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十五章 序&それぞれの思惑と迷惑な1日(6)中

 ロイドは総隊長という立場だけでなく、ファウスト公爵としての社交もあるため、個性もないメイド一人一人の顔を覚えられるほど暇な身ではない。とはいえ、その特徴的な『大人のメイド服』はほんの最近目にしたものであり、丸い眼鏡をかけたそのメイドの顔についても見た覚えがある気はしていた。


 まるで幽霊のように音も気配もなく現れた一人のメイドを注視しながら、ロイドは確認するため目配せした。


 すると、第四王子の見合いでアーバンド侯爵邸に足を運んでいたモルツが、肯定するように小さく顎を引いた。グイードが口角を引き攣らせて「道理でマリアちゃんのメイド服とそっくりだと思った……」と、初めて見る大人仕様のメイド服を見つめる。


 丸い眼鏡を掛けたそのメイドが、どこか若々しい様子でにっこりと微笑んだ。お淑やかに指先で使用人らしくスカートをつまむと、ロイド達に向かって丁寧に礼を取った。


「わたくし、アーバンド侯爵家のメイド、カレンと申しますわ。本日は総隊長様に、旦那様からの『贈り物』を届けに参りました」


 カレンと名乗ったメイドが、そう告げて、腕に提げていたバスケットをそっと床に置いた。嫌な予感を覚えたグイードが、「なんで床に置くのかなぁ……」と引き攣った声を上げた時――



 ほんの一瞬の間、眼鏡のメイド、カレンの姿が三人の視界から消えた。


 気付いた時には、大きくめくれたスカートから鍛えられた太腿と膝頭をこちらに突き出した状態で、彼女が眼前に迫っていた。たった一つ飛びでこちらまで移動した彼女の丸い眼鏡の奥には、三人の男をロックオンする開き切った瞳孔があった。



 カレンが空気を切る音を上げて、大きく右足を振り上げる。

 それを見たロイド達は、コンマ二秒という限られた時間で、咄嗟に出来るだけ執務机から距離を取るべく動いた。


 直後、大人の女性特有の曲線を描く長い足が、躊躇なく振り降ろされた。


 ブーツの踵部分が執務机が中央を叩きつけて、物騒な破壊音を上げて真っ二つに砕き割った。王宮一頑丈な執務机が、まるで巨大なハンマーか、戦場下で使う鉄球砲でも落としたかのような威力で砕かれ、その破片が宙を舞う。


 風圧で煽られたグイードが「うわっ」とバランスを崩し、器用に避けたモルツの脇を通過し、そのまま床にひっくり返った。


 モルツがいつでも助太刀出来るよう、集中したまま剣の柄に指を掛ける。指示を待つ彼の視線を横顔に受け止めながら、ロイドは突然の暴挙に出たメイドを、忌々しげに睨み付けて舌打ちしていた。


「ッじょう、だんだろ……!」


 蹴り技一つでこの威力かよ、と惨状を前に呻いた。


 すると、長いスカートを両手で持っていたカレンが、そこにゆっくりと足を戻しながら「いいえ? 冗談ではございませんわ」と笑顔で答えた。気のせいか、眼鏡の奥にある目は、愛想笑いが崩れてどこか好戦的に吊り上がっても見える。


 かなり気の強そうな女性である。遅れて淑女然とした様子でにっこりと笑い直されても、もやは活発的な性格を隠し切れていないように思えた。


「先に申し上げました通り、わたくしは旦那様からの『贈り物』を届けにまいりました。手紙のお返事を身体できかせて頂く、というちょっとした『おつかい』ですわ」


 殺生目的ではないとはいえ、踵落とし一つでこの威力だ。本気でかからないと笑えない事になる。


 グイードは体勢を整えながら、「マジかよ」と呟いた。


「来るタイミングを完っ全に間違ったなぁ……早めに来るんじゃなかったぜ」

「――『先輩として話を聞く』と偉そうに言ってなかったか?」

「おいロイド、ここぞとばかりに持ち前のSを向けて来るな。いいか、俺に押し付けんのは無しだぞ。これ、明らかにお前への用件だろう。しかも、あの子の巻き込む気満々の笑顔には、お前と同じものを感じるッ」


 もろとも追い出すか、という鬼畜極まりない思考を長い付き合いから察知し、グイードは先輩としてぴしゃりと言ってのけた。あまりにもドSすぎる、と同意を求めてモルツを見た直後に「あ。そういやこいつドMだったわ」と気付いてやめた。


