十三章 自称ライバルのヅラ師団長(2)下
師団長の中でも実力を持ち、貴族としての位も高いポルペオを、まるでそのへんの友人のように平気な顔で緊張感もなく煽る男達を、第六師団の若い部下達は、青い顔をして見守っていた。
よくポルペオ師団長に軽口を叩けるな、信じられない。
若い彼らの意見は、そう一致していた。
現在の総隊長であるロイド・ファウストが、当時の師団長の最年少記録を更新するまでは、彼が最年少師団長だったとも聞いている。【瞬斬の殺戮騎士】と呼ばれている総隊長には及ばないにしても、ポルペオ師団長は、銀色騎士団の中で【突きの獅子】と呼ばれる剣豪の一人である。
四十三歳となった今も、それは衰えていない。
ポルペオ師団長は、爆風といわれるグイード師団長や、守備戦力部隊から抜擢されて十四年、たったの一度も任務を失敗した事のない、強靭な精神と怪力で知られるバルツファー師団長といった、銀色騎士団の戦力を支える代表メンバーに並ぶ男だ。
そもそも目の前の四人組と、ポルペオ師団長の関係がまるで分からない。
何故なら部下達は、これまで自分達の師団長が、大臣や近衛騎士隊長と話す光景を見た事はなかった。どう見てもあれは『大臣』だし、その隣にいる頬に傷跡のあるバカデカい男は、第一宮廷近衛騎士隊の『猛進の最強近衛騎士隊長』だ。
大臣と近衛騎士隊長のそばには、到底三十代には見えない、貴族ではないとだけ分かる赤髪男もいた。太陽の下でルビーが煌々と輝くような見事な赤髪は、かなり目立つので、一度見たら忘れられそうにもないのだが、部下達は不思議とその男に見覚えはなかった。
ポルペオ師団長の反応を見る限り、その赤髪男ともよく見知った仲、という感じでもある。そして、相手側もポルペオ師団長をよく知っている、という風に見受けられた。
そんな男三人の中には、十四歳ぐらいの少女もいた。旅用のローブから覗くのはメイド服のような気もするので、恐らく師団長が口にしていた『護身術に長けた侯爵家のメイド?』だとは思われるが……一見すると彼らの関係性も分かりかねるし、実に妙な組み合わせである。
何よりこの四人組は、ポルペオ師団長の主義や性格と真逆すぎていた。
ポルペオ師団長の交友関係は、部下達が知る限りは広くない。彼らはがどこでポルペオ師団長と出会い、どのような接点があって今に至るのかを推測するには、あまりにも難しくて謎ばかりが深まった。
というかこの大臣、相変わらず大臣っぽくない適当な加減っぷりすぎるし、普段の恰好を崩すと、違和感もなくどこかの軍人にしか見えないのだが……
ポルペオ師団長は、迷いを持たない男なので、過去を語る事も少ない。
部下達は困惑と動揺を表情に出さないよう、しっかり口を閉じて待機しているしかなかった。
※※※
ヅラ師団長とは、またぴったりの名前を出したものだと思う。
黒騎士部隊の全員がポルペオをそう呼んでいたし、マリア達にとって聞き慣れた名詞にもなっている。しかし、本人を前にして口にはしない方がいいとは、ジーンとマリアは配慮はしていた。
ポルペオは、ヅラの癖に、ヅラだと絶対に認めたがらない。
度も入っていない眼鏡の癖に、ないと困る絶対の必需品なのだと言い張るような、実によく分からない男だった。
昔ジーンとグイードが、新人だった頃のモルツに「キャラがかぶるな」と軽く声を掛けた際、モルツは不快を示すように、秀麗な眉をそっと寄せて「遺憾です」と一言で答えていた。ポルペオ自身も、同じ眼鏡軍人だと指摘された時には「眼鏡の形すら同じではない!」「問題児の変質者と同じと考えるでない!」と憤慨していたが。
