなどということはあってはならない、少なくても信じられないことではあるだろう。

 どうやら会場にいた他の参加者たちにとっても同様だったらしく、ふたりが会場にあらわれた時にはちょっとしたどよめきの声が上がった。

 もっとも、副部長であるエセ文学少女ヒロリンこと立花博子に関しては、たしかに例の事件で全校中にその勇名を馳せたものの、幸運にも恭平を使った恐ろしい人体実験をおこなっている凶器製造者という裏の顔は世間にはまだ知られていなかったために、一般生徒のなかでは見た目通りの地味だが非常に真面目な人という評判が定着しており、実際その評判通りにこれまでおこなわれたクラス代表の会議や各部の代表が集まるサークル会議に彼女はすべて出席しており、今回の会議にも事前に出席者として連絡がなされていたので、もし彼女ひとりが会場に現れていたら参加者たちもこれほど驚くことはなかったであろう。

 ということで、その驚きの根源のすべてはよく目立つ外見を持つもうひとりがやってきたことにあった。

 さて、そのもうひとりである麻里奈であるが、こちらは世間の評判をまったく裏切ることなく、これまで会議という名のつくものはほぼすべて無断欠席していた。

 気が向いたときには彼女いわく「一番暇そうな人物を」、当然のようにそれは恭平のことを指すのであるのだが、とりあえず彼を代理出席させてはいたものの自らが出席することは一度たりともなかった。

 それで、これまで大きな問題にならなかったのは副部長である博子が自主的に会議に代理出席していたからにほかならないのだが、その名実ともに悪名高きポンコツクラブのポンコツ部長小野寺麻里奈が今回こうして博子とともにこの場にやってきていたのには当然しかるべき理由があった。

 部長としての義務に突然目覚め、これまでの多くの人に迷惑をかけたすべてのおこないを悔い改めて今後は会議にもまじめに出席すると心に誓い、その輝かしい再出発の場所としてこの会議に選びこうしてやってきたのだと言いたいところなのだが、常識とは百億光年ほどは離れた存在である麻里奈にかぎってそのようなことがあるはずもなく理由は当然別にある。

 言ってしまえば、しごく簡単なことなのだが、顧問である恵理子に騙されたのだ。

 会議が始まる少し前に、恵理子は不自然すぎる独り言を麻里奈によく聞こえるように微妙なメロディーに乗せてこう呟いていた。

「……あの会議は学校と生徒会の共同主催みたいなものだから、美味しいお菓子とコーヒーか紅茶が出ていたな~。それも毎回。去年はいつもファイユームのアッパルパイだった。きっと今年も出るだろうな。ファイユームのアッパルパイ。そういえば、去年は最後の三人は食べられなかったみたいだったな。ファイユームのアップルパイ。なんか遅刻者に対する罰らしいけど食べられなかったら残念だろうな。ファイユームのアップルパイ。その三人分は結局どうなったのかな。ファイユームのアップルパイ」

 まみが彼女だけのためにつくったドライフルーツと愛情がたっぷりと練り込まれたハート形のパウンドケーキを齧りながら気のない表情で恵理子の呟きを聞き流していた麻里奈だったが、会議にファイユームのアップルパイが出ることがわかるとなにやら挙動が不審となり、会議に遅刻した者はそれが食べられないとなったところで突如立ち上がり、心の中にある会議出席者欄に乱暴な字で書かれていた「部長副代行代理次席補佐見習い候補 橘 恭平」を慌てて消し、「創作料理研究会スーパー部長 小野寺 麻里奈」と丁寧に書き直すと、準備万端整えた副部長の博子に文句を言われながらもたもたと会議に出かける準備をしていた恭平を蹴り飛ばして博子を連れて大急ぎで部室を飛び出していったわけなのだが、結果はといえば冒頭の言葉のとおりであった。

 ちなみに、恵理子の独り言に何度も登場したファイユームとは駅前にある市外からも客が訪れる有名な洋菓子店のことである。

 そして、麻里奈が大嫌いな会議に出かけるきっかけとなったそのファイユームのアップルパイであるが、そのおいしさは折り紙つきであるものの、高校生が休み時間のおやつとして食べるにはあまりにも値が張りすぎているうえに、店の危機を救ってくれたある少女の一家以外の予約はどれだけ金を積まれても受けないうえに数量限定なため、購入するためには早朝から並ばなければならず、以前創作料理研究会関係者が恭平の家に押しかけたときに春香がお土産として持参したこの店のアップルパイも、春香がチラつかせた破格ともいえる高額なバイト代に目がくらんだ父親の会社の従業員若手有志が深夜から交代で並び購入したものであった。


「この私を騙した罪は万死に値する。だけど……」

 配付された会議資料の表紙を眺めながら、見た目どおりの礼儀正しい女子高校生のそれというよりもまるで詐欺師が成功確実なおいしい仕事に出合ったときに見せるような黒い笑みを浮かべて麻里奈はこう言った。

「たしかにに会議に出ただけの価値はあったみたい」

「まりんさんがそういうことを言った時には絶対にいいことは起きません。嫌です。本当に嫌です」

 そして、それに対して創作料理研究会の副部長ヒロリンこと立花博子がその言葉とは裏腹に悪人が自分の思い描いていた悪巧みが順調に進んでいるときに見せるようなとてつもなくうれしそうな表情で口にしたそれは、三か月後に起こる一部の男性たちにとっては自分史に大きな汚点として残る大イベントとそこから始まる様々な悲喜劇の開幕を暗示しているのだった。


「校長先生や教頭先生から会議には必ず部長のまりんを出席させなさいとしつこく言われていたのよ。これでやっと顧問としての義務を果たせたということになるわけね。まずは一安心。それで、まりんはおとなしくしているかな」

