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十章 進む事態と、揺らぐ心(3)下

 クッションの中に友人達への罵倒をぶちまけ、幾分かすっきりとしたところで、マリアはようやく憮然と顔を上げた。


 苛立ちのせいで、腹の中は変わらずむかむかしていた。ある程度考えられるだけの冷静さも戻っていたが、マリアはクッションを抱き締めたまま、ロイドをジロリと睨み付けた。


「ルクシア様の件は分かりましたが、『引き続き』とは、どれぐらいの期間の協力なんでしょうか?」


 攻撃的な口調は、ロイドのプライドに障る可能性も考えはしたが、やはり腹の虫が治まらず、マリアは得意とする愛想笑いも浮かばないまま刺々しく尋ねた。自分で口にしておいて納得出来ないような苛立ちを覚え、知らず冷ややかで高圧的に目を細めていた。


 昨日の今日のせいか、心がぐらぐらする。


 この機会に目安だけでも把握しておきたい、という考えが遅れて脳裏を過ぎったが、まるで言い訳のようにも思えた。自分の事なのによく分からないなんて、どうかしてる。だからこそ、考えるべきじゃないんだ。



 そう抑え込んだところで、マリアは遅れて、戦場で静かに敵を見据える目をロイドに向けてしまっている事に気付いた。



 喧嘩を売るような高圧的な眼差しは、鬼畜野郎の特権のようなものだ。さすがにまずいだろうと思った途端、面倒になっても困るといつもの冷静さが戻って来て、マリアは、殺気を潜めて睨み付けるだけの表情に戻した。


 さぞかし機嫌が悪くなっているに違いないと思いつつ、改めてロイドを視認したマリアは、意外な光景を見て目を瞬かせた。



 何故か、ロイドは刺々しさもない奇妙な表情をしており、黒に近い紺色の目を見開いて、食い入るようにマリアを直視していた。



「……………」


 会議室内に、訝しみ困惑するような沈黙が落ちた。


 どこかで見たような表情だが、そこにあてはまる感情を、マリア達は上手く思い出せないでいた。ロイドは、元々表情の変化も種類も豊かではなく、初めて見る彼の今の表情を表すのであれば「奇妙」「珍しい」「魔王っぽくない」「変な顔」という感想しか浮かんで来ない。


 しかし、確実に誰かが浮かべていた表情だったのは確かだ。ロイドに全く結びつかないような誰かなので、記憶の倉庫から上手く引き出せないでいる。



 少しでも動いたら、ロイドに気付かれて観察時間が終了してしまう。



 マリアとレイモンドは、ロイドを見つめたまま、ゴクリと唾を呑み込んだ。モルツが視線だけを動かせて、マリア達と同じく、滅多にない貴重な機会を逃せないと言わんばかりに、中途半端な姿勢で硬直状態を保つグイードを見た。


 ドSで鬼畜でゲスな元少年師団長にも、人並みに感情があるという事か。


 入隊当初から自分達を散々困らせて来た元少年師団長に、そんな珍し過ぎる表情をさせている、感情の名前が非常に気になるところだ。顔も合わせず考えるマリア達三人の好奇心は、会議よりも、そちらへと傾いた。


 そんな彼らの様子を眺め、ベルアーノが器用にも表情一つで「お前らは何をやっとるんだ」と伝えた。彼としては、珍しい総隊長の不自然な反応よりも、早く仕事に戻りたい気持ちの方が強かった。


 思い出しきれないもどかしさに、とうとうグイードが身じろぎした。


「うーん、誰だったかなぁ……。ずっと前に見た覚えがある反応なんだが」


 変態と化す前の、否、変態だと一見して分からないような奴の初期の反応が、そうだったような気がする。


 マリアは、その表情を誰よりも一番近くで見た覚えがあり、レイモンドとグイードと一緒にいた時に遭遇した気がするんだが、と悩ましげに眉を寄せた。しかし、マリアが記憶を手繰り寄せる前に、グイードの動きに反応し、ロイドが我に返った。


