十五章 序&それぞれの思惑と迷惑な1日(4)下
唐突に始まったのは、グイードのやたら高テンションなマシンガントークだ。ルクシアが、ややずれ落ちた大きな眼鏡を押し上げる向かいで、アーシュも呆けたように口を開けて、その若作りの中年男を見つめる。
そんな中、ニールが「ねぇねぇ、お嬢ちゃん」とマリアの肩をつついて耳打ちした。
「ルクシア様とアーシュ君、虫が入るんじゃね? なんで口開けてんの?」
おい、お前はもう少し空気を読め。
こんな迷惑極まりない軍人と接する機会がないせいで、若い彼らは余計に混乱しているのだ。ニールがそれを察しないまま、本人達に「虫が入るよ」と告げようとするのを横目に見て取り、マリアはすかさず、テーブルの下にある彼の足を思い切り踏みつけて黙らせた。
ニールが声なき悲鳴を上げたところで、アーシュがようやく、ゆっくりとマリアの方へ困惑した顔を向けた。
「…………あのさ、『ルルーシア』って、誰?」
「…………グイードさんの娘なの」
「つまり親バカなのか……?」
一度納得しかけてグイードへと視線を戻したアーシュが、いやそもそも何で唐突に娘の話が始まるんだよ、と再びこちらを見た。マリアは、いつもこうなんだよ、と言ってしまいたい気持ちを堪えて、丹念に目頭を揉み解した。
十五歳から二十歳の三人から向けられる視線にも気付かず、グイードは喋り続けた。とにかく、娘の寝顔が可愛かったのだと主張する。その愛らしさについて長々と語ったかと思うと、最近あった別の話へと飛び、そしてまた寝顔について話が戻った。
数十分が経過しても終わりが見えない様子に、とうとうアーシュが「おい」と、こっそりとマリアを呼んだ。指を小さく動かせて、ちょっと耳貸せ、と合図を出す。続いて彼は、向かい側に腰掛けるルクシアへも目配せした。
マリアとルクシアは、テーブル越しに揃ってアーシュと顔を寄せ合った。
「お前、あの人とは任務の件で顔見知りってことでいいんだよな? これ、いつになったら終わるんだ?」
「私としては終わらない気がしてきましたので、いっそのこと『宰相の伝言係りの彼』に任せて、二人一緒に帰って頂くのはどうでしょうか?」
「なるほど、ニールさん共々追い出す作戦ですね。――ルクシア様、私、なんだかそれでいけそうな気もしてきました」
すると、痛みから回復したニールが「えぇぇぇえええ!?」と叫び、話し合いの輪に加わった。
「お嬢ちゃんッ、他に予定もない俺を追い出すとか、ひどくない!?」
それを聞いたアーシュが、「他に予定もないんだ……」と口の中で呟いた時、グイードの話がピタリと途切れた。目を向けてみると、そこにはハタと我に返ったように瞬きする彼がいた。
全員が口を閉じて見守る中、グイードがここにいる面々へ視線を巡らせた。ニールからマリアへ、続いてアーシュを見て、最後に一番幼いルクシアに目を留める。
数秒後、グイードが閃いたとばかりに、掌に拳を落とした。
「ルクシア様、『隠された絵画』をご存知ですか? 実はあなたのお父上が結婚される前の姿絵が、この王宮の複数個所にこっそりと飾られているのです」
「結婚前の、ですか? いえ、ありませんが……」
唐突に問われたルクシアが、自身の記憶を手繰り寄せながらそう答えた。
若い頃の絵姿も一応飾ってあるんだなと、マリアはそんな事を思った。基本的に、城や屋敷に飾られるのは現在の姿が描かれた物が一般的で、外された絵画は一族の歴史として、厳重に保管管理されている事が多い。
思えば、あれから十六年が過ぎた。国王陛下も、歳相応に落ち着いただろうか。
マリアは、彼が他国の王のような貫禄を漂わせている姿を想像してみたものの、どうしてか上手くいかなかった。気のせいか、アヴェインが今でも「クソつまらん」「おい、今日も飲むぞ」「よし許可する、勝手にやって来い」とやっている方のイメージが強い。
そこまで考えたところで、ふと、ルクシアがあまり王宮にいなかった事に思い至った。人間嫌いだと言われているくらい他に交流もないようだから、もしかしたら、ここに通う誰もが知っている『王宮の七不思議』も知らないのではないだろうか?
