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十五章 序&それぞれの思惑と迷惑な1日(5)下

 上から降って来たのは、使命感を窺わせるような、珍しく凛々しい表情をしたジーンだった。階上から飛び降りて着地した彼は、両手をしっかり上げて、自身の無事の着地に達成感を覚えるようなポーズを決めている。


 大臣衣装に身を包んだ彼の、ふわりと広がった質の良い煌びやかな赤茶色のローブが、ゆっくりと落ちていった。


 その一呼吸の直後、ジーンがくるりとこちらを振り返った。マリアは、真っ直ぐバチリと目が合った。すると彼が、すかさずいい笑顔でグッと親指を立ててこう言ってきた。


「俺の友情レーダーが反応したぜ!」

「…………」


 こいつの感知能力って、一体どうなっているんだろうな……。


 オブライト時代から今に至るまでの、彼の野性的察知能力の様が脳裏に蘇り、マリアはなんとも言えず黙りこんだ。王宮に出入りし始めたばかりだった頃、迷子になっていた時もどこからか彼が降って来て、同じ台詞を言われた覚えがある。


 というか、お前、仕事はどうした?


 そんな視線に気付かないまま、ジーンは重い大臣衣装で窓を乗り越えた。そして廊下に入ったところで、ようやく「あれ?」と、マリアの他にいるメンバーに気付いて目を留めた。


「ニールはなんとなくの流れで分かるけどさ。なんでお前がいるんだ、グイード?」

「それはこっちの台詞だって。さすがに次の会議をすっぽかすのはまずいだろ、ジーン。サボるんなら二件後のやつにしとけよ」


 グイードが、困った奴だな、と上から目線で腰に手を当ててそう言い切る。


 阿呆か。そもそも、サボる案件を推奨するんじゃない。


 思わずそう指摘してしまいたくなったマリアは、口を固く引き結んで目頭を押さえた。アーシュが「うわぁまた大臣様が出た……」と、初対面の時を思い出して口に手をあて、その当時の事を聞かされていたルクシアも、様子を見守る方向で一歩後ろに引いた。


 その時、ニールが元気良く挙手し、外側にはねた赤毛頭を揺らした。


「ジーンさん、またサボりっすか?」


 遊びに行くんなら付き合います、とストレートに言葉と表情で伝えてくる童顔の華奢な部下を見つめ返し、ジーンは「あのな?」と控えめに諭した。


「俺が普段からサボり癖あるみたいな感じで聞こえるじゃん。これは立派な一休憩なんだよ」

「なるほど、ジーンさん今日のスケジュール真っ黒でしたもんね!」

「うん、ははは……まるで誰かの腹の中みたいに真っ黒だったね…………」


 ジーンは、思わず遠い目を明後日の方向へとそらした。意図がないと分かっていても、キラキラと輝く若々しい笑顔を向けられて「俺、歳かもしんねぇな」と青い空を見上げる。気のせいか、やはり目が霞んだ。


 階上からは、鈍い騒ぎの声が聞こえてきていた。「みんな死ぬ気で大臣様を探せッ」「また逃亡されたぞ!」「お願い大臣様戻ってきてぇぇええ!」という中年男の情けない悲鳴まで耳に入った時には、マリアは目頭を丹念に揉み解しにかかっていた。


 同じように階上の騒ぎを把握したグイードが、ジーンに向かいこう言った。


「俺は、ルクシア様に『陛下』の姿絵の一つを紹介していたんだよ」


 含んだ眼差しと手短な説明を聞いて、ジーンは長い付き合いから少ない言葉を察し「ははぁん、なるほど?」とニヤリとした。自分も数回しか見掛ける事がなかった第三王子の姿を、チラリと目に収める。


 ジーンは十五歳のルクシアを見て、それから二度目となる二十歳のアーシュ・ファイマーに目を留め、その輪に受け入れられている十六歳のマリアに視線を戻した。


「ふむ、なるほど。次世代メンバーってところか?」


 いきなり何言ってんだ、意味分からん。


 そう露骨に顔を顰めかけ、マリアはふと、彼が思案気に指先でなぞる顎に鬚がない事に気付いた。見事なくらいキレイに剃られている。


 そういえば昔も、月に何度かは面倒臭がらず、こうして清潔感を取り戻していたものだ。それを少し懐かしく思い出して彼に声を掛けた。


「今日は無精鬚がないのね」

「おっ、気付いてくれたか親友よ! 今日会う相手は、さすがに剃らないとアレなんだわ。ついでに、お前にも見せてやろうと思ってな!」


 そう言いながら、ジーンがカラカラと楽しそうに笑って、容赦なく肩を叩いてきた。


 相変わらず女だと思われていない威力である。そう感じたマリアは、不意に今の状況に既視感を覚えた。オブライトであった時、鬚が生えない事を楽しそうに笑われていた一件が脳裏を過ぎり、途端に笑顔から温度を失くした。


