十五章 序&それぞれの思惑と迷惑な1日(4)上
壊されるのではないかと思う勢いで扉が開かれ、ルクシアの研究私室内にいたマリア達は、揃ってそちらへと顔を向けた。
「よっ、昨日また騒ぎを起こしたんだってな!」
開口一番、元気の良い挨拶と共に飛び込んできた男の背中で、軍服に着けられているマントが広がった。作業の手を止めて男を見た瞬間、マリアは思わず「ニールに続いて、こいつもか……」と表情に出してしまった。
ノックも掛け声もなく突入してきた男は、グイードだった。
赤みを帯び焦げ茶色の癖のある短髪は、自由過ぎるストレスフリーな仕事ぶりを表しているように、四十代後半でありながら白髪は一つもない。鍛えられて引き締まった身体もあってか、その容貌は実年齢よりも若く見える。
慌ただしい二十歳の救護班が出て行った矢先、新たな突入者として来たグイードを見て、ルクシアが額に手をやり「今度は一体何ですか」と吐息交じりに呟いた。
アーシュは先程、飲まされた激不味の『気付け薬』による心身のショックで、もはや突っ込みを入れる気力も諦めて椅子に腰かけていた。しかし、「また面倒なタイプが来たのでは」と半ば警戒の表情を浮かべる。
「というか、また軍人……」
「また、軍人ですね……」
男の軍服衣装から、二人は騎士団の師団長らしいと察してそう呟いた。訪問予定のない二番目のこの来客が、今、この部屋に広がる光景を前にしてたじろがない様子を見て取り、つい元軍人であるらしいニールの方を盗み見てしまう。
現在、ルクシアとアーシュが腰かける作業用テーブル席の隣の床では、丈夫な縄でぐるぐる巻きに縛り上げられている途中のニールがいた。そして、片足で彼を踏み付けて押さえこみ、慣れたように縄を固定しにかかっている最中で手を止めているのは――
大きなリボンが似合う、実年齢の十六歳にはどうしても見えない体系と幼い顔立ちをした、特注の膝丈のメイド服に身を包んだマリアである。
扉を開け放ったグイードが、陽気な笑みを浮かべてその様子を真っすぐ見つめていた。数秒の間を置いたかと思うと、状況を推測するように首を少し右へ傾げる。
そんな彼を、マリアは真顔でじっと見つめ返していた。彼女の足の下で腹這いになっていたニールが、馴染みの顔を見て現状を忘れたように、パチリと瞬きをして「あ、グイードさんだ」と、普段の明るい調子で声を掛けた。
「グイードさん、お久しぶりです。またサボリっすか?」
「ここにお前らがいるって聞いて、ちょっと様子を見に来たんだよ」
「マジっすか。こうして会うのとか超久しぶりですし、嬉しいっす!」
「…………」
その言葉を素直に受け止められないのは、これまでの経験のせいなのだろうか。
マリアは、昔から『オブライトの先輩』という眼差しをグイードに向けているニールを見て、悩ましげに沈黙した。オブライトであった頃の長い付き合いから考えると、どうもそう素直に喜べる類のものではないと思えてしまうのだ。
先輩として様子を見に来たというよりは、ニールがいると聞いて、単に面白い事が起こっているのではと思い立って突入してきた――というの気がしてならない。何せ、グイードは相手が仕事中だろうが、関係なしにやってきて喋り倒す自由人である。
「そういやマリアちゃん、昨日はジーン達と初活動だったんだろ? 怪我とかなかった?」
グイードが腰に片手を置いて、思い出したようにマリアへと視線を戻した。
女性を大事にするグイードらしい気遣いが窺える台詞ではあるが、掛ける言葉としてタイミングが合っているのかは難しいところだ。マリアとしては、まず、用もなく第三王子の仕事部屋に踏み込んで来るなと言いたい。
というか、こいつ行動範囲広すぎないか?
