十二章 黒騎士部隊の四人(5)下
若者たちの集まりである少数チーム『ピーチ・ピンク』に、まずはヴァンレットが向かい、続いてニールが飛び込んでいき、最後にジーンまで駆け出していってしまった現状を前に、マリアは頭を抱えた。
やはり奴らは、揃いも揃って怒りの沸点が低過ぎる。
ジーンの切れどころもよく分からないし、そもそも大人としての慎重さや、後先を考えた行動とやらは、一体どこにいったのか。
先程までそれを説いていたはずのジーンは、あっという間にパパ呼ばわりした刈り上げ男に迫ると、その青年を両手でむんずと掴まえて「クソガキめ教育的指導してやらぁぁあああ!」と雄叫びを上げながら、こめかみや首や手に筋を浮かべて容赦なく空へ放り投げた。
仲間が砂袋のように宙を飛ぶ光景に、先にヴァンレットやニールとやりあっていた若者達が、脅威を感じ取ったように目を剥き、一度態勢を整え直すように後退して集合した。
※※※
「ちょ、今の見た!? ガイザーが『無精髭パパ』に吹き飛ばされたんだけどぉぉぉおお!?」
「リーダーッ、人間ってあんなに空を飛ぶの!?」
「やべぇよリーダー! あのバカデカい男は握力も半端ねぇし、あのなよっちぃ赤毛も意外と喧嘩慣れしてるみてぇで、いつの間にか移動してムカツクぐらいバカスカ殴ってくんだけど!?」
「ひとまず落ち着けお前らッ。くそぉ『妹ちゃん』の事を考えて素手作戦でいこうと思ったが、こうなったらやるしかねぇッ。てめぇら、武器を構えろ!」
男達は腰元の刃物には触れず、それぞれ打撃用の武器を取り出した。
元々、彼らは刃物系の武器は使ったこともなかった。ノリとテンションで「持ってたらなんか恰好よくね?」と装飾品感覚で携帯している中古品であり、試し切りも手入れも全くしていないので、自分達が持っている刃物が『切れる』かどうかも分からないでいる。
チーム『ピーチ・ピンク』にとって、破れた服を自分達で繕う際に使う針と、自炊でどうしても触らなければならない包丁は、母親が落とす雷の次に怖いものだった。指先を刺したりうっかり切るたび「俺らに刃物とか無理ッ」と恐怖と痛みに涙した。
いつか、そんな家仕事をやってくれる女性が現れるといいなぁ……と夢を思い描きながら、自分達でやる日々を過ごしている。
料理の腕は、食えない事もないというレベルだ。とはいえ、自炊だけでは体力がもたず、育ち盛りなので食費を節約する訳にはいかないから、衣服や散髪の方の出費を削るしかなかった。
育ててくれた親や、可愛い弟妹たちへの仕送りを減らすわけにはいかない。
例え三日ぐらい食えなくとも、自分達は身体だけは頑丈で健康なのだ。悲観は知らないし、持ち前の荒くれさとポジティブがあるから、ちっとも平気だ。
彼らの故郷である小さな町は、警備部隊が金で買われて無法地帯と化し、違法商売や暴力などで荒れ果てていた。喧嘩力とチームの抗争が全てを決める最下層のような区だったが、それがどうしたと笑い飛ばして、暴力と喧嘩力で他チームとぶつかり合い続けた。
スラム街の一区にある小さな町だったから、チームとして「おれらの物だぜ!」と旗を立てるまで、そんなに時間もかからなかった。今では『あのピーチ・ピンクの町かよ』と、ちょっかいを出してくる他所のチームもいなくなっている。
