八章 錯乱した魔王と、再会した親友(4)下
マリアの一睨みを受けると、ジーンが、おどけたように肩をすくめて「よいしょ」と立ち上がった。
「お前とは話したい事が沢山あるけど、あんまり引き止めちまうのも、第三王子に悪ぃしな」
そう言いながらも、ジーンは立ち上がるマリアを振り返り、「しっかし、面白いなぁ」とニヤニヤした。
悪巧みするような笑い方を見て、マリアは後ろ手でスカートを払いながら「なんだ」と露骨に顔を顰めた。
「いんや? アーバンド侯爵とはどんな感じだ?」
「普通に仲良くさせてもらっているが?」
「ふむふむ、『仲良く』ね。宰相のベルアーノとも会ってるんだろ? どうだった?」
「どうだったと言われてもなぁ。まぁ、話し易い男ではあると思うぞ?」
出会って数十分もせず剣を持たされ、ニール達と揃って説教までされたが……
マリアがそう思い出しながら苦々しく語ると、ジーンが「くくくッ」と喉の奥で笑った。何がそんなに面白いのか、肩まで震わせて顔をそむけた。
「いいなぁ、それッ。いつかその面子で、酒でも飲めれば文句なしなんだがな! あ~、アヴェインの奴が飛び上がって喜ぶ顔が浮かぶわぁ」
「いやいや、戸惑いしかないだろ。全員お前みたいに楽天的な頭をしてないからな!?」
「落ち着けよ、俺はお前が困る事はしねぇって。ああ、そうだ、言い忘れてたけど、今日からお前は、俺の親友のマリアだ。んでもって、俺の事は今まで通りジーンでいい」
勝手に話を進めたジーンが、そう言って茶化すようなウィンクをした。
マリアとしては、大臣とメイドという組み合わせについて、彼がどう対応するつもりなのだろうかと疑問は尽きなかったが、彼が口にすると問題ないだろうとも頷けてしまうから不思議だ。
「まぁ、いっか」
数秒で考えを放り投げたマリアの様子を、ジーンがニヤニヤしながら眺めていた。
少しむかついたので脇腹を軽く殴ってやると、「先輩にそれはないぜ」と昔のようにおどけられた。マリアが続けて「阿呆」と睨み付けると、彼は何が面白いのか、目尻に涙を浮かべるぐらいに笑い転げた。
「あ~、笑ったわ。とりあえず把握した。前の知り合いで遭遇してんのが、ヴァンレットにモルツ、グイードとニールに、レイモンドとロイドか。道理であいつら、憑き物が落ちたみてぇに清々しいわけだわ。――あ。そういやお前、そのなりでロイドとか、大変じゃね?」
「なぜだ?」
「いや、だってあいつ――まぁいいか。うん、面白い。いやぁ、人生うまい感じに出来てるもんなんだなぁ! 神様を信じていて良かった。これからも、引き続き面白い事を下さいと信仰するぜ!」
「訳が分からん。しかも罰あたりだろ、それ」
マリアが呆れたように睨み付けると、ジーンは「いいの、いいの」と軽い調子で聞き流した。いつも立ち回るのがうまくて、のらりくらりと言葉をかわせる男だったと、マリアは改めて思い出した。
そろそろ戻るか、と歩き出そうとしたところで、マリアは「そういえば」とジーンを見上げた。
「お前多くを把握していたよな。タンジー大国を歩き回ったっていう、変わり者を知ってるか?」
「それ、俺だけど」
「は?」
「黒騎士部隊が解散される前に、長期休暇を取って食べ歩いたんだ。お前の口からその国名が出るとは驚いたけど、何か知りたい事でもあったのか?」
何でもないように尋ね返されたが、笑顔なのに、どこか警戒して探るような威圧感を覚えた。
マリアが訝しんで見つめ返すと、彼は「ん?」と人好きそうな中年顔で、ニッコリと首を傾げる。
「……ルクシア様が毒ついて調べているんだが、タンジー大国の資料が少ないらしい」
「ああ、例の転落死したメイドの件で、ルクシア様は早々にタンジー大国にでも絞り込んだか…………別件で十六年前から調べてはいたから、多分、俺が一番詳しいではあるが」
ジーンが、頭の後ろをガリガリとかきながら視線をそらし、「どうすっかな」と苦々しくぼやいた。
十六年前と聞いて嫌な予感がしたが、マリアは、悩ましげな彼の横顔に視線で問いかけた。
「ん~……俺としてはさ、会って早々には酷かなとは思うんだ、親友よ。俺は確かにタンジー大国へ行ったが、そのきっかけってのが、まずはお前の死因になった毒が向こうの産地の物だったから、なんだよ」
彼は言葉を切ると、気遣うようにマリアを窺った。
そういう事かと腑に落ちて、マリアは吐息をこぼした。
確かにこれは、会って早々には辛い内容だ。あれは、穏やかだったオブライトの感情を一番揺さぶったもので、マリアも極力思い出さないようにしていた。
