十四章 長かった四人の初動日の締め(1)
ポルペオのヅラを飛ばすという目的を果たしたマリア達は、空腹のためあっさりと中央訓練場を後にし、消費したエネルギーを補給するように、王宮の前中央部に設けられている公共施設区のいつもの食堂にいた。
昼食にしては遅い時間帯であるので、利用している軍人の数は少なかった。しかし、元黒騎士部隊に所属していた四人が食事を始めるなり、その周囲からは完全に人の姿が消えた。
八人席のテーブルに広げられた料理が、次々に四人の胃袋に消えていく様子に耐えかねて、遅い休憩に入っていた若い騎士達が、口を押さえて席を移動したせいだ。
食堂に居合わせた男達は、四人の席に並ぶ料理の中で、大食らい向けの裏メニュー『料理長の気まぐれデカ盛り定食』も人数分ある事に気付いていた。それに加えて、他の料理までバクバクと食べる見覚えのある無精髭の男と、最近ちらちらと見掛けるデカいリボンのメイドも気になってしまい、思わずゴクリと唾を飲む。
そういえば、またどこかで騒ぎがあったらしいぜ。また総隊長あたりかな。というか、あの四人の胃袋ヤバくないか? あの顔って、もしかしなくても大臣じゃね? というか、あのメイドっ子って確か、第三王子ルクシア様といっしょにいた子供だよな、なんで揃って隊員のジャケットを着ているんだろうか……
周りで交わされる会話は、大半が先程起こったらしいポルペオの騒動に関わるものだったが、マリア達はその一切を聞いていなかった。戻らなければならない時間が押していた事もあり、それまでにたっぷり食う事に意識が向いていたせいだ。
ジーンは大臣としての仕事が待っており、どうにか今回のメンバーに引き入れていたヴァンレットに関しても、すぐに近衛騎士として戻さなければならない予定があった。
当のヴァンレット本人は、宰相ベルアーノから聞かされていた『本日の行動日程』をすっかり忘れていたようだが、きちんとジーンが思い出させて、ここを出たら真っ直ぐ向かう先まで念を押して伝えもした。しかし、ジーンは最後に「……ここを出たら、俺が宰相の部屋に放り込んでやるか」とも呟いた。
ジーンとヴァンレットに比べると、マリアは、若干の時間的余裕はあった。とはいえ少し早目に、第四王子クリストファーと一緒に居るリリーナのもとへ戻る予定でいた。
なんだか猛烈に疲れたような気がするし、随分長い事そばを離れていたような気もしていた。マリアとしては、早くあの二人の天使に癒されたいと思った。
ヴァンレットに言い聞かせ終わったジーンは、かなり腹が減っていたので『料理長の気まぐれデカ盛り定食』をバクバクと食べ進めた。七割ほど胃に収めたところで、ようやく思い出したように顔を上げて、向かい側に腰かけるニールへ視線を投げた。
「俺とマリアとヴァンレットはいいとして、ニール、お前他に予定ないだろ? 今のうちに報告書をさくっとやって、ここを出たらあいつの執務室に投げ込んできてくれよ」
「え~、超めんどいんすけど……」
「ロイド本人に、口頭で報告するよりマシだろ?」
「それは絶対嫌っすね、だって変態野郎がそばにいるに決まってるッ」
想像するだけで恐ろしい、とニールが肩を震わせた。
マリアは咀嚼しつつ、そんな二人の様子を眺めて悩ましげに首を捻った。ニールは自分よりも読める字を書いたが、報告書などの書類作業が出来る男ではなかった気がするのだ。なんというか、そこに関しては、ニールの性格が著しく出ていた覚えがある。
あの当時、ニールは普段の口調のまま、話が一切まとまめられていない長文を書いていた。今は大臣の部下であるので、もしかしたら、その辺の仕事も少しは出来るくらいにはなっているのかもしれない。
マリアはそう考えて、ひとまず報告書の一件については彼らに任せる事にした。
ニールの隣に腰かけていたヴァンレットが、先に『料理長の気まぐれデカ盛り定食』を完食し、続いて、既に切り分けられている鳥の丸焼きへと手を伸ばした。彼の向かい側に座っていたマリアは、それにつられて、一旦箸を置いて濡れ布巾を引き寄せた。
普段から滅多に報告書なんて指示されないニールの、露骨に乗り気でないという表情を見て、ジーンも隣のマリアにつられて濡れ布巾を用意しつつ、こう続けた。
