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十五章 序&それぞれの思惑と迷惑な1日(8)

 騎馬隊の区から公共区へと戻ってきてすぐ、マリアはアーシュとニールと共に、図書資料館で司書員たちに集めてもらった本を受け取った。手ぶらのルクシアを先頭に、顎の高さまで積み上げられた本を両手で抱えて歩く。


 朝一番にニールと顔を合わせて心乱されるという一件はあったが、グイードは比較的大人しかったし、途中で降ってきたジーンも彼と一緒にあっさり戻ってくれた。その後は、騎馬隊の『風変わりな馬』を見るための寄り道も出来たくらいである。

 それを踏まえるとニールの件は置いておくとしても、今日はなんだかいつもの迷惑ぶりもなく、比較的穏やかに過ごせそうだ、とマリアは感じていた。


 そう、ニールの件を脇に置いて、とても多めに見れば――の話である。


「…………ねぇお嬢ちゃん、なんで俺、縄でぐるぐる巻きにされてんの? コレ、すごく歩きにくいし、自由に出来る手も限られて本も持ちにくいんだけど。というかさ、いい歳した大人なのに、俺、拳骨が死ぬほど痛くて涙がちょちょり出そう」


 先程、図書資料館のカウンターで本を引き取った際、ニールは豊かな胸を持った女性司書員の前で『死んだふり』を発動させた。周囲が騒然となる中、マリアは彼の意図が分かって、身に沁みついた反射運動のように「この野郎」と彼に拳骨を落として締め上げた。


 現在、ニールは腕を胴体に括り付けられるような形で、縄でぐるぐる巻きにされている状態である。全身を縄で巻いたうえ引きずるという選択肢を(はぶ)いたのは、本を運ばせて自分で歩かせるという、マリアの譲歩した結果だった。


「図書資料館内で騒がしくしたのですから、少しは反省なさってくださいまし。おかげで私まで注意されちゃったじゃないですか」


 マリアは、女性司書員の様子を思い返して、申し訳なさから溜息をこぼした。ゆったりとした仕事衣装からも主張していた、こちらを覗きこんだ彼女の心配そうに寄せられていた、たっぷりとした胸の谷間――ではなくその表情には胸が痛む。



 まるで迷惑をかけられたのは自分の方である、と言わんばかりのマリアを見て、ルクシアとアーシュは、本人たちが無自覚なので指摘しても気付かれないんだろうな……という顔でチラリと視線を絡めあった。


 一番騒がしかったのは、彼女が『死んだふり』と口にしていたニールの卒倒ではなく、その直後に彼を容赦なく制裁したマリアの方である。



 まだ退出して十メートルも進んでいないルクシア達の様子を、図書資料館の出入り口から顔を覗かせた複数人が「あのデカいリボンのメイド」と囁きながら、チラチラと目を寄越してくる。


 マリアは女性司書員の事を考えていたから、その視線に全く気付かなかった。


 対するニールも、頭にまだじりじりと残る強烈な拳骨の痛みの余韻に意識が向いており、縄で縛り上げてきたマリアに絶対零度の眼差しを向けられていた時、ブーツで踏まれて痛かった事を思い返していた。


「まさか一発目で腹を踏まれて、即効でトドメを差されるとは思わなかった……。というかお嬢ちゃんはさ、俺に厳し過ぎない?」


 ニールは、ぐすっと鼻をすすった。しかし、ふと「あ」と言って顔を上げたかと思うと、「そういや、今日は新作の飴玉がポッケに入ってるんだった」と気分ごと表情を一転させ、子犬のような笑顔を浮かべた。


 こいつはおかしい、とアーシュは露骨にニールをまじまじと見てしまった。その心情を察したルクシアが、含んだ無表情でその背を軽く叩いてこう言った。


「アーシュ、気にしたら負けのような気がします。なんとも思考回路が複雑怪奇でクセが強いといいますか……その辺りは、不思議とどこかマリアと似ている気もして、戸惑いも覚えます」

