十二章 黒騎士部隊の四人(4)上
マリア達が食事を終えて一息吐いた頃には、店内に他の客の姿はくなっていた。
店主らしい例の中年男は、会計金額を告げる際にはビクビクしていたが、ジーンが「料理美味かったよ、作るの大変だったろ。ありがとな」とチップ分も加えて現金払いすると、感動した様子で「次回もどうぞッ」と言った。
店を出たところで、唐突にニールが瞳を輝かせて身を滑らせ、上司であるジーンを完全に背中に回した状態で、マリアに向かって「はいはい!」と期待に満ちた落ち着きのない挙手をした。
おい。お前、完全に上司と後輩を後ろに置き去りにするんじゃない。
十六年前と全く変わらない見慣れたニールの顔には、まるでチャンス到来だと言わんばかりの表情が浮かんでいるが、僅かな間に彼の頭の中で何が起こったのか、さっぱり想像がつかなかった。
なぜこちらに主張してくるのだろうかと、マリアは、口に出してしまいたい衝動をぐっと堪えて顔を顰めた。ヴァンレットが首をゆっくりと傾け、ジーンが「何事だ?」と、不思議そうに目の前の赤毛頭を見降ろす。
少女らしかぬ顰め面をしたマリアが、唇をへの字に曲げるのを見て、ニールがいつもの勝手な解釈で「よしきた!」と全く以心伝心の欠片もない相槌を打ち、実に良い笑顔で、調子良く指をパチンと鳴らした。
「お嬢ちゃん、情報収集なら俺にお任せあれだぜ! こう見えて、ずっと大臣の『手駒』をやってるからな!」
ニールの得意げな笑顔と声を聞いて、ジーンが、途端に察したように、彼の背後で遠い目をした。
「自信たっぷりに言ってるけどさ、お前もしかして、いつも俺の『手駒』だって自己紹介してんの? それ間違ってるよ、普通に部下でいいじゃん。上司も部下も揃って誤解されるような、とんでもなくずれた恐ろしい紹介方法に仕上がってるって自分で気付こうぜ、ニール」
まさか、お前にもそれしたの、とジーンがニール越しに目で問い掛けてきたので、マリアは頷き返した。ジーンが「マジかよ」と言葉をこぼし、ヴァンレットがきょとんと首を僅かに傾けて、マリアは完全に沈黙した。
ニールは、こちらのやりとりなど目にも止まっていない様子で、得意げにそれらしい顔で言葉を続けた。
「それに元々オークションの件には抜擢されてたし、情報持ってそうなとこは絞り込んであるんだぜ。ここで俺の恰好良さを見せて、名誉挽回するから待ってな! んじゃ行ってきますッ、副隊長!」
「これ、大事な話だからちょっとは聞こうぜ。というか、そもそも『副隊長』じゃなくて大臣と――」
ニールは自信たっぷりに言うと、ジーンの言葉も聞かず、嵐のように走って行ってしまった。マリアはその行動力に呆気にとられ、思わず素でジーンに声を掛けていた。
「…………ジーン、あいつ、大丈夫か?」
「…………まぁ、大丈夫だろ。ああ見えて、ウチの部隊じゃ俺に続く頭脳派だったからな。やる時はやるさ」
ジーンが首の後ろを触りながら、思い出すように言って「やれやれ」と視線をそらした。
あのニールが頭脳派? そうは見えないんだが……
マリアは疑問を覚えたが、ふと問題児が一人になった今の状況に気付き、ニールを呑気に見送る隣のヴァンレットを盗み見て、ニールが走り去った方向へ視線を戻した。
「先に下見に行ったらダメかしらね? ヴァンレット一人の今なら、順調に進められるような気がするの」
「あ~、なるほどな。あいつは仕事が速いし、ゆっくり歩くか?」
確認するように視線を寄越してきたジーンに、マリアは頷き返して、いつものようにヴァンレットの手を取った。ゆっくりと歩き出しながら、ジーンは時間を効率的に使うように、現在把握出来ている情報について語った。
ザベラには、一ヶ所だけ森林地帯が残っている。その一角を現在所有しているのがハーパーで、建物の建造申請の目的項目欄には『プライベートな芸術品の収納と展示』と書かれていたらしい。
「財産の相続に関しては、揉めに揉めた結果、ハーパーが勝ち取ったって感じだな。追い出されたも当然だったハーパーには、自分で築いた金はあっても、拠点となるようなデカい土地がなかった」
