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十五章 序&それぞれの思惑と迷惑な1日(2)上

 体系の薄さに悩むカレンと、胸が大き過ぎて少し困っているというマーガレットと、侯爵邸の女性使用人の休憩室で話してから数時間後――


 マリアは王宮にて、悟りを得た心境を覚えていた。


 やはりあれは、幼子の頬には敵うまいと思う。


「…………あの、メイド殿、大丈夫ですか?」

「大丈夫です、止まりました」


 一番近い距離にある部屋で世話になっていたマリアは、キッパリとそう答えた。第四王子の私室に到着して数分で崩れ落ちたうえ、鼻から流血するという失態をしてしまったわけだが、後悔も未練もない。


 血の付いたタオルを片手に、年頃の少女が恥じらいもなく凛々しく言い切るのを見て、衛兵は複雑な心境を表情に滲ませた。唐突の事でもあったし、王宮に到着するまでに何かしらダメージを受けたのか、とも訊けずにいる。


             ✿


 本日のリリーナは、水色の大きなリボンに、秋先の時期に咲く薄桃色の季節花がイメージされた、フリルたっぷりの可愛らしいドレスを着ていた。控えめに入れられた花柄の刺繍も、ふわふわとした彼女の蜂蜜色の髪がよく映える。仕上げのリボンをセットしてから、彼女はずっと上機嫌だった。


 対する第四王子クリストファーは、柔らかな金髪と同じ色の刺繍と飾りがされたジャケットに、その腰部分にはリリーナとお揃いの水色のリボンをしていた。彼の大きな金緑の瞳も、リリーナと同様、いつも以上に溢れる嬉しさでキラキラと輝いている。


 本日の『お揃いのリボン』は、初となる王族側で用意された物だった。


 これまではアーバンド侯爵側から贈られたリボンがされていたのだが、ようやく先日、王族で手配されていたリボンが仕上がったと連絡があり、両家に届けられたのだ。


 普段よりも高価さが際立つリボンは、上質な絹のような鮮やかな水色で、光があたる位置によって澄んだ空色を見せる細工が施されている。金緑の縁取りには、本物の金の光沢が利用されており、あまり強く主張しない程度に金と藍色の刺繍模様もあった。


 リリーナもクリストファーも、対面時には礼儀の挨拶も飛ばして、互いの手を取って喜びを分かち合うほどだった。それはとても微笑ましい光景で、マリアだけでなく、リリーナの侍従であるサリーや、王子付きのメイドと衛兵も表情を綻ばせた。


 しかし、その嬉しさの爆発ぶりが、朝一番の騒ぎへと繋がった。


 喜びの中で対面を果たした幼い二人は、一分もしないうちに、唐突にこちらを振り返った。嬉しさの隠しきれないくりくりとした瞳で、マリアを真っ直ぐ見つめて「三人でお揃いよ!」「お揃いだね!」と駆け寄って来たのである。


 リリーナの影響からなのか、どうやらクリストファーには、出会った当初から『信頼出来る少し年上のお姉さん』認定されているらしい。ずっと続いている三人でのお揃いのリボンも、すっかり気に入っているようでもある。



 そこまで懐かれてしまったら、更にまた一層可愛く見えてしまうというものだ。

 

 美少女な天使に加えて、女の子みたいに見える金髪の天使が、名を呼んで向かってくるとか最高過ぎる。



 マリアは、駆け寄る小さな二人の光景を目に留めながら、全力の愛想笑いで耐え抜く決意をした。自分には、オブライト時代から鍛えられている鋼の精神力があるのだ。二十六歳の時、ジーンの長男が産まれた際にも発揮されていたから、きっと大丈夫。ここは立派な大人として、爽やかに笑って過ごせばオーケーだ。


 今世ではまだ未成年だが、マリアは既に、それすらもあやふやなほど幸せな気分の中にいた。リボンをもっとよく見せてとせがまれて、「はい」と騎士然とした笑顔で答えて腰を屈める。