「だってルクシア様。あの赤毛おかしいですよ、ほんの数秒前の事をまるで忘れたみたいな――」

「気持ちの切り替えが極端な(かた)なのでしょう」


 ルクシアは、アーシュの思考を止めるべくその台詞を遮った。ニールという落ち着きのない男には、朝の初対面時から悩まされ疲れ切っていた事もあって、今は少し考えるのをよそう……と二人は結論をまとめて同意した。


 その時、後方から一つの騒がしい音が滑り込んだ。


 凄まじいスピードで走ってきた何者かの軍靴が、足に急ブレーキをかけて激しく大理石の廊下を摩擦する音だった。それは廊下にいた全員が振り返るほどの激しい音と存在感を伴って、図書資料館の入り口がある公共区の廊下に飛び込む。


 他の面々と同じようにギョッとするルクシアとアーシュを脇目に、騒ぎにも荒事にもすっかり慣れていた軍人気質のマリアとニールは、なんだろうか、とゆったり振り返った。警戒するような殺気も闘気もなかったので、特に何も考えていなかった。


 きょとんとそちらを振り返ったマリアは、廊下の奥のつきあたりに現れたその人物を目に留めて、空色の大きな瞳を見開いた。


 それは、騎馬隊を収め統括する騎馬総帥のレイモンドだった。騎馬隊独特の軍服の雰囲気を残しながらも、ややゆったりとした彼の上着衣装が、風でふわりと舞い上がっている。


「は? レイモンド?」


 どうしたのだろうかと思って、マリアはつい、素の口調で友人の名を口にしていた。ニールは隣に居ながらその違和感に全く気付かず、オブライトの少し先輩である彼を認めて「レイモンドさんだ」と、何も考えていない愛嬌のある顔で言った。


 一瞬だけ驚いたアーシュも、レイモンドを見るなり「あれ?」と、懐かない犬のような目を数回瞬いた。


「あれって、レイモンド総帥様じゃね?」


 騎馬総帥が落ち着きをなくす姿を見た事が無かったアーシュは、意外だと言わんばかりに「何かあったんかな」と呟いた。


 全員の声を拾っていたルクシアが、馴染みとばかりに騎馬総帥の名を平気で口にしたマリアとニールを見やり、「気のせいか、総隊長補佐と大臣の件が彷彿とされますね……」と思い返すように口にしたところで――


 マリアは、ガバリと顔を上げたレイモンドと目があった。

 途端に彼がこう叫んだ。


「マリア! よく分からんが、ジーンに助っ人しろと頼まれた!」

「は? 助っ人……?」


 マリアは呆気に取られて、疑問の言葉も定まらないまま、こちらに駆けてくるレイモンドを見つめた。


 なんだか既視感を覚えるような、嫌な予感をひしひしと感じるのは気のせいだろうか。確かオブライトであった頃も、別件でジーンが抜け出せない時に、こうして友人の誰かを寄越されたような……。


 そう考えた時には目の前にレイモンドが来ていて、マリアはひとまず目の前の事に思考を戻った。


「レイモンドさん、すごく呼吸が荒いですよ? ひとまず少し落ち着い――」

「うん、俺もよく分からんが、とりあえず逃げるぞ!」

「は? 逃げる?」

「今まさに恐怖が迫っているんだ!」


 その時、まるでレイモンドの台詞終わりとタイミングと合わせたかのような絶妙な間合いで、爆風と共に廊下の壁が大穴を開けて吹き飛んだ。


 廊下にいた全員が、何事だという危機感でもって反射的に視線を向けた。そこには漆黒の軍服で身を包んだ長身の男がいて、その右手には剣が握られていた。



 見覚えのある個性的な色の特注の軍服と殺気、そして黒に近い青味かかったさらさらとした頭髪を見て、マリアは「まさか」と呟いて顔を引き攣らせた。


 静まり返った廊下で、まるで彼女の小さな囁き声に反応したかのように、その男の肩がピクリと揺れた。「そこにいたか」と、ゆらりと頭を起こしてこちらを向いたのは、――銀色騎士団総隊長のロイド・ファウストであった。