テレーサの身元を考えれば、短剣に塗られていた毒がタンジー大国のものであったとしても、おかしくはないだろう。マリアがそう思案していると、ジーンが「あれ?」と呆気に取られたような顔をした。
「お前、毒の経緯とか知ってた? というか予測済みだった、みたいな?」
「まぁな」
マリアは、明確な言葉を避けて吐息混じりに答えた。
彼は一度目線をそらし、嫌な予想が当たったような苦い表情を浮かべたが、すぐに表情を戻して話し始めた。
「ちょうどお前の死のタイミングで、当時の王宮医長が、今ルクシア様が追ってる【謎の毒】について陛下に相談したんだ。もしかしたら、オブライトが何か掴んでいて、そのせいで始末されたのかもしれないっていう憶測も上がってな」
「【謎の毒】は、タンジー大国に関わるものだと……?」
「当時の状況では、それ以外の可能性を考える方が難しかった。それに、お前の場合……これは、俺とアヴェインの推測でしかないが……タンジー大国から来たテレーサは、間者だったんだろう?」
だからその憶測も上がったのだと、ジーンが真意を問うように言った。
不意打ちのような質問に、マリアは頭が真っ白になった。口の中で「テレーサ」と呟いた言葉が、乾いた唇の上を滑っていく。
「ッすまない。ああ、頼むからそんな顔をしないでくれ」
だから嫌だったんだ、と慌てたようにジーンに抱き締められて、マリアは自分が今、どんな顔をしているのか気になった。
第三者から聞かされるのは、自分で思い出す以上に堪えるものらしい。
ぐるぐると回る思考を落ち着けようと、意識して吐き出されたマリアの息は、頼りなく震えていた。
「すまなかった。俺だって、どうしてお前が死んじまったのか、ずっと知りたいと思ってた。でも、今すぐじゃなくていいんだ。だから、そんな顔をしないでくれ」
「…………」
「それでも、いつかは話して欲しいとも思ってる。話さないと、多分お前は、いつまでも前に進めないと思うんだ。お前は聡い癖に、感情にはとことん疎い奴だったから、口にして吐き出さなきゃダメだ」
「……なんだよ、それ」
「よく聞け、親友」
マリアの声に少し張りが戻ったのを確認したジーンが、身体を離しながら、真剣味を帯びた低い囁きをこぼした。
「これはトップシークレットだが、実を言うとな。王宮医長にいわれてから、俺と陛下と、信頼できる少ない人間で、魔法みてぇなその【謎の毒】については追ってんだ。王宮医長は、甘い匂いがあると言っていた。そして、被害者だと思われる人間は、死亡よりも前に大小の傷もあるらしい」
「例の毒は匂いがある、それに傷……」
「証拠が残らないんで、憶測を絞り込んだに過ぎないがな。毒については、ほぼ口径摂取じゃないとも絞り込めている。もし、お前が本当に何かを掴んでいたのなら、思い出せる範囲でいいから教えて欲しいとも思ってる」
ツキリ、と目の奥が痛んだような気がして、マリアは目頭を押さえた。
そんな重要な事は何も知らないはずだが、ルクシアの元に通い出してからずっと、何かが脳裏に引っかかっている。けれど、考えるほどに分からなくなって、マリアは目頭を揉み解しながら「ぐぅ」と呻った。
その時、ジーンが緊張を解いたような笑い声を上げたので、マリアは訝しげに思って顔を向けた。
「なんだよ、ジーン?」
「ははは、そう可愛い顔で睨みつけんなって。やっぱお前、なんにも変わってねぇなぁ。見れば見るほど、オブライトのまんまだよ」
マリアは「意味が分からん」と小さく舌打ちしたが、彼の前で意地を張るのも無意味な気がして、観念したように溜息をこぼした。
「毒と聞いてから、どうも、うっかり忘れているような事がある気がするんだが、思い出せなくてな……」
「昔からそうだったろ。二つの事を任されたら、片方の結果については忘れてるじゃん」
「…………」
言い返せないのは癪だが、事実だったので否定も出来ない。
「さすがのお前も、デカい用件は忘れないだろうし、ヒントでも今は有り難いからな。思い出したら教えてくれよ」
ジーンが一歩引くように言って、仕方ないと肩をすくめた。
マリアは、胸がすぅっと落ち着くのを感じた。昔からジーンには助けられているなと思い出して、ゆっくりと苦笑を浮かべた。
「心強い味方がいて良かったよ」
思わず本音をこぼすと、ジーンが「弱ったな」と力なく歯を見せるように笑い、はぐらかすようにマリアの頭を二回、軽く叩いた。
「当然だろ。俺は、お前の一番の親友だもんよ」
彼がそう言って、一度、穏やかに目を閉じた。
二人はさよならも告げずに歩き出すと、振り返る事なく、それぞれの方向へと別れた。