 正気に戻ったらしいロイドが、ゆっくりと瞬きをし、いつもはない遅い動作で顔をそむけて、口元を覆うように片手で押さえた。


 その様子を見たレイモンドが、「この馬鹿」とグイードに目で伝えた。マリアも「もう少しで分かりそうだったのに」と眼差しで彼を非難し、グイードが「仕方ねぇじゃん」と伝えるべく眉を顰めた。モルツだけが冷静なまま、視線をロイドへ戻した。


 ベルアーノは、とうとう頭を抱え「このメンバーで会議が脱線しなかった事がない……」と、実に悩ましげにぼやいた。




 マリア達が目で言葉を交わす中、ロイドが口の中で「なんだ、この感じは」と人知れず呟いていたが、誰にも聞こえていなかった。マリアはイケメンではないし、俺はドキリとなんてしていないし、いちいち可愛いなとも思っていない、と彼は心の中で三回以上は自分に言い聞かせた。




 マリアは、すっかり顔の見えなくなったロイドから視線を外すと、抱きしめたままのクッションの柔かさを確かめつつ思案した。


 珍しい表情をしていたが、まぁ何かしら個人的な事情でも思い出したのだろう。解明出来なかった事は勿体ない気もするが、追って確認する事も無理だろうと潔く諦め、マリアは改めてロイドに目を向けた。


「それで、総隊長様。私がルクシア様に付いていられる期間は、どのぐらいでしょうか?」


 問い掛けると、声に反応したようにロイドが振り返り、パチリと目が合った。彼は僅かな狼狽を浮かべ、「その件に関しては」と口にしたところで、珍しく言葉を詰まらせて視線をそらした。


「……数日内では毒の場所を洗い出して次の段階に入る予定だが、動きが決まり次第、追って伝える。それから――」


 話題を探すように視線を泳がせたロイドが、ふとテーブルへ視線を落とし、悩ましげに顔を歪めた。



「――……報告書は見たが、読めるような代物じゃなかった。しばらくは書くな。何かあれば口頭で伝えろ」



 マリアは、怪訝に思って首を傾げた。確かに字は汚かったかもしれないが、アーシュやルクシアも読めた報告書だった。もしかして、綺麗な書体を見慣れている彼には、読めなかったのだろうか?


 その時、隣のグイードに腕をつつかれた。


 何だろうか、と目を向けると、どこか憂うように目を細めているグイードがいた。マリアは、普段は呑気で悪戯好きめいている彼の、らしくない様子を見て「どうしたんですか?」と尋ねた。


 すると、グイードが、内緒話をするように身を寄せて「なぁ」と神妙な声色で囁いた。



「マリアちゃんってさ、もしかして――……」



 言葉が途中で途切れ、迷うような躊躇いの後、グイードが続く言葉を呑み込むように目尻に薄い皺を刻んだ。彼は、マリアの顔を見て、抱きしめられているクッションへ目を移し、それから「……なわけないか」と勝手に納得して呟くと、「そのクッションさ」と言いながら、困ったように笑った。


 マリアが「何ですか、唐突に」と顔を顰めると、グイードは、マリアの頭に手を置き、子供を扱うように軽く二回ほど叩きながら言葉を続けた。


「クッション抱き締めてるとか、可愛いし女の子らしいし、良いと思うって言いたかったんだよ」

「ああ、そうなんですか?」


 あ、これはまた娘の話が出そうだな。


 マリアは一瞬身構えたが、グイードが、珍しくそこで話を終わらせて手を引っ込めた。


 グイードは、ロイドからジロリと睨まれたような殺気を覚え、命の危険を感じ取って反射的にマリアから素早く身を引いた。椅子に座り直して、そろりとロイドのいる席を振り返ったが、そこに魔王が降臨している様子がなく「あれ?」と首を傾げる。