家族への仕送りの他にも、メンバーの一部が世話になっていた孤児院にも寄付しているのだが、最近、薬が必要な子供がいた。町の医者には「俺らにツケとけ!」と地面に頭を擦りつけて約束を取り付けてもらったものの、バカ高い薬代の足しには、まとまった金が必要だ。
一昔前は、青少年のチームや傭兵にも、気前よく仕事をくれていたという『黒なんとか』という国境区をメインに活動していた部隊があったらしい。
当時の習慣が引き継がれているのか、元部隊の人間がこっそりと動いているのかは知らないが、それがなくなった今でも、偉い騎士様や役人がスカウトして専属の雇用契約を結び、安定した給料と仕事をくれているらしいという都市伝説を噂で聞いたが、――まぁ、所詮は作り話だろう。
噂によると、スカウトしているのは王宮に出入りし、軍部や政務でもかなり高い地位にある人間達だという。そんな人間が外を平気で出歩くなんて想像もつかないし、警備部隊も寄りつかないような下町の安い居酒屋で、貴族様や騎士様がメシを食えるとも思えない。
うん、ないない。有り得ない。
王宮にいるような連中が、俺らみたいなのに平気で声を掛けるかよ。
地位も立場もある人間が、こんなチンピラを本気で相手にして『仕事の話』をくれるなんて、ある訳がないだろう。刃物タイプの武器を扱えないので、彼らは『スカウト』といった希望的観測論のような妄想を考えた事もなかった。
とりあえず、結構シビアに物を考える町医者に払う薬代が必要だ。まとまった前払い金をもらえるとの事で、安定して仕事をもらえると評価の高い『灰猫団』の傘下に『ピーチ・ピンク』が入る事にしたのが、先週あたりの話だ。
入団面接の際「お前らの武器って、ナイフもサーベルも統一されてないんだな」「全部癖のある武器で恰好いいぜ」と褒められた。続けて「結構使い古しているみたいが、普段はそれをメインに使ってるのか?」と訊かれ、つい条件反射で頷いておいたのだが、これ、バレたらまずいんじゃね、と昨夜に気付いたばかりだった。
武器を取り出したところで、遅れてその件を思い出した彼らは、「あ」と呟いて一時停止した。
「――リーダー、そういえば朝に予定していた『ひとまず革鞘から抜けるかを確認しよう!』を、すっかり忘れてました」
「あ~……しまったな。トラジローの訪問があったし、またドロだらけになってたから、お湯を用意するのに一苦労したし――うっかり忘れるのも仕方ねぇ」
「うん、仕方ねぇっすね。手に収まるチビスケっすもん」
「トラジロー、いつも突然、窓から俺らの顔面目掛けて飛んできますもんね」
「ウチがあの隠れ宿に来てから、この一週間毎日来てますよね。この地区で猫って珍しいっすよねぇ」
国の中心地にある王都へ近いほど、野良猫や小型の鳥類といった小動物も少ない。ほとんどが自然豊かな水源を持った地域に生息しており、王都から馬車で二時間の距離に人懐っこい野良猫がいるのも滅多になかった。
遠くからやってくる商人から、ペットとして購入する家もあるが、あのトラ猫は柄がごちゃごちゃとし過ぎている事から、愛玩向けではないようだった。
濃縮されたようなトラ柄模様が顔にも入っていて、貴族なら飼わないだろうな、というぐらいに色合いは美しくない。出会った当初は毛並みも汚れきっていて、産み落とされて間もなく親とはぐれたのかガリガリに痩せ細り、牛乳で柔かくされたご飯しかまだ食べられなかった。
