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十一章 彼女の選択と、その結果…(1)下

 隣に腰かける友人に改めて向き直ったマリアは、心の中を整理しながら、語る言葉を探した。


 いざ口にしようとすると躊躇いが込み上げ、先程ふっと頭にまとまってくれた想いが再び迷子になってしまいそうになった。しかし、急かさず待ってくれているジーンの、見慣れた赤み混じりの茶色の双眼を見ていると、気心知れた仲だからこそなのか、不思議と気持ちも落ち着いた。


「毒の件が一段落して、ルクシア様の件から外されるとは分かってる。こんな事を思うなんて今更だろうという自覚もあるし、悪いとも思ってる。……それでも、『マリア』として少しでも協力したい。知ってしまって、何もしないなんて出来そうにもないんだ」


 マリアは、正直な自分の想いを口にした。


 非難の反応をされるのではないか、とらしくない躊躇いが再び込み上げたが、ソファの背に片方の肩を預け、姿勢を楽に頬杖をついたジーンの表情は静かなままだった。


「どうして悪い事だと?」

「――全部を明かせないまま、毒の事だけどうにか伝えた今の状況は、自分勝手だろう?」


 上手く笑えなくて、マリアは、皮肉げに顔を歪めるような笑みを浮かべた。


「何も語れていない、明かせてもいない。復讐なんて考えるべきじゃないと理解したうえで、『マリア』として『オブライト』であった頃に関わろうとしてる」


 この願いは、アーバンド侯爵家の戦闘使用人としても、通常の使用人としての立場も超えている。マリアは、ジーンの次の反応を見る勇気がなくて、知らず視線をそらした。


 心が、目の前で起こっている事から完全に手を引きたくないと、マリアに訴えてくるのだ。だから、ルクシアのもとへ通えなくなる事を想像するだけで、胸にぽっかりと穴が空くような軋みを覚えるのだろう。それは、ただの我が儘だと理解していた。


 すると、唐突に肩に重みが掛かり、マリアは「うぉッ」と声を上げてしまった。


 何事だと目を向けると、こちらも見ずに肩を組んできたジーンの横顔があった。彼は昔と変わらない陽気な、むしろ、ここ一番の悪戯を思い付いたような楽しさを含んだ、キラキラとする瞳を宙に向けていた。


「ちっとも悪い事じゃないさ。実に『お前』らしいと俺は思うぜ?」


 そう続けながら、彼がマリアの肩を豪快に叩いた。実に楽しい事が待っていると言わんばかりの笑顔で、「吉と出たか。こりゃあ早急に頑張っちゃわねぇとな」と、やけに大きな声で独り言を口にして、自分で勝手に納得するように頷く。


 こいつ、本当に女と思っていないな。


 肩に走る痛みに呆れて、マリアは思わず顔を顰めたが、それでも普段通りの彼に心は救われていて、文句もいわず友人の横顔を見上げていた。


 何やら面白い思案を終えたらしいジーンが、数秒も待たずにこちらを見降ろしてきた。



「協力するぜ、親友。俺が、あいつらと話せる場を明日までに整えてやるから、そっちは『旦那様』を頼んだ」


 

 迷いもなく言い切るジーンの顔には、微塵の不安も感じていない親しげな笑みが浮かんでおり、語る目や表情の全てに自信が溢れていた。


 大きな問題はいくつもあるのだ。頼もしい友人の協力の申し出に感謝を覚えながらも、マリアは、先を思って溜息をこぼした。ジーンのおかげで心は随分軽くなってくれたが、アーバンド侯爵に、一体どうやって話せばいいものか……


「心配すんなって。絶対上手くいくからさ」

「やけに自信があるんだな……?」

「ははは、簡単に仲間から離れられると思うなよ、親友。意地でも手放さないって」

「意味が分からん」


 首を捻るマリアの肩から、ジーンはそっと腕を離した。ジーンにとっても『旦那様』が一番厄介だが、恐らく敵にはならないだろうとも予感していた。そこさえクリア出来れば、次へ事を運べるとも確信している。


