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九章 その毒の名は(4)下

「悪魔リリスの『お伽噺』は、これから話す内容に関わってくる部分がありますから、頭に入れておいて下さい」

 

 マリアは、そう前置きをしてから話を再開した。


「続いて【メフィストの蔦】ですが、これは『悪魔が蔦を張り巡らせるように浸食する』という意味で名付けられています。ルクシア様はご存知かと思われますが、『デビル』の幻覚毒は神経系をあっという間に回るかたわら、強い痺れがじわじわと肌を伝わって広がっていく特徴を持った毒です。その様子から『悪魔の蔦』と言い表され、タンジー大国で植物に関わる悪魔『メフィスト』から名をとられて、【メフィストの蔦】となったようです」


 そこで、マリアが理解を確認するように視線を向けると、ルクシアとアーシュはしっかりと肯き返した。


「次は、『デビル』の毒と同じように、【メフィストの蔦】と呼ばれている『リリス』の弱性毒についてです。先程も述べましたが、経口摂取、皮膚、呼吸、あらゆる方法で摂取しようと体内で簡単に分解されてしまう毒が『リリス』です」



 けれど、無害であるのは動物のみです、とマリアは静かな声色で続けた。



「『リリス』の根は、分解能力を持たない他植物の循環器官にあっという間に入り込んでしまう特性があり、その毒で植物を殺してしまうのです。そのため、雪山には『リリス』の他に植物はありません。住民達は植物毒だと認識し、他植物を食うように根を伸ばす様子から【メフィストの蔦】と呼びました」


「つまり本来の【メフィストの蔦】は、人間毒と植物毒に認識が分けられているという事ですか? 山頂のみで生息し、山頂の下には広がっていないところを考えると、恐らく厳しい条件の元でしか生息できない花だとは推測されますが――」


 そこで言葉を切り、ルクシアは悩ましげに眉を顰めた。



「――ですが、『植物毒』なんて聞いた事がありません」

「聞いた事がなくて当然です。実際には『植物毒』なんて存在しませんから」



 育てるのが難しい植物系の病気は存在しているが、植物だけを攻撃するような毒は確認されていない。


「これは、住民達の勘違いなんです。『リリス』の毒である【メフィストの蔦】は、本来、循環器官に直接入り込んで壊れない場合にのみ、効力を発揮する毒だったからです。――蔦や根のように侵入した器官内で伸び、成長しきると、すぐに死に絶えてしまう性質の『毒』だったのです」


 マリアは、そこで言葉を切ってルクシアを見据えた。


 驚愕の色を浮かべ「まさか」と呟いた彼に、マリアは肯き返して「そのまさかです」と先を続けた。


「これを人間の身体の中で壊れない毒に作り変えたとしたら、素晴らしい毒になると一部の人間は考えたんです。繊細で脆すぎる毒の特性を上手く残すような調合に成功すれば、最後は魔法のように消えて痕跡も残さない毒になる、と」


 マリアが告げた言葉を考えるように、ルクシアは、難しい顔で顎に手をあてた。そんな事は不可能なはずだが、どうやって、と眉間に深い皺を刻む。


 この数日間で、毒について多くの知識を吸収していたアーシュが、半ば青白くなった顔をマリアに向けた。彼の眼差しに、続きがあるんだろうと促されて、マリアは一つ頷いて話を進めた。



「そこで出てくるのが、悪魔リリスの『お伽噺』に登場したアルプの根です。アルプの根には稀に、果実と同量の強い香りが集まる瘤状の物が出来るそうで――」



 そこで、マリアは不意に言葉を詰まらせた。


 耳の奥に、「私は専門家ではないから、上手くは説明してあげられないけれど」と語っていたテレーサの声が蘇った。その記憶に引きずられて、彼女がガーウィン卿と話していた場面が込み上げそうになる。


 心の整理がつかない今、その当時のやりとりまで鮮明に思い出してしまえば、冷静でいられる自信はなかった。


 マリアは、揃えた膝の上で拳を握りしめ、情景を無理やり抑え込んだ。



「――専門家ではないので詳しくは説明出来ませんが、アルプの根の瘤状には、甘い香りに反して苦い成分が集まっているらしく、それが『リリス』の毒の性質を一時的に守るのだそうです。そこに、アルプの果実の皮に微量に含まれる『大量に摂取すると味覚が鈍くなってしまう』成分を上手く調合する事で、毒の保護時間を増やし、直接人間の血管へ投入する事が可能になると聞きました」



 視線を落として沈黙していたルクシアが、ふと苦い表情をして「味覚に作用する……」と呟いた。


「――恐らくセペルグリンの一種でしょうね。舌の上に、細かなざらつきと渋みを残す成分として広く知られているものです。別の使い方も勿論あります」


 ルクシアは専門家として指摘し、「それで」と眼鏡の奥から問うような視線を投げた。


 マリアは、強張った姿勢を整え直しながら、少しだけ視線を逃がし、記憶の奥底から蘇る最期の光景を目の奥へと封じた。


「完成した猛毒【リリスメフィストの蔦】は、……血管に直接流し込むと、二十四時間かけて血管内に根を張るように伸び広がり、ピークに達すると急激に血管や臓器を破壊します。毒が牙を剥くのはほんの短時間なので、心臓か止まる頃には――アルプの加護を失い体内で分解されます」