「俺はこの後、着替えたらすぐに大臣の仕事がある。活動初日だし、ロイドもすぐに状況報告を聞きたがるだろうからな。――まぁ、俺としても早いうちに仕掛けておきたいっつうか」
数日内の決行だから時間は限られる、とジーンは思案するように口の中に呟きを落とした。言いながらも切り分けられた鳥の丸焼の一つを手で掴み取り、隣のマリアと同じタンミングで、肉汁たっぷりのそれにかぶりついていた。
ニールは「そのタイミングで食うんすね」と言いつつも、いつもの光景であるので気にせず、自分もサイコロステーキを口に放り込んだ。
王宮にある公共食堂は、さすが王宮勤めの料理長がやっているとあって、そこにある各肉料理は、昔からニールの大好物でもあった。安く食えるうえ肉も柔らかくて美味いとか、最高すぎる。
だからつい、ニールも『料理長の気まぐれデカ盛り定食』と一緒に、つまめる量の単品メニューも注文していた。彼としては、ジーンやヴァンレットに比べて随分口も小さいマリアが、ほぼ同じ速度で料理を食べ進めているのが不思議でならず、彼女の胃のあたりを見てしまう。
「お前なら、報告書だろうとパッと書けちまえるだろ? まるで喋るように文章もツラツラと出てくるとか、才能だぜ。つまり、この中で一番適任で、その役目を果たせるのはお前しかいない!」
一齧り目の鳥肉を飲み込んだジーンが、カッと目を見開き、わざとらしいくらいに力説した。
才能、適任、お前しかいない……口の中で言葉を反芻したところで、ニールは瞳を輝かせた。マリアの胃袋への謎も、彼の頭からすっかり吹き飛んでいた。
「マジっすか! 俺ってば、超期待されてんの!?」
「ははははは。そうだとも、俺は、お前に超期待してる。無駄なく円滑に事を進めるためには、全て今のお前にかかっていると言ってもいい。なっ、そう思うだろ、親友よ!」
「え。そこで私に振るの?」
再び鳥肉にかぶり付こうとしていたマリアは、直前に口を止め、唐突に話を振ってきたジーンへと目を向けた。彼の赤み混じりの焦げ茶色の瞳は、悪戯心を宿してキラキラと輝いているように見える。
つまり、彼は話を合わせろと言っているのだろう。
気のせいだとは思うのだが、まるでニールに報告書を書かせる事に目的がある、とも聞こえる口振りだった。もしかしたら、後の時間に大臣としての仕事が詰まっていて、ジーンの方で報告書まで起こす時間がないのかもしれない。
ちらりと視線を流し向けると、どこか期待するようにこちらを見ているニールの目とぶつかった。二十歳にしか見えないその顔には、露骨に「え、ジーンさんだけじゃなくて、もしかして俺、お嬢ちゃんにまで頼られている感じ?」と語っている。
まぁ、ジーンがそうさせたいのなら、ここは協力するか。
マリアは鳥肉料理を手に持ったまま、ニールの調子を上げるような言葉を探した。時間を稼ぐように「そうですわねぇ」とひとまずはジーンに相槌を打ち、それから、ニールへと視線を戻す。
「ニールさんなら、言葉がつらつらと出てくるのではないかと思います」
もはや、それしか思い浮かばなかった。
言って直後、褒め言葉でもなんでもないな、とマリアは思った。しかし、どうやらニールにとっては違ったらしい。彼は子供みたいに瞳を輝かせて、半ば腰を上げ「マジかッ」と興奮したように言った。
「やべぇ、俺めちゃくちゃ頼りにされてるじゃん! よっしゃ、この時間でパパッと仕上げて、お嬢ちゃんの中の俺の株を上げてやるぜ!」
単純なニールが意気込んだところで、ジーンが、タイミング良く紙とペンを手渡した。
「ははは、さすがだぜ、ニール。――ここに都合良く紙とペンがあるから、使え?」
「はいッ、頑張ります副隊長!」
ニールは疑わず、用紙にペンを走らせ始めた。
ジーンが何時からそれを見越して、ちゃっかり道具まで用意していたのか気になるところだ。マリアは不思議に思いつつも、手に持っていた鳥肉に意識を戻したところで、ヴァンレットの食べっぷりを見て「あ」と声を上げた。
「ヴァンレット、ストップ。その肉料理は半分残して、ニールさんのところにやって。好物がなくなったら、また泣かれちゃう」
この食堂で、ニールが毎回好んで食べていたメニューの一つだ。
気付いたマリアが指摘すると、ヴァンレットが、きょとんとした顔で手を止めた。隣で報告書を作成するニールをゆっくりと見下ろし、それから、料理へと目を戻して「うむ」と笑顔で肯いた。