 知らぬ顔のロイドが、涼しげな顔をマリアへ流し向けた。


「……そのクッション、気に入ったのか」

「ん? まぁ、触り心地は抜群ですね。毎日メイドさんが清潔に保っている良い匂いがします」


 怨み事を吐き出したおかげか、途中でロイドが珍しく妙な表情をしているのが見られたせいか、抱き締めているクッションの柔らかさと清潔な香りも効果を出しているのか、両手で余るほどのクッションを軽く手で叩き、頬をすり寄せると気分も落ち着いて来た。


 王宮はどこもかしこも豪勢で落ち着かないが、このクッションは中々良い。


 知らず年頃の少女らしい笑みがマリアの顔に浮かぶのを見て、レイモンドが「そうやっていると普通の女の子なのになぁ」と、思案するように口の中で呟いた。グイードが得意げに「クッション作戦は成功したろ」と言い、ベルアーノが「結果的にはだろ」と眠たげな瞳を忌々しげに細めた。


 数秒ほど黙り込み、瞬きもせず食い入るようにマリアを凝視していたロイドのそばで、――室内の様子を改めて見渡したモルツが「そろそろいいですかね」と呟き、無表情な顔を持ち上げて、真っすぐマリアを見据えた。



「確認しておきたい事があります。【リリスメフィストの蔦】を証言したのは、お前ですね?」



 確信を持っていると言わんばかりのモルツの質問を理解するまでに、マリアは数秒ほどかかった。


 マリアとしても、ただの証言一つで、証拠もなく信じてもらえるとは思っていなかったし、納得しない誰かから追及されるかもしれない、という覚悟もしていた。けれど証言者であると推測されているだろう可能性は予期していたはずなのに、すっかり気が抜けていた矢先の唐突な追及には、なぜか強い動揺を覚えた。


 ロイドが思い出したようにモルツを見て、半ば腰を上げたレイモンドを目で制し、座らせた。


 唐突に、会議室に神妙な空気が満ちた。ベルアーノもほど良い緊張感を察し、予定にはない流れに疑問を覚えつつも、ロイドが何も言わない状況を見て姿勢を正した。


 いつの間にか、全員が口をつぐんでマリアを見ていた。


 マリアは、緊張を解すように浅く息を吐き出し、クッションを膝の上に置いてモルツを見つめ返した。ここへ来て今更のように、過去の自分の感情と記憶がまた一つ鮮明に蘇り、マリアは胸に諦めのような冷静さが戻るのを感じた。



 オブライトは、テレーサから時間を掛けて毒の事を教えられた後、混乱の中で『誰かに伝える』件についてちらりとは考えていた。けれど、騒ぎになるうえ信じてはもらえないだろうと、勝手に自己完結して、また一つ選択を諦めたのだったと――そう思い出した。



 仲間を信じていない訳ではなかった。あの当時は問題が山積みで、余計に混乱させても悪いだろうと、自分を正当化する事も容易だったはずで。

 

 けれど見方を変えれば、ただの逃げる口実だったのかもしれないとも思える。


 こじ開けてしまった蓋の内側から、それに引きずり出されて過去が脳裏に蘇るのを感じながら、マリアは、モルツの質問に答えるべく口を開いた。


「……思い出すのも忘れるぐらい前に、偶然町中で話を聞いて、実際に死んでしまう人を目撃してしまったんです。ショックも大きかったですし、ですから可能性について、毒薬学に精通しているルクシア様に相談させて頂きました」


 ショックが大きかったのは本当だ。あの日、彼女に渡すために買った花束の行方が記憶にない。


 ルクシアと違い、モルツは軍の中でも尋問を担当していた事もあり、マリアは気を抜かないよう心掛けて言葉を選んだ。出来るだけ感情に捉われないよう背筋を伸ばし、冷静な表情で、彼の氷のような美貌を見つめ返した。



 彼女のために初めて買った花束は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。

 


 マリアは知らず、膝の上のクッションを両手でぎゅっと押した。モルツが、普段と変わらない冷ややかで冷静な表情のまま、親指と中指を広げて顔の正面から眼鏡を押し上げた。


「勘違いしないで欲しいのですが、お前を疑っているという訳ではありませんよ」

「初めから、信じてもらえるなんて思っていません」


 自分の口から出た声は思っていた以上に固く、まるで聞き慣れない少女の物のように思えた。


 私情を抑え込もうと努力するほど、心が死んでいくような気がするのに、胸が痛むのはどうしてだろうか。感情を含まずに物を考えるのは難しくて、的を射た回答を返せているのかも分からなくなって来た。


