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十一章 彼女の選択と、その結果…(2)

 アーバンド侯爵との話を無事に終えた翌日、マリアは、協力させて下さいという言葉を、何度も頭の中で繰り返し唱えて練習した。


 今更になって自分の意思で望むなんて、という想いが込み上げるたび、ジーンから励まされた「悪い事じゃない」という言葉が蘇り、マリアを落ち着かせてくれた。彼女は緊張を悟られるまいと、リリーナとサリーと共に、迎えの馬車に乗り込んだ。


 朝一番、王宮で出迎えてくれたのは、レイモンドだった。


 彼は、いつものようにリリーナとサリーに接したが、控えていた近衛騎士にすぐ二人を預けた。リリーナ達には、マリアはこれから勉強があるからと告げて、レイモンドは落ち着いた大人の対応で、早々にリリーナ達を見送ってしまったのだ。


 時間を掛けられないとばかりの流れるような手際に、マリアが目を丸くしていると、こちらに向き直ったレイモンドが、リリーナ達用に作った愛想笑いを解いて、……なぜか罰が悪いようにぎこちなく視線を逃がした。


「その、ジーンから大丈夫だとは聞いたんだが……」


 そういえば、滅多になく取り乱してしまったなと、マリアは先日の事を思い返した。普通の少女であれば取り乱してしまうような内容でもあったから、彼は心配していたのだろう。


「ご心配をお掛けして申し訳ございません。もう、大丈夫ですわ」


 元気になったと伝えるべく、マリアは少女然としてにっこりと笑い掛けた。しかし、レイモンドが戸惑うように眉尻を下げた。


 マリアは、気掛かりがあるような友人の様子に「おや?」と首を傾げた。露骨に表情に出るレイモンドが、思案するように腕を組み、「う~ん」と悩ましげに葛藤する様子を見つめた。



「……やっぱりモルツは何も言わないし、ジーンには含み笑いされるし…………というかジーンの『待て』って、どういう事なんだろうか……」



 こいつ、一体何に悩んでいるんだ?


 マリアが訝しく思っていると、ぶつぶつと独り言をこぼしていたレイモンドが、諦めたように腕を解き、すっかり気弱な表情でこちらを見降ろしてきた。


「…………俺さ、考える事って、あまり得意じゃないんだ」

「それは先日の襲撃で把握しました」


 元よりマリアは、レイモンドが自分同様に頭脳派でない事を知っている。だからこそ、彼が一人で悩んでいるのは珍しいとも思った。


 大事なところでうっかり物忘れするなど、どこか抜けているこの友人は、悩みを抱える前に「無理ッ」と切れて放り投げる事が多い。マリアがそう思い出しながら即答すると、レイモンドが途端に肩を落とした。


「まぁ、そうだとは思っていたけどさ……。もし、どうしても分からない事があって、それは個人的な悩みというか、考え過ぎかもしれないと苦悩するようなやつがあったら、マリアならどうする?」


 昔、似たような事を聞かれた覚えがあるな。確か、付き合いだしてしばらく経った頃だったように思うが、なんだったっけ?


 レイモンドの質問内容に少し疑問を覚えたものの、しかし、マリアは『考え過ぎ』という言葉を聞いて、瞬時に判断を下していた。


「私だったら考えません」

「うわぁ……ばっさり切り捨ててくるなぁ」

「深く考えると、それ以外に意識がいかなくなるのが好きじゃないんです。自分にとって必要な事であれば、いつか分かる日が来ると思いますし、とりあえず頭の片隅に置いておくぐらいで、ちょうど良いんじゃないかと」