いや、もしかしたら第三王子とは、面識があるのかもしれない。良いところも多々あり、交友関係もとくに広い友人だった事も思い出して、マリアは、しばし考えた結果「怪我はありませんわ」とだけ答えた。
そのやりとりが終わるまではと見守っていたルクシアは、既視感を覚える光景に思わずこめ髪を揉み解した。マリアが到着した時と同じセリフになるがひとまずは……と口の中で呟いて、グイードに声を掛ける。
「すみませんが、扉を閉めて頂けますか?」
「おっと。これは失礼致しました、殿下」
遅れて気付き、グイードが後ろ手で扉を閉めた。それから、軍人らしく片手を胸にあててルクシアに軽く頭を下げる。
「申し遅れました。私は、銀色騎士団の第一師団長――」
「『殿下』はおやめ下さい。ここにいる私は『薬学研究棟の所長』です」
「――なるほど。それではルクシア様とお呼びしても? どうぞ、俺の事はグイードとお呼び下さい」
刺々しい冷やかな敬語を向けられたものの、グイードがにっこりと笑みを浮かべて、逆に好印象を抱いたと言わんばかりに爽やかにそう言ってのけた。
ルクシアは、あまりない反応に少したじろいだ。マリアやアーシュとどこか似ていて、初対面でありながら親身に接してくる中年男を、訝しげに見つめ返す。
グイードは気付かない様子で、続いてアーシュへと目を向けた。
「話は総隊長から聞いてるぜ、『アーシュ君』だろ? 俺はグイードってんだ、よろしく」
「は? あの、俺は文官のアーシュ・ファイマーです。どうぞよろしく……?」
随分と砕けた下町風の挨拶をされ、アーシュは戸惑いながら自己紹介を返した。どうやら、こちら側の事情を知る軍人の一人らしいとは把握したものの、師団長クラスの人間が、わざわざ離れの棟を訪ねてくるというのも聞いた事がなくて、ルクシアとチラリと視線を交わしてしまう。
呆気に取られる二人に見守られ、グイードは向けられる視線に微塵の疑問も抱いていないのんびりとした様子で、慣れたように軍靴で室内を進みだした。
マリアは、グイードがルクシアとは顔見知りでなかったと察した時点で、丹念に目頭を揉み解しにかかっていた。相変わらずだな、と、うっかり口に出してしまわないよう努めるのに精一杯だった。
初入室とは思えないリラックス感を漂わせ、歩み寄ったグイードが「ところでさ」と言い、マリアとニールを見下ろした。
「――ニール、お前、今度は何したんだ?」
「俺が悪いの前提なんすか!? ひどいっすよグイードさんッ」
「だってお前、女心をちっとも分かってねぇんだもん。その点でいうと、ヴァンレットと似たりよったりだぜ」
んで、何があったのよ、とグイードが目で問い掛ける。
改めて理由を尋ねられたところで、ニールが「ん?」と疑問の声を上げて口をつぐんだ。しばし思案する彼を、マリアとグイードは、一番下の後輩だった頃の感覚でいつものように静かに見守った。
「……俺、なんでお嬢ちゃんに縛り上げられているんだっけ?」
「…………」
おい、そこで質問するような目を寄越してくるんじゃない。
マリアは、こちらを見上げた全く反省のない部下を睨み付けた。アーシュが倒れた際にも空気を読まない行動を起こし、救護班が到着した時にも散々騒いだので、本気で部屋の外に捨ててこようと思って縛り上げていたところだったのだ。
ニールの返答を聞いて、グイードは「ふうん?」と首を捻った。そもそも理由も分からないのに、彼が大人しく縛られているというのも珍しい事である。ニールは飽きっぽい男であり、行動を制限されるような窮屈さは好んでいない。あのロイド相手に『死んだふり』や、縄抜けも脱出もやってのける天才だ。
そんなニールが『逃げた後が超怖い』と大人しくしていた人物は、同時に一番に尊敬もして、絶対の信頼を寄せていた一人の男くらいなもので――
そうグイードが思案を口の中に落とした時、マリアを見上げていたニールが、やはり今の状況になるまでの要因を覚えていないとばかりに二回ほど瞬きした。どうして無言で睨みつけてくるんだろう、という呑気な表情で首を傾げる。
「あれ、お嬢ちゃんどうしたの? というかさ、この角度からだと太腿の際どいところまでチラリと見えそうなんだけど、俺、別に子供のは興味ないから、そんなサービスいらな――痛い痛い痛いッなんで縛る作業再開すんの!?」
「よし、そのまま外にダイブするか」
「えぇぇぇぇえええ!? 俺だけ仲間外れとか、俺が可哀そうすぎるよ!」
お願いだから外に捨てないで、と切々と訴えるニールの情けない悲鳴に、グイードは意識が引き戻されて思案を忘れた。「どこかで聞き覚えがあるニュアンスだなぁ」とぼやきながらも、女の子のスカート問題は大きいよな、と結論しマリア達へ向き直る。
「ニールが本気で泣きそうになってるから、マリアちゃんも足を下ろしてあげようぜ?」
「さすがグイードさんッ、超優しいっす! あ。そういえば前に飲み会があったって聞いたんすけど、俺参加出来なかったんで、今度奢って下さい」
「「調子に乗るな」」
縄でぐるぐるに縛られた状態で、ニールが魚のようにビチビチとはね始めたので、マリアとグイードは揃って馴染みの台詞を口にした。動かれると、縄を解く作業に支障が出るからだ。
女性に優しいグイードが、作業の開始早々「俺がやっておくから」と提案し、マリアは彼の性格を考えて素直に任せる事にした。なぜだかルクシアとアーシュが、呆気に取られたままこちらを見ている事に気付いて、不思議に思いつつもメイドらしく彼らの珈琲を淹れ直した。
「そういや、予備の椅子ってねぇの?」
お前、居座る気か?