「なんなら触ってもいいぞ~」

「うふふふ、ご遠慮致しますわ」

「じょりじょり感もなし!」


 肩に腕を回されたマリアは、愛想笑いを張り付かせたままジーンだけに聞こえる声量で「おいコラ」と言った。


「まさかあの頃のネタか? あ?」

「ははははは、お前あれだったもんなぁ。二十七になっても鬚が――」


 声を潜めて、ジーンがどこか嬉しそうに返した時、マリアは思わずその腕を掴み、流れるような動作で足払いを掛けて彼を背負い投げていた。



 大臣衣装の金の装飾品が、廊下の床にあたって甲高い音を立てた。

 ドシン、と鈍く上がった衝撃音を前に、廊下を歩いていた軍人や使用人が息を呑み、アーシュとルクシアが揃って硬直する。



 その数秒の間を置いて、ニールが「えぇぇぇええええ!?」と遠慮もなくその悲鳴を廊下中に響かせた。


「何しちゃってんのお嬢ちゃん!? つか、ジーンさん大丈夫っすか!?」

「ははははははは、ニール落ち着けって。これは友好のスキンシップだぜ」

「だから、なんでそうお嬢ちゃんに対してポジティブなんすか!?」


 廊下に倒れ込んだまま笑い転げ始めたジーンを見て、ニールは目を剥いた。


 今にも呼吸が詰まって咽るのでは、と思うほどの大爆笑で、大臣が「またこのやりとりが出来るとか」「やっべ超ウケる!」と目尻に涙まで浮かべる様子に、周囲にいた人々がドン引きした。使用人の一部が、そそくさと立ち去る。


 ルクシアが、隣にいたアーシュに「一つ尋ねますが」とこっそり訊いた。


「彼は本物の大臣で、マリアとは『友人関係である』ことに間違いはないですか?」

「あ、はい、そう聞いています」

「つまり昨日の『総隊長補佐』に続き、処罰を受ける心配はない、と……?」

「えぇと、はい、たぶん…………」


 一体どういう関係なのだろうか。出会いと今日に至るまでの交友の経緯が気になるところだが、当人達に質問しても、先程のニールのように訳の分からない自己完結型の回答が返ってくるのでは、という気もしている。


 ルクシアとアーシュは、互いの表情にその言葉を浮かべて見つめ合った。背負い投げを目撃した『グイード師団長』が全く驚いていない事や、当の大臣が怒るでもなく満足そうに笑い転げている状況に、どうしてよいのか分からない。


 心配する様子もなく、グイードは床に転がっている友人に声をかけた。


「見事な背負い投げだったなぁ。おい、ジーン。じゃれる暇があるんなら戻れよ? さすがにあの会議はすっぽかせないぜ」


 グイードはそう告げたところで、「ん?」と首を捻った。なんだかしばらくの間、とても懐かしい空気に包まれていたような気がする。ジーンの呼び掛けや、こういうやりとりも、かなり既視感があるような……?


 チラリと視線を流した先には、肩を怒らせて愛らしい顔で怒るマリアがいた。吹き抜けた風に彼女の大きなリボンと、たっぷりの長いダーク・ブラウンの髪先がかかる、膝が隠れる程度のスカートが揺れる。