「いやいや、あのバカ麻里奈に限ってそんなことは絶対ない。違法劇物製造者のヒロリンとふたりで会議をメチャクチャにして会議を長引かせているに違いない。当然それは停学一年になる重罪だ。ついでに、あいつらが階段から転落し複雑骨折でもして三年間通学できなくなれば俺としては言うことなしだ。もし、あのバカどもが骨折して救急車に乗ることになったら、俺はどんな神様でも一生信じるぞ。まみのおいしいお菓子が食べられるこの平穏な時間が続くのであれば、たとえ悪魔だって敬ってやる」

「でも、それをやったのが悪魔だったりしたら、まりんが地獄に乗り込んで悪魔全員を地獄から追放しそうだよね。もっとも、まりんが地獄に来たのを知ったら、その前に悪魔全員が泣きながら土下座して天国に亡命させてくれと天使たちにお願いするに違いないけど。なんといっても、まりんは『唯一無二の存在』だからね」

「本当にそのとおりだよね。悪魔が『俺たちはあんな悪党と一緒にはいられない』とか言いそう」

「『あんなのと同類と思われるなど悪魔の沽券に関わる』かもしれないな」

「橘にしてはいいことを言うではないか。悪魔が泣きながらそう言いそうだ」

「本当だね。そういえば最近まりんを堕天使と呼ぶ人もいるみたいだよ」

「どうして?」

「ほら、見た目はあれだし。なにしろ声が」

「あーなるほど。天使のような声とか、すべてを浄化する声とか色々言われているみたいだよね」

「いやいやいや。あれは間違いなく悪魔の囁きだ。あの声のおかげで俺がこれまでどれほどひどい目に遭ったことか……」

「それは騙される愚かな貴様が悪い」

「言っておくがひどい目に遭ったのは俺だけではない。ほとんどの男子が一度は経験している。その、俺は数が多いだけで……」

「ということは、やはり貴様が一番のバカだ」

「くそっ」

「たしかに話している内容は猛毒入りの下品なものばかりだよね。見た目天国、中身は地獄。本当に堕天使だよ。いや堕天使に悪いか。アハハ」

「橘さんと春香さんだけでなく、先生までそういうことを言うなんてひどいですよ。この場にいない人の悪口を言うのはいけません。だいたい、まりんさんは私たちの代表として会議に出席しているのですよ。一生懸命頑張っているまりんさんに申し訳ないと思わないのですか」

「まみたんは本当にまりんに甘いよね」

「そうそう」

「そんなことはないです。それに、まりんさんって本当に素敵な人ではないですか。みなさんはそう思わないのですか?」

「思わん」

「私も思いません」

「私にはまみたんがまりんに夢中になる理由がわからないよ。いったい、まみたんはまりんのどこがいいの?」

「全部です」

 こちらは、ヒロリンこと立花博子とともに会議に出席している「地獄に落ちたら地獄の住人すべてが天国に亡命する唯一無二の存在」が部長を務めている創作料理研究会が根城としている第二調理実習室で留守番をしている関係者たちで、まず麻里奈を好きすぎるということを除けば欠点が存在しないモテモテ女子高生でこのクラブの関係者唯一の常識人兼掃きだめの鶴である全校男子のアイドル松本まみ。

 それから、まみがつくったフルーツたっぷりの美味しいパウンドケーキとともにコーヒーを楽しんでいるこの世に並ぶ者なきスーパーケチである強欲守銭奴教師でこのクラブの顧問でもある上村恵理子と、部員ではあるがこのクラブの活動費のすべてを出資しているスポンサーでもある馬場春香。

 そしてもうひとり。

 麻里奈がいなくなったとたんに彼女と一緒に部室を出て行った自称天才料理人製造の例の違法劇物をこそこそと棚にしまい込み、まみに泣きながら懇願して分けてもらったパウンドケーキの切れ端をブツブツと何かを念じながら崇め続けている人間の口から発せられたとは思えぬ奇怪な雄叫びを上げながらおこなう実に恥ずかしい悶絶パフォーマンスと呼ばれる一種の宴会芸を演じて物笑いになること以外には何の役にも立たないただの部員橘恭平である。

「とにかく、そろそろまりんさんとヒロリンが帰ってきますので、その辺でまりんさんの悪口を言うのをやめておいたほうがいいと思います」

「いや大丈夫。そっちのふたりはともかくこの俺は悪魔も恐れる天下の大悪党小野寺麻里奈の前でも正しいことを堂々と主張できるだけの正義の心と勇気が持った名門北高男子の手本になる立派な男で……」

「ただいま~」

 戦う相手がいないときにのみ戦闘をおこなう小心者で器の小さい小物の見本のような恭平にとって最大の天敵である麻里奈がいない今こそが憧れのまみに自分が「名門北高の男子生徒にふさわしい知性と教養と勇気を兼ね備えた品行方正で爽やかで立派な男」であることをアピールする絶好のチャンスとばかりにできもしないことを偉そうに宣言し始めたところにちょうど麻里奈と博子が帰ってきた。

「橘。では、見せてもらおうか。その勇気とやらを」

「そうそう。そのようなものが本当に橘君にあるのなら見せてちょうだい」

「……私も見たいです。少しだけ……あっ、冗談です。すいません」

 だが、春香や恵理子はもちろん、たとえ憧れのまみにそれを見せろと言われても体中のどこを探してもそのようなものは一ミリグラムも持ち合わせていない恭平は「あり余るほどの勇気はあるが、こんなくだらないところで大事な勇気を使うわけにはいかないのだ」などと、心の中でにもかかわらず自分に対して嘘八百の恥ずかしい言い訳を並べ立てて押し黙る。

「何の話をしているのよ?このヘタレに勇気なんかあるわけないでしょう。というか、なぜ恭平の皿にまでまみたんがつくったお菓子を載っているのよ。あんたはこの前ヒロリンがつくってくれたあんた専用のパウンドケーキを食べていればいいのよ。早く食べないとカビが生えるわよ」

「もしかしたら恭平君はカビが生えるくらいに熟成させてから私がつくった美味しいパウンドケーキが食べる気なのかもしれません。せっかく私が全身全霊を傾けてつくったおいしいパウンドケーキにカビを生やすなんて失礼極まりないことなのですが、恭平君の味覚は非常におかしいですから我慢してあげます。私のようなグルメには美味しくなくても、味覚がおかしい恭平君にはカビの生えたパウンドケーキが美味しいのかもしれません。食べ終わった後に味覚のおかしい恭平君にカビの生えたパウンドケーキがどれほどおいしいのかを食レポしてもらうことにしましょう」