そのトラ猫は、彼らがこの町に到着にした日の夜、窓の下にいた。爪を立てられながらも、彼らはその人懐っこい仔猫を風呂に入れてキレイにしてやり、奇形なのか耳の先の毛の一部がやたらと伸びていたので、邪魔だろうと思ってハサミでカットしてやったのだ。
どうも、その世話のせいで懐かれてしまったらしい。仔猫だが脚力はあるようで、彼らが泊まっている二階の窓まで飛び込んでくるし、賢いのか、必ず窓から人の顔が覗いたタイミングで顔面にへばりついてくるのだ。
「俺らの収入が安定していれば、飼ってやれたんすけどねぇ」
「……『家』がある人間に飼われた方が、あいつは幸せになれるだろ。俺らは定住の身じゃねぇし、あいつは女の子だしな――ぐすっ」
「リーダー元気出してッ、俺も泣きそうになるから!」
この国は、生息している動物の種類は少ない。狼犬と呼ばれる人害獣に指定されている『犬』はいるが、愛玩用の国産犬種は存在していない。そのため、人食である狼犬が寄る可能性がある土地に野性の猫は寄りつかないので、このように仔猫だけがいるというのも珍しかった。
とはいえ、あの大きさであれば、いつ鳥にやられてもおかしくはない。近くには山もあるから、大型の鳥類が常に小動物を狙っていて、だからこそ王都に近いほど小動物も少ないのも事実だ。
猫とは、裕福な家で飼われるものだ。特にメス猫は家につくと言われ、大きくなると動きも優雅になる事から、一部の落ち着いた夫人方には需要があるらしい。
優しい誰かが、いつかあのトラ猫を拾って家族に迎え入れてくれないだろうか、と彼らは考えていた。数日ほど性別を確認するのを忘れて『トラジロー』と仮の名前を付けてしまったが、あの幼さであれば、新しい名前を覚えてくれるのも早いだろう。
商人からいわせれば汚らしい柄模様かもしれないが、野良猫にしては愛嬌もあるし、金色の瞳も珍しいし、顔だっとても可愛いらしいやつなのだ。出来れば、ここの仕事が終わるまでには誰かに拾われて欲しいとは思っている。
「ちなみにリーダー、俺、実は朝一番に初めてサーベルを革鞘から取り出してみたんですけど、錆びてこげ茶一色になってました」
「先月買ったばっかりなのにな。ひでぇ店もあるもんだ」
「不良品買わされたんだな、どんまい」
「ところでさ、なんで武器の刃物って『手入れしないと錆びる』んですかね? 包丁よりも湿気とかに弱いの?」
小さな声でその疑問について囁き合う彼らのモヒカンや刈り上げ頭の中には、流血、というキーワードが微塵にも出て来ないでいた。彼らは、もしかしたら騎士というのは、相当『剣』の手入れに苦労しているやつらなのかもしれない、と一つの結論に達し――
騎士職って結構、裏方で苦労するものなのかも、とめちゃくちゃ同情した。
華やかで憎たらしい連中だと思っていたが、実は地味に努力と苦労を続けている姿を想像して、うっかり涙腺も緩んだ。この辺では滅多に見掛ける事もないが、あの小奇麗にした騎士達を見掛ける機会があったら、眼差しで労いの気持ちを届けてやろうと思う。
そう結論してすっきりしたところで、『ピーチ・ピンク』の若い男達は「よしッ、行くか!」と気持ちを切り替えて走り出した。
※※※
若者達が少し動きを止めていた様子を見ていたジーンは、ニヤリとして「今時『珍しい』面白い連中だな」と呟いた。何を話しているのかは分からないが、どうやら、本当に抜刀せずに片付きそうでもある。
「こういう出会いも久々だぜ。――おい若造共! 殴り合いならおじさんも負けてねぇぞ!」