 マリアが自分らしく助言すると、昔から素直な一面もあるレイモンドが、あの頃と変わらず「なるほど」と頷き、アドバイスをしっかり聞き入れるよう逡巡し始めた。


 しばし見守っていると、レイモンドがふっと憑き物が落ちたような顔で短い息を吐いた。彼は「同感だ」とどこか投げやりに言い、頭をかいて歩き出した。


「――余計な事を考えるから、きっとこんがらがるんだろう。そんな事、考えている暇もない時期だし」

「その調子ですよ、レイモンド様」

「そうだよな。なんというか……あんな顔されるより、こっちの方がずっといいし」


 彼の後を追い始めたマリアは、「何が」と思わず素で尋ねた。すると、レイモンドが肩越しにこちらを見降ろし、乾いた笑みを浮かべて「何でもない」と言った。


「君は、ヴァンレットとモルツの友人なんだろう? しかも、ジーンとまできた」


 ジーンとは執務室に向かう前に合流する予定なんだ、とレイモンドが続けた。多分、もうそこまで来ているんじゃないかな、と彼は推測を口にした直後、「あ、待ち合わせ場所を決めていない」と自身のミスに気付いた。


 そうか、朝一番に時間が取れたのか。


 マリアは、相変わらず大事なところで抜けているレイモンドに呆れつつも、先程の彼の一連の行動について理解する事が出来た。


 朝一番という難しい時間に、急であるにも関わらずロイド達を集められたジーンの仕事の速さには、改めて感心する。いや、もしかしたら朝一番にしか時間が取れなかったかもしれない。どちらにせよ、マリアには有り難い話でもあった。


「まぁ、そうですね。友人認定されていますね」


 ひとまずマリアは、そう答えた。ジーンの事だから、どうせ向こうから現れるだろうと気付いたレイモンドも、視線を彼女へ戻した。


「俺の事も、友人だと思って気軽に『レイモンド』と呼んでくれていい」

「それは嬉しいご提案ですが、一介の使用人ですので、努力はさせて頂きます」


 レイモンド、なんて呼んだりしたら、絶対に敬語を使えない自信がある。外で初めて友人になったのはジーンだが、王宮では、レイモンドが一番付き合いが長かったのだ。


 マリアがそんな事を考えていると、レイモンドがふっと苦笑をこぼし、「俺もよく分からないんだけどさ。とりあえず、あいつらと同じ『さん』付けでいいよ」と言った。



 王宮内に入ってすぐの場所に、彫りの深い短い無精髭を生やした男が、壁に背中を預けるようにして立っていた。



 マリアとレイモンドは、すぐにそれがジーンであると気付いた。

 

 ゆったりとした高価な衣装に身を包んでいるが、やはり黙っていても大人しい知的な大臣には到底見えない。ジーンはこちらの視線に気付くと、顔を上げて早々に、マリアとレイモンドの組み合わせを見てニヤリとした。


「よっ、マリアにレイモンド。実に素晴らしい朝だな! 元気?」

「おいジーン。お前、よくも朝一番に、なんて無理言いやがって」


 清々しいジーンの笑顔を見て、レイモンドが苦々しい表情を浮かべた。


「言っておくが、俺は例の場所の特定後にも作業があるわけで――」

「マリア元気にしてたか? 気軽に行こうぜ、親友!」


 ははは、と笑いながらジーンがマリアの肩を思い切り叩き、彼女の背中に手を回して、総隊長の執務室へ向けて歩き出した。レイモンドが「俺を無視するなよッ」と慌てて歩き出し、マリアの横に付くべく追いかける。


 ジーンは、とてつもなく機嫌が良いようだ。


 マリアは、肩まで組んできた彼を探るように見上げたのだが、ジーンが横目にこちらを見降ろし、無精髭を撫でつつも、引き続きニヤニヤとしてこっそり訊いてきた。


「その様子だと、『旦那様』とは上手く話せたみたいだな?」

「まぁ、そうね。感謝しているわ」


 マリアは、隣に追い付いたレイモンドを意識して、明確な言葉を使わないよう気を付けた。


 理解したジーンが満足げに腕を離す中、レイモンドは、マリアとジーンの組み合わせをまじまじと見つめた。昨日話には聞いていたものの、実感がなかった彼は、「本当に友人同士なんだなぁ」と呟いたが、ふと訝しげに首を傾げた。