 いつもように散々な言われようであり、ここから遅まきながら恭平の細々とした反撃が始まる。

「食べるか!そんなもの。それにおかしいのは俺の味覚ではなくおまえの頭だ。それから念のために言っておくが、おまえがつくったあれにはカビだろうが細菌だろうが怖がって決して近寄らない。だから、一億年経ってもカビなんて絶対生えないから安心して放置できる。わかったか」

 だが、恭平の思い通りにいかないのはいつものことであり、すべての面で格上である自称天才料理人に軽くあしらわれてあっという間に終戦を迎えるわけなのだが、もちろん、それだけで終わるはずはなく、彼女の友人である唯一無二の存在が恭平がこの世で一番見たくないものを携えてやって来る。

「恭平、あんた専用のヒロリン特製パウンドケーキを持ってきてやったわよ。感謝してよね。ほら味わって食べなさい。それで、こっちは先生が食べて」

「は~い」

「おい、何をする……くそ。こんなことならさっさと全部食べておけばよかった。というか、あのゴミを捨てておけばよかった」

「何を言っているの。そうなった場合でもゴミ箱からそれを拾って恭平の皿に戻すだけに決まっているじゃない」

「くそっ。いつもながら忌々しい麻里奈だ」

 ちなみに、この五日前にここでパウンドケーキ対決がおこなわれて、恭平は博子作のそれを体に入れ憧れのまみを含む関係者全員の前で悶絶パフォーマンスを完ぺきに演じ切って肉体的に、そしてそれ以上に精神的なダメージを受けていた。

 当然ながら自称天才料理人でエセ文学少女でもあるヒロリンこと立花博子が「おいしいパウンドケーキ」と称した黒焦げになったその不思議な物体は完食には程遠い状態で残されたわけなのだが、麻里奈によって大切に保管されたそれは恭平のおやつとして毎日変わらぬ姿で登場していたのはいうまでもないことである。

「それで、どうだった?ファイユームのアップルパイ」

 そう訊ねたのは麻里奈を騙して会議に出席させた顧問である。

 もちろん彼女は多くの人が誤用している意味での「確信犯」であり、麻里奈がどのように答えるかなど訊ねる前から知っており、当然ながら麻里奈の返答は彼女の想像から寸分の狂いのない内容であった。

「先生、ファイユームのアップルパイどころかお茶も出なかったよ。それに去年だってファイユームのアップルパイなんか出していなかったそうだよ」

「実行委員会の方に確認したら、たしかにそう言っていました」

「……おかしいな。去年は出ていたと思ったのだけど。それとも違う会議と勘違いしたのかな。とりあえず、それは悪かったね。アハハハ……」

 今しがた正当な裁きを受けて地獄に落ちたら悪魔さえ泣いて逃げ回るらしい唯一無二の存在となった麻里奈に対して白々しい嘘をつき通して逃げ切りを図る顧問であったが、ここで小さな奇跡が起きた。

 いつもなら、たとえ相手が白旗を上げても、海の藻屑にするか、手持ちの砲弾すべてを撃ち尽くすまで追撃の手を緩めない麻里奈が今日はあっさりと休戦に応じたのだ。

 それだけ麻里奈にとってなにか心躍る重要情報を入手できたということなのかもしれないのだが、恵理子が麻里奈の報復を永久に免除されたというわけではなく、忘れたころにやってくるには早すぎる天災のようなそれはこのあと唐突に彼女のもとを訪れることになる。

「……進行役がヘボすぎて非常につまらない会議だったが、資料にはおもしろいことが書いてあった。いいね。ここの文化祭」


「それでは打ち合わせを始めます。文化祭についてですが……」

 とりあえずは打合せが始まり、この瞬間限定ではあるが、まじめに部活動をおこなっているように見える創作料理研究会だった。

 もっとも、本来司会者として会議を進めるべき部長の麻里奈は今日二つ目となるまみ特製パウンドケーキを食べることに忙しく、しばらくは会議どころではないために最近では恒例になりつつある副部長であるエセ文学少女が進める会議というところはやはり創作料理研究会ではある。

「そういえば、この高校の文化祭ってこの辺ではすごく有名ですよね。私は噂でしか知りませんので、今年の文化祭が今からたのしみです」

「いやいや、変な雰囲気だよ。参加者団体が妙なオーラ出して。しかも学外の人はほとんどいないのでちっとも盛り上がらないから、最近は学校と同じくらい落ち目だよ。模擬店だってうちは料理などしたことがない生徒がつくるいい加減なものばかりだよ。それに比べて南校はプロを呼んでいるのから断然おいしい。それで北高のまずい料理の半額というのだから言うことなしだよ。私が北高の教師でもクラブの顧問でもなかったら北高の文化祭になんか絶対来ないよ」

 いつも通り麻里奈の隣の席を確保したまみが体を密着させてこちらもスペシャルかつ過剰なサービスを提供しながら常識人にふさわしい表現で褒め称えた北高の文化祭だったが、その学校の現役教師があっという間にその評価を奈落の底に叩き落した。

「でも、本気度は伝わってきたよ。去年ここの文化祭に来たけど本当に面白かった。それで、この高校に入ろうと思ったわけで……」

 現役教師が力のかぎり押し下げた北高文化祭の評価を再び上げたのは、創作料理研究会の歩く銀行とも評される馬場春香だった。

 その言葉から、どうやら「それが面白いかどうかが、すべてのことに優先する」と広言するこの自称お嬢様の志望校選びに昨年の北高文化祭が多大な影響を与えたようである。

 もっとも、いつものように北高の文化祭のどこかどのように入学を決意させるほど面白かったのかは彼女以外にはまったく理解できないうえに、そもそも彼女が南校から与えられていた特別推薦を蹴って北高を受験したのは地元の名士である父親を理事に就かせるために自分を特別推薦の枠に押し込んだ南校関係者の思惑を粉砕するためだったのだが。