「良いかニール! 私は『ヅラ師団長』ではなく、ポルペオ・ポルー師団長である!」
近い距離から発せられる、腹の底から力を込めて張り上げられたポルペオの声を聞いて、マリア達は、すっかり身に染みた条件反射のように、揃って手で耳を塞いだ。
途端にポルペオが、ビキリと青筋を立て肩を怒らせた。
「コラ貴様らッ、相変わらず失礼だな! 毎度私が説くたび露骨に耳を塞ぐとはどういうことだ!? 人の話を聞く時は、しっかり目を見て耳を塞がずに――」
「あ~、続く説教中に悪いんだけどな? ポルペオ?」
両耳を手で塞いだまま、ジーンが気だるげに口を挟んだ。
律儀にもポルペオが怒気を抑え「なんだ」と顰め面で尋ね返すのを見て、ジーンは、手を下ろして言葉を続けた。
「俺らさ、それぞれ予定が押していて、あまり暇がないんだわ。ほら、俺は大臣の仕事もあるわけで。反省会しつつ打ち上げの食事をするんだったら、結構時間がギリギリっつうか」
「おい、ハッキリしろ。時間がないと言いたいのか?」
「つまり小腹が空き始めている」
苛々とポルペオにせっつかれ、ジーンはその他諸々の言葉をすっ飛ばして、一番大事なところだけを真剣に言い切った。
彼と同じくエネルギー消費率の悪い身体をしているマリアも、空腹を覚え始めている事に遅れて気付かされた。視察先で一暴れし、精神的な疲労が続いたのも原因だろう。思わず、腹の虫が鳴りそうな気配もある自身の腹にそっと手を当てる。
旅用のローブの上から腹を触るマリアの様子を、ニールとヴァンレットが見下ろした。ジーンの台詞を聞いたポルペオの若い部下達が、顔を引き攣らせて硬直する。
ポルペオの黄金の眉が強く寄せられ、広い額に見事な青筋が立った。
「腹が減っただと!? というより反省会とはなんだ! また性懲りもなく騒ぎを起こしたのか貴様らは!?」
「おいおい~、いつも起こしてる感じで言うなよ。誤解されるだろ?」
「真実だ馬鹿者め!」
だいたいお前らときたら毎度――、とポルペオの怒涛のような説教が始まり、マリア達は、また揃って耳を手で塞いだ。ヴァンレットだけが楽しそうな顔をしているのは、上司と先輩が遊んでいると思って真似をしているだけだからである。
マリアは耳を塞いだまま、ポルペオの後ろに並び控えている若い騎士達をチラリと見た。それは、まるで十六年前を彷彿とさせる光景である。
四人で活動した際にも、このようにポルペオが予告なく立ち塞がるのは珍しくなかった。あの頃と同じだとすると、ポルペオはまたしても『どちらの部隊が優秀であるか』の力比べをしようとしているのだろう。
改めてこの現状を考えたところで、マリアは、思わず目頭を押さえた。
十六年経った現在の状況で、奴が班の力勝負をしようとする考えには頭痛しか覚えない。マリア達は、今朝に活動が決まった臨時班であり、現役の近衛騎士であるヴァンレット以外は、部隊から選抜されているわけではないメンバーだ。
今のジーンは大臣であり、ニールは大臣の手伝いをしている部下で、マリアにおいては、ポルペオとは全く面識のない一介のメイドというポジションである。その臨時班に、当時と全く変わらないような喧嘩を、吹っかけてくるなと言いたい。
お前の部下、戸惑うような気配を滲ませているんだが、それでいいのか?