 何故かロイドは、大魔王と化していた。


 目があった途端、マリアは顔面が激しく引き攣りそうになった。瞳に温度がないまま、ロイドがにっこりとしたのだ。抑えきれない殺気を爛々とさせながら、まるで別人のような大人びた美麗で柔らかい微笑を浮かべる彼が、見慣れなさすぎて恐ろしい。


 王宮一の厄介な同僚を見て、マリアとレイモンドは、揃って今にも死にそうな乾いた笑みで応えた。ぎこちなく愛想笑いを作り、息を呑む。


 彼がプチリと切れて表情がなくなるのはいつもの事だが、それを通り越したような、上辺だけ完璧に笑むさまがあまりに怖すぎる。一体何があったのか激しく気になるところだ。


 というか、どうしてここに出てきたのだろうか。


 他の誰にも目を向けないまま、こちらを真っ直ぐ見たというのもなんだか悪い予感がする。マリアがそう考えていると、ロイドが剣を持ったまま、意味ありげに左手を上げてこう言った。


「マリア、おいで」

「…………はぁ!? 阿呆かッ嫌に決まってんだろ!」


 マリアは驚きすぎて、思わず素の口調でぽろっと反射的に叫び返していた。こちらに向けてロイドが差し出しているその手が、おいでと招きするものだと確信して「なんでだよ!」と頭をかきむしりたくなる。


 何言ってんだ阿呆、というか――

 そんな殺気を出したドS鬼畜野郎のところにむざむざ向かう奴は、いない!


 マリアの隣で、レイモンドが「事情は分からんが」とぼやいた。


「俺としても、なんでジーンが『助っ人に行け』なんてピンポイントで助言出来たのか、不思議でならないというか……」

「レイモンドさん、今はそっちの方を考えている余裕はありませんわよ」


 相変わらず大事なところで、どこか抜けているレイモンドらしい台詞を聞いて、マリアは一瞬だけ冷静になった。もとより、自分たちよりも常に三手先を読んでいたジーンが、どこでどう推理しているかだなんて、昔から理解出来た試しはないので深く考えない方がいい。


 廊下に居合わせた人々と共に、ルクシアとアーシュも殺気を受けて思考ごと硬直していた。ニールだけが、きょとんとして「なんであの魔王切れてんの?」と首を捻っている。


 対するロイドは、剣で壁をぶっこわすほど暴れていたとは思えない整った身なりで、まるで直前の行動も、この場の空気も錯覚だと言わんばかりの静かな笑みを浮かべて、こう言った。


「手荒にやるわけにはいかんとはいえ、手を抜き過ぎると三人がかりでも止められん。強いじゃじゃ馬が珍しくてこんなにも悩まされるのかとも思ったが、他のやつにされると大変不快だとも分かった。他のメイドはいらん――つまり、俺は今、非常にストレスが溜まっている」


 だから、な? とどこか同意を求めるように、ロイドの微笑が柔らかく深まる。


 彼の独白についてはまるで理解出来ないものの、再びおいでと優しい仕草で手招きされて、マリアは戦慄した。何がどうしてどうなって、彼が自分を求めているのか、さっぱり分からない。


 というか、そのストレスとやらをなんでこっちに向けてくるんだよコイツは!?


 その時、ロイドが作った穴から、何故か髪型も軍服もやや乱れたグイードが飛び出してきた。彼はこちらを目に留めた途端、「うおっ!?」と素直な驚きで叫ぶ。


「うっわ、ジーンの言った通り、マジでマリアちゃんのところに突撃してる……」


 え、なんでそうなってんの、とグイードが呆気に取られたように両者へ視線を往復させた。逃げ足だけが早い彼が、半ばボロボロな様子を見たレイモンドがびっくりして「おいグイード!」と声を掛けた。