どうやら、仕事をやっているので食べる手を止めているだけらしい、とは理解してくれたようだ。ヴァンレットがその皿をニールの方へ置くのを見て、マリアは胸を撫で下ろした。
「それから、その串焼き、半分食べたらこっちに寄越してもらってもいい?」
「あれ? 親友よ、その串焼き俺の分も入っているのを、出来れば忘れないで欲しいなぁ、なぁんて……」
「うむ、分かりました。じゃあ、ジーンさんの分も一本残しておきます」
ヴァンレットが子供のような幼い笑みを浮かべ、これで解決とばかりに言って、しっかりと肯いた。
そんな大男を前に、ジーンは「え~……」と複雑な心境をこぼした。思わず、三人分と見越して二十本注文した串焼きを確認してしまったが、ふと、この面々でいる場合、三十本はないと足りなかった事を思い出した。
俺とした事がうっかりしてた……ジーンは、こちらを不思議そうに見つめるマリアとヴァンレットを見て、諦めたように頭を小さく左右に振った。
「……やっぱりいいや。うん、もう一回注文するわ」
「そう? じゃあ遠慮なく食べるわね」
「先に頂きます、ジーンさん」
「…………うん、沢山食べて育つといいよ」
諦め気味に答えたジーンは、それが部隊内の年長者として馴染みのあった台詞だったと思い出した。現在、ヴァンレットは三十七歳だが、はたして、これ以上大きくしていいものなのだろうか……
いや、そこじゃない。
というか三十七って、とっくに成長期も終わってね?
ヴァンレットもまた、ニールに及ばずとも若作りである。ジーンとしても、自分の年齢を忘れるのはしょっちゅうある事なので、つまりは深く考えない事にした。ひとまず、現在、成長期真っ最中の十代である親友には、それとなく牛肉の厚切りが乗った皿を寄せておく。
ジーンは、気持ちを切り替えるように布巾で丹念に手を拭い、『料理長の気まぐれデカ盛り定食』へ箸を戻した。思考を先の報告書に戻したところで、もう一つの大事な点を思い出して、意気揚々とペンを走らせるニールへ声をかけた。
「ニール、『ピーチ・ピンク』の事も、忘れずにちゃんと書いておいてくれよ?」
「あのチンピラ共っすか? あいつらってそこまで重要な立ち場でもないし、あの魔王、絶対『余計な情報だ』『別にいらん』って怒りそうな気がしますけど。箇条書きにしても、どうしてもフザケタ役者みたいな感じになっちゃうと思いますけど、それでもいいんすか?」
「いいんだよ。報告書ってのは、時には笑いも必要だ」
ジーンがそれらしい表情で言うのを見て、マリアは、必要なわけあるか、と彼の横顔に半眼を向けてしまった。多分、ニールはロイドに殺されるんじゃないだろうか、と報告書を読むロイドを想像してしまう。
ニールは首を捻ったものの、「副隊長が『良い』って言うんだから、いいのか」と単純に考えて了承し、肉料理を口に放り込んで再びペンを走らせた。
「それから『ピーチ・ピンク』の件は、俺が言っていたとも必ず書いておいてくれ」
「了解っす。その方が怒られないっすもんね!」
「――まぁ、そんなところだ」
ジーンは、素直な部下を見て含んだ笑みを浮かべた。多分ロイドは、こちらの思惑に気付いてくれるだろう。ニールが書く文章や内容も影響して、それなりに興味を持ってくれるに違いない。
ロイドには別件でも用があり、この報告書は、奴を釣り上げるための下準備でもあった。
とはいえ、別の用については、普段なら「俺をそんな事に使うとはいい度胸だ」とロイドを確実に怒らせるくらいの役割仕事であり、ついでに上手く使えるといいなぁ、とジーンが個人的に考えている一件なので、別に緊急性を要するものではない。
まずは、彼が早々に腰を上げてくれるよう動かすのが目的だ。そうでなければ、この限られた時間で全ての事を運ぶのは難しいだろう。
ジーンは、それとなく思案を続けながら、料理を口に放り込んだ。
何せこちらには、直接『裏』の人間に交渉を持ち掛け、動かせるような権限はないのだ。現在【国王陛下の表の剣】と『裏』に認められている総隊長ロイド・ファウストがその立場にあり、恐らくアーバンド侯爵側も彼の様子を見て、今後について吟味している可能性も推測された。
隠密の立ち位置にありながら、行動はもっとも過激で、予測不能。