 そんな考えを見事に顔に出さないジーンは、立ち上がってすぐ、親友を振り返り「マリア」と陽気な調子で呼んで、手を差し出した。


「とりあえず、まずは腹ごしらえといこうぜ。食堂で『料理長の気まぐれデカ盛り定食』を奢ってやるからさ」

「なんだか機嫌が良いな?」

「ははははは、すぐ後に楽しみが待ってるからな。そりゃあ年甲斐もなく張りきるさ」

「ふうん? まぁ奢ってくれるのは有り難いが。――お前も食うんだろ?」

「当然よ。俺も大のお気に入りだからな」


 差し出された彼の手を取ったマリアは、まるで男友達を引き上げるように起こされ、笑うような吐息をもらした。昔のまんまだなと思って苦笑を浮かべると、それを察したように、ジーンがニヤリとした。


「ありがとう」

「どうって事ねぇよ、親友」


 歩き出しながら、ジーンが「そういえば」と、昔黒騎士部隊のメンバーで何度も食堂に行った事を口にした。

 

 十六年経った今も、昨日のように懐かしく鮮明に思い起こされる日々を照らし合わせるように、二人は、あの頃と同じようにとりとめなく話しながら、歩みを揃えて部屋を後にした。


              ※※※


 これまでアーバンド侯爵に対して、緊張を覚えた事はなかったが、ジーンと話したその日、マリアは侯爵邸に戻ってからずっと、珍しく落ち着かない心地でその時を待っていた。


 使用人として、あるまじき我が儘だ。どうしよう。緊張の経験なんてほとんどないせいか、今更になってめちゃくちゃ緊張してきた。


 ジーンとのやりとりを思い返すと、自分がどれほど勝手な事を思っているのかも改めて強く自覚し、申し訳なさも覚えた。アーバンド侯爵と話す約束の時間が迫るごとに、決心を語る勇気が揺らぐような気がしたが、それでも、何もしないで諦めるという選択も出来なかった。



 約束の時間になった夜、屋敷が静まり返る中、マリアはアーバンド侯爵の執務室へ向かった。



 人払いのされた執務室には、普段ならある執事長フォレスの姿もなかった。五十代の貫禄を漂わせた大柄なアーバンド侯爵一人が、長椅子に腰かけていてマリアを待っていた。


 白髪の混じるくすんだ濃い蜂蜜色髪、子供達とは違う澄んだ明るい藍色の瞳は、穏やかに微笑んでいた。歳相応に刻まれた彼の顔の皺は、柔和な線を描いており、入って来たマリアを見るなり、歓迎するように微笑みを深めた。


「マリア、お疲れ様」


 アーバンド侯爵は、大柄な男性にしては穏やかで澄んだ声をしている。まるで、教会で物語を読み聞かせる牧師を思わせて、実際、週に一回の慈善活動でも、彼の読み聞かせは町の子供達に大人気だった。


 マリアは先に、いつものように使用人として挨拶を済ませたのだが、すぐに次の言葉を切り出す事が出来ず、ゴクリと生唾を飲み込んだ。 


 やべぇ、物凄く緊張してきたぞ。


 その間、アーバンド侯爵は、微塵の威圧感もなくマリアの言葉を待っていた。しかし、珍しく視線を下げてしまった彼女を目に止めると、彼は少しだけ首を傾けて、「どうしたんだい」と問い掛けた。


「元気がないね。何かあったのかい?」


 何かあった、と言えばあった。


 王宮に通うようになったこの数日間で、多くの友人達に再会し、テレーサとの事を思い出して、彼女が覚悟を決めてオブライトに語ってくれた時間や、二人の最期も昨日の事のように――


 マリアは、自分の涙腺が決壊しそうな気配を感じて、記憶を胸の底に押し込めた。


 まだ駄目だ。彼女のために、何もしてやらなかった痛みで、どうにかなってしまいそうだ。だからこそ、あの頃から一歩も前に進めていない自分の感情や心に整理を付けるためにも、まずは話を切り出さなくてはならない。