 さて、その南高が嫌いな春香。

 当然その学校の文化祭の評価はこうなる。

「それに比べて南校の文化祭はちっとも面白くなかった。お金はかかっているのだろうけど、ただそれだけ。生徒もお客さんみたいな人ばかりで、実際に発表とか出展とかやっているのは金で雇われたゲストばかりで生徒がやっていたのはほんのわずかだったよ。あんな文化祭がなぜ高く評価されるのか私にはさっぱりわからない。というか、あれは高校の文化祭とは呼ばないでしょう。少なくても私は文化祭とは認めない」

 春香が散々こき下ろした南校の文化祭だったが、それをいまだ称えているのがお金、いや小銭が人生のすべてである強欲守銭奴教師上村恵理子である。

「でも、やっぱり割引券がある南校の方が絶対いいと思うよ。うちの学校もせめて教師は模擬店を全部無料にしてくれれば……」

 ついには、自らの本音がポロリと出る始末である。

「先生の小銭賛歌はもういいです。それでは文化祭の開催要項についての話を始めます」

 業を煮やした黒縁メガネ、おさげ髪、地味顔という文学少女三点セットを揃え、見た目だけなら立派な文学少女といってもいい副部長で会議の進行役を務めるヒロリンこと立花博子が大好きなクリームパンを齧りながら守銭奴教師の言葉を強制的に遮断して本題を語り始め、ここでようやく北高の文化祭が周辺の高校と違い妙なテンションと独特の雰囲気を醸し出しているのには理由があることが部員全員の知るところとなった。

 それは……文科系クラブの入れ替え戦。

 すなわち、文化祭での評価が高ければ同好会は部に昇格でき、それとは逆に評価の低かった部は同好会に格下げされるというのだ。

 これは大きい。

 麻里奈率いる創作料理研究会は、馬場春香という歩く銀行を抱えているため活動資金を心配することなく毎日ムダ金を垂れ流しているのだが、それは例外中の例外であり、大きさや歴史を問わずどこの文科系クラブも慢性的に活動資金が不足しており、この数年間は落ち目の学校にふさわしく部に対する補助予算は削減の一途ではあるものの、それでも実際に部から同好会に転落したとたんに廃部になった「古文書研究会」のような名門クラブも存在するくらいに、学校から援助がある部と、それがない同好会とはすべてにおいて天国と地獄くらいの差があり、入れ替えのボーダーライン上にあるクラブが必死になるのも当然なのである。 


「それで、それをどうやって決めるのですか?」

 先ほどまで目の前にあったドライフルーツたっぷりの美しく、そして間違いなく美味しいほのかな甘い香りを漂わせたまみ特製のパウンドケーキに代わりに自分の皿に置かれた木炭と見間違うような非常に悪い見た目と、その悪い見た目以上に悪い味、そして人を不快にさせることがその目的に違いない人間の言葉では的確に表現することが不可能な強烈な異臭を放つ自称天才料理人が製造した怪しげな黒こげの物体を睨みつけながら恭平が問うと、この中で一番この文化祭について詳しいであろうこの学校の現役教師が口を開いた。

「え~と」

 ちなみに、彼女が右手に持っているのは麻里奈によって恭平の皿から半強制的に平行移動させられたまみが焼いたパウンドケーキであり、そこに残るふたつの歯形のうちのひとつは麻里奈に取り上げられる直前必死に食いついた恭平が涙ながらにおこなった最後の抵抗の痕跡である。

「まず在校生徒と教師は二枚、十年前までの卒業生には一枚の投票用紙が渡されるのよ。それで、それを文化祭当日に気に入ったクラブの投票箱に入れることになっているの。もちろん二枚を同じクラブに入れてもいいし、一枚ずつ別のクラブに入れるのも構わない。そして、文化祭終了後に文化祭実行委員会、生徒会、学校の三者立ち合いのもとで開票してそのポイントに基づいて次年度に公認する部が決定されるという仕組みなの」

「……なるほど」

 とりあえず入れ替え戦のルールは理解した恭平であったが、彼の頭の中では試合が始まる三か月前である今ここで早くも試合終了のホイッスルが高らかに鳴り響いていた。

 一方、同じくホイッスルは鳴り響いたらしいのだが、どうやら彼女の聞いたそれは試合開始のものだったらしく、俄然やる気になった自称お嬢様は普段の彼女からは想像できないくらい熱心にエセ文学少女の話に聞き入っていた。

「簡単にいえば人気投票みたいなものか。それでどれくらいポイントを取れば部として認められるの?」

「資料では百ポイントくらいが目安みたいです。ですから、部員が多い大クラブや卒業生がたくさんいる伝統クラブが有利なわけです。うちの場合は五人の部員と先生で最大十二ポイントになります。クラブ関係の卒業生もいないですし、何もしなければここで試合終了になります。まあ、私たちは他のクラブと違って『歩く銀行』がいるので今のままでも活動費に困ることはないので問題はありません。ただし、その方法はわかりませんが、まりんさんは百ポイントを取りにいくつもりみたいです」

「……ちっ、余計なことを」

 博子の親切丁寧な説明を聞いて春香も恭平と同じ結論に達するはずだったのだが、実際にはそうはならず、恭平が思わずそうつぶやいた博子の「余計なひとこと」によって、いつものように歯車は恭平の思いとは逆方向へと動き出す。

「当然でしょう。目指せ、百ポイント。じゃあ、手っ取り早く買収しようか。一票千円くらいで。百票十万円。その倍でも構わないけど」

 十分に予想されたことではあるが、このような面白そうな匂いのするイベントを素通りするはずがないこの自称お嬢様の銀行口座にはそれを数十回おこなってもビクともしないだけの豊富な軍資金が眠っており、冗談に聞こえるそれは、この自称お嬢様が言った場合に限りすみやかに実行に移される可能性は非常に高かったのだが、幸運なことに今回はすぐさまその意見にストップがかかった。