すると、グイードが手を叩いてこう言った。
「なら、今から見に行きましょう。そのうちの一枚は、ここから近い場所にありますから、お時間もそこまで取らせません。俺が案内しますよ」
悪くない提案――と言えばそうなのだが、このタイミングではどうなのだろうな、という想いも込み上げる。互いに休憩時間というわけではないし、机仕事の人間からすると、急な外出予定を作るというのも馴染みがない時間の使い方だろう。
唖然と言葉も出ないルクシアとアーシュの反応から、またこいつは突然何を言い出すんだ、という心情も見て取れた。ニールだけが、これといった疑問も抱いていない顔で「それいいっすね」と相槌を打っている。
マリアは、どちらとも判断がつけられなくて、困った顔でグイードを見やった。
「……グイードさん、それ、露骨に遊ぼうって言ってますよね? サボりですよ」
「マリアちゃん、大丈夫だって。さくっと見るだけだし、時間がきたら仕事に戻るから」
なるほど、つまり午前中に、ロイド関係の仕事の予定があるのか。
マリアは、思わず乾いた笑みを浮かべた。後半の台詞をやたら良い笑顔で言い切ったグイードを見て、過去の長い付き合いから、それを容易に察して何も言えなくなってしまう。
グイードが立ち上がり、説得するようにルクシアにこう言った。
「ルクシア様、気晴らしも時には必要ですよ。眉間に皺なんて寄せていたら、仕事の閃きも降りてこないものです。そう、メリハリを付けた方が頭の柔軟性もアップする! そんな気がしませんか?」
「いえ、私は――」
「散歩した方が仕事もはかどりますよ。陛下だって、忙しい時こそ結構な頻度で出歩いていましたから」
名前が判明した毒の研究が始まってから、ルクシアは食事の他は、ずっと一人で集中している気がする。グイードなりに幼い第三王子を気遣っての提案だったらしいと理解し、マリアは「なるほどな」と素の口調で小さく呟いた。
そう考えると、ほんの少し出歩くくらいなら、悪くないのかもしれない。
昨日のルクシアの行動を知らないので、マリアはひとまず、グイードの案について意見を求めるように、隣のアーシュにチラリと目配せしてみた。視線から意図を察した彼が、思い返すような顔で数秒ほど思案する。
少しもしないうちに「まぁ、考えてみれば悪くない提案ではあるな」と、アーシュも前向きに検討する姿勢をみせた。
「そういや、宰相様と長く話し合った後も、落ち着かない様子で休んでいなかったもんなぁ……」
そう口の中に本音をこぼしたアーシュは、よしっ、と意気込んでルクシアに向き直った。
「ルクシア様、せっかくなので誘いに乗ってみませんか? 出るついでに、資料本も一緒に見繕って頂けると助かります」
「本の量があっても大丈夫です、私とアーシュで分担して運びます!」
アーシュに便乗する形で、マリアは元気良く挙手してそう告げた。昨日手伝えなかった事も踏まえて「今日なら本を多めに借りられますよ」とアピールしてみると、ルクシアが渋りつつも、効率を考えさせられたかのように「そうですね」と思案気に顎に手をあてた。
グイードは、アーシュとマリアを順に見て、それからルクシアへと目を戻してにっこりとした。
第三王子ルクシアについては、人間嫌いで人付き合いもないという心配をたびたび聞いていた。この三人は、ロイドがマリアを引きこんでからの、ごく最近からの付き合いでありながら中々良い交友関係を築けているらしい。
文官アーシュが、軍服の上から白衣の上着という恰好についても、ルクシアがそれほど心を許している証拠だろう。
「それでは決まりですね」
「そういう事になりますかね……」
何故か先ほどよりも調子良く、もう決定事項とばかりに言われたルクシアは、諦めたようにそう答えた。つい「私は彼がよく分かりません」と吐息交じりに呟いて、立ち上がる。
華奢なルクシアの白衣の長い裾が、僅かに床をする音を立てる様子を、グイードが物珍しそうに眺めた。彼は顎に手をあて「大人サイズじゃね?」と、他にもサイズがなかったのだろうかという疑問を表情に浮かべた。
マリアは、アーシュと揃って立ち上がったところで、くるりとニールを振り返った。持ち前の愛想たっぷりの笑顔を作ると、少女らしい可愛らしさが強調されるあざとい角度へと首を傾げて、ニールににっこりと笑いかけた。
「じゃ、ニールさんはお留守番ですわね」
「えぇぇぇぇええええええ!? なんでこの流れで『お留守番』なの!?」