自身の説教に熱が入り始めているのか、ポルペオは、目頭を揉み解すマリアにも気付かない様子で演説を続けていた。ジーンが「勘弁してくれ」と耳を塞いだまま空を仰ぎ、ヴァンレットが飛び立つ鳥へ目をやり、つられたニールが後輩の視線の先を追う。
ポルペオの部下達は、出だしから説教を完全に聞き流しているマリア達を見て、顔色を青いものに変えていた。
延々と続くポルペオの説教の中、耳を塞いでいたニールが、集中力を切らしたように大きなくしゃみを一つした。ヴァンレットが「大丈夫か?」と尋ね、ニールは彼へと視線を上げ向けて「俺、風邪引いたことねぇから平気」と鼻を擦る。
そんな部下達のそばで、続いてはジーンが、大きな欠伸をこぼした。
ジーンは先日、自分のテンションが上がり過ぎて、休まず走り回っていた事を思い出した。昨日は帰宅したのも深夜遅くで、夜明け前に起床して勢いのまま飛び出してきたので、完全な睡眠不足である。
「あ~……そりゃあ眠くなるわけだ」
楽しい間は睡眠不足を忘れられるのだが、足止め状態の中で説教だと眠気が勝るのは当然だ。思い返せば、敵を待ち伏せするというのが性に合わず、そんな任務の時は親友と欠伸を噛み締めて、ちょっとばかり目を閉じて仮眠をとったりしたものである。
懐かしいなと思いながら、またしても欠伸をこぼしたジーンの横で、マリアが目頭から手を離してそっと声を掛けた。
「これ、いつまで続くと思う?」
というか、ポルペオは自分の説教に飽きないのだろうか。
マリアが眼差しでそれを伝えると、難なく察したジーンが「飽きないんだろうなぁ」と、迷惑な同僚を盗み見つつ囁き返した。
「あいつ、ロイドが相手でも容赦なく説教するからなぁ」
「……そういえば、意見を曲げない点では最悪な相性だったな」
遅れて思い出し、マリアは思わず素の口調で呟いた。
ポルペオは先輩師団長としての意識があったのか、相手が十六歳そこいらの子供だという認識が強かったのか、特にロイド少年には口煩く言っていた覚えがある。互いの意見が対立する事がほとんどで、そのせいで少年魔王の破壊被害が二割増しだった気がする。
すると、ジーンがきょとんとした顔で彼女を見降ろし「相性が最悪ってわけじゃねぇのよ」と言った。
「ロイドの方が無意識に、あいつの肩書を気に入ってない感じだと思うぜ?」
「最強に固執していた件か? 先輩師団長や、【猛進の獅子】を気に入っていないようではあったが」
「ははははは。親友よ、そっちじゃなくてさ、ライバ――」
ジーンが笑って言いかけ、ニールがもう一度くしゃみをしたタイミングで、ポルペオが鋭い目を見開いて人差し指を突き付けた。
「つまりッ、我がジークフリート様こそが天使であるのだ!」
予想外の台詞すぎて、堅苦しい演説に飽きていたマリア達の耳にも、その内容はしっかりと飛び込んできた。一体、どこでそんな話に飛んだのか分からず、思わず四人揃ってポルペオへと視線を戻していた。
というか、天使って言ったか?
マリアは一瞬、呆気に取られた。しかし、しばし記憶を辿ったところで、それが第二王子を崇め追い駆けていたポルペオが、よく使っていた表現言葉の一つだった事を思い出した。
当時、オブライトが第一王子、第二王子を「可愛い」と口にする横で、ポルペオは第二王子を「素晴らしい主」と褒め称えていた。二人が幼少の王子に抱く感情は異なっていたが、唯一合致し、共通して使っていた言葉が『天使』だったのだ。
小さくて可愛い子供は天使だが、ポルペオにとっては第二王子だけだったと思い起こして、マリアは半ば納得した。とはいえ、あれから十六年も経っているので、共感出来ない部分はあった。
現在二十歳の第二王子を天使というのは、ちょっと無理があるんじゃないか?