「春香さん。私たちは健全な高校生なのですから、そういうことをおこなうことはもちろん、考えることだってダメです」

「そうかな?」

「そうです」

 本来なら顧問でありこの場にいるただ一人の大人でもあるこの学校の教師上村恵理子が言うべき言葉を、この創作料理研究会で唯一の常識人であるまみが言い、本来すぐにでもそれを言わなければいけないはずのその大人は春香の提案に乗りかかっていた。

「私はいい案だと思うけどね。手っ取り早く部に昇格できるじゃないの。それがダメなら、まみたんの握手会を開催してポイントを稼ぐとか、まりんのいかがわしい魅力で女子から投票券を巻き上げるとかもありかもしれないよね」

「ダメです。先生は大人なのだからもっとまじめに考えてください」

「……はい」

 そして、常識ある十歳年下の生徒に叱られ、シュンとなるおばさん教師であった。

 こうして自称お嬢様が企画した「買収作戦」は一瞬にして頓挫したのだが、文化祭をなんとしても面白いものにしたい自称お嬢様はさらに過激な代案を思いつく。

「じゃあ、偽造をするとか?その投票用紙とやらを。どうせ、たいしたものでないから簡単に印刷できるだろうし、実行委員会のハンコもうまいこと偽造して……」

「それ、い……」

「ダメです」

 どうやら、自称お嬢様はあくまでも犯罪まがいのことに手を染めたいようであるのだが、今度はダメな大人である強欲守銭奴教師が賛意を示す前にまみがきっぱりと門前払いをおこなった。

「そもそも、買収や偽造をして不正にポイントを手に入れても、私たちが文化祭に参加して催しをおこなっていなければポイントは無効になるはずです。ですから、今考えなければいけないのは文化祭で私たちが何をするかということなのです」

「……さすが、まみたん」

「まったくだ」

「じゃあ、やっぱり握手会がいいよ。準備もしなくていいし」

「う~ん。それも、かなり微妙です」

 恵理子の提案にそう言ったのは、ある意味創作料理研究会の癌ともいえるその自称天才料理人で「地獄に落ちたら地獄の住人すべてが天国に亡命する唯一無二の存在」に代わり、ここまでは無難に会議の進行役をつとめていた博子だった。

「なぜ?さっきと違ってこれは文化祭当日におこなうものだよ」

「そうそう。しかも楽できる」

「それはそうなのですが、規約には文化祭では本来の活動に関係ないことは原則禁止と書かれています」

「でも、昨年来たときには料理研でもないのに模擬店をやっていたクラブはいっぱいあったよ」

「うん。毎年いっぱい出ている。高いうえに素人がつくっているのでちっともおいしくないけれども」

「そこが原則ということなのでしょう。ですが、その握手会なる代物は面倒な書類を提出し学校側の許可を得てまでして私たちが文化祭でおこなうものなのでしょうか。それよりも、うちは申請するだけで模擬店の出店ができるのですから、つまらぬ握手会などではなく創作料理研究会らしく模擬店をやるというほうがはるかに私たちらしいと思うのですがいかがでしょうか?」

 たしかに、これは正論である。

 しかし、彼女の提案には非常に大きく、そして、そう簡単にはクリアできないひとつの問題があった。

 そう。

 あれである。

 だが、ここでそれをクリア、正確にはその問題を無視してでもやりたいアイデアを思いついた人物が現れる。

 言うまでもない。

 自称お嬢様馬場春香である。

「いや。まったくそのとおり。ヒロリンの言うとおりだ。よし、それで決まりだ」

 そして、彼女が思いついたこと。

 それは……もちろんこれである。

「そうなると、やはり喫茶店だな。メイド喫茶とかいきますか。全員でいっちゃいますか?メイド服。それともコスプレ喫茶?」

 そうなれば、当然こちらも黙ってはいない。

「ナイス春香。うちはきれいどころが揃っているからそれはいいアイデアだよ。それで好きなメイドさんとの握手券付コーヒー一杯税込み八千円。砂糖とクリームは別売りで税込み各千円。写真と動画撮影はもちろん別料金。これは大儲かり間違いなしでんがな」

「……コーヒーだけですよね」

「紅茶もあるよ。でも、もちろんすべてインスタント。カップにお湯を注いで出来上がりだから、誰がやっても絶対に失敗なし。どう?」

「……安心しました。ですか、それにしては随分高いですね」

「まったくだ。それでは秋葉原の有名メイドカフェどころか、その筋の方が経営する橘が大好きないかがわしいサービス付きのお店よりも高いのではないか。それに肝心のポイントはいったいどこにいったのだ?」

「いいよ、そんなもの」

 今度はまみの妨害に遭わずに春香の提案に乗ることに成功すると、いったいどこの地方のものかもわからぬ怪しげな方言で大好きなお金の匂いのするイベント実施に喜びを爆発させ、さっそく捕らぬ狸の皮算用を始める強欲守銭奴教師であったのだが、直後彼女に不幸が訪れる。

「さて」

 パウンドケーキの最後の一切れをハイビスカス茶で流し込んだ麻里奈の口が開かれたのだ。

「やるときはもちろん先生も一緒だよ。先生は私たちより年齢が十歳も上のおばさんだからその分露出多め。足りない若さは色気でカバーみたいな。先生だけはメイド服じゃなくてスク水ね。名前と年齢がひらがなで大きく書いてある小学生用の紺色のやつ」

 それは先ほどは猶予された麻里奈の報復がさく裂した瞬間だった。

「えっ」

 焦る恵理子。

 だが、ここは創作料理研究会の根城第二調理実習室。

 それだけで終わるはずはない。

 麻里奈のこの提案にすぐさま乗った自称お嬢様は売上向上のために一部男子が喜びそうなスペシャルなサービスを追加する。

「それに、先生の水着にスリーサイズとかも書いたほうがいいよ。恵理子先生はせっかく来てくれたおばさん教師好きの男の子にできるかぎりのサービスをしないといけないよね」