 すると、モルツの片眉がピクリと僅かに上がった。言葉のやりとりがずれているのかもしれないと察し、マリアは、質問の意図をしっかり理解しなくてはと、胸の痛みを振り払うべく気を引き締める努力をした。


 彼女の目に少し力が戻ったのを見て、モルツが腕を組む僅かの間に思案を終わらせ、質問を再開した。


「あまりにも詳しい証言でしたので、私としては、知っている人間が死んだものと推測しています」

 

 本当は、思い出したくないと拒絶する自分の心については、マリア自身がよく理解していた。



 見て見ぬ振りをして、何もしない事を選んだ罪悪感に、今でも胸が締めつけられるんだ。前日に毒を飲む彼女を止められなかったのは、がんじがらめに固まった抗えない運命に、逆らえる道はないと知っていたからだ……



 記憶が過去に飛びかけたマリアは、クッションを握り締めた痛みで自分を引き止めた。


「――そうですね。知らない人ではありませんでした」


 相変わらず嫌なところを突いて来る。それでもマリアは冷静になろうと、モルツの作り物のような鮮やかな碧眼を見つめ返したのだが、自分の返答を改めて頭の中で反芻した時、不意に嘲笑が込み上げて――理性が脅かされた。



 知らない人でもないなんて、嘘のように口にした自分が愚かに思えた。



 そう思った途端、抑えきれなくなった感情が、胸の内側で大きく膨れ上がった。テレーサは、覚悟を胸に大事な話を明かしてくれた。だからこそ、彼女が明かした話を疑われるのだけは我慢ならないとも思う。


 ほじくり返そうとしているとはいえ、モルツ自身は悪意も否定もないまま、事務的に確認を取るべく訊いているだけなのだと、マリアは頭の片隅に残った冷静な思考では、きちんと理解していた。


 しかし、「お前は信じないのか」という八当たりのような、随分短絡的で一方的な激情に半ば理性が呑まれた。結局のところ自分は、十六年経った今も感情に向き合う勇気もなく、あの頃から、一歩だって前に進んでなんかいないのだと気付いてしまった。



 彼女の誠意や生き様だけは、誰にも否定などさせない。



 マリアは素の表情で、珍しく激しい感情を露わにした憎しみの熱を孕む目を向けて、モルツを睨み付けた。


「あの日、私は、友人であったその人の部屋を訪ねようとしていました」

 

 ぐらぐらと沸騰するように思考と気持ちが追いつかないまま、醜い感情が渦巻くのを感じながら、マリアはロイドのそばに立つモルツに、ハッキリと聞こえるよう正確に言葉を区切りながら、そう口にした。


「約束をしていなかったのは、彼女を驚かせようと思っていたからで」


 マリアは、知らず手が白くなるほど、クッションの表面の生地を強く握り締めていた。 


「だから偶然にも、彼女が部屋で、知らない大人達と密会しているなんて思ってもいなくて――」


 その時、感情のまま飛び出しそうになった、ある言葉を自覚して、マリアは言葉を詰まらせてしまった。頭の中が、真っ赤に染まりそうだった。


 マリアは、ぐらぐらとする頭で必死に冷静な言葉を絞り出そうとした。その本心だけは言葉として明かしたくない。本当は自分自身が認めたくなくて、ずっと隠して、知らぬふりをしていたかったものだったからだ。




 たった二回の口付けで、愛しているなんて、子供みたいだと笑う人もあるのかもしれない。それでも、本当に愛していたんだ……


 激しい恋も、狂おしいほどの情熱的な愛も知らないけれど、俺は、確かに彼女を愛していた。




「……毒を飲めと指示していた男の声は、ガーウィン卿の物でした。だから私は、昨日彼の声を聞いて初めて、【リリスメフィストの蔦】なのだと確信して、ルクシア様にお伝えしたのです」