暴れたくてたまらないという顔でジーンは走り出し、『ピーチ・ピンク』の男達の武器による攻撃をあっさりと避け、そのうちの一人に「ははは、拳より遅いなぁ。やるんなら素手の方がいいんじゃね?」と拳を突き出した。
ひとまず力を調整して右ストレートを打ってみると、オレンジの中途半端なモヒカンが、慌てたように両手で防御して受け止めた。
若者は右手に持っている武器は手放さず、地面の上を僅かに滑った程度で、こちらの威力もきちんと殺せている。図体だけがデカい子供だと思ったが、身体はバランス良く鍛えられている事が拳から伝わってきた。
「ははははは、いいね。楽しくなってきたなぁ」
「ッおっさんの癖に、めちゃくちゃ拳が重い……!」
「俺の拳なんて、友人達の中じゃ多分『普通』だぜ~。親友の落とすマジの拳骨の方がやべぇから」
俺の頑丈な石頭にもガツンと来るんだよなぁ、とジーンは悠長に思い出しながら「そぉれ」と右足を振り上げて、若者が持つ武器に重い打撃を与えて落とさせた。
「まずは素手でいこうや。おじさん、痛いのは勘弁だからさぁ」
ジーンは体勢を構えると、右手で誘いながらそう声をかけた。
その間に、ヴァンレットもすかさずジーンの後に続いて行動を起こしていた。彼は当初の目的を忘れたように、向かって来た若者を「脇が甘いぞ?」とのんびりと言って素手で叩き伏せ、ニールは手品のように相手の武器を奪い取って「武器の使い方がなってねぇから」と笑い、攻撃をやり返した。
彼らの眼差しや表情を見る限り、当初の激怒や目的を完全に忘れているようだった。そもそも、本物の戦場で戦い慣れているジーン達が、素手から武器へ変わった相手に怯むはずもない。
更に混沌と化した騒ぎを前に、マリアは「何やってんだあいつらはッ」と思わず心の声を口に出していた。まるで力量を計るように適度に手を抜いて楽しんでいるようにも見えるジーンについては、特にぶっ飛ばしたい気分だった。
大人としての対応力はどうした。説教し返してもいいか?
この土地に滞在しているという『他のチーム』の人間までやってきたらどうするもりなのだろうか。
奴らを放っておくと、騒ぎはもっと大きくなる予感しかなかった。ジーンがヴァンレット達の手綱を引く事を完全に忘れている今、もはや自分が止めるしかない。奴らの詳細不明な怒気は落ち着いてくれているようなので、ひとまずは、説教しつつ説得して場を鎮静化しよう。
相変わらず手間のかかるやつらだと思いながら、マリアは舌打ちし、彼らの方に向けて駆け出した。
「お前ら、少し落ち着――」
その時、既にニールから数回も殴られていた先程のスキンヘッド男が、駆け寄って来るマリアに気付いて「駄目だってッ」と慌てたように言った。眉間の皺がなくなったその顔は、垢の抜け切れていない十代の幼さがあった。
マリアが「はぁ?」と素で思い切り顔を顰めると、彼は、ハッとしたように咳払いをし、表情と口調を改めてこう言った。
「ガキは引っ込んでな!」
「は。『ガキ』……?」
「リーダーの言う通り! 俺らに、幼女枠を殴る趣味はねぇ!」
スキンヘッド男の隣にいた若者も、どこか誇らしげにそう相槌を打った。彼らは声を揃えて「いいか、こっちに来るんじゃないぞッ」と念を押すように言い残し、暴れるジーン達のもとへと再び向かっていった。
一回りも年下のガキに子供だと言われた……おい、そもそも幼女枠ってなんだ。この外見が、そこまで幼いと言いたいのか?