「はっ?」

 メガネ副部長がさらに続く。

 彼女は更なる売り上げ向上のために、この守銭奴教師のセールスポイントに絞った一点豪華主義的な具体的な提案をおこなう。

「いいえ。今は情報公開の時代ですから、ここはやはり『かみむら えりこ にじゅうよんさい。ばすとななじゅうよんせんち。えーかっぷ』とハッキリ書くべきです」

「ちょっと待ってよ。なぜ私だけ水着なのよ。しかも普通のじゃなくて小学生用のスクール水着って何?……だいたいバストは七十四じゃなくて少なくても八十はあるから。まだおばさんでもないし」

 慌ててすべてを否定する強欲守銭奴女教師だったが、その提案者である麻里奈はそれのどこが問題なのかと言わんばかりにつまらなそうに答える。

「先生は立派なおばさんだけどロリ顔だし幼児体型だから小学生のスク水はよく似合うと思うよ。だいたい普通のってどういう水着のこと?先生の幼児体形にビキニ?それこそ笑っちゃうよね。幼児体形のおばさんのビキニなんて犯罪モノだよ」

「し、失礼ね。私はおばさんでもないけど幼児体型でもないから。それに私とあなたたちは十歳なんか開いていないからね。だいたい、名前はともかく年齢も胸の大きさもいらないでしょう」

 「地獄に落ちたら地獄の住人すべてが天国に亡命する唯一無二の存在」に率いられた創作料理研究会部員たちに、文化祭当日ひらがなで「かみむら えりこ にじゅうよんさい。ばすとななじゅうよんせんち。えーかっぷ」と書かれた小学生用のスクール水着を着せられる危機に直面し必死にそれに抵抗しながらも、誤差ともいえる数値を芸能人ばりに必死に修正する二十四歳の女性教師であったが、彼女の必死の努力もむなしく状況はさらに悪化する。

「ところで、その二十四歳のおばさん教師の恥ずかしい幼児体型って写真撮影はOKなのかな?」

 自称お嬢様の春香の問いに麻里奈が大きく頷く。

「もちろん、画像と動画は別料金で撮り放題。そして全世界に配信されて、幼児体型が自慢の二十四歳のおばさん教師の恥ずかしいスクール水着姿は全世界で爆笑の渦が沸き起こり大評判」

「いいね」

「全然よくないわよ。……でも別料金の配分割合はちょっと気になる」

 この場に及んでもやはりお金が気になるらしい強欲守銭奴教師上村恵理子だったが、ここであることに気がつき、その部分では自他とも認める最強のライバルである春香の胸のあたりを指さして渾身の反撃をおこなう。

「それから私が幼児体型だったら春香はどうなるのよ?」

「もちろん、乳児体型」

「うっ……」

 麻里奈の間髪入れぬ返答になぜか沈黙するのはそれまで威勢のよかった自称お嬢様である。

「それはひどいね」

「うん。ひどい。さすがに乳児体型はない。せめて、先生と同じ幼児体型にしてほしい」

「それは絶対ダメ。私にだってプライドがある。春香なんかと同列にだけはなりたくない」

「ムカっ。お仕置きじゃ」

 麻里奈の一言にしょげ返る春香を慰める恵理子だったが、結局いつも通りに激しい仲間割れが始まり、どこからともなく現れたハリセンで勢いよく叩かれるのであった。

 ちなみに、ここで問題になっているその部分の序列であるが、これまですべての項目で地味な結果に終わっていた博子が圧倒的破壊力で堂々のトップに輝き、続いてかなり離れて麻里奈、平均より少々小ぶりなまみがそれに続き、ブービーは顧問の恵理子、そして名誉ある最下位が春香となっている。

「そして、先生は逮捕される。猥褻物陳列罪で」

「ならないわよ。ちゃんとスクール水着着ているから」

「じゃあ、幼児体型陳列罪でいいや。スクール水着を着た幼児体形が自慢のおばさん教師陳列罪でもいいけど」

「そういう罪はないから。絶対にないから」


「ところで……」

 顧問をひとしきり弄り回すと、黒い笑みを浮かべながら麻里奈が次の標的として指名したのは、女性陣の会話に加わらず一人黙々とメイド服姿のまみと楽しい時間を過ごす怪しげな妄想を思い描いていた彼女の幼馴染だった。

「……メイド喫茶をやる場合には、このヘタレには何をさせるのよ。もしかして私たちが一生懸命働いている脇で恭平が何もせずにメイド服を着たまみたんを涎を垂らしながら気持ち悪い顔で眺めているのを放置しておくわけ?」

 その言葉とともに全員の蔑むような視線が一点に集中する。

「し、失礼なことを言うな。たしかに料理はできないし、おまえたちと同じメイド服を着るなど断固お断りだが俺だってここの部員という自覚はある。力仕事は任せろ。準備だって後片づけだってできる限りのことはするぞ。これだけやれば文句はないだろう」

「おおありだよ」

「まりんの言うとおり全然足りないよ。それにこいつは妄想の中でまみたんのスクール水着を最低でも十回は脱がしていた」

「そうなのですか?」

「そうだよ、ヒロリン。しかも、こいつは妄想の中だからバレないと思って裸を見るだけでなくまみたんのお尻をいやらしい手つきで触っていた」

「恭平君は全校男子のアイドルであるまみたんの裸を見ただけでなくお尻を触ったのですか?しかも、いやらしい手つきで。それは一大事です。間違いなくお仕置き案件です」

「そのとおり。ということで、橘よ。もちろん覚悟はできているだろうな」

「できているわけがないだろう。だいたい俺はそこまで考えてはいなかったぞ。それにそもそも設定がおかしいだろう。スクール水着は先生で、まみはメイド服なのだろう。それなのに、なぜ俺がまみのスクール水着を脱がしたことになるのだ」