そういえば、出会って間もない頃に『天使』の定義について、意見が合わずにプツリと切れた事があったような気がする。ポルペオは二十歳に婚約者と早々に結婚したのだが、一児の父親となったはずなのに、子供の可愛らしさについてはまるで伝わらなかった、ような……
……あれ? もしや、それが原因で敵対視されたのか?
確証も自信もなかったので、マリアは腕を組み、まずは当時を思い返す努力をしてみた。しかし、自分の記憶力が悪い事は分かっており、覚えている中で関連するような記憶を見付ける事は出来なかった。
悩ましげに考えるマリアの横で、ニールが「なるほど」と相槌を打った。
「相変わらず痛々しい表現をするぐらい、『第二王子のファン』なんすねぇ」
「ぴったりの表現であろうが!」
「全然違いますよ。そもそも『天使』なんて表現をしても許されるのは女の子くらいなもので、それを平気で使うのは変態だけっす。ちなみに、そんな事を口にしているのはヅラ師団長だけっすよ?」
「聞き捨てならんぞッ、貴様の目は節穴か!?」
馬鹿者め、それをまさに『阿呆』というのだ、と途端にポルペオが顔を真っ赤にして怒鳴った。その剣幕にニールが飛び上がり、身に沁みついた癖で、咄嗟にジーンの後ろに隠れた。
ジーンは、自分を盾にするように背に隠れた部下を見やった。ヴァンレットも、自分より小さい先輩の動きを、きょとんとした子供のような目で追った。二人の視線の先でニールはちらりと顔を覗かせ「……というか俺、なんでめっちゃ怒られてんの?」と、不思議でならないとばかりに顔を顰める。
他に『天使』なんて口にしていた奴はいただろうか、とジーン達は記憶を辿ったが覚えはなかった。考え事をしていたマリアは、彼らのやりとりを全く聞いていなかった。
全く共感を得られないらしいと察したポルペオが、「そんなことではないのだッ」と、悔しそうに地面を踏みしめた。
「貴様ら相手だと話が進まんから、毎度苛々するわ! 私とて暇な身ではないッ、今回の任務を賭けて、貴様らには木刀戦を申し込む!」
一際煩い声が響き渡り、結局何も思い出せなかったマリアは、思考を諦めてポルペオへと目を戻した。ジーンが、やはりそう来たか、と迷惑そうに首を傾けて彼に質問を投げかける。
「今まで俺が陛下の『おつかい』やっても、大人しくしてただろ。なんで今回に限って?」
「強い戦力が求められる『おつかい』については、無視出来ん。……貴様らの部隊に仕事を取られるのも癪だ」
部隊として活動はしていないのだが、ポルペオにとっては『元黒騎士部隊』というだけで目の上の瘤だと感じるのかもしれない。
マリアは疲労感を覚えた。この姿で彼と会うのは初めてなので、ずっとジーンに任せて黙ってはいるが、この面子を見てもうちょっと考えませんか、と言ってしまいたい。
すると、ポルペオが場を仕切り直すように、マントを手で払って仁王立ちした。
「我が第六師団は、ジークフリート様の直属。その中でも選りすぐりの精鋭部隊班を作り、陛下と殿下のため『極秘任務』もこなす優秀な師団である。――正々堂々と勝負を挑む」
こちらを見据える黄金色の瞳に迷いはなく、ピリピリとした程良い緊張感を放っていた。凛々しく力強い宣言を行ったポルペオに、彼の部下達が尊敬の眼差しを向けて「師団長、恰好良い」とうっとりとした声を上げた。
それに対して、マリアとジーンは「迷惑」「面倒臭い」と露骨に顔に浮かべていた。ニールも相手側の緊張に感化されず、ポルペオの部下の様子を見て「この流れで? 目、おかしくない?」と間の抜けた呟きをこぼす。
ポルペオ達とマリア達を交互に見たヴァンレットが、「どうして勝負するんだろうか」というような表情で、ゆっくり首を右へ傾けた。