 信じて、なんて言える立場じゃない。こんなにも自分は狡くて、醜い感情を持っている人間なのだと痛感してしまっていた。ぐるぐると追いつかない感情が渦巻く頭が重く、マリアは両手を握りこんで、チカチカと痛む目に押し付けた。


 こんな感情なんて知りたくなかった。


 前世のままに死んでいれば、きっと気付かないまま、テレーサが好きだった自分のままでいられたのかもしれない。


 それでもマリアとして生を受けてしまってから、アーバンド侯爵家という家族が出来た幸福が、感情への理解度を豊かにさせてしまっていた。今が恵まれて幸せだからこそ――幸せなのに、前世と今世に挟まれて、こんなにも胸が痛い。


 ああ、最悪だ。

 マリアは、両手で前髪をくしゃりと握り潰した。


 この心だけは隠しておかなければと分かっているのに、ハッキリと自覚してしまった今、どうしても言葉を吐き出すのを止められなかった。



「殺してやりたい……」



 喉から絞り出てしまったその声は、前世の怨念を孕んで震え掠れていた。


 マリアは、思わず「畜生」と口の中で呻いた。きっと、誰よりも自分が一番、昨日まで名前さえ知らなかったガーウィン卿を怨んでいる。


 二十七歳のオブライトは葛藤し、抗えない運命なのだと受け入れて、愛する人と共に逝く事を選んだ。その葛藤に含まれていたのは、テレーサを心配させたくなくて隠した負の感情の全てだった。


 優しくて暖かい世界と、戦争による悲劇を知っているからこそ、怨むままに仇打ちする事が駄目だという事は理解していた。何より、テレーサはそんな事は望まない。醜い胸の内を語る事で暴走してしまったらと思うと、オブライトは、誰にも語る事が出来ないでいた。


 蓋をしていた記憶が、怒涛のように蘇り出した。


 マリアの閉じた目の裏に、あの頃の情景の細部や物音まで再現された。限界に達しようとする感情の回路が激しく痛み、頭が割れそうだ。ひどい吐き気に、思わず頭を抱えたまま背中を丸めた。



「やりとりされていた内容は覚えていますか?」



 その時、先程よりもやけに近い距離から、モルツの声が聞こえて来た。まるで内緒話をするように、そう耳元で諭すように囁かれる。


 個人的には疑問も謎も多くありますが、ひとまず、毒については改めてもう一度訊くのは無理だと理解しましたので、もう少しだけ頑張って下さいませんか……と、モルツらしかぬ台詞まで聞こえたような気がしたが、マリアは、先の質問を考えるので精いっぱいだった。

 

「ガーウィン卿であれば、指示というよりは完璧な用意で、丁寧に脅しまでかけたかと思われますが」


 まさにその通りだ。


 鮮明に思い出した過去は音声までハッキリとしていて、マリアはひどい頭痛に悩まされながらも、モルツの言葉に促されるまま、出来る限り記憶の言葉を拾って口にしようと努めた。


「あの男は、彼女に死ねと命令した……『えるつぶぁいんのおひざもと』に人質を連れるから、助けを求めるのは無理だと、そう脅して…………正しく裁かれるべきだとも分かってる……分かっ、てて……」



 だから、殺してやりたいと思ってしまったのは、きっと、いけない事なのだろう。この手で握る剣は、守るために振るうと決めていて、アヴェインにも――大切な友人である国王陛下にも、そう誓ったのだから。



 限界に達した思考回路が、プツリ、と焼き切れるような音がした。


 マリアは視界が暗転すると同時に、力を失った身体が崩れ落ちるように呆気なく傾いていくのを感じたが、間髪置かず誰かに抱きとめられた。


 遠くなっていく聴覚が「もしかして旧第三聖堂か」「おい、救護班を呼べッ」「今すぐ調べろ」と飛び交う声を聞いたのを最後に、マリアの意識は完全に途切れた。

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