「問答無用。変態の言いわけなど聞く耳は持たない。天誅!」

「○%×$☆♭♯▲!※○%×$☆♭♯▲!※○%×$☆♭♯▲!※」

 ここでいつものように無実の罪によるセクハラ無間地獄に落ちかかった恭平だったが、寸でのところで彼をそこから救出したのはこの部室で唯一の常識がある女性兼創作料理研究会のマドンナであるまみからのこの一言だった。 

「……では、橘さんには執事さん役をやってもらったらどうでしょうか。橘さんなら似合いそうですよ。どうですか、執事役をやってみませんか?橘さん」

「まあ、それくらいならやってもいいぞ。いや。いいな、それ。やるぞ。執事」

 疑い深く小心者で人としての器が小さいという人間としての魅力はまったくないうえに各種変態設定がついた悶絶パフォーマーという特大のマイナス要因まで抱えていたものの、たしかに麻里奈と同じく恭平も外見だけは悪くない、いや非常によい男子高校生であったので、もしここでそれが決まり本当に恭平が執事服を着ることになっていたら恭平の評判を知らない一般客からは一定数の高評価が得られていた可能性は十分にあったと思われる。

 だが、残念ながらまみからの申し出ということもあり恭平が大いに乗り気になった涙が出るほどありがたかったその提案は当然のように残りの女性陣に一瞬にして木っ端微塵にされる。

「恭平は体中から下僕臭がプンプン匂っているから執事の服なんか全然似合わないよ。せいぜい下僕だよ。下僕の制服というのはどういうものかは知らないけれども執事の服だけはないよね」

「まったくだ。こいつが執事ではなく卑しく薄汚い下僕であるのは当然だが、それよりも、私たちのメイド服姿をこの下僕にタダで見せ放題というところが納得できないよね。先生は恥ずかしいスクール水着姿だけど」

「それでは有料ということで。一分百円を下僕姿の橘君に支払ってもらいことにしましょう。それも一人当たりね。ちなみに、私はスクール水着だから消費税込み一分五百五十円でお願いします」

 なぜか、有料となったとたんにスクール水着が解禁になったらしい強欲守銭奴女教師を含むそれぞれが、冤罪の被害者本人を前にして言いたいことだけを言っていたのだが、ここで恭平にとってのこの日一番の問題発言がエセ文学少女の口から飛び出す。

「わかりました。では、私たちのメイド服をつくるのにお金がかかりそうですから、恭平君には全裸で下僕役をやってもらいましょう。しかも恭平君の恥ずかしい全裸は笑いも取れます。お金はかからず笑いがとれる。これぞ一石二鳥です。間違えました。恭平君は人前で全裸になることが大好きなのですから、一石三鳥となります」

「いいね。それで人前で全裸になることが大好きな橘には、さらに大好きな悶絶パフォーマンスもついでにやってもらおうか。全裸悶絶パフォーマンス。これは大うけすること間違いなし。一日六回文化祭期間中は二日間休まず営業みたいな。どうだ、橘。晴れの舞台を与えられてうれしいか?」

「ふざけるな。人を勝手に全裸にするな。それに、なぜ俺が全裸になったら笑いがとれることになる?しかも、おまえたちのメイド服代のおかげで俺だけが全裸になるというのはまったく納得がいかん。だいたい俺は人前で喜んで全裸になるなどという奇怪な性癖などないし、悶絶パフォーマンスとやらだって俺は好きでやっているわけではなく、そこのバカがつくったおかしなものを体に入れた結果だ」

「無理しなくてもいいです。恭平君が私たち常識人と違って人前で全裸になることが大好きな変わった性癖を持つ露出狂高校生であることは全人類の常識です」

「まったくそのとおりだ。だが、橘よ。バカなおまえは知らないだろうが、人前で全裸になることはお前がいつもやっている小学生のパンツを覗き見るのと同じで死刑になる重罪だぞ。おまえひとりが晒し首になるのなら構わないが、私たちにも悪影響が及ぶかもしれないので警察に捕まった時には私たちの制止を振り切っておまえが勝手に大好きな全裸になったと言え。いや、証拠隠滅のためにその場で切腹して死ね……」

 実はこの後もセクハラ発言は続いていたのだが、言語化するには不適当な表現が多数含まれていたのですべてカットする。

 そして、三十分後。

「まあ、とりあえず恭平が文化祭で全裸になりたがっているのはわかったが、そもそも恭平の汚い全裸などに見世物になるほどの価値があるのか?少なくても私は見たくないな。そんな汚らしいもの。まして、かわいいメイド服姿のまみたんの隣に恭平の汚らしい全裸?絶対にありえんぞ。そのような絵面」

「……まりんさんにかわいいって言ってもらえました」

 ウットリとした表情で語るまみの微妙な感想は脇に置き、麻里奈の言葉は取りようにとっては恭平を救うためにも聞こえるが、この場でそのようなことを言えば事態がどうなるかわからぬ麻里奈ではない。

 当然結果は麻里奈の望み通りとなる。

「そういえばそうですね。いくら恭平君が文化祭で汚い全裸に披露したいと言っても恭平君の汚い全裸など教養人の祭典である文化祭にはふさわしいものではありません。ということで、全裸大好き恭平君は文化祭期間中には人に見られない場所でこっそりと汚い全裸になってください」

 麻里奈の言葉に呼応するように、先ほど本人の許可もなく恭平を勝手に全裸したエセ文学少女がそうのたまえば、その相方である自称お嬢様も容赦のない言葉でそれに続く。

「それがいい。ところで、お嬢様であるこの私は橘の全裸などというこの世に存在してはいけないレベルの汚物などまったく見たくはないが、先生は橘の汚い全裸を見たい?」

「私は大人だから我慢して見てあげてもいいわよ。橘君の汚い全裸。もちろんお金を払ってもらうけど。百万円くらい払ってくれれば見てあげるわよ。橘君の汚い全裸」

「まみたんは?」

「あの……私も見たくないです。橘さんの……そういうのは」

「ということだ。満場一致で橘の汚い全裸は見たくないということになった。橘は私たちに汚い全裸を見せたかったようだが、残念だったな。私たちはお前の全裸のような汚いものを喜んで見るなどというおかしな趣味はないし、創作料理研究会として文化祭でお前の汚い全裸を見せるつもりなどない。どうしても全裸になりたかったら、お前は体育館の男子トイレの鏡の前で泣きながら一人寂しく汚い全裸になっていろ」


