十五章 序&それぞれの思惑と迷惑な1日(6)下
カレンから含む視線を真っ直ぐ目を向けられたロイドが、察したように周りの温度を五度下げる眼差しをした。言ってみろといわんばかりに、仁王立ちしたまま顎先をくいと上げて挑発を返す。
普通の一般兵であれば、失神するほどの威圧感と殺気である。しかし、淑女然と佇む侯爵家のメイドの様子に変わりはなかった。
「わたくし、ドSが苦痛と緊迫に顔を歪めて、嫌がるさまを見るのが好きですわ」
カレンが躊躇なくそう答えて、形ばかりの笑顔を浮かべた。対するロイドも、絶対零度の眼差しのまま、美麗な顔に相応しい美しい微笑を作った。
こいつとは馬が合わねぇ。
互いを見つめる二人は、作り笑いの下の心情を、背負う冷気に滲ませた。
いつでも這い蹲らせる側であって、されるのは微塵にも好かない。そんな似た者同士が視線で火花を散らせる様子を見て、モルツとグイードが口を開いた。
「なるほど、素晴らしい。私が対象外なのが実に残念です」
「なんてこった。最悪だ、完全にS思考……」
男達の真逆の感想を耳にして、カレンがそちらを振り返った。
彼女は、揃えた指先で眼鏡を上げるモルツを見て、トドメとばかりに、お呼びでないと伝えるような爽やかな愛想笑いを浮かべた。
「総隊長補佐様、わたくし、ハッキリ申し上げますと、ドMは嫌いですの。蹴られて悦ぶなんて、つまらな過ぎますわ」
「なるほど。しかしその割には、全く相手にしないという気もないようですね?」
「侯爵邸で妹分に迷惑を掛けたのですから、貴方が好まない方の『痛いやり方』を探って、しっかりお返しさせて頂きますわ。――うふふ、わたくしの靴、こう見えて対武器用の特注品ですの」
「最近の護身術は、戦力意識が高いようですね」
どちらであるとも思っていないかのような口調で、モルツが適当に相槌を打った。
共通して理解しているのは、カレンの自信は本物であるのだろうという推測だった。書斎机を簡単に砕いたという事は、相当耐久性も備わった仕込み靴であり、その効果を発揮するほどの実力を、このメイドは持っているのだろう。
それを考えたグイードは、思わず顔を片手で押さえて天井を仰いだ。
「俺、女の子と戦うのは苦手なんだよなぁ……ロイド、先に言っとく。俺は今回、防御一点だからな」
「では俺も先に言っておこう。ついうっかりお前まで攻撃するかもしれん」
「ひでぇ。こういう時にもブレないとことか、逆に感心するわ」
しれっと発言したロイドの美麗な横顔を見て、グイードが「お前の攻撃とかシャレになんねぇんだけど」と言うそばで、モルツが少し思案してこう言った。
「彼女の話が本当であれば、グイード第一師団長も『好み』からは外れているので軽傷で済むのでは?」
「お前の言う軽傷の値は信用ならねぇ、馬車で吹き飛ばされてもほぼ無傷って人間超えてんじゃね? というかさ――」
グイードはそこで、凛々しいとも感じられる真剣な眼差しをした。
「――M嗜好がない時点で、今、俺の身は危険に晒されている」
「真面目な顔で言い切りましたね」
「そもそも、お前は侯爵邸で何やらかしたんだ?」
宰相ベルアーノが付いていながら、またしても普段のドMの暴走でも起こしたのだろうか。そう問うグイードの訝しげな視線を受け流し、モルツは涼しげな表情をカレンへと戻した。
カレンは、考えの読めない彼の碧眼を見つめ返した。向けられた眼差しに含まれる質問を推測して、淑女然と微笑む。
「純粋ながら、ガツガツしている方も好みですわね」
「ほぉ? ワンコ系ガツガツというのなら、一人心当たりがありますが――」
モルツが顎に手をあて、記憶を辿りながらそう言いかけた台詞を、カレンは作り笑顔で「却下ですわ」と遮った。
「先日、あなたと共にいらっしゃっていた騎士様なら、お断りですわ。アレはただのお馬鹿さんで、歯止めも効きそうにない子供過ぎるんですもの。初訪問の台詞で、ウチの侍女長を固まらせたのは、彼が初めてですのよ」
その話を聞いて、グイードはぎこちなく視線をそらし「……迷子だけじゃなくて、『嫁にもらっていいか』もやったのか」と呟いた。
第一宮廷近衛騎士隊の隊長であり、王宮一の大男であるヴァンレット・ウォスカーは、その図体に似合わず、微塵の悪意も持っていないような子供みたいな騎士だ。特徴的な緑の芝生頭をぐりぐりと撫でられるのが好きで、底無しという未知の思考回路の持ち主である。
そんなヴァンレットと騎士学校の同期であったモルツが、「なるほど」と一つ頷いた。
「チラリと見ただけにしては的を射た言い分です。私が女だったとしたら、ヴァンレットにだけは抱かれたくないですね」
「やめろ。気分が悪くなる」
何故かそのままの性別のモルツを想像してしまい、ロイドは途端に気分が悪くなった。
やはり俺は正常らしい、と思った矢先、少年師団長時代に黒髪の異国の女を見に行った際、想像してしまったオブライトの色っぽい表情とシーンが、不意打ちのように脳裏に蘇り、頭をガツンと殴られるような大ダメージを受けた。