掴みどころのない混沌のような男で、早急に物事を推し進める性質もあるらしい現アーバンド侯爵――【血塗れ侯爵】のアノルド・アーバンド。
アーバンド侯爵家当主として相応しい器を持った男、というべきなのかもしれない。さすがのジーンも、あの男の考えや行動についてはまるで読めないでいた。
アーバンド侯爵が、ルクシアの件を持ちかけられた際にマリアを『表』の人間に貸したのは、彼女の事を考えて様子を見たのだろう、とジーンは踏んでいる。だから、ロイドが相当な下手を打たない限り、連れ戻される心配はない――とは思う。
こちら側の協力を続けたい、とマリアがアーバンド侯爵に申し出た夜、使者を寄越される事もなかったのは良い兆候だ。
戦闘使用人を外に引っ張り出すなんて、侯爵家の長い歴史でも初めての事に違いない。どういった基準で「良し」と判断されるのかは知らないが、アーバンド侯爵との交渉や駆け引きについては、ロイドに頑張ってもらうしかない。
実際のところアーバンド侯爵は、ジーンが知るどの人間とも思考がかけ離れているので、百歩先まで見据えているであろう彼が、一体何を考えているのかは全く未知数なのである。
「……うーん、これまでになく動きが活発的になってるところも、ちょっと気になるんだよなぁ。もしかしたら、もともと堪え性がない人間ではあるのかもしれねぇけど」
口の中にコロッケを運び、ジーンは、しみじみと一人呟いた。
他人の生き死に関心を持たないアーバンド侯爵家は、これまでは国王陛下であるアヴェインの身と、陛下が望む国政のためにしか動かなかった。しかし今回、最近になって積極的に戦闘使用人を動かし、活発的に歩き回る素振りも見せている。
そこについては、国王陛下アヴェインが最も強く望み、時間を掛けて慎重に調査を行い下準備を進めてきた計画であるから――とも考えられるが、ジーンとしてはチラリと思う事もあった。
【国王陛下の剣】の現当主であるアノルド・アーバンドは、意外と激情を宿したような人間であるのではないだろうか。彼自身にも個人的に思うところがあって、ようやくこのタイミングで動けるとばかりに、積極的に物事を推し進めている可能性はないのか……?
とはいえ、そんな事があってはならないとは分かっている。アーバンド侯爵家の人間は、国王陛下のための私情を持たない毒剣として教育を受け、代々それを受け継いでいるから、当主が変わろうと一族内の秩序が揺らぐ事はないのだ。
人間としての心を持たない、絶対の悪とまで言われている一族の男。
だから、彼が個人的な私情で動くなど、きっと、自分の気のせいなのだろう。
そう考えたところで、ジーンは不意に、初めてアーバンド侯爵の姿を見た一件を思い出した。あれは確か、約二十年以上も前の遠征先の事だったと思う。
恐らく貴族だろうが、なんでこんなところに悠長にいるんだろうな、とは感じていた。まさか大臣となった後に、このような形で知るとは思っていなかったから、アヴェインから紹介された時は「あの時のおっさんか」と驚いたほどだ。
そういえば、あの時自分は、オブライトを探していたのだ。
またしてもちょっとした騒動が起こっていたが、彼は助けた相手の身分すら眼中に止めておらず、当たり前のように助けただけだと言って、ジーンを笑わせてくれたものである。
そこまで思い返したところで、ジーンは、「あれ」と首を捻った。合流した時はオブライト一人だったが、はたして、彼らの間に会話はあったのだろうか。
あの時、オブライトが通りがてら助けていたアーバンド侯爵は、黒一色の衣装に黒い手袋、ブラックのトレンチコートとハットを被っていたので、恐らくは『仕事』で足を運んでいたとは思われるが……。
「ジーン、どうしたの?」
「ん? いや、なんでもないさ、親友」
つい思案に耽ってしまっていたジーンは、隣のマリアに名前を呼ばれて、一気に現実へと意識が引き戻された。条件反射のように応え、随分背丈の低くなった親友へ首を回し向けた時には、小さな疑問すら忘れて、思わず頬を弛緩させて笑い返していた。
最後にカウンターへ取りに行く事になっているデザートのプリンについて、ニールやヴァンレットと揃って、今でも親友がそれを好んでいる事を思い、ジーンは、カラカラと声を上げて笑ってしまったのだった。




