十二章 黒騎士部隊の四人(1)
マリアは豪勢で広々とした大臣の執務室の、無駄に装飾が凝った三人掛け用のソファに腰かけて、組んだ足の上で頬杖をつきながら友人の様子を憮然と見つめていた。
そこには、今にも口笛を吹きそうなぐらいの上機嫌さで、慣れたように平隊員の軍服に着替えているジーンと、既に同じ軍服を着込んでいるニールがいた。ジーンは先程、レイモンドに「文官君と殿下には伝言をよろしく」と告げて、マリアを自分の執務室まで連れて来たのだ。
「……というか、なんで軍服?」
「変装には必要だろ。しかもお揃いっていいじゃん? お前の分のジャケットもあるけど、どう?」
「いらんわ」
というか、メイド服の上から軍服のジャケットとか、似合わないどころが悪目立ちする。
一時的であれ、またジーンと仕事にあたれる事は、マリアとしても悪くはないと考えている。とはいえ、いささか強引なやり方には呆れてもいた。ロイド達の中にある『侯爵家のメイドのマリア』から、少女らしさが半ば払拭されてしまっているとはいえ、知らない者が見たら驚かれる人選なのに変わりはない。
今回、ジーンが引き受けた任務については、国王陛下と総隊長を中心とした『計画』の一部に触れている。レイモンドがジーンに伝言を頼まれ、宰相のベルアーノも動いている事から、今日中にアーシュ達も大まかな内容は把握するだろう。
アーシュの「何やってんだあいつッ」という驚愕の表情が容易に想像出来て、マリアは、どこまで彼らに伝えられるのか少し気になった。何だかんだ言って、ちゃんと女の子扱いしているところもあるしなぁ、とこれまでの彼の様子を振り返った。
それでも、剣を持つ事しか出来ないこの手が、もう一度役に立てるというのなら迷わない。巻き込んでくれたジーンのためにも、必ず成功させたいとも思うのだ。
メイドである今世で、剣を持ってジーン達と再び戦える機会なんて、きっと、もうないだろうから。これが、最初で最後のチャンスなのだろう。
その時、ニールが外側へと跳ねた赤い髪を揺らしながら、相変わらず何も考えていない陽気な顔をマリアへと向けた。彼の髪の赤は、他では目にした事がないほど鮮やかな色をしており、特に太陽の下だと、純度の高い宝石を思わせる程に目立つ。
ニールは黒騎士部隊で【騙し打ちのニール】と呼ばれていた男で、まるで十六年の歳月を感じさせない恐ろしい童顔の持ち主でもあった。背恰好も二十一歳の頃のままで、成人男性にしてはやや華奢だ。マリアが彼と顔を会わせるのは、再会を果たした美少年サロンの一件以来だった。
「お嬢ちゃん口悪いねぇ。というかさ、ジーンさんとも友人とか予想外過ぎてウケるんだけど。あ、そういえば数日ぶり、元気にしてた?」
数日前の失態を完全に忘れ去っているニールは、そう思い付くままに話した。
どうやら、昨日の時点でこの行動は計画されていたらしく、ニールは、すっかり軍服を用意して執務室で待機していたのだ。上手くいくと信じ切ったジーンの行動力とその考えについては、マリアは、よく理解出来ないでいる。
ロイドに断られたら、ジーンはどうするつもりだったんだろうか……?
そんな事をマリアが考えているとも知らず、ニールは言葉を続けた。
「というかさ、今気付いたんだけど、男の着替えを全部見ちゃうとかアレじゃね? 下着とか普通に真顔で見てなかった? おっと、もしやあれか! そういう趣――」
途中までの台詞で内容を察したマリアは、ソファを飛び超えると、素早くニールの眼前に回り込んでその口を片手で掴んで塞いだ。身体が動くままに続けて彼の片腕も掴むと、ニールの片足を払い、床目掛けて思い切り背負い投げる。
室内に、ドシン、と重く鈍い衝撃音が響き渡った。
マリアは身を起こすと、肩にかかった長いダーク・ブラウンの髪を背中に払い、床に倒れて茫然としているニールを真顔で見降ろした。
「――嫌ですわ、ニールさん。誤解です」
「いやいやいや、ちょ、今何したの、手の動きとか全然見えなかったんだけど!? というかニコリともしてない時の殺気が半端ない! 顎が外れるかと思ったッ」
ニールは目尻に若干涙を浮かべ、床に座り込んだまま掴まれた顔の下に手をやった。気のせいか、一瞬、新米だった頃にあった恐怖の指導を思い出しかけたのだが、痛みのせいで上手く記憶を引っ張り出す事が出来ず、「よく分からんが逆らい難い威圧感を放つのヤめてッ」とマリアに訴えた。