思わずマリアは、ニールを縄から解放して改めて室内を見渡したグイードに、露骨にあきれ果てた半眼を向けてしまった。ルクシアとアーシュも、複雑そうな心境を浮かべた顔で、出会ったばかりの慣れない男を見やる。
すると、辺りをざっと見渡したグイードと、ニールの目がパチリと合った。
「これは俺の椅子です! お嬢ちゃんの隣は譲らねぇっすッ」
ニールがすかさず断言した。
アーシュと並ぶマリアの横に、テーブルの角からやや足をはみ出す位置にニールは無理やり椅子を置いていた。グイードが、そこに腰掛ける彼を見つめたまま「おいおい」と、呆れたように親指でルクシアの方を差す。
「ルクシア様のところがガラ空きだろ。俺より小さいんだし、お前なら本の上にでも座れるんじゃね? ここは大先輩に譲ろうぜ、ニール」
「後輩に遠慮して下さいよ、もう一つ持ってくればいいじゃないっすか」
「椅子、四つも並べたら俺が確実にはみ出るじゃん」
「へっへーん。ここは早いもん勝ちっすよ!」
ニールが偉そうに言い、指で鼻先を擦った。
語る二人の横で、マリア達はこの作業台での、『一対四』というアンバランスな椅子の配置を思い浮かべた。テーブルのサイドスペースも空いているのだから、わざわざ向かい合わせという形をとる必要もないのに、おかしな話であると思う。
慣れない複数の人間の訪問を前に、疲労感を漂わせたルクシアが、げんなりとした様子で珍しく姿勢を崩して頬杖をついた。
「……実に騒がしい二人組です。彼の方は、一体何をしに来たのですかね?」
「俺の気のせいでなければ、仕事を抜け出してきた自由人にしか見えないです」
「アーシュの指摘は、的を射ていると思うわ」
その時、グイードの目が真っ直ぐマリアへと向いた。こちらの話を聞かれたのだろうかと、マリア達は警戒してぴたりと口をつぐんだ。
「マリアちゃん、これから何すんの?」
「は? いえ、特にこれといった予定はないですけれど……?」
訝しげに思いつつ答えると、途端にグイードが「え~」と、露骨に残念そうな表情を浮かべた。
「何も決まってないのか? 七不思議の探索とか、気晴らしにそのへんを歩くとかも?」
あたり前だろ、遊びに来てる訳じゃないんだぞ。
マリアは、危うく顔面が引き攣りそうになった。こちらには、ルクシアの護衛兼手伝いに来ているのであって、ジーン達との臨時班が待機状態とはいえ、時間潰しにのんびりと居座るためではない。
ニールが「やっぱりサボリじゃないっすか」と思った事を口にし、ルクシアとアーシュが、なんとも言えない心情を表情に滲ませた。
向けられる視線も台詞も聞かず、グイードが勝手に辺りを見渡した。「これ、なんの箱なんだ?」と言いながら大きめの木箱を引き寄せ、テーブルの横まで押して移動したかと思うと、突然「あぁ!」と大声を出した。
軍人特有の大きな強い声を聞いて、ルクシアが小さく飛び上がった。アーシュも慣れない様子で、ビクリと肩を揺らして反射的にグイードの方へ顔を向ける。
マリアは嫌な予感がして、思わず「おい、グイード」と素の口調で言葉を掛けかけた。しかし、それよりも先にグイードが素早く木箱に腰かけてテーブルへと身を乗り出し、やけにキラキラと輝く瞳で一同を見てこう切り出した。
「そうだった! 聞いてくれよ、ウチの可愛いルルーシアちゃんの寝顔がさぁ、もう最高でサイコーで――」
途端に、例の如くグイードのマシンガントークが始まった。
だらしなく眉尻を下げて嬉しそうな表情をしている友人を前に、マリアは目頭を押さえて「ぐぅ」と呻いた。こうなってしまったら、奴の話を途中で終了させるのは不可能であり、満足するまでこちらの話も聞かないだろうとは経験で分かっていた。
愛に生きるグイードの、迷惑極まりない語りが初見のルクシアとアーシュが、唖然として目を丸くした。