 すると、リリーナとクリストファーが両側から抱きついてきたのだ。


 さすがに、この展開は予想していなかった。


 彼女達の柔らかなほっぺたで、両方の頬をすりすりとされた瞬間、マリアの記憶は飛んでいた。気付いたら床の上にいて、泣きそうな顔をしたサリーに介抱されていたのである。


             ✿


 十歳の子供というのは、いらずらな好奇心でうずうずする年頃でもあるようだ。


 日頃、抱きしめて頬擦りしたいと常々考えて妄想していたものだが、まさか、ここでチャンスが訪れるとは思っていなかった。しかも、天使が二人とか贅沢過ぎる。この感触は忘れるまい、とマリアは思った。


 タイミング良く、ヴァンレットが席を外していたのも幸いだった気がする。


 おかげで、第四王子の私室に入室してからずっと、あの天使な二人に集中する事が出来た。幼い二人のはしゃぐ様子は、瞬きもせず一心に見守っていたおかげで、マリアの網膜に見事に焼き付いてくれている。


「畜生可愛すぎるだろッ。一ヶ月分は癒された、今ならなんだって許せて寛大な気持ちで受け入れられる気がする……!」

「えぇと、メイド殿……? ガッツポーズをされて、どうされました?」


 再度問われたところで、マリアは自分に付き添ってくれていた衛兵の存在を思い出した。つい回想に浸ってしまったと気付き、取り繕うべく少女然とした愛想笑いを浮かべて、あざとく小首を傾げてみせた。


「なんでもございませんわ」


 爽やかにそう言ってのけ、どこか少女らしかぬ凛々しさも覚える微笑を向けられた衛兵は、ぎこちなく笑い返した。彼の脳裏には、『デカいリボンのメイドの鼻血事件』がしつこく再生され続けていた。


             ※※※


 なんだって寛大な心で許せる、――と直前まではそう思っていた。


 世話になった衛兵に別れを告げ、マリアは弛緩した表情も戻らないまま、足取り軽やかに、なんだか向かうのが久しい気もする離れの薬学研究棟へと向かった。


 思わず鼻歌をやってしまうほど気分は最高潮で、周りの大人達が「あのメイドの子供、一人で楽しそうだな?」という好奇心の視線にも反応しなかった。腰元や襟首に馴染みのスカーフをせず、王宮内では珍しい、やや主張する大きさのレース入りリボンを付けた数人の美少年が、口許を押さえて熱い視線を送っていたのにも気付かなかった。


 薬学研究棟の裏手に回って見慣れた扉を叩くと、内側からすぐ「どうぞ」と声変りもしていないルクシアの声が上がった。


 その時点で嫌な予感を覚えなかったのは、今日は素敵な事が起こりそうだ、とかなり楽観的思考でいたためである。先日まで続き部屋にこもっていたルクシアも、今朝はきちんと休憩を入れているらしい、という安堵感にニッコリとした。


 今日も一日頑張るか、という想いで「失礼します」と元気良く扉を開けた。


 そこでマリアは、いつも三人で腰かけていた作業テーブルの様子に目を留め、ピキリと動きを止めた。ふわふわとした心地良いテンションが、昨日までの疲労感を思い出して急激に下がっていくのを感じた。



 薬学研究棟の所長である第三王子ルクシアは、いつも通り、アーシュの向かいに腰かけていた。


 耳朶が見え隠れする赤みかかった柔らかい栗色の髪に、国王陛下やクリストファーと同じ、宝石のように鮮やかな金緑の瞳。十五歳にしては一回り以上も華奢だが、上から着ている白衣は大人サイズで、袖口が数回折り曲げられている。



 幼さの残る顔だというのに、無表情か怪訝な顰め面が板についているルクシアの、眼鏡と前髪から覗く目には子供らしい愛想は一切ない。


「…………」

「…………」


 マリアは、ルクシアと目を合わせたまま、しばらく沈黙していた。


 数秒遅れて、アーシュがげんなりとした表情で振り返り、ルクシアと同じように言葉も発さずマリアを見つめた。文官課の軍服の上から白衣を着た彼の隣には、好き勝手に喋り続けている、真っ赤な髪をした男の後ろ姿がある。