先に建てた四つのオークション会場は、別の人間が所有する土地であるため、ハーパーにとって完全には融通がきかない商売地でもあった。ギャンブル商を中心に商売をバックアップする巨大な組織があり、売上の一部を払う事を約束すれば場所を提供してくれるシステムだが、そこにはルールも存在する。
彼らは裏では違法な商売を牛耳ってはいるが、引き際もきちんと分かっており、今回の討伐の対象にも入っていないのだ、とジーンは簡単に説明した。
「そもそも、やつらは有力な情報提供者でもある訳だ」
「どういう事?」
「つまり、そのデカい裏組織は仕事の傍ら、『国王陛下を裏切らない立場にもある』って訳だ」
アーバンド侯爵家と繋がる部分があり、そうやって国内の『表』と『裏』のバランスを絶妙に取っているのも事実だ、と遠回しで語られたような気がして、マリアは、問うようにちらりとジーンを見上げた。
ジーンは一つ頷くと、知らないヴァンレットを意識し「つまり『仕事仲間』だ」と肩をすくめて見せた。
「見た事ねぇか? 今代のトップは俺より一回りぐらい年下で、こう、髪をテカテカと固めて『うわ、切りたいわぁ』と思っちまう感じで前髪を一房だけ出してる狐面の男なんだが」
「ん~……、ないわね」
そんなに特徴的な人物であれば忘れないはずだが、そもそもアーバンド侯爵家の特殊な『客人』については、一介の使用人であるマリア達は見る機会がなかった。
基本的に『客人』については、執事長と料理長、そして侍女長だけが対応に当たっている。アーバンド侯爵とアルバートによると、結構な頻度で遊戯室を使い談笑もしているらしいが、マリア達は見た事がなく、一体何時、どこからどのように彼らが訪問しているのかも不明だった。
三人は、しばらくザベラの町並みを眺め歩いた。元々活気はあまりない町ではあるが、昼休憩の時間と重なっているせいか、不思議と大通りには、マリア達以外に人の姿はなかった。
ふと、ヴァンレットが何かに気を取られたように立ち止まった。握っていた手に引かれて、マリアが歩みを止めると、ジーンが気付いて振り返り「どうした?」と首を傾げて問い掛けた。
マリアは、こちらとしてもよく分からないんだが、とジーンに目で伝え、高い位置にあるヴァンレットの、古傷が浮かぶ横顔へ目を向けた。
「何か気になるものでもあったの、ヴァンレット?」
「あれは、なんだろうか」
すると、ヴァンレットが不思議そうに、ある方向を指差した。
マリアとジーンは、彼の人差し指の先を何気なく見やった。遠くから、こちらに向かってくる土埃があり、マリアは嫌な予感が込み上げて、まさかと思いながら目を凝らし――
「……おいおい、嘘だろ」
思わず顔を引き攣らせ、素で言葉をこぼしていた。マリアの隣で、ジーンが「あちゃぁ、マジか」とぼやき、どうしたものかと後ろ手で頭をかいた。
土埃を上げて疾走していたのは、先程自信たっぷりに情報収集役を請け負い、勝手に飛び出していったはずのニールだった。彼は「まずいまずいっ」と全速力で逃げており、その背後には、柄が悪い個性的な頭をした二十代そこそこの、武器を構えた若い男の集団があった。
※※※
目立つ赤毛野郎を追っていたチーム『ピーチ・ピンク』の男達は、赤毛男が向かう先に、三人の人間がいる事に気付いた。
普段であれば、自分達が出歩いている間は、町の通りから人の気配がなくなるので、この時分に警戒もなく平気で出歩いている人間というのも珍しい。その三人組は赤毛男と同じ旅用の古地のローブをしており、こちらを見て「あ」と思い当たるように目を止めたので、恐らく連れなのだろうと分かった。
バカにデカい大男の存在が一瞬気になったが、振り向いた顔には気迫もなかったので、ひとまず問題はなさそうだと胸を撫で下ろした。なんだ、図体がデカいだけかよ、驚かすんじゃねぇよ、と男達は安堵する。
それにしても、旅行者なのだろうか?
