02話 元魔王なのに勇者に転生しました
自由都市『アストレア』。
世界の中心と言われている王国だ。
恵まれた国土と、豊かな経済力。さらに、屈強な兵士たちが揃い、世界でも有数の軍事力を誇る。
そのアストレアの城下町に、小さな武具店がある。
名を、『ラインハルト武具店』という。
小さいながらも質の良い武具を揃えていて、冒険者に評判の店だ。
魔王改め、クリス・ラインハルトは、そのラインハルト武具店の一人息子として生まれた。
母親の血が濃いのだろう。
中性的な顔立ちをしていて、まだ幼いこともあってか、よく女の子に間違われる。
母親譲りのサラサラの金髪を、切るのがめんどくさいという理由で伸ばしていることもあり、見た目はほとんど美少女だ。
(なんで、こんな顔に?)
成長するにつれて、母親の面影が強くなっていく自分を見て、クリスはちょっと混乱した。
前世では、見るだけで他社を威圧するような恐ろしい顔をしていたのに……
前世の面影が皆無だ。
まあ、記憶を引き継いているだけで体は別物なのだから、前世の容姿を引き継いでいないことは、ある意味、当たり前ではあるのだが。
(こんな顔では、威厳も何もあったものではないぞ。なんてことだ、この俺が、こんなことになってしまうなんて)
そもそも、人間に生まれ変わった以上、威厳なんてものはそうそう必要にならないのだけど……
そんな人間社会のことを知らないクリスは、がくりと落ち込んだりした。
ただ、悩んでも仕方ないのことだ、とクリスは早々に割り切ることにした。
容姿であれこれ悩んでいるヒマがあるならば、これからのことを考えた方が、よほど建設的だ。
(さて。人間になってしまったが、俺はこれからどうしたものか?)
再び、世界征服に乗り出してみるか?
それとも、人間らしく生きてみるか?
考えてみるが、答えは出ない。
さすがに、こんな事態は始めてだ。いきなり結論を出すことはできない。
(幸いというべきか、今の俺は子供だ。特にやることはないから、時間だけはたっぷりとある)
人間の社会について学びながら、今後のことをゆっくりと考えよう。
そんなことを思っていたクリスだけど、ゆっくりできない事態に巻き込まれてしまう。
10歳の誕生日の日。
クリスの人生は激変した。
――――――――――
「母よ、少しいいか?」
「あら、どうしたの、クリス?」
クリスの母親のアリルは、料理の手を止めて息子に振り返る。
優しい笑顔を浮かべながら愛する息子の頭を撫でて、問いかけた。
「もしかして、お腹が減っちゃった? もう少しでお昼ごはんができるけど、つまみ食いでもする? ちょっとくらいならいいわよ」
「こらこら。俺のことを腹ペコキャラにするな。俺はそんな小さな器ではないぞ」
母親であるアリルに対しても、クリスはやけに尊大な態度、口調で接する。
傍から見ると、かなり変な子供なのだけど……
アリルは特に気にしていない。
きっと、絵本の影響だろう。おもしろい絵本に心奪われて、絵本のキャラクターになりきっているのかもしれない。この年頃の子供には、そういうことがよくあるものだ。
そんな風に考えていて、アリルは息子の態度や口調を咎めようとはしなかった。
「母の作る料理はなかなかのものだ。俺好みであるぞ。しかし、この俺がつまみ食いなどという意地汚い真似をするわけがないだろう」
「ふふっ、ごめんなさいね。それで、どうしたの?」
「よくわからない痣ができてしまったのだが」
「痣? ぶつけたの?」
「いや。気がついたら、いつの間にか……これなのだが」
クリスは右手の甲をアリルに見せた。
翼のような形をした痣が、クリスの右手の甲にハッキリと浮かんでいた。
見たことのない痣だ。アリルは眉をひそめる。
「何かしら、これ? こんな痣、初めて見るけれど……」
「俺は、変な病気にかかってしまったのだろうか……?」
「体に異変は? 苦しい? 熱はある?」
「今のところは何もないな」