ニールがガバリと立ち上がり、咄嗟に意見を求めるようにグイードへ顔を向けた。
外側へとはねた赤毛が、勢い良くはねる様子を目に留めたグイードが、きょとんとした様子で首をやや左へと傾けた。
「そっか。んじゃ『お留守番』、頑張れ?」
「グイードさん他人事すぎません!? 引き止めるとか、フォローしてくれてもいいと思いますッ」
「ははは、落ち着けってニール。ちょっとした軽いジョークなんだから泣くなよ」
笑うグイードの話も聞かず、ニールは「お嬢ちゃんッ」と情けない涙目でマリアを見た。
「俺も付いて行っていいよねッ? 一人でお留守番とか寂し過ぎるよ!」
ねぇお願い付いて行ってもいいでしょ良い子にしてるからッ、と彼は泣きそうな顔で必死になって主張した。それを見たグイードが「まるで子供みたいな台詞だなぁ」と笑い転げて、大人が子供に頼み込んでいるという構図にルクシアとアーシュがドン引いた。
マリアとしては、どうせニールのことだから勝手に付いてくるだろう、と思っていただけに、その反応は意外でびっくりしてしまった。
ニールは昔、女性に優しいグイードから「それはダメだろ」「アリーシアちゃんにやったらぶっ殺すぞ!」と投げ飛ばされていたので、チカン行為については少し大人しくしてくれるだろうとも考えていたのだ。
まるで十六年前、オブライトの後ろをヴァンレットと共に「付いていっていいですか?」と、せがんでいた頃の光景が思い出された。
あの頃のニールは、オブライトやジーンの他の命令はなかなか聞かず、当時騎馬隊の将軍であったグイードやレイモンドにも「俺の上司は『隊長』と『副隊長』だけです、勝手に付いて行くんで。つか、余所の説教とか聞かねぇっすから」と、堂々と言ってのける問題児だった。
思い返せば、ジーンと並んで座っていた時も、窮屈になるというのに、わざわざ同じ列にヴァンレットと共に割り込み、腰かけていた気がする。
三十七歳には見えない二十歳顔のニールが、十六歳には見えないマリアに頼みこむ様子を、ルクシアとアーシュは、何とも言えない表情で見守った。しっかり笑いきったグイードが、ふと「どっかで見覚えがある慌てっぷりだな?」と首を捻る。
マリアは肩から力を抜き、小さく息を吐いた。
「ニールさん、外では大人しく出来ます? ルクシア様の前で、他のメイドに迷惑をかけるようなチカン行為を起こしたら、即叩き出しますわよ」
さすがに、十五歳の王子にチカン野郎の光景を見せるわけにはいかない。
とはいえ、どうやら先手を打つだけのつもりだった『お留守番ですわね』という嗜め台詞が、予想以上の効果を出してしまったようだったので、マリアはオブライトだった頃と同じく、年下の後輩に言い聞かせる口調と声量でそう告げた。
尋ねられてすぐ、ニールが何度も頷いた。絶対に約束するからと伝えるように、唇を引き結ぶその表情には相変わらずな必死さが滲んでいて、マリアは、つい素で小さく苦笑してしまった。
まったく、相変わらず仕方のない奴だ――そう思った。
すると、ニールがピタリと動きを止めて、ゆっくりと目を見開いた。
話は済んだらしいと歩きだしたグイードの後ろに、ルクシアとアーシュが続くべく動き出したが、彼は微動だにしないままこちらをじっと見つめてくる。マリアは、それが不思議で首を捻った。
「どうしたんですか、ニールさん?」
「え――あ、いや、なんでもない……」
珍しく言葉を濁して、ニールが疑問を覚える表情でゆっくりと視線を落とした。先に扉まで辿り着いたグイードが、そんな彼に気付いて、振り返りざま「どうした?」と声を投げかける。
その問いにも答えず、すっかり口数が大人しくなってしまった赤毛男を見て、ルクシアも訝しげに目を細めた。折り曲げた白衣の袖口から覗くまだ性別のハッキリとしない幼い指先で、眼鏡を丁寧に押し上げる。
アーシュが「何やってんだ」と、愛想のない顰め面を深めた。
「早く行こうぜ」
そう促され、マリアは分かっていると応えるように頷き返してから、ニールの手を取った。
「ほら、行きますわよ」
握った手を引かれるままに足を進め始めしたニールが、のろのろと顔を上げて、どこかぼんやりした様子で見つめ返してきた。まるで思い出せない遠い過去を辿るように、普段は子供みたいに輝いている瞳にも活気がない。
なんだか珍しい様子である。マリアはよく分からなかったものの、ひとまず励ましてやろうと考えて、にっこりと愛想笑いを浮かべて見せた。
