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一章 アーバンド侯爵家の使用人(4)

 寝静まった深夜の町中を、影のように素早く過ぎてゆく者達があった。



 胡坐をかいたまま仮眠を取っていたマリアは、複数の殺気が近づいて来る気配に気付いて、パチリと目を開けた。



 全ての灯りが消えた屋敷は沈黙していた。

 月もない夜空の明かりを見上げ、マリアは欠伸を一つもらした。

 

 余った時間が勿体ないからと、マークと屋敷の裏にある芋畑の隣の空き畑を耕していたのだが、終わっても訪問者がなかったため、つい芝生の上に座ったまま寝てしまったのだ。


 奇襲は大歓迎だが、こうして待ち構える待機は少し面倒で苦手だった。



「お前さぁ、いくら見えないようにしているからって、スカートのまま胡坐かいて座るとか、普通やるか?」



 同じ姿勢で仮眠を取っていたマークが、同じように殺気に気付いて目を覚ましてすぐ、半眼をマリアへ向けた。


 二人の前方には、夜の陰りに沈む屋敷の裏の柵が広がっていた。背丈のある木々が並び立ってはいるが、裏手はあっけないほど見渡し良く造られている。



「夢見る男子が見たら、百年の恋も冷めちまう光景だぞ」

「ここに夢を見るような男なんていたか?」



 頭の稼働が遅れ、マリアは無意識に素の口調で答えながら、寝呆け眼を擦った。


 それを見たマークが、「ああ、もうッ」と苦悩するように片手で髪をかきむしった。彼は唐突にマリアの手を掴むと、その行動を阻止し、細い少女の腕に跡が残らないよう配慮するように優しく握りこんで、立ち上がらせた。


「女の子が顔を擦るんじゃねぇよ。ったく、もうちょっと早く旦那様が拾ってりゃあ、少しはその口調も改善されたのかもしれねぇのに」


 マリアは、それはどうだろうか、と心の中でぼやいた。彼女の場合は、オブライトとして二十七年生きた口調が染み付いてしまっている。



 聴覚を研ぎ澄ませて、マリアは、十二人分の足音が屋敷の方へ近づいてくることを確認した。体内時計では、現在深夜の三時頃だ。あと一時間もすれば一番早起きのガスパーが、厨房で下準備をするために起床してくるだろう。



 さっさと終わらせて、一時間でも多く仮眠をとろう。


 今日は、仕事で戻れないアーバンド侯爵とアルバートに代わって、リリーナのバイオリンの練習の成果を、使用人一同で聴衆するという大事な予定が入っているのだ。マリアとマークは、揃って身体を伸ばした。


「数は何人か分かるか、マリア」

「十二人。四人ずつ隊列を組んでるみたいよ」

「なるほど。的にしちゃあ上出来だな。月がないから、こっちの姿も見えにくい」


 マークが畑の脇を思い切り踏み込むと、仕掛けが発動して、土に隠されていた改造されたライフルが二丁飛び出し彼の両手に収まった。勿論、サイレンサー付きで音を最小限にとどめられたものである。



 通称『畑道具』――銃器は基本的に、メイド兼御針子のマーガレットが改造と整備を行っていた。屋敷中に設置された銃器の種類と位置は、マークだけが正確に把握しており、弾数の少ない銃器種の場合は一つの畑に数十の予備が収められていた。



 マリアは、敵の気配が侯爵邸の敷地の柵に迫る様子を探りながら、足元の土を思い切り踏みつけた。飛び上がったライフルを空中で掴み取り、素早く構えてスコープを覗き込む。


 銃器の扱いは一年の研修期間で物にしていたが、不慣れな武器は、スコープなしでは正確性が落ちてしまう。マークのようにスコープの補佐もなく、片手で一ミリの誤差もなく的を射抜く技術は、マリアにはなかった。


「アルバート坊ちゃんの見立ては相変わらず正確だな」


 柵を飛び越えにかかった侵入者の影を見つめ、マークが口笛を吹いてライフルを構えた。


「先に言っとくが、俺、体力はねぇからな」

「そんなの知ってるわよ。適当に数を減らしたら私が走るわ」


 アーバンド侯爵家の使用人の中で、マリアほど俊敏に動ける戦闘使用人はいない。一人も逃がすなと指示されているので、二人は、十二人の刺客が敷地内に入るタイミングまで息を潜めていた。