 その様子を数秒ほど目に留めた後、グイードは、ようやくドン引きするレベルの笑いをやめて、身を起こして衣装を整え直し始めたジーンに尋ねた。


「なぁ、ジーン? お前、マリアちゃんとはどこで知りあったんだ?」

「おっと。――言ったろ、『秘密』だって」


 ジーンは、無精鬚もない顔に爽やかな笑顔を浮かべて、友人であるグイードを振り返った。


「ところでグイード? お前、これからロイドの用事があるよな?」

「なんだか、お前の笑顔がやけにキラキラしているせいで警戒心がわくんだが」

「ははは、気のせいだ。お前がその用事を済ませるために、途中まで一緒に戻ってやるっていうんだったら、俺も戻ってやっていい」

「新しいタイプの脅しみたいに来たな。ロイドのところを先に終わらせてこいって事か?」


 露骨に『お前が戻るなら、俺も大臣としてすぐ仕事に戻る』と伝えてくるジーンに、グイードは眉を顰めた。正直、あとちょっとくらいは遊んでいたのだが、彼の次の仕事を遅らせられないのは確かだ。


 すると、ジーンは「そもそも」と頭をガリガリかいたかと思うと、カッと目を見開いて指を突き付けた。


「俺は仕事がぎゅうぎゅう詰めだというのに、お前だけ息抜きでちょっと遊べるとか、羨まし過ぎるだろ!」

「仕方ないだろ、そっちのは昨日の分が回ってきてるんだし? 俺はちゃんと後先を考えて、今朝だって抜け出す前に午前中一番のやつをレイモンドに押し付けてきたからな!」


 おい、どっちも仕事しろよ。


 マリアは、偉そうに胸を張るグイードを見て、仕事に忙殺されて頭を抱えていた様子の友人を思い起こした。あまりにもレイモンドが可哀そうすぎる。先日顔を合わせた際にも、疲労感が漂っていたような気がする。


 その時、ジーンがこちらを振り返り、出来る大人の表情を作ってふっと息を吐いたかと思うと「親友よ」と言ってきた。


「すまねぇな。残念ながら、俺はもう戻らないといけないらしい」

「それらしい顔で何言ってんだ――えっほん。何を言っているのか分からないわね。待ち合わせをしていた覚えもないのだけれど?」

「飯くらいは一緒に食えねぇかなぁと期待してたのに、マジで真っ黒なんだわ」


 こちらの話も聞かずに、ジーンがしみじみと語る。


 マリアは思わず「真っ黒って、何が?」と呟いて首を傾げた。ニールがその華奢な肩を指先で叩いて「スケジュール」と何も考えていない呑気な笑顔で、キッパリとそう答えた。


 ジーンは、空気を読まない部下のせいで、再び遠い目をしかけた。少しくらい親友と話していきたかったものの、グイードの質問の矛先をそらすのも必要だったので仕方がない、と呟く。


 そもそも奴には、ロイドのところに行って面白い事が起こるかどうか見てきてもらいたい、というのも本音である。そう口の中に思案をこぼしたジーンは、そこで一旦ルクシアへと向き直り、貴族紳士らしい礼を取って軽く頭を下げた。


「何度か遠くからお顔を拝見する機会はありましたが、こうして直接話すのは初めてになりますね、殿下。改めまして、俺は大臣のジェラン・アトライダーです」


 ジェラン、と小さく口にしてルクシアは眉を寄せた。すぐに『ジーン』の方が愛称なのだと思い至り、表情を取り繕う。


「――私は一所長ですので、殿下という呼び方は不要です」

「そうですか、ならルクシア様とお呼びします」


 グイードと同じように人の好さそうな顔であっさりと言われて、ルクシアは少し戸惑いを浮かべた。続いてジーンは、アーシュを目に留めて「この前ぶり」と軽く片手を上げてみせる。


 大臣に軽過ぎる挨拶をされたアーシュが、反応に困って固まった。マリアは、ジーンの脇腹に抱えられた時の事を思い返し、出会い頭一発目に大臣の騒ぎに巻き込まれたアーシュを思った。


「んじゃ、俺らはこのへんで失礼するぜ」


 ジーンはマリアに片目をつぶって見せると、踵を返し、肩越しに後ろ手をひらひらと振った。先程の一件も忘れたニールが、元気よく「ジーンさん、頑張って下さいっす」と大きく手を振り返した。




 ひとまずグイードは、騎士としてルクシアに挨拶を告げた後、マリア達に「じゃあな」と声を掛けてからジーンの隣に並んだ。まだ時間はあるものの、途中の道まで彼に付き合うとすると、やはりロイドの執務室が近いのも事実なので――


「ついでだし、ロイドんとこ寄って先に終わらせてくるか」


 そう決めて呟くグイードの隣を、ジーンは何食わぬ顔で歩いた。

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