すると、いつものように悩んでいた何かを忘れたのか、過去を思い出すような類似点が消えてしまったとばかりに、ニールが半ば力なく笑った。
「へへっ、なんだかヴァンレットになった気分だ」
どうして一瞬、胸が締めつけられたのか分からない。ニールはただ、鼻を擦ってそう答えると、マリアについて行くべく自分の足でしっかり歩きだしたのだった。
※※※
予定がギッシリ詰まっている。
書類も膨大にあるとか、もう執務机の上を見たくない。
早朝にスケジュールを見た時から、ジーンのテンションはかなり低かった。何これ、というくらいに各会談が集中している気がする。誰かが仕組んだささやかな仕返しだったりしたら、多分笑えない。
というか、それをやってのけるドSのゲス野郎は、一人しか思い浮かばないでもいる。
ジーンは執務室に戻って早々、次の人物との会談内容を読み上げる部下を前に、思わず深い溜息を吐いた。急ぎの確認待ちの案件を抱えた部下が五人、お伺い立てが三人、仕事の伝言と大臣の印が今すぐ必要な確認書類を待ったやつが二人……そう目で数えたところでやめた。
長椅子に背中を預けて、再び溜息をこぼした。なんだかなぁ、と、思わずきれいに髭が剃られた顎を撫でる。無精髭がなくなると、ジーンの風貌はグイードと同様に軽く十歳は若返る。
ゆったりと作られた豪勢な衣装が、重くて鬱陶しい。会談と謁見、会議の出席のたびに身なりを整え直されるのも面倒過ぎる。というか、この純正の装飾品とか、武器になりそうにもないので全部取ってしまいたい。
「大臣様、聞いておりますか?」
「あ~、はいはい聞いてる」
自分よりも一回り年上の部下に、片手を振って投げやりにそう答えたところで、ジーンは野生的な勘にピーンと来るものを感じて、勢い良く長椅子から立ち上がった。
「俺を除け者に、親友が誰かと散歩に出た気がするッ……!」
すげぇ出歩きたい。もしくは訓練場に突入して、新人教育という立て前で剣を振り回すでもいいし、面白い何か起こっているかもしれないところを覗きに行くのでもいい。
つまりは『大臣モード』も飽きたので、ここらでちょっと休憩したい。
会談の内容と参加人物の詳細について読み上げていた帽子頭の男が、立ち上がったジーンを見てギョッと目を剥いた。近くにいた仲間達を振り返り「みんなッ大臣様を押さえろ!」と悲鳴を上げる。
今にも後ろの大窓から飛び出すのではないかと察した上位役職の部下達が、一斉に飛びかかる。しかし、やや痩せ型の細身であるにも関わらず、執務机の周りにいたその五人の中年男達がしがみ付いても、長身で肩幅もガッチリと広いジーンの身体が沈む事はなかった。
五人分の体重を掛けられているにもかかわらず、しっかりと一歩を踏み出したジーンを見て、扉側で控えていた三十代と比較的若い残りの部下達も、この際は構っていられないと立場や礼儀をぶっ飛ばして、慌てて逃亡阻止の加勢に入った。
「やめて下さい大臣! 昨日いきなり休暇届けを出されて、こっちは大変迷惑しているんですから!」
「次の会談は短い時間で終わりますし、その後に珈琲休憩を入れましょう! ついでに菓子も持ってこさせますからッ、ね!?」
次々に口を開く三十代から五十代後半までの男達を見て、ジーンは顔を顰めた。
「休憩ったってアレじゃん、珈琲片手に書類チェックしながらのやつだろ?」
あんなのは休憩とはいわん。
休めるどころか、現状を痛感して目が霞むわ。
珈琲を飲みながらも書類をチェックするとか、そういった仕事一色の時間を過ごすなんて、ジーンには考えられないものである。まず、やろうという意欲なんて微塵にも湧いてこない。性格に問題がありながら、それを日々当然のようにやってのけているロイドが、どれだけクソ真面目な仕事バカなのかよく分かる。
そう考えたところで、ジーンはまたしても勘が働いて「ん?」と首を捻った。
「なんだか、ロイドのところでも面白い事が起る気がするなぁ。――こう、見に行きたくてうずうずするんだが」
手を怪しく動かせてそう呟き、ジーンは、修理されたばかりの大窓をくるりと振り返った。
それを見た男達が、またしても情けない悲鳴を上げた。
「やめてッ行かないで大臣様!」
「お願いだから仕事して!」
なんでウチの大臣は、野生動物並みの行動力を持っているんだろうか。
部下達は再三の疑問を思いながら、全員で必死にジーンにしがみついて全力で引き止め、心の底からそう叫んだのだった。
 