 ようやく来てくれたか、というようにルクシアが溜息をこぼした。


「先に扉を閉めて頂けますか」

「……すみません。少し現実を受け入れたくない気持ちが強くって、一旦出直そうかと本気で考えました」

「お気持ちは分かります。昨日から『彼』と一緒に活動されていると、『彼』本人から聞かされました。――それから、アーシュとも大変な目に遭われたとか」


 ニールがモルツに追い掛けられるという騒動で、アーシュは、またしても『世界一悪意を感じる気付け薬』を飲まされていた。気絶の原因はニールの血糊だったのだが、いつもの女性恐怖症で倒れたのではと勘違いされ、例の彼の友人である救護班が駆け付けたのだ。


 マリアは先日を思い返しながら、表情をそのままに後ろ手でゆっくりと扉を閉めた。それを見たアーシュが、呆れたように眉を寄せる。


「…………お前さ。女なんだから、そう露骨に顔に出すなよ」


 その時、扉が閉まる音に気付いた赤毛頭の男――ニールが、ようやくお喋りを途切れさせて振り返った。彼は、マリアの姿を認めるなり「やっほー!」と元気たっぷりに挙手した。


「お嬢ちゃん昨日振り! 元気だった?」

「……ニールさん、なぜこちらにいらっしゃるんですか」


 なんで朝一番にこいつと会うんだ。


 マリアは、思わず目頭を押さえた。昨日の騒ぎのせいで、今度はニールとモルツとの三人で、またしても宰相室行きになってしまったのだ。


 宰相のベルアーノは、何故かソファに横になって別の救護班と部下達の介抱を受けていた。恐らく、仕事の予定が多く詰まっていたのかもしれない。こちらがそれぞれ事情を説明して謝った途端、胃を押さえて見事にひっくり返った。


 頼むから、これ以上の騒ぎは起こさないでくれ。今日一日だけ、いや、数日だけでもいいから……とベルアーノは絞り出すような声で言った。かなり多忙なんだろうな、とマリアは同情を覚えた。


 すると、先日までこの部屋になかった丸椅子に腰かけていたニールが、小柄な自分よりも、更に少し背丈が低いアーシュの肩へ腕を回して、自信たっぷりに胸を張った。


「俺ら友好を深めてたんだぜ! 今じゃ超仲良し!」


 マリアは、呆れてすぐに言葉が出て来なかった。当のアーシュが、心底迷惑そうに視線を泳がせているのを、しばし見つめてしまう。


「――ニールさん、アーシュの顔を見てから言った方がいいと思います」

「ほら昨日はさ、俺ら出会いが悪かったじゃん?」

「私の時もそう言っていましたわね」


 相変わらず、こちらの話を聞かない男だ。


 マリアは、彼がルクシアにまで失礼な迷惑を掛けてないか気になった。アーシュがげんなりとした様子で、ニールの腕を引き離して指を差し向ける。


「この童顔の人、やばくないか? ルクシア様を続き部屋から引っ張り出して、ずっと勝手に喋り通してるんだぜ? 三十七歳だって主張してんだけど、本当か?」

「ひでぇッ。お嬢ちゃん聞いた? アーシュ君、俺が『大臣の優秀な手駒』の三十七歳だって自己紹介してんのに、そのへんをちっとも信用してくれないんだぜ」


 困ったもんだぜと言わんばかりに、ニールがそれらしい顔で「やれやれ」と息を吐いた。ルクシアがそれを無視し、さりげなく視線を動かせて怪我も体調不良もない事を確認しながら、マリアに現在の状況を教えるベくこう言った。


「年齢等については不明ですが、彼が大臣側の人間であるとは、先程確認が取れました。昨日は外へ出たと窺ったのですが、あなたの凶暴性についての話題が大半でしたね。どこからどこまでが作り話か分からず、そちらに関しては、悩ましく思っていたところです」


 瞬間、室内の温度が五度下がった。



 マリアは視線の矛先をルクシアから移動し、にっこりとした。真っ直ぐ笑顔を向けられたニールが、どこかで見覚えがある良い表情だなぁ、と疑問符を浮かべて警戒心なく首を傾ける。



 アーシュは、その笑顔を目に留めて、嫌な予感を覚えた。


 自分の目がおかしくなければ、マリアの目は完全に笑っていない。思い返せば、彼女と初めて出会った際には胸倉を掴み上げられたものだが、少しその時の威圧感というか、緊張感を覚えるのは自分の気のせいだろうか?

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