 オブライトとテレーサは、抱き合ったまま最期を迎えたから、互いの死に顔は見ていなかった。しかし、先程見た賊の最期が、テレーサの死の様子をマリアに容易に想像させていた。


 ルクシアが思案しながら、「なるほど」と相槌を打った。


「時間をかけて【リリスメフィストの蔦】が血中で増殖し、異常活発によって血量が限界を超えて破裂する、とも考えられるわけですか……アルプの根には、血液凝固を阻害する副作用成分も含まれていると憶測を立てれば、あるいは……」

 

 一度詳しく調べてみなければ、とルクシアが独り言のように続けた。既に彼の頭の中では、次の行動について必要な手順が組み立てられ始めているようだ。



 少女一人の証言だけしかなく、信憑性を疑われても仕方のない状況の中で、ルクシアが真剣に向かい合ってくれる様子は心強い。マリアは、ようやく肩の緊張が解けて、震えそうになる息を吐いた。



 アーシュが表情を強張らせたまま、どこか気遣うように「大丈夫かよ」とマリアを窺った。


「つか、お前、それをどこで聞――」

「遠い昔に偶然聞いて、この目で、その毒で死ぬ人を見た」


 信じられないだろうと思うが、本当の話なんだ……そう素の言葉で答えると、ぎこちなくではあるが、どうにか笑顔を作る事が出来た。


 可愛らしい愛想笑いにはとても及ばないけれど、そうして笑っていれば、込み上げる胸の痛みの波にも耐えられるような気がした。しかし、予想以上にそれはマリアの胸を鋭く貫いて、呼吸も辛くなった。



 ああ、死ぬのを見たと口にするだけで、こんなにも胸が痛くなるなんて――……



 こちらを見据えたアーシュが、目付きの悪い目を、こぼれ落ちんばかりに見開いた。マリアは、引きずられるような強い眩暈を覚えて「つまり!」と、振り払うように無理やり声を発して立ち上がった。


 二人の男達が、驚いたようにビクリとして、マリアを見つめ返した。


「【謎の毒】の名前は【リリスメフィストの蔦】ってことよ!」


 マリアは二人に向かって、まるで少年のように口の端をニッと引き上げて見せた。それから何でもないような顔を作って、指示を仰ぐようにルクシアへ目を向けた。


 アーシュも、そこで気付いたように「どうされます?」と彼に尋ねた。


「そうですね……まず、アーシュには今の内容をまとめて頂き、急ぎ報告してもらいます。確認すべき点は多々ありますので、出来るだけ早く進められるよう手筈も整えなければなりません。しかし――」


 そこで、ルクシアが白衣の内ポケットから銀の懐中時計を取り出し、自身で確認してから、マリアに掲げて見せた。



「――貴女はそろそろ時間切れですね。今日は大変な現場に遭遇して疲れている事でしょうし、早めに小さな主人の元へ戻って頂きましょうか」



 懐中時計が示す時間は、既に午後の二時半を過ぎていた。仮眠については、体内時計で短い間だと察していたが、予想以上に長く話してしまったらしいと、マリアは遅れて気付いた。


 賊を叩き伏せた労働と、長い説明を終えた実感に小腹が空くのを感じた。


 消費効率の悪い身体だったと思い出して、マリアは腹に手を当てて見降ろした。途端にアーシュが呆れたように額に手をあて、ルクシアが困ったような微笑をこぼした。


「理解した自分が嫌だ……。とりあえず訊いてやるけど、お前なんで腹を押さえた?」

「労働したから腹が減ったなぁ、と思って」

「昼間あんだけ食ったのに!? プリンなんて三個食ってただろ!」



 ……あれでも控えめにしたんだぞ、お前が吐きそうだなんて弱音を言うから。



 おかげで『料理長の気まぐれデカ盛り定食』は注文出来なかった。マリアとしては、楽しみを控えたからこそプリンを増やしたのだ。


 マリアは「また明日」と二人に声を掛け、早々に部屋を出るべく踵を返した。


 すると、アーシュが「ちょっと待ったッ」と慌てたように立ち上がった。既に扉を開けていたマリアは、腰まで届く長いダーク・ブラウンの髪と、スカートをふわりと広げながら「なに?」と訝しげに振り返った。


「昼間あんな事があったんだし、護衛ぐらい付けた方がいいんじゃねぇか?」


 どうやらアーシュは、賊の一人をマリアが殺したとは気付いていないらしい。尋ねる彼の眼差しは、自分よりも小さくて弱い人間を心配しているような気配を漂わせていた。



「――大丈夫よ。私、こう見えて護身術の達人なの」



 自身に言い聞かせるよう口にして、マリアは、ひらりと片手を振って部屋を出た。

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厄介な毒じゃのう。
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