時代感覚が麻痺するほどのストレスが溜まり、苛立ちも我慢の限界を迎えていたマリアの堪忍袋の緒は、十六年経っても相変わらずな部下達と、観察眼のない勘違い野郎の若造共を前に、先程のジーンを彷彿とさせるブチリという音を立てて焼き切れた。
マリアはニコリともせず男達を睨み据え、白い華奢な少女の指をゴキリと鳴らした。臨戦体勢を整えるように右足を滑らせて、キュッと地面を踏みしめ、両手の拳を固める。
こうなったら手っ取り早く全員叩きのめして、騒ぎを終わらせてやるわ。
結論するや否や、マリアは、地面を蹴り上げて急発進した。完全にこちらをノーマークしている二人の若者の背中目掛けて跳躍すると、空中で一回転して更に勢いをつけ、彼らの後頭部をガシリと鷲掴むと同時に、容赦なく全体重を掛けて思い切り、彼らの顔面を地面に叩き付けた。
叩き付けた強さを物語るように、衝撃音が地面を伝わって土埃が舞い上がった。マリアに後頭部を押さえつけられて地面に沈む二人の若者は、僅かに指先を震わせた後に、ピクリとも動かなくなった。
その異変を、驚異的な殺気と共に察した若者達が、ギギギギと音が鳴りそうなぎこちない動きで顔を向け、瞬殺された仲間の悲惨な姿とマリアを見て「……え。嘘だろ?」と呟いた。
若者の襟首を持ち上げていたジーンと、スキンヘッド男と素手での取っ組み合いを再開していたニールと、両手が空になったばかりのヴァンレットが、途端に醒めたようなきょとんとした顔をマリアへ向けた。
マリアは足を広げて立ち、僅かに顎を持ち上げて男達を見つめ返した。静かに睨み付けるような男性然とした表情で「おいコラ」と、低い声で告げる。
「――お前ら、覚悟は出来ているんだろうな」
出来ていなくとも逃がすつもりはないが。
マリアは表情なく呟き、男達を瞳孔の開いた目で見据えたまま、掌に拳を叩きつけた。懐かしいようにも感じる空気には、落ち着きのなかった黒騎士部隊をよく拳一つで教育した事が思い起こされた。
今目の前にいるのは、三人の部下とチンピラの若造共である。少女の身とはいえ、部下は抜刀していないので数分もかからないだろう。
そう計算しながら、マリアは走り出した。
※※※
ローブを着た三人の男と、大きなリボンを風に揺らせた少女が、木々の下に生えた高い茂みに身を潜めるようにしゃがみ、森の中に開けた場所に構えられた立派な二階建ての建物へ目を向けていた。
四人の目の前にあるのは、ハーパーが所有するオークション会場となっている例の屋敷だった。小さな小窓は外側から中が見えないよう加工されており、芸術品を収めているという名目に相応しい頑丈な造りをしたその建物には、どっしりと鉄の大扉の玄関が設けられている。
左から、ジーン、マリア、ニール、ヴァンレットと並び、四人はしばし静かに屋敷を眺めていた。男達の頭の上にはそれぞれ、隠せないほどの大きなタンコブがある。
「……なぁ親友よ。なんで俺らにまで拳骨を落としたんだ?」
彼らにしてはかなり長い沈黙の後、ハーパーの屋敷を眺めながら、ジーンがようやく疑問に思い至った様子で首を捻った。久々の親友の『マジな拳骨』の懐かしさに浸っていたものの、そういえば、とようやく気付いての事だった。
マリアを挟んでその隣にいたニールが、ふるふると小さく震え「あのさ」と控えめに声を発した。
「……お嬢ちゃん、もれなく全員まとめて制裁って、乱暴すぎる結論だと思うんだ。少しの間マジで意識が飛んでたし、人生で一番俺を震撼させた人を思わせる殺気と躊躇のなさに、すげぇ痛くて、この歳で目尻に涙が浮かんだんだけど……」
しかも意識が戻った時には、何故か自分だけロープで縛り上げられていたのだ。
それを思い出して、ニールは「ぐすっ」と鼻を啜った。このまま引きずり回されたくなかったら目的地まで口を閉じてろ、と彼女に睨み下ろされ、逆らい難い威圧感に必死に肯き返して縄を解いてもらったのだが、あれは本気で怖かった。
例の『ピーチ・ピンク』の若い男達は、まさに虎に狩られる兎ほどの圧倒的な戦力差で、数分もかからずトラウマ級に負かされていた。
意外にも精神的にはタフだったようで、あの殺気の中で意識を飛ばさなかった事には、ニールとしては「若いけど結構やるなぁ」と感心してしまった。恐らく同じ年頃の一般兵であれば、萎縮して動けなくなっているはずだが、彼らは悲鳴を上げながらも逃げるべく足を動かせていた。