 暗殺者は、全員黒い衣服を着用し、面で顔を隠していた。彼らは慣れたようにロープを投げ入れ、四メートルある柵を四人ずつで飛び越え始めた。



 最後の人影が敷地内に降り立った瞬間、マリアとマークは同時に引き金を引いた。仲間が絶命した事に動揺し動きが鈍った侵入者を見据えながら、一弾式の使用済みライフルを投げ捨てて、畑の土を踏んで次のライフルを手に取る。


 すぐに暗殺者達も状況を把握し、動き出した。


 彼らは銃器戦にも慣れているようで、身を低くして左右に揺れるよう不規則に走り込みながら、まっすぐ屋敷に向かって来る。


 互いの二発目の射撃が外れる様子を見て、マークは、次のライフルを両手で二丁、一気に構えながらニヤリとした。



「よし。マリア、行け」



 マリアはライフルを投げ捨てると同時に、足元の土を抉るほどの瞬発力で弾丸のように前方へ飛び出した。同時に、すかさず射撃を再開したマークの弾丸が、不変則な動きが鈍い敵を正確に撃ち抜き始める。


 エプロンを外した黒いメイド服は、夜闇によく溶ける。


 マリアが視認出来るほど距離を縮めたところで、ライフル攻撃をくぐり抜けて残っていた五人の暗殺者が、ようやく気付いて「メイドか!?」と驚愕の声を上げた。


 どうやら暗殺者達は男であるようで、走り込むマリアのスカートが、太腿のギリギリまでめくれ上がっている事にも動揺したようだった。結婚相手でもない男性は、膝さえ見せてもらえないのがこの国の常識である。


 動きが鈍くなったことで、マークの放った銃弾が、一人の仮面男の脳天を易々と貫いた。


 四人が状況を思い出したように舌打ちし、一斉に細い剣を構えたが、追いついたマリアが太腿に隠していたナイフを構える方が速かった。

 


 マリアは先頭の男の懐に入ると、その喉元を一瞬で切り裂いた。



 崩れ落ちる男から、左手で細い剣を奪い取り、マリアは右方向から振り降ろされた剣先をそれで受け止めると、右手のナイフをもう一人の男の額目掛けて投げつけた。ナイフで額を真っ直ぐ貫かれた男が絶命すると同時に、マリアに剣を受け止められた男のこめ髪から、銃弾が貫通した。


 あっという間に一人になった暗殺者が、構えた剣を震わせながら、恐怖で完全に足を止めた。


 仮面の奥で、小さく命乞いをしている声が聞こえたが、マリアは何も答えず、手に持っていた剣をその場に落として、既に戦意喪失しているその男の背後に素早く回り込んだ。



 マリアは、男の腹部と仮面を手で押さえ込むように、そっと引き寄せた。



 ガタガタと震える身体は、少女の力でも簡単に自由に出来た。背丈のある男の頭部を後ろへそらせた際、喉仏が上下するのが見えた。


「踏み止まってくれたから、せめて、痛くはしないわ」


 宥めるようにそう言い聞かせると、僅かに男の筋肉の緊張が解けた。その一瞬を見計らって、マリアは彼の首の骨を折って絶命させた。



 やって来たマークが、転がっている死体の数を確認し「やれやれ」と、まとまりのない赤毛頭を無造作にかいた。



「最後に抱き締めるとか、すげぇ贅沢。つか、今のはやめた方がいい。いや、絶対にやらない方がいいな」

「何言ってんのよ、いつもの締め技じゃないの」


 女性はやらない暗殺技ではあるが、力がなくともコツが掴めれば簡単に相手の首を折る事が出来るものだ。オブライトであった頃も、怯える相手には配慮して、出来るだけ苦しくないように殺してあげていた。


 マークが悩ましげに額に手を当て、首を小さく左右に振った。


「お前もな、そろそろ年頃だという自覚を持った方がいい。こう、普段と違って妙に色気が――ああ、いや違う何でもない。そういう事じゃなくてだなッ、とりあえずギースの前だけでも……」

「は? ギースがどうしたの」

「……やべ、ガスパーもアウトだわ。それから、アルバート坊ちゃんあたりか? あいつら俺と違って我慢がきかないストレートな連中だし、確実に二次被害が出るだろうな」

「意味が分からん」


 思わず素で返したが、マークはすっかり思案に耽り、こちらの声も聞こえていないようだった。


 マリアは、月明かりのない夜空を仰いだ。星空をつぶらな眼差しに映していた美しい人を思い出して、見上げた事を少しだけ後悔して、そっと目をそらした。



 最強にして最凶の黒騎士は、あの日、あっけなく死んだ。



 たった一人の女性を本気で愛して、共に逝く事を選んだ悲しい結末を、きっと誰も知らない。

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