「一体何があったんだ!? 朝、俺に仕事を押しつけた時は全然何も――つか、また総隊長に何かしたのか!?」

「俺がしたっつうよりは――まぁ実をいうと詳細は言えねぇんだよなぁ……。そもそも俺もさ、ロイドのこの突然の行動については、あんまよく分からねぇでもいるというか」


 何事か思い出したように、グイードが言葉を濁した。小さな声で「あのメイドの件が終わって、モルツに指示を出したと思った直後に、コレだもんなぁ」と言う。


 そんなグイードと数歩違いの距離にいるロイドは、ひどく堪忍袋の緒が切れているのか、彼の登場にも全く目を向けないまま、キラキラと王子然とした微笑顔でこちらを見つめて手を差し出したままだった。


「マリア、こっちにおいで」


 ロイドが再びそう言ってきた。まるで仔猫でも呼ぶかのような撫でる口調と、自分は一切無害であるとする柔かな美しい微笑みを向けられているという現状に、マリアは理由も分からず、本能的な危機感から悪寒が背筋を走り抜けるのを感じた。


 戦闘メイドの一件を話すわけにもいかんしな、と口の中で呟いたグイードは、そこで相棒へと声を投げた。


「途中で会った移動中のジーンからの伝言、『死ぬ気で逃げろ』だってさ。――よし、とりあえずは伝えたぜ。俺はアリーシアちゃんとルルーシアちゃんがいるから、ここで死ねないし」

「てめッざけんな! チクショーいつもの常套句じゃねぇか!」


 途端にレイモンドが、十六年前の堪え性がなかった当時を思わせる早さで切れた。今にもロイドの後ろに居るグイードに向かっていきそうだったので、マリアは、オブライトであった頃の感覚のまま「そっちはまずいから!」と、大事な時にうっかり地雷に飛び込む友人を後ろから抱き締めて、全力で引き止めた。


 瞬間、何故かロイドの周りの温度が、一気に五度下がった。


 廊下に漂う空気が、一瞬にして殺気に圧されてピシリと張りつめた。居合わせた全員が、本能的な危険を察知したかのように、そこにルクシアとアーシュとニールを残して廊下の端に寄る。


 グイードに対して心の中で文句を連ねる精神的な余裕も吹き飛び、マリアとレイモンドは揃って息を呑んだ。


 蛇に睨まれた蛙のような、どうしてか確実にロックオンされてしまったような嫌な予感を覚えて、二人はぎぎぎぎ、とぎこちなく視線を動かせて『性悪ゲス野郎の王宮一の問題児だった元少年師団長』を見た。


 にこりともしなくなったロイドが、途端にこちらに向かって疾走を開始した。


 握られたままの剣が、かなり物騒すぎる。切りかかる気満々だと察したレイモンドが、これまでにないくらい飛び上がった。


「うげっ、マジかよ。来たぞマリア!」

「ちぃッ」


 マリアは素の表情で露骨に舌打ちすると、そばで硬直しているアーシュへ目を走らせた。


「アーシュ! ぼけっとしていないで、ルクシア様を連れて廊下の脇に退避! 私は後で向かうから!」

「ぅえ!? お、おぅッ、よく分からねぇけど了解した!」


 アーシュが反射的に軍人らしく答え、本を放り投げて代わりにルクシアを抱き上げた。

 廊下に満ちた緊迫感や、ルクシアを抱えた彼が慌てて脇を通り過ぎるという状況の中、ニールが場違いにも、疑問符を浮かべた危機感もない顔でこう言った。


「お嬢ちゃん、レイモンドさんとどっか行くんならさ、俺もついてっていい?」

「「お前は空気を読め! んで余計面倒になりそうだから付いてくるな!」」


 王宮で長年にわたり共に騒ぎに巻き込まれ続けていたレイモンドとマリアの、台詞と呼吸はぴったりだった。


 二人は、アーシュとルクシアの退避を確認してすぐ、視線をロイドへと戻した。彼の後ろで「五体満足を祈ってるぜ」と乾いた笑みで力なく手を振るグイードの姿がついでに目に留まってしまい、思わず再び声を揃えてこう叫んだ。


「「てめッ、グイードぉぉおおおおおおお!」」


 しかし彼に怒っている暇はなく、マリアとレイモンドは、ロイドから逃げるべく廊下を全速力で駆けたのだった。

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