その一部始終を、手を止めてしっかり目に収めていたジーンが、再びジャケットの襟を整えながらカラカラと陽気に笑った。
「笑い事じゃないっすよジーンさんッ。この女の子、すげぇ凶暴なんです!」
「おま、その台詞昔とほぼおんなじッ……あっはははははははダメだ笑いが抑えられねぇ! ――やっべ、超ツボるわ。どうしよ」
これから真面目な話もしなきゃならんのに面白過ぎる。そう口の中で呟きながら、ジーンが真剣な表情で視線をそらした。
見離された流れまで昔と同じだと気付かないまま、ニールが「ひでぇ!」と二十代前半にしか見えない童顔で叫んだ。顎から手を離したニールは、後はヴァンレットの到着を待つばかりかと考え立ち上がったところで、ふと、ジーンに問い掛けた。
「でもジーンさん、いくらお嬢ちゃんが、凶暴で口も悪くて度胸が座ってるからって、メンバーに入れるのはどうかと思うんすよ。軍人でも傭兵でもない小さいメイドちゃんで、一見すると幼女的な枠じゃないっすか。十六歳でデカいリボンが似合って、そのうえ小振りな胸とか、もう犯罪級で年齢詐欺っていうか。あ、言ってて笑えてきた」
そう言ったニールが、名案を思い付いたとばかりにパチンと指を鳴らして、続けざまマリアを振り返った。
「そういえば、護身術の達人だとか言ってたっけ? よっし、お嬢ちゃん! 俺が剣の腕を見てやるぜ。俺は黒騎士部隊で、副隊長の補佐もやってたぐらい腕もあるからな!」
自身で一番恰好良いと思っているであろう笑顔で、ニールがぐっと親指を立てた。
マリアは、先程からずっと座った目で彼を見据えていた。もはや言い訳の余地がない失礼な発言の連続に、堪忍袋の緒は完全に切れていた。
二人の様子を眺めていたジーンが「おっかねぇ」と、無精髭をなぞりながら面白がって呟いた。彼はすぐに踵を返すと、部屋にしまってあった私用の木刀を引っ張り出してマリアに差し出した。マリアは、正々堂々とこのチカン野郎を叩き潰せるチャンスに、文句も言わず相棒から木刀を受け取った。
ジーンは続いてニールに木刀を手渡すと、彼の肩を叩き、軽い足取りで離れた。
「んじゃ、頑張れよ~、ニール」
「ジーンさん? お嬢ちゃんがニコリともしねぇんですけど、緊張してるんすかね? あの表情とか、最近どっかで見覚えがあるような気がしないでもないんすけど」
「ははは。お前のその学習能力のなさ、俺は大好物だぜ」
つい先日、美少年サロンで騒動を起こしたこの部下は、彼の人生最大の天敵であるドMと、凶暴メイドについて「怖かったッ」と泣きついてきたばかりなのだが、と、ジーンは笑顔の下で思った。
広い執務室の中央で、ニールが得意げに唇を舐めて両手で木刀を構えた。マリアは、右手に持った木刀の先を下に向けたまま、彼を冷ややかに見つめていた。
ソファにもたれかかったジーンが、試合開始の合図を告げようとした時、ノックもなく扉が開いて、平隊員の軍服に着替えたヴァンレットが顔を覗かせた。彼は室内の様子を見ると、のんびりとした顔をゆっくりと右に傾けた。
ジーンは首を回して、ヴァンレットに視線を流し向けた。
「相変わらず遊びにくる感じで開けるなぁ。ま、いいけどな。とりあえず閉めてくれ、ヴァンレット」
「ジーンさん、これは一体なんですか?」
「ニールが、マリアの剣の腕を見てやるんだと」
ヴァンレットが「うむ」と納得したように肯いて扉を閉めたところで、ジーンが向かい合う二人へと視線を戻し「はーい、始めー」と、緊張感もない間延びした声で開始の合図を告げた。
その直後、ニールは「ぅえ!?」という奇妙な叫びを上げた。ジーンの合図と同時に、床を蹴ったマリアが一つ飛びで間合いを詰め、眼前に迫っていたのだ。
スカートから白い太腿が覗くのも構わず、飛び込んできたマリアが右手の木刀を振り払うように思い切り左に構えるのを見て、ニールは何故か、過去の痛い何かを思い出し掛けて「ひッ」と目を剥いた。
「ちょ、待ってッ。それって剣技じゃなくね!?」
止まらないと察したニールが、慌てて木刀を横に構えた。マリアは飛び込んだスピードと全身の重心を利用し、木刀で守りに入った彼を、構わず力任せに打ち払った。
成人男性一人分以上の高さまで飛んだニールを眺め、ジーンが「お~」と目で追った。
さすがに、少女の身では壁まで吹き飛ばすのは無理だったらしい。べしゃりと顔面から床に落ちたニールを見て、マリアは、予想以上に吹き飛ばせなかった事に舌打ちした。血が付いた訳でもない木刀を癖で振り、踵を返しながら肩に掛かった髪を背中へと払う。