「というか、お前が『親友』なんて言って俺を無視するところに、なんだか既視感を覚えるんだが……俺の気のせいか?」

「おっと。これはアレだぜ、レイモンド。その場の乗りとテンションってやつだから、気にするな?」


 そう言って、ジーンがカラカラと陽気に笑った。


 口が堅い男ではあるが、ジーンで本当に大丈夫なんだろうか、とマリアは少し不安になった。


              ※※※


「昨日も話したが、俺の友人のマリアだ!」


 室内に入って早々、マリアの背中を容赦なく叩きながら、ジーンが満面の笑みでそう宣言した。


 揃って各々待っていた男達の視線を集めたマリアは、ジーンの開口一番の台詞に、「勘弁してくれ」と朝の緊張も忘れるぐらいドン引きした。レイモンドも呆れた様子で、普段よりもぎこちない仕草で、後ろ手で扉の鍵を掛けた。


 総隊長の執務室には、書斎机の長椅子にロイドが足を組んで憮然と腰掛け、そばにはモルツがいた。応接席のソファにグイードが姿勢を崩して一人で座り込み、その向かいに、疲労しきった表情で宰相のベルアーノが腰かけている。ベルアーノはマリア達を見るなり「ようやく来たか」と、げんなりした様子で呟いた。


 長椅子の背に持たれていたロイドが、ジーンからマリアへ視線を流し目を向けた。


「――ジーンの言った通り、特に問題はなさそうだな」

「ご心配をお掛けし、申し訳ございませんでした」


 マリアが、どうにか詫びるような微笑を浮かべると、近くにいたグイードが肩越しに顔を向けて、「それにしても、びびった」と口にした。


「経緯は知らないけど、マジでジーンと友達だったんだなぁ」

「ははは、昨日も言った通り、きっかけについては話してやらねぇから」


 どうだ、勝手に羨ましがるがいい、とジーンが胸を張った。


 マリアは、もうそろそろ本気で彼の口を塞いでやろうかと思ってしまい、目頭を念入りに揉み解しながら、とりあえず落ち着け、と心の中で自身に言い聞かせた。ここで暴れたら、せっかく友人達に作ってもらった時間が台無しになってしまう。


 すると、抑揚もない一つの声が、場の空気を変えるように響いた。



「――別におっしゃらなくて結構ですよ」



 眼鏡を揃えた指で押し上げながら、モルツが興味もなさそうに告げた。彼は持っていた資料に目を向けており、一旦確認作業を止めるように、それを書斎机の隅に置く。


 マリアが訝しげに顔を上げた矢先、モルツの唐突な発言に呆気にとられていたグイードが、それとなく視線をそらし「まぁ、そうだな」と、便乗するように呟いた。


「ジーンは社交性があるから、どっかでマリアちゃんが巻き込まれたとしても、不思議じゃないし?」


 まるで自分に言い聞かせるように、グイードがそうぼやいた。


 ロイドがそんなグイードを見やり、それから、モルツの無表情な横顔を探るように眺めた後、露骨に怪訝な表情を作ってマリアへと向けた。


「俺は忙しいんだ、無駄な話を聞く気はないぞ。――おい、お前はどうだ、レイモンド?」

「え、俺? ……まぁ、特にこれと言って質問はないな」


 気心知れたいつもの友人達だけという、緊張感のない空気に呑まれていたレイモンドは、そのまま素で答えて肩をすくめた。


 ベルアーノが、続く仕事の多忙さと、先程からグイードに妻と娘の話を一方的に聞かされるという二重苦もあって、眉間に出来た疲労の皺を親指で押し伸ばしながら「で?」と議題を移すように言った。


「私達は話を聞くために集められたわけだが――。ああ、先に言っておくぞ、ジーン。この時間に、ヴァンレットを現場から外すのは無理だった。アローがルクシア様のところから戻るまで、もう少しかかる」

「予想済みだし、今は問題ない。そのために、あんたがいる」


 後半の台詞を、意味有りげに強調したジーンが、不敵な笑みを浮かべた。


 ベルアーノは「何を企んでいるんだか」と、国王陛下の幼馴染である友人を胡乱げに見据えた。しかし、彼の視線の先で、ジーンがふっと表情を崩し「とりあえず、マリアの話を聞いてやってくれよ」と、赤み混じりの悪い目付きを、珍しく穏やかに細めた。


 普段は見ないジーンの表情に、何だか罰が悪くなって、ベルアーノは「分かっている」と顔の強張りを解くと、落ち着いた双眼をマリアへと戻した。

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