くッ、ここで醜態を晒してなるものか。
ロイドは、それを態度に出さないよう、よろけそうになる足を踏ん張ると、叱りつけるようにモルツをジロリと睨みつけた。
「なんでお前は自分で例えるんだ」
「――気分を害されたようで、失礼致しました」
珍しそうに秀麗な眉を片方上げたものの、モルツが身を引くように謝った。グイードも首を捻り、「女だったとしたらって話、この前の飲み会でやってた時は怒らなかったんじゃね?」と小さく疑問を口にする。
その時、ロイドの様子を見据えていたカレンが、殺気立った様子でにっこりとした。
「特にわたくし、総隊長様には、個人的に一発食らわせてやりたいと思っておりましたの」
「はぁ?」
ロイドは思わず、対人向けの表情も作らずに、露骨に顔を顰めた。
「お前と話すのは初めてのはずで、個人的に怨みを買った覚えもないが?」
「『執事長』の勘と推測はかなり的中致しますから、将来の分を含めて、旦那様から許可を頂いている今のうちに、きっちり発散しておこうかと思いまして。実はわたくし、そのメイド仲間たちの代表でございますわ」
そう言って、カレンがブーツで床を踏み締めた。淑女然とした笑顔のまま、一見すると荒々しい事も知らないような白い綺麗な手で拳を作り、戦闘態勢に入るように両腕で構えの形を取る。
グイードが「おいおいマジかよ」と一歩後退し、カレンに声を掛けた。
「話がよく見えねぇんだが、つまりマリアちゃんの件でプッツンきてるって事か? そりゃ、まぁ確かに彼女は女の子だし、任務の一部に巻き込んでいるのは悪いと思ってるけどさ――」
「そちらの件は怒っておりませんわ。旦那様が『大丈夫だから』と許可を出して、あの子自身も否定していないんですもの」
不意に、カレンがふっと笑みを消して、独り言のように続けた。
「いつだって一番の幸せを考えてる。馬鹿みたいに人生を投げだした私に、もう一度光りを見せて『家族』をくれたのはあの人達で、マリアは私にとって、初めて出来た妹みたいなとても可愛い子だったの。――だから、いつか笑って門出を見送らなきゃいけないんだって事くらい、私だって分かっているのよ」
でもね、と途端にカレンのこめ髪に青筋が立った。どこかしめっぽい雰囲気が一変し、強気な性格を隠す気もない笑顔で、彼女が拳を掲げた。
「無礼を承知で、わたくし自身の言葉で『私達』の本音を語らせて頂きますと、……『突然横から湧いて出たよく分からない野郎共に、私達の大事な妹分を簡単に預けるほど、こちとら受け身な性格をしたメイドなんて一人もいねぇんだよ』」
ドスの利いた声で語り、カレンが殺気立った目で笑顔を引き攣らせた。
何やら個人的な私情も含まれているようなので、よくは分からないが相当怒り心頭らしい、とその表情や言葉で男達は理解した。先程まで慎ましげに佇んでいたメイドと同一人物なのか、と疑いたくなるほどその口調は荒々しい。なんとも喧嘩っ早い性格のような気もする。
「…………なんだか、じゃじゃ馬な時のマリアちゃんを彷彿とさせるな」
それ以外に、女性であるカレンに失礼にあたらない言葉が見つからなかったのか、グイードがぎこちなくそう呟いた。
ロイドは侯爵家の秘密を知らないモルツがいる手前、否定も肯定もせず聞き流した。宰相の執務室で初めて顔を会せた際、マリアがこちらに向かって「この野郎ッ」という言葉を、幼い顔に浮かべていた様子を思い返す。
今のカレンの様子は、それに少しだけ似ている気がした。同じようにアーバンド侯爵に、どこからか拾われてきた戦闘使用人だからだろうか。
先輩であるグイードと、上司兼主人であるロイドの様子を、モルツがチラリと確認して思案する眼差しを戻した。一同の視線を受けたところで、カレンが「ご準備はよろしいかしら?」と、口調だけメイドらしく言い改めてこう告げた。
「わたくしに半殺しにされなければ、もしくは、わたくしに勝つ事が出来ましたら、旦那様からお預かり頂いている、今回の件について承認する『書面』を総隊長様にお渡し致しますわ」
ファイティングポーズを取ったまま、カレンがやや重心を落とし、軍靴仕様のブーツで床をきゅっと踏みしめる。
「わたくし程度に負けるような『弱い男』ではないと、今この場で、皆さま証明してくださいまし」
マリアに関わる、ここにいる全員がその対象だ。
カレンの台詞からそれを察したグイードは、後輩に全部押し付ける訳にもいかず「チクショーやっぱそうなるかッ」と邪魔なマントを脱ぎ捨てた。
女性相手かと迷いを滲ませるグイードの隣で、モルツが眉一つ動かさず「一気に来ますよ」と珍しく強い口調で警戒を告げて、開いた手の親指と中指で正面から眼鏡を押し上げる。ロイドも反射的に、戦闘態勢に入って身構えた。
その瞬間、執務室の床が踏み砕かれて、三人の眼前にメイドのカレンが迫った。
一瞬にして間合いを詰めた彼女の長いスカートの下から、長く白い足が高く上がり、三人の男を凪ぎ払うかのように一気に振るわれた。