気のせいか、その光景に見覚えがあるような気がしたし、妙に親近感が湧いて「分かる分かる、超怖いよね!」という同情も覚えたのだが、ニールは、それがなんであるのかよく分からないでいる。
その後、揃って正座させられた『ピーチ・ピンク』は、マリアに威圧感たっぷりに「今日の事は忘れろ」と告げられたうえ、ふと思案した彼女に「あ、記憶が飛んでくれるかもしれないな」と手刀を落とされ、逃げる暇もなく最後は全員が地面に沈んだ。
ひでぇ、なんつう凶暴っぷりなんだ。
というか彼女の呟きも、まるで最近誰かで試して成功でもしたのだろうか、と非常に気にもなっている。あれは手刀というには威力が強過ぎるし、ニールとしては、恐らくは一般人にやったらアウトな代物だと思うのだ。
すると、だんまりを決め込んだマリアを、ニール越しにヴァンレットが不思議そうに見降ろした。
「便秘か?」
「んなわけあるか阿呆!」
違うに決まってんだろ! 完全な台詞の選択ミスだぞお前ッ。
そう眼差しに乗せて睨み付けたが、ヴァンレットは子供のような目を瞬かせて、ゆっくりと首を右に傾けただけだった。マリアは説教を諦めて、人の気配が絶たれている屋敷へと目を戻した。
すると、ジーンが屋敷に目を留めたまま、顎の短い無精髭をさすり「ふうむ」と思案するように眉を寄せた。
「完全に鉄の扉だよなぁ、度を超すレベルで厚そうだが……。あ、どうにかなりそうだな、うん、これぞ適材適所! ――っつうわけで、俺が当日までに策を用意しておくから」
何か面白い事でも思い付いたのか、ジーンがニヤリとして、詳細を明かさないまま片手を振ってそう言い、突入方法についての話題を早々に打ち切った。
いつも低予算で、一番効率の良い方法を考え付ける男だ。それを知っていたマリアは、特に疑問も覚えず、任せたと伝えるように肯き返した。それを横目に確認したジーンが、馴染みの「おぅ」という相槌を打った。
「さっきの子分グループは別にしても、相手は二十代のガキとはいえ『灰猫団』は傭兵の中じゃ腕が立つらしいし、まぁほど良く緊張感を持って行こうぜ。――で、どうする親友?」
「二人一組。場合によっては、現場判断でバラけて一気に制圧する」
「だな。俺がニールと、マリアはヴァンレットで」
「一気に畳みかけるとして、一階と二階と、――ここって地下も有るのか?」
「こっちで調べておく。追って役割を決める線で行こう」
マリアとジーンがあっさりと予定を立てていく様子を見て、ニールが「え、ちょっと待って」と目を丸くした。
「お嬢ちゃん、なんかすげぇ手慣れてない? というか、俺、なんかこういうやりとりに見覚えがあるような――」
やべぇッ、考えてみれば今は『メイドのマリア』だった!
ジーンにつられて、うっかり現在の状況を忘れてあの頃のようにやってしまったが、今のマリアは、ニールやヴァンレットにとっては『メイドの少女』で、ジーンを相棒としていた頃の『隊長のオブライト』ではないのだ。
遅れてそう気付かされたマリアは、慌てて少女然とした表情と声に戻し、ニールの続く疑問の言葉を遮るべく、顔を引き攣らせつつも口許に手を当てて無理やり上品に笑ってみせた。
「お、おほほほほッ、気のせいですわよ!? ねッ、ジーン?」
「ははははは、当然だとも親友よ!」
ジーンはどこに嬉しいポイントがあったのか、途端にガバリと両腕を大きく広げて「飛び込んで来ていいぞ!」と、こちらに向かって意気揚々と力強く宣言してきた。
全然ちっとも以心伝心していない友人を見て、マリアは思わず、「違うわ!」と素の口調で言って彼の頭を叩いていた。特にダメージを受けなかったジーンが、座り込んだまま背を屈め、マリアと目線を合わせて実に不思議そうに訊いた。
「何が違うんだ? 友情を確認する抱擁だろ?」
「阿呆か! どこにそんな要素があったんだ!」
友情の抱擁というのを諦めていないのか、ジーンは尋ねながらも小さく手を広げていて、いつでもいいんだぞ、と誘うように指先を上下に揺らしてきたので、マリアは「しつこいッ」とその手を叩いた。
すると、その様子をきょとんと眺めていたヴァンレットの隣で、ニールが既視感を覚えたように「あれ?」と首を捻った。
「そういや、ジーンさんの『親友』って呼び掛けもどっかで……」
この野郎ッ、だからお前その言い方どうにかしろよ!