「さすがだなぁ、親友」
「思った以上にダメージを与えられなかった。あの感じだと、どうせまた倒れた振りだ」
木刀をジーンに返したところで、マリアはようやく、そこにヴァンレットがいる事に気付いた。
マリアは、大きなヴァンレットの見慣れた芝生頭から、犬のようなきょとんとした目へと視線を移し、時間稼ぎのようにゆっくりと瞬きした。見つめる先で、ヴァンレットが数秒かけて首を僅かに左へ倒し、どうしたと問うように「うむ?」と呟いた。
……あっぶねぇ。今、完全に素で話してたッ。
一瞬背筋が冷えたものの、マリアは取り繕うように、あざとい角度へ首を傾けて、にっこりと微笑んだ。あのヴァンレットなので、絶対に不審がられていないはずだと自分を落ち着ける。
「……お、おほほほ。お疲れ様です、ヴァンレットさん。あなたも着替えを渡されていたのですね」
「うむ。久々に着ると軽くて動きやすい。マリアは便秘か?」
「だからソレ完全にアウトな話題だから!」
畜生この野郎ッ
折角女の子らしさを装ったというのに、彼のせいで全部ダメになった。ニールのせいでストレスも溜まっており、マリアは堪え切れず頭を抱えた。
「~~ッ何でお前は、毎度下の話題に繋げるんだ……!」
「腹の調子が悪いと、皆ピリピリするらしい」
そういう問題じゃない、こっちは乙女なんだぞ阿呆!
言葉が乱れた事を自覚し、マリアは「ぐぅ」と続く言葉を飲み込んだ。自身を落ち着かせるべく、目頭を押さえて丹念に揉み解しながら、改めてこの組み合わせについて考える。
ニールとヴァンレットは、一番の若い戦力でフットワークも軽かったが、性格や行動について問題があり過ぎた。オブライトの頃より半分の体積であるマリアの身で、侯爵家のメイドとしての設定を守りながら、この問題児組の面倒を見きれる自信が微塵にも湧いてこない。
木刀を片付けたジーンが、目頭を揉み解すマリアを見て「大丈夫だって」と、へらりとした笑みをこぼして彼女の頭を二回、子供をあやすようにポンポンと叩いた。それから彼は、ヴァンレットへと向き直った。
「二週間前の飲み会以来だな、ヴァンレット。とりあえず座ろうぜ」
「ジーンさん、一緒に仕事をするって本当ですか?」
「まぁな。また一緒に、面白楽しくやろうじゃねぇか、ヴァンレット」
ジーンがニヤリと口角を引き上げ、ヴァンレットの頭を片手でぐりぐりとやって応接席へと促した。褒められたと受け取ったヴァンレットが、満足げに「うむ」と答えた。
マリアとヴァンレットが並んで腰かける様子を、ジーンは、先にテーブルを挟んだ向かい側のソファに腰を落ち着けて眺めた。彼はソファの背に肘を乗せて頬杖をつき、ニヤニヤとしながらも「この面子だと、やっぱりそこに座るよなぁ」と、懐かしそうに目を細めた。
「んで、今回の活動についてだが――」
ジーンが説明を始めようとしたその時、床に倒れていたままだったニールが、勢い良く身を起こした。
「俺のこと完全放置!?」
部下の情けない叫びを聞いたジーンが、口を閉じてニールへ顔を向けた。マリアとヴァンレットも、ソファに腰かけたまま、それぞれの表情を浮かべてニールの方へ首を伸ばした。
「お前、倒れた振りしてまた悪戯とか仕掛ける気だろ? 俺はおじさんだからさ、もうそのノリは無理っていうか」
「好きで転がっていたんだろ。そのまま転がってろ、阿保」
「ニール、俺褒められた」
三人から温度の異なる言葉を受け、ニールは「俺の扱いがひでぇ」と一歩引いた。
「ジーンさんに見離されたッ。というかお嬢ちゃん、絶対零度の眼差しとか洒落にならないからやめて! つかヴァンレットッ、何ぽやぽやした呑気な笑顔浮かべてんの!? 友人であり先輩でもある俺の存在を、あっさり忘れるとかなくね!? チクショー、可愛い後輩が犬属性で時々辛い……ッ」
ニールが身ぶり手ぶり忙しく主張し、両手で顔を覆った。しかし、彼はしっかりとした足取りで歩くと、マリア達が目で追う中、いつも通りジーンの隣にすとんと腰を降ろした。
「あ。そういえばジーンさん、剣って三本で良かったんすよね?」
馴染んだ定位置についたところで、ニールが両手を解き、先程の演説っぷりを忘れた顔でジーンに訊いた。
相変わらず短時間でよく回る口だなぁ、とマリアは思った。