「……あの、旦那様」

「うん?」


 窺うようにちらりと視線を上げると、アーバンド侯爵の、問うような笑みがあった。少し若々しいようにも見えるその笑みは、落ち着きのあるアルバートとは違い、リリーナが「なぁに?」と尋ねる時の面影があった。


 よし、言うぞ。ここまで来て言わない方が失礼だ。


 このように強く何かを願い、自分から行動するのは初めての事なので不安もあるが、ジーンが協力してくれると言ってくれたのだ。だからマリアも、精一杯頑張りたいと思った。


 反対されたら、説得出来る可能性がゼロにならない限りは、粘ってもみよう。どうにか、少しでも譲歩してもらえるように。


 マリアは知らず唾を呑み込み、大きく息を吸い込んだ。


「――旦那様、私…………その、私、……もっと彼らに協力したいです」

「うん、いいよ」


 決意して述べた瞬間、あっさりと返答があって、マリアは数秒ほど頭が真っ白になった。


 ……は?


「え。あの、旦那様……?」

「大丈夫、君の耳がおかしくなってしまった訳ではないからね? 元々、すぐに引き上げさせる予定もなかったよ。だから引き続き、『表』で頑張っておいで」


 そう言って、アーバンド侯爵がのんびりと微笑んだ。


 マリアは、引き上げさせるつもりはなかったと聞いて、知らず安堵の息をついていた。あとは、ロイド達を説得して、メイドとして少しでも協力出来る事をさせてもらえれば嬉しいのだが……


 今の立場であれば、ルクシアの身の周りの世話をしながら、引き続き雑用係兼護衛としてあたれれば、それで十分だろう。



「もっと忙しくなるよ、マリア」



 見透かされたような絶妙なタイミングで声を掛けられて、マリアは、びっくりして顔を上げた。


 いや、まさか心を読まれたなんて事はないだろう。しかし、忙しくなるとはどういう事だろうかと、マリアは訝しげにアーバンド侯爵を見つめ返した。


「うちの代表として、君には『表』で頑張ってもらうつもりだからねぇ」

「代表、ですか?」

「そう、代表だよ。とはいえ、向こうの出方にもよるのかな? まぁ、ようやく君の希望を聞けたところだから、私が全部やってしまってもいいのだけれど――ここは、『表の剣』に収まった若造の腕を見てみようか。最低限のハードルはクリアして欲しいがね」


 アーバンド侯爵は長椅子に背を持たれると、後半は独り言のような声量で語った。考えるように視線を宙へ向け、悪戯を企むような横顔で「ふふっ」と笑みをこぼす様子は愉快そうで、どこか面白がっているようでもある。


 入室時には気付かなかったが、アーバンド侯爵はかなり機嫌が良いらしい。マリアは、しばし首を捻ったが「まぁいいか」と思い直し、彼の就寝予定時刻をこれ以上押す訳にもいかないと考え、退出すべく礼を取った。



「気にせず『表』で暴れといで、マリア」



 扉に手を掛けたところで、後ろからそう声を掛けられた。


 振り返ると、目が合った拍子にアーバンド侯爵が組んだ手に顎を乗せて、含むような笑みを浮かべた。滞りない、むしろ、想定以上に上手く事が運んでいるため愉快でならない、というような表情だった。


「ここは君の家でもあり、私達は大きな家族だ。全力でバックアップするから」


 ……彼の私へのイメージは、どのようになっているのだろうか。


 以前からずっと感じている疑問が込み上げたが、アーバンド侯爵の後押しは頼もしくもある。マリアは、思わず素で苦笑を浮かべた。


「ありがとうございます、旦那様。おやすみなさい」

「こちらこそ、ありがとう。忙しくなるとは思うが、頑張ってほしい」


 そう言って、アーバンド侯爵は親しげな友人へ向ける眼差しで笑み、「おやすみ、マリア」と彼女を見送った。

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