「……とりあえず、神殿に行ってみましょう。病気なら、神官さまが治してくれるわ」
アストレアには、世界を創造したといわれる女神『フィニー』を信仰する神殿が存在する。
神殿に務める神官たちは、女神の信仰を説くだけではなくて、人々を助ける慈善活動も行っている。
魔法で病気を治したり、毒を治療したり、呪いを解いたり。
人々の生活に欠かせなくて、とても頼りになる存在だ。
なぜこの俺が、魔の敵である神殿などに……と思うクリスではあるが、今は人間ということを思い出して、素直についていくことにした。
こういうところ、意外と割り切りがよかったりする。
「あなた。ちょっと、クリスと一緒に出かけてくるわね」
アリルは表に出て、店番をしている夫のアーデルに声をかけた。
武具店の店主らしく、戦士のような体つきをしているアーデルは、一言だけ「おう」と妻に返した。言葉の少ない、寡黙な性格なのだ。
「さあ、行きましょう。クリス」
「うむ。行くぞ、母よ」
――――――――――
アリルと一緒に神殿にやってきた。
荘厳で美しい神殿の内部は、たくさんの人々と、女神に仕える神官たちがいた。
アリルはクリスの手を引いて、顔なじみの神官に声をかける。
幼いクリスが風邪を引いた時、よく面倒を見てもらった心優しい神官だ。
「すいません」
「おや、これはラインハルト武具店の……それに、クリス君も。こんにちは」
「うむ」
クリスがやけに尊大な態度をとることは周知の事実だ。
神官は特に気にした様子はなく、アリルと同じく、なにかのキャラクターになりきっているのだろう、と微笑ましい視線をクリスに向けた。
「今日はどうされましたか?」
「息子の手に妙な痣ができて……病気なのか心配で、診てほしいのですが」
「なるほど、痣ですか。見せてもらえますか?」
言われるまま、クリスは右手の甲を見せた。
「ふむ……これは翼でしょうか? 変わった形をしていますね……うーん、見たことのない痣だ」
「息子は病気なのでしょうか……?」
「特に症状が出ていないのなら、病気の心配はないと思いますが……ん? いや、待てよ……?」
不意に、神官の顔色が変わった。
何かを思い出した様子で、じっと痣を凝視する。
「この形……よくよく見てみれば、どこかで……そう、あれは確か……」
「神官さま?」
「す、少しお待ちください!」
慌てた様子で、神官は奥の部屋に駆けていった。
奥の部屋は書庫になっているはずだ。
痣についての記録が残っているのだろうか?
やけに慌てていたことが気になるけれど……
残されたクリスとアリルは、互いに顔を見てきょとんとした。
「お待たせしましたっ!」
一冊の本を抱えて、神官が戻ってきた。
よほど興奮しているらしく、息が乱れていた。
法衣も乱れていたが、そんなことは気にする余裕もないらしく、クリスの痣をじっと見つめる。
「この形……やはり、間違いありませんね」
「あの……息子はよくない病気なのでしょうか?」
「いえ、病気ではありません……これを見てください」
神官は書庫から持ち出した本を開いた。
とあるページに、クリスの右手の甲の痣と同じ絵が書かれていた。
「む? これは、俺の右手のヤツとそっくりではないか」
「これは『翼の紋章』と言って……勇者さまに宿ると言われている、特別な印なのです」
「……は?」
今、なんて言った?
思わず、クリスは間の抜けた声をもらしてしまう。
対する神官は、心を震わせるように、熱く、強く、大きな声で語る。
「クリスくん……いえ、クリスさま! あなたは勇者さまなのです、この翼の紋章こそがその証! 今ここに、伝説の勇者さまが現れたのです!!!」
(なんだと? 冗談だろう?)
前世は魔王なのに、今度は勇者になった?
どういうことだろう?
これは夢なのか?
それとも、冗談? ドッキリ?
しかし、神官は本気の顔をしていた。
それを見て、ようやく、クリスも実感する。
どうやら、魔王から勇者に転生してしまったようだ。
そんなバカな!