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十五章 序&それぞれの思惑と迷惑な1日(7)中

「今日は随分と愉しそうですね、侯爵?」


 金の刺繍がされた赤い一人掛けソファに腰を落ち着けた男が、肘当てに頬杖をついてそう問い掛けた。

 男は面長の薄い顔立ちをしており、日差しを知らないような白い肌をしていた。細い一重の瞳は動物的で、国内では少数のヴァイオレットストーンという一級品の紫色の宝石色をしており、ふっと笑むだけで特徴的な弧を描く。


 その顔は、まさに狐面である。


 年頃は三十代半ばほどで、シルクのダークスーツをすらりとした肢体に着こなしている。艶のある深い焦げ茶色の長い髪を、整髪剤で固めてぴっちりと後頭部でひとまとめにしており、腰まで届く長さはフレイヤ王国の男性には滅多にないほどの長髪だ。

 髪は痛みもみられず艶やかで、爪は女人のように隙なく手入れされている。その髪型からしても、きっちりとしたキレイ好きな性格が窺えた。


 にもかかわらず、その男の広い額からは、同じく整髪剤で固めたような前髪が一房出ていた。元々硬い髪質でもしているのか、まるで主張するかのようにぴょんとした弾力を持って、ゆるやかな線を描いて顎下まで続いている。

 


 声を掛けられてようやく、しばし窓の外の風景を眺めて黙っていた相手――アノルド・アーバンドがその男へ顔を向けた。



 先程、仕事の話を一段落したタイミングで、この部屋に一つだけある窓の日の傾きから時刻を計ったアーバンド侯爵は、王宮の総隊長執務室の件を思い浮かべていたのだ。今頃は人払いのされたそこに、カレンが到着している事だろう。


 つい微笑んでしまったアーバンド侯爵を見て、漆黒の衣装に身を包んだ狐面の男が、「ほぉ?」と含むような表情で細い片眉を引き上げた。


「あなたにとって面白いことが、色々と重なっているようですね? ここ最近は、とくに活き活きとしていらっしゃる――明日の件があるから、ですかな?」

「ガネット、私は忙しく動いているのが性分なのだよ」


 名を呼ばれた男は、もはやコーティングされた一房の髪、というよりは『一本の前髪』と表現するほうが正しいそれを揺らして「なるほど」と、どちらでも構わない様子で肩を竦めて見せた。


 この長身の細身をした狐面の男は、フレイヤ王国内の違法な商売を牛耳る最大組織『ガネット』のボスである。表向きは、ギャンブル商を中心に関わる多くの店を経営する大商会となっており、ボスは代々、ガネットの名を引き継いだ。彼らは古い時代から、アーバンド侯爵の良い『仕事相手』である。


 アーバンド侯爵は、本日も外出用の黒の正装に身を包み、黒いトレンチコートを着ていた。頭には質の良い貴族紳士のハット、上品に組まれた足には特注の黒い革靴。肘掛には、歳や身分相応だと疑われない杖が立てかけられている。


 ここは王都より一つ隣の都市、アルゼリアだ。


 多くの貴族がお遊びに出掛ける場となっており、莫大な金が動く煌びやかな遊楽地である。夜も眠らない都市の一つとされており、ガネットはカジノ店の二階の奥の部屋で、アーバンド侯爵と会っていた。


 そういえば、とガネットは、彼が連日続けて来訪した用件について話した。


「言われた通り、手配はしておきましたよ」

「それはありがとう。皆殺しだから、当日にそこにいられても選別出来ない」


 語られた言葉が嘘なのではないかと思えるほど、アーバンド侯爵は、優しげな眼差しで穏やかに答える。

 言葉と態度に温度差がありすぎるという、底の見えない恐怖を前に、ガネットは笑った。


「あなたはイカレてる」


 ガネットは頬杖をついて、笑顔のまま平気でそう言うと、中指に大きな指輪がはめられた左手を振り――


「そして最高の良き仕事相手ですよ、侯爵」


 と満足そうに感想をしめくくった。筋肉などなさそうな細身の身体を椅子に深く預けると、長い足を組み変えて言葉を続ける。


「あなたには驚かされてばかりです。つい最近も、ウチの支部にいた百五十人を、たった一人で『一掃』してしまわれましたのは脱帽物でした」

「利害の一致だろう? 彼らは結果的に、『私の陛下』に噛みついた」


 残念でならないよ、とアーバンド侯爵が同情するように笑みを深める。


 一見すると無害な五十代だ。ガネットは表情を消して、その様子を目に留めながら「――あの時も、貴方は楽しそうにしていましたがね」と、やはり特に興味はなさそうに呟いた。それから、彼と同じような顔をして浅く息を吐いてこう続けた。


「そうですね。私の『躾』が足りなかったとは認めます。狂犬の首を切り落としたと思ったら、実は首が三つあった、なんてお恥ずかしい話ですよ」


 組織というのは、巨大になるほど見えない部分が増えてしまうところもある。前もって対応してはいたものの、把握できていなかった部分があったのも確かだ。


 ガネットは、潰されたグループや人員については「私の方で先に殺すべきでしたのに、あなたに要らぬ手間をかけさせました」と再び謝った。何故なら、彼のやり方であれば、殺すまでに相応の苦痛と絶望を与える。それがこの組織のルールだ。