「……何が汚い全裸だ。俺が名門北高男子にふさわしい温厚な人間だからといっていつもいつも言われっぱなしだと思うなよ。とりあえず、麻里奈とバカメガネと春香の三人は必ず手賀沼に浮かべてやる」


 誰にも聞こえないように言ったつもりでいた恭平としては、いつものように戦う相手がいないところでの戦闘で大勝利を得るつもりでいたわけなのだが、こういうときに限って聞こえてはいけない相手にその声が届くのが世の常というものである。

「聞こえましたよ。言っておきますが水が汚いですから嫌です」

「まったく失礼なことを言う恭平だ」

「貴様こそ、汚らわしい貴様にふさわしい汚い印旛沼で大好きな汚い全裸になってカミツキガメに噛みつかれながら汚い全裸のままで溺れ死ね」

「○%×$☆♭♯▲!※○%×$☆♭♯▲!※○%×$☆♭♯▲!※」

 結局倍返しを食らっていつものように落ち着くところに落ち着くのであった。

 ちなみに恭平の言葉に登場した手賀沼とは後から登場する印旛沼に全国一を譲る前はこの地位を独走していた創作料理研究会部員が住む千葉県が誇る全国有数の水質の悪い湖沼である。


 陽気なイジメが一段落したところで、麻里奈が口を開いた。

「さてと、面白い前置きはここまでにして」

「おい、今までのものがすべて前置きだと。しかも、面白いとはなんだ。俺はちっとも面白くなかったぞ。だいた……」

 恭平が顔を真っ赤にしておこなった渾身のツッコミを一睨みで闇に葬り去った常識が通用しないこの異次元世界の女主人小野寺麻里奈がこのあとに宣言した文化祭で大量のポイントを獲得して創作料理研究会が部に昇格するというその方法であるが、事情をよく知る創作料理研究会関係者にとってそれは信じ難いものであった。


「私たち創作料理研究会は、文化祭ではヒロリンがつくった創作料理で勝負をして部への昇格を目指す」


 当然であるがその言葉を聞いて全員が押し黙る。

 ひとりを除いて。

「すばらしいです。天才料理人であるこの私が創作料理研究会を代表してアイデア満載のおいしい創作料理をつくるわけですね」

「……終わったな」

 自称天才料理人ヒロリンこと立花博子だけが喜ぶ麻里奈の一言は彼が聞いた今日二度目となる敗戦の報だったのだが、恭平は少しだけ、ほんの少しだけそれを疑った。

 ……ちょっと待て。麻里奈はこういうことに関しては負けることが大嫌いだ。さらに言えば諦めも非常に悪い。その麻里奈がいかにもこいつが好みそうなこのようなイベントを簡単に捨てゲームで終了する。まして不戦敗などということが本当にあり得るのか?


 ……いや、絶対にない。


 こうなると、もう止まらない。

 いつものあれが始まる。

 ……そうなると何かあると考えるべきなのだが、それはイコール最終的に俺の身によからぬことが起こる可能性が高い。

 ……だが、それは何だ?

 ……想像すらできん。

 ……想像すらできないが、とにかく文化祭当日に俺の身に災いが降り注ぎ大勢の目の前で辱めを受ける最悪の事態だけは避けねばならない。

 ……そのためには、なんとしてでもこいつのよからぬ魂胆を聞き出さなければならない。

「本当は聞きたくもないが、とりあえず聞いてやる。麻里奈よ。そこのバカがつくる死ぬほどまずい料理を客に食わせてどうやって百ポイントを稼ぐつもりなのだ。もしかして、食べたら死ぬ毒物を口に突っ込むと脅して投票券を巻き上げるつもりなのか?」

「違うわよ。失礼なことを言う恭平だね」

「それ以外には考えられないだろうが。違うというのなら聞いてやるからきちんと説明してみろ。おまえが考えるその詐欺師的妙案の全貌を。まあ、そのようなことなどできるはずも○%×$☆♭♯▲!※」

 無礼な言葉で自称天才料理人がつくる壊滅的にまずい料理でポイントを荒稼ぎするという奇跡のようなアイデアを開陳するように促した恭平には拳にきっちりと落とし前をつけ、それから一度わざとらしい咳払いをして麻里奈は口を開いた。

「では、聞いて驚きなさい。私の素晴らしいアイデアを……」


 十分後。

 麻里奈のそれを聞いた顧問の恵理子と、この創作料理研究会の大スポンサーである自称お嬢様で創作料理研究会の歩く銀行とも呼ばれる馬場春香は大乗り気で賛成したものの、対照的に乗り気でなかったのがこの二人である。

「私のアイデアが満載されたおいしい創作料理が罰ゲームに使われているみたいな気分です」

 それは料理をつくる自称天才料理人の感想であり、いつもは何事にも前向きな評価をするまみも今回ばかりはそうではなかった。

「私なんかその罰ゲームの景品です」

 残りは恭平であるが、驚くべきことにこの部屋で麻里奈のアイデアに一番賛意を示したのは他ならぬ恭平であった。

 だが、そこは恭平。

 いつものように余計なひとことを付け加えることは忘れない。

「ちなみに、当然俺もそれに参加できるよな?」

「もちろん」

「よし!これで俺とまみとの明るい未来への道が開け○%×$☆♭♯▲!※」

「橘、貴様は本当にどこまでいっても愚かだな」

 麻里奈の考えた悪だくみへの参加許可が得られた直後に飛び出した恭平のどこをどうやったらそれが導かれるかもわからぬ勘違い甚だしい宣言には当然のように春香からの脳天に響く力強い激励の拳が届き、締めの言葉に相応しいその一言が学習しないこの愚かな男子高校生に投げつけられたところでこの日起こったその出来事はようやく終了するのであった。

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