15話 決意
ボルフの村に夜が訪れた。
悪意が村人たちを飲み込むように、村は闇に包まれる。
今日は、月に一度の生贄を捧げる日だ。
また一人、村人の命が散る。
しかし、どうすることもできない。
誰も動くことはできない。
夜は静かに……そして無慈悲に、村人たちの心を蝕んでいく。
――――――――――
「トマス……今までありがとう」
「け、ケイト……」
村人たちに囲まれながら、トマスとケイトは最後の別れをする。
抱きしめ合い、涙を流す。
「私、あなたと出会うことができて幸せだったわ。結婚することはできなかったけど……でも、プロポーズしてくれた時は、本当にうれしかった。世界で一番幸せだったわ」
「俺もだ……ケイトがプロポーズを受けてくれて、うれしかった。夢じゃないかって、何度も何度も確認したくらいだ」
「ふふっ、そうね。あの時のトマスは、何回も自分の頬をつねって……」
小さく笑い、ケイトは遠くを見る。
「不思議ね……もうすぐなのに、今は落ち着いた気分だわ」
「ケイトよ。そろそろ……」
森の奥に……魔物が待つ場所に行くように、村長がケイトを促した。
「ええ、わかっています」
「ケイト……俺は」
「……いいの、気にしないで。ただ……」
「ただ……?」
「あの旅人たちの言うように、私たち、臆病なのかもしれないわね」
「っ」
「さようなら、トマス」
ケイトが森の奥に向かう。
トマスは、その背中を見送ることしかできない。
やがて……ケイトは森の奥に消えて、背中は見えなくなった。
「ケイトよ、すまぬ……」
村長が悔しそうにつぶやいた。
他の村人たちも同様に、悔しそうに、無念そうに体を震わせていた。
当たり前だ。
同じ村に住む仲間を魔物に差し出して……それで助かったとしても、喜んでなんていられない。苦しみしか残らない。
いつまでこんなことを続けなければならない?
魔物が立ち去るまで? それとも、村が滅びるまで?
『必要なのは決断することだ』
不意に、昼に出会った旅人の言葉を思い出した。
決断をすること。
それは、覚悟を決めるということだ。
旅人が言っていたように……命を賭けるということを。
「トマス?」
トマスは無言で歩き出した。
ケイトの後を追う。
「待て、トマスよ。なにをするつもりだ?」
「……ケイトを助ける」
「なっ……正気か? そのようなことをすれば……」
「わかってますよ……バカなことを言っている、って……わかっているけど……でも、これでいいわけないでしょう!?」
トマスは恐怖に震えていた。
子供のように涙を流していた。
だけど、言葉は止まらない。
「俺なんかが魔物を倒せるわけがない! どうすることもできない! でも、だからって、もう、されるがままなんでうんざりだ! ケイトを死なせてたまるかっ、俺は彼女が大事なんだ、魔物なんかに好きにさせてたまるか!」
「し、しかし……トマスが余計なことをすれば、村全体に被害が及ぶかもしれないのだ。辛いかもしれない、気持ちはわかる。しかし、ここは耐えるしか……」
「耐えてどうなるんだよ!? いつ、こんなことが終わるんだよ!? 終わらないだろう!?」
「そ、それは……」
「俺たちは、魔物の家畜じゃないんだ! かなうわけがないけどさ……でも、最後くらい、この命の使い道くらい、それくらいは俺が決める! 俺は……俺は、人でありたい!」
「トマスっ!」
村長の声を無視して、トマスは森の中に入った。
――――――――――
自分はなんてバカだったんだろう。
恐怖に負けて、魔物に従って、何人もの村人を犠牲にしてしまうなんて……
生贄に婚約者が選ばれたから、それでようやく目を覚ますところなんて、愚かとしか言いようがない。
なんて、身勝手なことだろう。
今なら納得できる。
全部、昼に出会った旅人たちの言う通りだった。
彼、彼女たちの言葉を全て理解した。
失ったものはたくさんだ。もう手遅れだ。
しかし、これ以上の『最悪』を招かないために……
トマスは強い意思を心に、森を駆けた。
――――――――――
森を抜けて、広場に出た。
広場の中央にケイト。
そして、その奥に、下半身が蛇で上半身が人間の魔物……ナーガの姿があった。
おそらく、部下なのだろう。他にゴブリンが五匹、ハンターウルフが三匹……それぞれ、ケイトを取り囲んでいた。
「ケイトっ!!!」
「トマス!?」
ありえない乱入者に、ケイトが声を裏返らせた。
「あなた、どうしてここに……!?」
「君を助けに来た! もう、こんなことは終わりにしてやる、魔物の好きにさせてたまるか!」
「トマス……」
「なんダ、キサマは……? 我の邪魔をするカ!」
月に一度の食事の邪魔をされて、ナーガは怒りに満ちた声で吠える。
それだけで、トマスは腰を抜かしてしまいそうになった。
怖い。
怖い。
怖い。
逃げたい。今すぐに、ここから立ち去りたい。でないと死んでしまう。
恐怖に震える。
這いつくばり、土下座をして、許しを請うてしまいそうになる。
それでも。
トマスは勇気を振り絞り、その場に留まる。
「ケイトから、は、離れろっ!」
「なんだト?」
「ケイトから離れろって言ったんだ! もううんざりだっ、お前に捧げる生贄なんてない!」
「ゴミが!」
ヒュンッ!
「ぐっ……うあああっ!!!?」
ナーガの尾が鞭のように振るわれた。
風を切るような鋭い一撃に、トマスは吹き飛ばされた。
まるで見えなかった。
それどころか、とんでもなく重い一撃だ。ただ尾で薙ぎ払われただけなのに、岩をぶつけられたみたいだ。
骨が折れたのかもしれない。体の奥に鈍い痛みが走る。
それでも……トマスは立ち上がり、ナーガを睨みつけた。
「ケイトから……離れろ!」
「我の食事の邪魔をするとハ、愚かな人間め……死ぬがいイ!」
「っ!?」
再び尾が振るわれる。
やはりダメだった。
まるで相手にならなかった。
ケイトを助けることができず、ただ、無駄死にをするだけになってしまった。
だけど……不思議と、トマスの心は晴れていた。
最後の最後に、自分らしさを……人であることを取り戻せることができたからかもしれない。
「さようなら……ケイト……」
ナーガの尾がトマスの体に襲いかかり……
ギィンッ!!!
直前で弾かれた。
「えっ……?」
「やればできるではないか」
クリスは、珍しく笑い、そう言った。




