5 剣技大会
「母上~!」
ゴリちゃんが観客席の私に向かって大きく手を振っている。
「ゴリちゃ~ん! 頑張って~!」
淑女としてはちょっとどうなの? という大きな声を出して私も手を振った。私の隣に座っているダリオ様は、そんな私とゴリちゃんをにこやかに見守っていらっしゃる。
私達は王都の中心部にある王立闘技場に来ている。
今日、ここで開かれる王立騎士団主催剣技大会の子供部門10歳以下の部にゴリちゃんが出場するのだ。
ゴリちゃんは毎日ダリオ様に剣の稽古をつけてもらっているのだが、8歳になった今年から王立騎士団が開いている貴族令息向けの剣の訓練教室に週に2度ほど通っているそうだ。
今日の剣技大会の子供部門は、いわば発表会みたいなものらしい。
剣技大会といっても、もちろん使用するのは模造剣だ。それでも私はゴリちゃんが怪我をしたらどうしよう? と心配で仕方がない。
「ダリオ様、大丈夫でしょうか? 模造剣でも当たれば痛いですよね? 危ないのではないでしょうか? ゴリちゃんが怪我をしたらどうしましょう!」
「剣の稽古にも試合にも多少の怪我は付き物ですよ。生傷が絶えないのはいつものことなんです。それでもグレゴリオが『強くなりたい!』と自分の意思で訓練教室に通っているのですからいいのですよ」
えーっ!? いつも生傷が絶えない?! そんな! ゴリちゃんは美しいのだから別に強くならなくてもいいのに!
ゴリちゃんの試合が始まった。トーナメント方式でまずは1回戦だ。
うわ、相手の子、大きいわ! 体格によってハンデはつかないのかしら? 不公平だわ!
ハラハラしながら見ていたのだが……ん? ゴリちゃんが圧倒してますわ。もしかして強いの? ゴリちゃん!
ゴリちゃんは動きが速くて隙がなかった。しっかり防御しながらも攻撃の手は緩めない。素人目にも身体能力の高さがよくわかる。
結局、ゴリちゃんの圧勝だった。むしろ相手の子が心配だ。ゴリちゃんってば、けっこうワイルドな試合運びでコテンパンにしちゃったし。
試合が終わって礼をすると、ゴリちゃんは得意気な顔で観客席の私とダリオ様に手を振った。もちろん私も大きく手を振り返す。ゴリちゃんたら本当に嬉しそう。応援に来て良かったわ。
ゴリちゃんはそのまま2回戦3回戦と勝ち進んだが4回戦で負けてしまった。でも堂々のベスト8入りだ。ゴリちゃん、すごい!
試合が終わったゴリちゃんは、私とダリオ様のところへやってきた。
「ゴリちゃん、ベスト8おめでとう! ゴリちゃんは強いのね!」
私が笑顔で声をかけると、ゴリちゃんは唇を噛み締めて、
「……悔しい……優勝したかった……」
と呟いた。まぁ、負けず嫌いさん!