そういえばちっともその辺を気にしていなかったなと、男達は遅れて、今更のように思案した。赤毛男とあの大男は、自分達と変わらない歳といった風貌なので、恐らく二十代前半だろう。
その大男のそばには、肉付きは悪いがやたらと背の高い、どこかがっしりとした印象もある肩幅の広い四十代ほどの男もいて、随分華奢な少女の姿もある。年齢的に言えば、父と子、の組み合わせともいえる。
男達は、しばし前方の赤毛男と、向かう先の三人組みをじっと比べ見た。
よくよく見れば、だんだんと家族っぽい組み合わせのような気がしてきた。色や顔立ちといった大きな部分に目を瞑れば、確かに雰囲気のよく似た家族……に見えなくもない。
いや、つまり家族に違いない。
何故なら、そう考えると、とても腑に落ちるような気がしたからだ。
よくもまぁ可愛げのない男達と同じ遺伝子から、小さな可愛らしい一点の花のような女児が生まれたものだと思うと、その事実には感慨深さを覚えた。きっと歳の離れた女の子なのだろう。大きな空色の瞳は、美人な母親似に違いない。
……母親らしき女が近くにいないので、勝手な想像にはなるのだが。
父親らしき男の目は空色ではないので、きっと、多分、そうだと思う。
男達はそう判断しつつ、揃って首を捻った。
そもそも、いる、いない、については些細な問題だろう。何故なら、女は想像するだけでも良いものだからだ。恋人がいた試しもないから、想像の中だけでも楽しむものだと男達は常に思っていた。
女友達ぐらいは欲しいものだが、上手いナンパの仕方も分からず、結局は煙たがられて終わるという失敗が続いている。なんとも現実は上手くいかないものだが、夢は諦めなければ叶うと信じている。でなければ親父も結婚出来なかったはずだし、自分達も生まれていない。
男達は、赤毛野郎が向かう先にいる少女を、再び目に止めた。
恐らく年頃は……、十二、三歳くらいだろうか……?
連れであろうが全員制裁するのが男達のやり方だったが、彼らは、少女の存在について議論するように目配せした。互いの顔を見て、それぞれの考えを目で確認し、最後は揃ってしっかりと頷いた。
うん、あの少女は除外してやろう。
男達の中にも、歳の離れた妹を持っている者が数人いた。唯一自分達に微笑んでくれる天使であり、手作りのクッキーをくれたり、彼らのゴツゴツとした手を怖がりもせず握り、いつも会うたびに心を癒し潤わせてくれる存在だった。
つまり妹とは、永遠のテーマだと思うのだ。
守らなければならない存在で、結論をいうと、可愛いは正義なのである。
父や兄達が痛い目に遭うのを見るのは辛いだろうが、家族ならば、特に父親の方が「お前に怪我がなくて良かった」と娘を慰めてくれるだろう。
いや、あれだけ大きなリボンまでさせているのだから、さぞ可愛がっているはずだ。もしかしたら、娘の方は世間の怖い事なんて知らない子で、震えて泣き出す彼女を抱きしめて、父親は「泣かないでおくれ。父さん達にとって、お前が無事なのが一番なんだ。怖い思いをさせてごめんよ、不甲斐ない父親ですまない……」と謝ったりするのかも……
想像したら泣けてきて、男達のうちの何人かが「ぐすっ」と鼻を啜った。残りのメンバーも、潤い度が増した目を擦った。
「あの無精髭のパパ、めっちゃ良い親父じゃん」
「見てみろよ、あの大男もさぞ妹が可愛いんだろうな、手もしっかり繋いでるぜ」
「こんなところで迷子になんてならねぇはずなのに、兄としては心配なんだろうな。多分どこにも嫁にやりたくないっていう、お兄ちゃん心なんだよ。実に感動的な兄弟愛じゃねぇか」
「チクショー故郷の妹に会いたくなってきたッ」
「十二歳ぐらいだったら、幼い枠だよな」
「幼女ってのは、可愛らしいほど花になる」
うむ、つまり理想的な妹だ。
男達にとって、彼女は危害を加えてはならない幼女枠である事が決まった。
彼らは漢らしく涙を拭った。仲間達の想いを胸に、リーダーである男が意気込んだ。
「野郎共! 悟られるような優しさを見せるんじゃねぇぞッ。さりげなく遠ざけて、狙うは赤毛野郎を含む男連中だけだ!」
「さすが兄貴ッ、格好いい!」
「どこまでも付いていくぜリーダー!」
赤毛野郎だけは許せないが、パパさんは年齢的な点から、慢性の腰痛に悪発展しないよう手加減してやろう。腰を痛めてしまったら、溺愛している娘を抱き上げるのも難しくなる。男達は目配せして、そうする事も決めた。
言葉で伝える事はできないけれど、叶うならば、この熱い想いよ届け。
男達は『無精髭パパ』と『リボンの娘』に、心の中で熱いエールを送った。キラキラとした眼差しを向けて、視線から情熱の全てが伝わればいいのにと願い、一斉に祈った。
そこで満足して再び頷き合った彼らの向かう先で、大きなリボンが可愛らしいその娘が、まるで伝わったのは悪寒だと言わんばかりに、場の緊張感を無視したような小さなくしゃみを一つした。
 