「そういえば、どうも陛下の番犬が本格的に腰を上げて動き出そうとしている、という情報を入手したのですが」


 そこでガネットは、薄い愛想笑いを浮かべた顔を上げて、その番犬であるアーバンド侯爵を見つめた。


「ここ最近は、珍しい事に【国王陛下の剣】の血縁者、そして、それぞれの戦闘使用人も動いているようですね? もしかしたら先代侯爵も、正式に一旦帰国するかもしれないとか……あなた方は、戦争でも起こすおつもりですか?」


 裏の世界では、一部そんな噂が立っていた。恐ろしいことに『あのアーバンド侯爵家の人間』が、ぞろぞろ国内入りし大会議が行われたらしいという話もある。


 ガネットが動くはずだった『別件の制裁』を、アーバンド侯爵家の血縁貴族女性が、通りがてら始末したのは確かな情報だった。異国の派手な真紅のドレスに身を包んだ妖艶な女性が、明るい日差しの下で黒い日傘をさしていた、と聞いて、ガネットはその特徴からとある人物を推測していた。


 たまたま偶然散歩がてらの道中で、というのも末恐ろしい限りである。


 彼女は記憶力もすこぶる良い。現場を見掛けた男が、ガネットの腹心の部下だと覚えていたから、その貴族夫人である彼女は「うふふ、ごめんあそばせ」と美麗に微笑んで、殺さずに歩き去ったというのも報告を受けて知った。


 しばらく返答を待って見据えていると、アーバント侯爵が、子を見るような目で微笑んだ。否定もしない態度を見て、一族が一ヶ所に集合したのは確からしい、とガネットは理解したところで「なるほど」と一旦身を引いた。深追いは禁物である。


「我々が起こしているわけではないよ」


 少しの間を置いて、アノルド・アーバンドは穏やかな声で答えた。


「ただ遅いか早いかの違いであって、本当に一掃するのであれば、戦争も避けられないだろう」


 ガネットは「左様ですね」と、彼と同じタイミングで、テーブルに置かれていた外国産の紅茶が入ったカップを手に取った。これはガネットの母の故郷のもので、薬草に似た独特の風味を気に入っていた。


「相手方は、随分と根が深いようですからねぇ」


 やはりそうなりますか。いえ正直に言うと、いや何度もお話ししておりますが、アレらは我々にとっても悪性の膿みたいなものですから……


 そう口の中で思案気に言って、ガネットは窓へと目を向けた。


「私のような黒一色の人間から言わせれば、陛下が望むような結果を迎えるのであれば、この先、戦争は避けられないとしか考えられなくてですね? 平和意識も高いでしょうが、いずれは、徹底的にやりあうという選択を取らざるを得ない場面がくるのではないか、とも思えますが――いかがですか?」

「その日も遠くないのかもしれないねぇ」


 ガネットは、ここ最近は特に活発的な【国王陛下の剣】の当主を見つめ、話の先を促すように「ほぉ?」と薄い唇を引き上げた。アーバンド侯爵が、このようにはぐらかさずに答えてくれるのも珍しい。

 やはり面白いことになっているようだ、平和的でない荒っぽい協力については大歓迎である。ガネットはつい、形のいい薄い唇を舐めた。


 理由を目で問われたアーバンド侯爵は、良き理解者であり、良き仕事相手の一人であるガネットに語り聞かせた。


「オースティア王国は、国王暗殺によって国が北と南に二分した。弟王子の説得も虚しく、脳のない兄がタンジー大国の次の駒の一つとなった。反王国軍、つまりは反平和を掲げる新たな独裁国『フィリツ王一世』の誕生だ。――滅ぼさない限り、もう止められない」


 そうだろう? とアーバンド侯爵は問いかける。

 ここにきて初めて、その笑みが本来の行動力ある過激な気性の一面を滲ませるかのように、唇にキレイな弧を描いた。愉快そうな冷やかな目も、若い頃の凛々しい面影が浮かぶ。


 ガネットは「左様ですね」と面白げに相槌を打って、形のいい顎に触れた。


「なるほど、なるほど。どうなっているのだろうと思っていましたが、とうとうあの国も二分しましたか。フィリツ王一世とは、また随分と強く出ましたねぇ。過去の歴史に大殺戮を行った、残虐王に似た名前のような気もしますが、はて、どうだったでしょうね。忘れてしまいました」


 そこで、ガネットはちらりと仕事相手を見やる。


「また『散歩』で実際に見ていらしたのですか?」

「ふふふ、私は行っていないよ。旅行がてら、先代が『国が割れるさま』を観賞していたらしい」


 さっき渡したのがそのお土産の一部だよ、とアノルド・アーバンドがほんわかと微笑んだ。来訪の際、彼から珍しい茶葉を頂いていたガネットは、またしても「なるほど」と頷いた。


「また、とんでもない危険人物が国内にいるものですね」


 道理で今回の手土産の中に、拷問器具もセットで珍しく付いていると思いました、実に好みドンピシャです、とガネットはストレートに『殺しとは愉悦である』と公言する問題の先代を思い返した。


「侯爵。我々はまた、彼の殺人を隠蔽しなければならないのでしょうかね?」

「いや、彼はすぐに出たよ」

「相変わらず元気なご老人ですね。うちの先代とは大違いです」


 まぁ、うちは先代も先々代もご存命されておりませんが。


 ガネットは変わらぬ冷静な口調で続けて、遠い日の記憶を思い返すような顔で、代々殺しによって継承される地位を興味もなく回想しながら、その袖口を整え直した。

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