二章 お嬢さまのお見合い準備(1)
その日の深夜、アーバンド侯爵邸には衝撃が走った。
とはいえ、使用人達が集められた部屋で、アーバンド侯爵とアルバートが「大事な話がある」と説明を始めた矢先、真っ先に色気もない奇声を轟かせたのはマリアである。
なんと、十歳のリリーナ・アーバンドが、第四王子クリストファーの婚約者候補として訪問を受ける事になったのだ。
エレナが「はしたないですわよ」と頭に拳を落とした事で、マリアは、一瞬だけ我に返った。彼女はもう一度言われた言葉を頭の中で反芻し、アーバンド侯爵を見つめ返し、またしても目を丸くした。
「ッて嘘ぉぉおおおお!? あれって嘘の設定じゃなかったんですか!?」
「落ち着きなさい、マリア。良い話だから、一度二人を引き会わせてみようと思ってね。陛下も前向きでいらっしゃる」
「で、ででででも旦那様ッ? リリーナ様は超可愛くて私の天使で、というか十歳で婚約者が王子になるかもしれなくて!?」
アーバンド侯爵が再度「落ち着きなさい」と優しく微笑み、マリアの頭を撫でて改めて説明した。
処分する貴族達の洗い出しのため、罠の一つとして先日、第四王子の婚約の相手として、侯爵令嬢リリーナが有力候補に上がっているとでっちあげられた。
しかし、事が終わってみると、第四王子は現在十歳で、リリーナも同じく十歳。双方の親が「悪い話ではないのではないか」という事になったらしい。
国王陛下には、四人の息子がいる。
剣の才能に溢れた二十二歳の第一王子は、昨年に継承権を弟殿下に譲り、隣国の皇女と恋愛結婚した。残りの三人が国内に残り、婚約者もまだ決まっていない状況だ。
兄と同じく最強の騎士を目指していた二十歳の第二王子は、兄王子の後を引き継ぐように王宮騎士団第二師団長に就任。十五歳の第三王子は、優秀な頭脳で最高学院を最短で卒業した。
その下に、十歳の第四王子がいるのだ。
剣と勉学の才能を発揮した三人の兄王子達と違い、末の第四王子は、性格にも問題なく素直に育っているらしい。読書と花の観賞を好み、特に絵画の授業には力を入れている。少々運動音痴なところもあるが、それは大層可愛らしい王子であるという。
それってさ、女の子の間違いじゃないのか?
というか、上から二番目と三番目の王子達は、性格に問題があるのか……アーバンド侯爵とアルバートの話を聞いて、マリアは、遠ざけていた現在の王宮事情に複雑な感想を抱いた。
オブライト時代に第二王子まで誕生していたが、第二王子の性格には、これといった問題はなかったように思う。
素直で実に可愛らしい、ちょっと内気で泣き虫な王子だったのに、一体どこでひねくれてしまったのだろうか。
やはり父親か? 父親である国王陛下が破天荒過ぎて、性格に支障が?
「第二王子は、剣の腕は国内でも三本指に入るぐらいの実力はあるけれど、怨みでもあるのかというぐらい他者を睨みつけて、女性だろうが容赦のない人でね。第三王子は秀才といわれているけど扱いにくい人で、第四王子が珍しいぐらい、父親にも兄弟にも似ずに育っているんだよ」
アルバートが、にこやかに内部事情を語る。
マリアの記憶では、第二王子は、顔を出すたび自分の後ろを可愛らしくついて来たイメージしかない。第一王子の後ろが特等席なくらい気が弱くて、小さな虫一匹に悲鳴を上げて泣くような子だったのに、と十六年という歳月を感慨深く思った。
とはいえ、今回の話に関しては、疑う事を知らないらしい優しい第四王子に【国王陛下の剣】という後ろ盾があれば心強いのは確かだと理解は出来る。
国王陛下の元には多くの家から「うちの娘はどうですか」と打診も来てもいるようなので、その煩わしさに彼が「とっとと婚約者を決めてしまおう」と個人的な都合を出しているような気はするが。
同じ歳であるし、とりあえず子供達を引き合わせて、相性が良いようなら婚約してしまおうというのが今回の見合いの提案だった。
アーバンド侯爵やアルバートが褒めるぐらいに、第四王子は良い子なのだろう。
リリーナの婚約者候補と見合い話しに衝撃を受けたマリアも、二人の話しを聞いているうちに「あれ、結構いい話なんじゃ?」と思い始めた。
第四王子は、リリーナと並んでも見劣りしないほどに可愛いらしいという。アルバートに「二人が並んでいるところを見たくないかい?」と促され、マリアは不覚にも誘惑に駆られた。
つまり、天使が二人って事?
そこにサリーを混ぜたら、可愛い三人の天使の構図が見られるって事だよな?
「…………」
「おぉ、さすがアルバート坊ちゃん。マリアの扱いを良く分かってらっしゃる」
途端に静かになった部屋で、一同が思っている事を、ガスパーが口にしてニヤリとした。アルバートは否定もせず柔らかく微笑む。
こうして、全使用人の賛同を得て、リリーナのお見合いが進められる事となった。
後日に使者を迎えて、改めて日取りなどの詳細が話し合われるとの事で、その日は解散の運びとなった。
この時のマリアは、まさか、この一件で、オブライト時代の知り合いと会う事になろうとは、露にも思っていなかった。