「おや、グイード第一師団長、私に何か言おうとしたのでは?」

「殺気を解いた今のお前には、ツッコミたい事がたんまりあるが、ひとまず要約すると――」


 グイードは真剣な表情をすると、一つ頷いてこう続けた。


「――ここに俺の味方がいない事に絶望しか感じねぇ」

「私も彼女には期待しか感じません」

「ほらな、お前と俺の話は噛み合ってすらねぇだろ。その時点でアウトなんだよ。つか、この面子の組み合わせとか、ないわぁ」


 改めてこの場にいる面々を見渡し、グイードは遠い目をした。


「この後輩組、俺の疲労を三割増しにするんだよなぁ…………帰りたい」

「私としては、何故アレの雇い主のところから、総隊長の力量確認のようにメイドが寄越されているのかが分からないのですが」


 第三者目線の立場で疑問を口にしたモルツを、その場にいた全員が、ほぼ同時に見やった。

 数秒の間を置いて、カレンが困った風でもなく「あら」と口許に手をあてる。


 ロイドは、モルツがアーバンド侯爵家の秘密を知らされていない人間である事については忘れていなかったものの、つい「面倒だな」と顔を顰めてしまった。遅れて気付いたグイードが、面倒臭い状況は勘弁して欲しい、と口許を引き攣らせる。


「うっわ、そういやそうだった。よし、ロイド任せたッ」

「――……モルツ。お前が侯爵邸の件で『護身術の達人らしい』と口にした第一印象を裏切らない、とだけ伝えておく。これについては『メイドを借りる』いう俺とアーバンド侯爵の交渉話の延長だ。ここで起こった事については俺が許可する事項の他は話すな、後処理についても俺の方で指示を出す」


 まだ所属先も決まっていない訓練生時代からそばにいた彼に、ロイドは温度のない視線を投げた。言葉と視線から意図を察したモルツが、秀麗な眉一つ動かさず「なるほど」と短い返事をしてすぐに身を引いた。


 グイードは、無表情の美貌二人組の後輩を眺め「なんだかなぁ」と呟いた。


「昔から思ってたけど、お前らが何考えてるのか、さっぱり分からん」

「お前への嫌がらせを、十通りほど考えていたところだ」

「マジか。任せたって振ってまだ十数秒も経ってないだろ、ド鬼畜過ぎね? いやお前の部下だし、犬みたいなもんだから当然だろ」

「グイード第一師団長、犬と発言した割には、棘も刃もなさすぎる語彙力に失望します。もっと蔑む目と口調を寄越すべきでは?」

「もうヤだ、マジで帰りたい」


 左には理解し難いドS、右には見た目と口調が辛辣なドMの変態。正面には、女性にしては好戦的過ぎるアーバンド侯爵家の戦闘メイド。そんな自分が置かれている現状を改めて確認したグイードは、両手で顔を覆って「最悪だ」と呟いた。


 室内には、体感温度が下がるようなピリピリとした空気が満ち始めていた。

 こちらの話しが途切れたタイミングで、頃合いを見計らったカレンがにっこりと微笑みかけてこう言った。


「これはあくまで『おつかい』ですわ。『仕事』ではございませんから、今日のわたくしは黒い手袋はしておりませんのよ」


 ロイドは、忌々しく思って舌打ちした。つまり、手袋をした戦闘使用人が来たら、命を取る場合なので覚悟した方がいい、とご丁寧にも彼女は説明してくれているのだろう。


 この状況は予想外であるし、まさかアーバンド侯爵がこのような『交渉の返答』を寄越してくるとは思ってもいなかった。腹の読めない慎重な男のイメージが強かったので、手っ取り早く殴り合いで判断するという今回のやり方は、あまりに過激で極端だ。


 まるでお遊びのゲームを楽しむような、実にシンプルな方法である。

 とんでもない連中だ。いや、あの侯爵が実に食えない男だと改めて再認識出来たというべきか。


 とはいえ――



 この予想外の状況についても腹が立つが、顔に無表情を張り付かせた隣の下僕(モルツ)から、わくわくとした楽しみと期待感の空気が発せられている事について、今すぐ息の根を止めてやりたいくらい苛々するんだが。



 目も向けないまま、ロイドは更に殺気立った。

 それを肌で感じ取ったモルツが、「ふぅ」とこっそり悦に浸るように吐息をこぼすのを見て、グイードは「超帰りたい」と彼から数歩分の距離を置いた。


 すると、カレンがにっこりと微笑んで「総隊長補佐様」と呼んだ。


「こちらにまで勝手に期待されても困りますわ。わたくし、ドMは蹴らない主義ですのよ」


 グイードは嫌な予感を察知して「ドMは蹴らない……」と、彼女の台詞を反芻してしまった。ぶわりと発せられた冷気に気付いて、そこにいるロイドの様子を確認すべく、ぎこちなく視線を動かせる。


 カレンが続けて挑発するように、迷わず『総隊長』へと目を向けた。

 ロイドと彼女の視線が、ピタリと重なり合う。



 その瞬間、室内の温度が一気に五度下がった。

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