これ以上の失態を避けるためには、それを言葉にして伝えるわけにもいかない。マリアは、腹の中で畜生と悪態を吐きながら、しゃがむジーンの背後に回って首に腕をかけ、これで伝わるだろうという思いで「お・ま・え・はッ」と言葉短く絞め技を掛けた。
ジーンは苦しそうに「げほっ」とやったが、それでも笑顔は崩さず、細い彼女の腕に跡が付かない程度の力で、呼吸を確保するように抵抗しつつ「久々だけど的確に絞めてくるところは、さすがだぜッ」と褒めた。
「ジーンさん、お嬢ちゃんに関してポジティプ過ぎません!? ちょ、マジで締まってるから、お嬢ちゃんもそれで勘弁してあげてッ」
「うむ。仲が良いなぁ」
「どこでそう見えてんの!?」
ニールは驚愕の表情で、お前の目はおかしいし何で羨ましそうなの、とヴァンレットを勢い良く振り返った。
それを見たジーンが、陽気に笑い出して「お前も混ぜてやる」と、ヴァンレットの首に腕を回して引き寄せ、ひどく上機嫌に彼の芝生頭を片手で押さえ付けるようにぐりぐりとし始めた。屈強な身体を持ったヴァンレットは、じゃれられていると勘違いしたのか「うむ」と楽しそうに肯く。
マリアは、相変わらず説教の一つにも真面目に反省しない様子の部下達を見て、困ったように眉を寄せ「遊んでいるわけじゃないんだが」と、ジーンを絞め上げる腕に更に力を込めた。
その落ち着いた表情と裏腹に、ギリギリと上がる嫌な音を聞いて、ニールが「副隊長の危機ッ」と飛び上がって駆け寄った。しかし、マリアは横から邪魔しに来たニールに気付くと、ジーンの首に両腕を掛けたまま、器用にタイミングを計って彼の赤毛頭を頭突きで押し返した。
「いったぁッ、――って何で頭!?」
「なんでって、腕が塞がっているからですわよ?」
「取って付けたような言いようッ。でもなんでだ、なんか仲間外れみたいでもやもやするんだけど!?」
ニールが頭を抱え、自身でもよく分からないという悔しさを滲ませて「せめて拳骨とか……ッ」と葛藤の呻きを上げ、独り言にしてはデカい声量で主張し始めた。
途切れ途切れのニールの声を聞いたジーンが、絞め上げられた苦しさの中「ははは」と笑って、引き続きヴァンレットの頭をぐりぐりとする。ヴァンレットは、やはり三十代半ばには見えない若々しい顔で、少年染みた楽しそうな笑みを浮かべていた。
マリアは、ここが視察地である事を思い出し、よく分からんやつだなと思いつつ「独り言がデカい」と声を掛けてニールを引き寄せた。彼の言い分は理解できないが、つまりはジーンと同じ事をされたいという事だろうかと推測し、ニールの首に腕を掛けて、軽く適度に絞め上げてみた。
そういや、黙らせる時によくやってたなぁ。
馴染んだ手の感触に、マリアは、うっかり加減を忘れた。ニールが「なんだか懐かしいような――って、ピンポイントで的確に苦しいところが絞まってくるぅぅぅう!?」と、数秒もしないうちに情けない悲鳴を上げた。
※
現場の下見を終えた四人は、その後、王宮に戻るためその場を後にした。
馬車に乗り込む際、マリアは流れるような無駄のない動きでニールを縛り上げ、ジーンが「ちょっと協力してくれ」と上手く諭し騙して、ヴァンレットの口に布を巻き付けたのだった。