「さすが男の子ですわね。負けん気は強くなる原動力ですわ。悔しいと思う気持ちが大事ですもの。ゴリちゃんはきっともっと強くなりますわね」
「母上~」
ゴリちゃんは私にしがみついて泣き始めた。あらあら、そんなに悔しかったのかしら? 私はゴリちゃんを抱きしめ、小さな背中をさすった。
「ゴリちゃんは良く頑張りましたわ。戦っている姿、とっても格好良かったですわよ」
「……母上……僕、もっと強くなるから、来年も応援に来て」
「もちろんよ」
ダリオ様がゴリちゃんの頭を撫でながら、
「グレゴリオ、いつまでも泣くな。お前は良く頑張った。来年優勝できるように精進すればいい」
と優しい声で仰る。ゴリちゃんは、
「はい」
と言って顔を上げると手で涙を拭った。私が慌ててハンカチを差し出すと、ゴリちゃんは照れ笑いを浮かべて受け取った。
「ダリオ様! グレゴリオ様!」
急に甲高い女性の声がした。
んん? 声をかけてきたのは見覚えのある女性だ。確か子爵家の令嬢ね。
「良かった~、お会いできて! きっと来ていらっしゃると思ったのです! グレゴリオ様、お強いのですね! あ、これ差し入れです。グレゴリオ様は甘い物がお好きだと聞いて作ってきましたのよ! 遠慮なくどうぞ!」
ペラペラと喋る令嬢を前にしてダリオ様は微妙な表情をされている。ゴリちゃんに至ってはあからさまに嫌そうな顔だ。
令嬢は二人と一緒にいる私に気付くと思い切り睨みつけ、
「これはこれはアマート公爵家のジェンマ様ではございませんか。ダリオ様とはどういうご関係でしょう?」
と、刺々しい声を出した。
うーん、どういう関係かと問われると、お付き合いはしてるけどまだ婚約はしていないし……でもこの令嬢に説明する義理もないわよね。見るからに面倒くさそうな女だし。
私が適当に流そうかな~と考えていると、ゴリちゃんが声を荒げた。
「ジェンマ様は僕の母上になったんだ! だからもうお前は父上や僕に近付くな! 二度と僕に話しかけるな!」
あらー、辛辣ですわね、ゴリちゃん。令嬢が怒りに震えている……と思ったら、次の瞬間「パシッ」っと乾いた音がして頬に衝撃が走った。ウソ? この女、私の頬を打ったの? 痛っ! 思わずしゃがみ込んでしまう。
「ジェンマ嬢!」「母上!」
ダリオ様とゴリちゃんが同時に叫ぶ。
「お前、母上に……」
唸るような声で呟くと、ゴリちゃんは令嬢に思い切り体当たりをした。8歳の子供とはいえ渾身の体当たりをされて、彼女はみっともなくひっくり返った。あらら、ドレスの中が丸見えですわよ。
そんな情けない体勢の令嬢の前に立ったダリオ様。氷のように冷たい表情だ。
「グレゴリオの言う通りだ。二度と私達に近付くな。私の妻(仮)に手を上げたことは決して許さない。そちらの子爵家とは今後一切の関係を断つと御当主に伝える。貴女には御当主から相応の罰が下されるだろう」
あら、ダリオ様ったら今「私の妻」って仰いました? つい勢いで言ってしまわれたような気がしますわね。でもちょっと嬉しいですわ。
「そ、そんな! 私はただダリオ様をお慕いして!」
令嬢が悲痛な声で叫ぶ。
「私に相手にされないからと、まだ8歳のグレゴリオを懐柔しようとするような下品な女に用はない! 私が剣を抜く前に立ち去れ!」
コワッ! ダリオ様が魔王に見えますわ。いえ、本物の魔王を見たことはありませんのよ。あくまでイメージですけれど。
子爵家令嬢は泣きながら去って行った。うんうん、分かりますわ。好きな殿方にそこまで冷たくされたら泣けてきますわよね……でも同情はしませんわよ。
「大丈夫ですか?」
ダリオ様が優しく私の肩を抱く。
「母上、痛い?」
ゴリちゃんが心配そうに私の顔を覗き込む。
「ダリオ様、ゴリちゃん、大したことはありませんわ。大丈夫です」
「申し訳ありません。私がもっと早く子爵家に絶縁を申し渡すべきだった。冷たくしてあの女本人に私の事を諦めさせればいいと思っていたが、判断が甘かった。私の落ち度です」
「いいえ、ダリオ様の落ち度ではございませんわ。いくら家格が下でも何か決定的な事がなければ、貴族の家に縁切りを言い渡すのは慎重にならざるを得ませんもの」
「しかし、貴女をこんな目に遭わせてしまった……」
「私は平気ですわ。心配なさらないで。さすがにこれで彼女も諦めるでしょう。ゴリちゃんも今まで嫌な思いをしたのよね? もう大丈夫よ」
「母上~」
ゴリちゃんが私にスリスリしてくる。あらあら甘えっ子モードになってしまいましたわね。さっきはあんなに勇ましかったのに……ふふふ……可愛い。
私の為に怒ってくれて嬉しかった。ありがとう、ゴリちゃん! でも本当は女性に体当たりなんて乱暴なことをしてはダメですわよ。今回だけにしてね。