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一章 アーバンド侯爵家の使用人(2)

 傷口から溢れ出す血を眺めていた。

 ああ、とうとうこの時が来たかと、やけに冷静に思った。


 愛しい彼女を見た。手で触れて、抱き寄せて、最期に伝えたかった言葉を口にして目を閉じたところで――



 二十七歳だった、オブライトとしての生涯は終わったのだ。



 次に目を開けた時、彼女はマリアとしてあった。


 自分が死んであまり日が経っていない事には驚いたが、また孤児なのだという事は漠然と分かっていた。ひどいスラム街で親もなく、生きるために、オブライトであった頃と同じように、女児の手で剣を握った。


「うちに娘が生まれてね。彼女の友達として寄り添い、守ってみないかい?」


 出会い頭にアーバンド侯爵だと名乗られた時、六歳のマリアは、思わず首を傾げてしまった。


 オブライトであった頃、少なからず王宮には出入りし、舞踏会にも足を運んで重要な人物の顔は把握するよう務めていたが、鍛えられた大柄で優しげな男の顔には見覚えがなかった。


 後に理由を聞いて納得した。そうか、それなら表舞台に立てる訳がないな、と。

 あまり歳も離れていない友人の一人であった、計算高い国王陛下の腹黒さにも改めて「すごいな」と感心した。



 オブライト時代の知り合いと関わる事がないとあって、六歳のマリアは、差し伸ばされたアーバンド侯爵の手を取った。



 多分、少なからず混乱していた部分はあったのだと思う。彼の屋敷に連れて帰られ、そこで良くしてくれる侯爵達の暖かさに触れて唐突に、ポロポロと涙がこぼれ落ちて、マリア自身が一番びっくりした。


 どうしてか冷静でいられなくなって、六歳の女児らしい泣き声を上げてしまったのは、今となっては黒歴史である。


 マリアだという自覚はあるが、だからといって、二十七歳という精神年齢が消える訳ではない。オブライトの時代に取り乱したり、泣いた事はなかったから、泣き終わった後に込み上げた恥ずかしさには悶絶して死にそうになった。


 

 そして一年の研修と試験を経て、マリアは、侯爵令嬢リリーナの専属メイド兼護衛として配属されたのだった。


              ※※※


 声を大にして言いたい事は、いかついアーバンド侯爵からは想像も出来ないほど、リリーナは天使のように超絶可愛らしいという事実である。


 あんな子の世話が毎日出来るとか、素晴らしい。

 すごく可愛い、可愛過ぎて困る。


 マリアとして生まれて良かった――とあっさり今世に絆された瞬間でもあった。今なら、オブライト時代の上司や同僚達が、自分の娘や妹を、世界で一番だと可愛いがっていた気持ちが理解できるような気がする。


 リリーナは、アーバンド侯爵家の人間とは思えないほど純粋に育ち、「腹黒いってなぁに? お腹が黒くなる病気なの?」と本心から訪ねてくる程の天然振りだった。



 天然で可愛らしい性格も、堪らなくイイ。



 マリアは、警戒心をまるで抱かれない同性という立場を存分に堪能してもいた。マリアにとって、リリーナは仕えて守るべき一番の主人になっていた。まさに宝である。

 

「なのに着替えの世話とかさせてもらえないのよね。私、リリーナ様の専属メイドなのに」

「お前ってさ、時々性別を飛び越えるんじゃないかって、本気で不安に駆られるような目をお嬢さまに向けてるんだよ。エレナ姉さんもそれを分かってお前を除外してんだ。むしろ男所帯に溶け込んでいる時点で色々とアウトなんじゃねぇの?」


 屋敷の使用人は、主人たちの時間に重ならないよう交代制で食事をする。


 基本的に、女性の使用人は二階の女性専用の休憩室。男性の使用人は、移動が面倒だからという理由で、調理室の奥に続く物置き兼休憩室で食事をとるようになっていた。


 マリアは他のメイド達と休憩時間が重ならないため、休憩は、食べ物が常にある調理室の続き部屋だと決めていた。運ぶ手間は省けるし、何より、満足いくまで食べられるという利点が大きい。



 リリーナは午後の早い時間にダンスレッスンが入っているため、着替えた後そのまま授業に入るとの事で、マリアは遅い昼休憩に入っていた。彼女の隣には、同じタイミングで休憩に入ったギースがいる。



 八人分の丸椅子が置かれた木のテーブルには、料理が雑然と盛られた皿が並んでいた。マリアは、ギースと言葉を交わし、物想いに耽りながらも、美味い料理を口に運ぶのに余念がなかった。


 マリアは、ステーキ肉を三枚完食した後、続いて、骨付きの鳥肉料理を手で掴んでかぶりついた。


「というかさ、お前そのちっこい身体のどこに食べ物が消えていくんだよ。あきらかに食い過ぎだろ。三人前の料理があっという間に消えるとかありえねぇわ。というか、女が素手で料理を掴むんじゃないッ」

「ギースは細かいわよね。――……フォークとナイフでチマチマ食ってられっかよ」

「おい、本音がポロっとこぼれてんぞ。しっかり聞こえてるからなッ、お前はどこの野生児だ!」 


 すると、興奮したギースを宥めるように「落ち着けよ」と出入り口から渋い男の声が上がった。


「いいじゃねぇか、いつ見てもいい食いっぷりだ。料理人としては食わせ甲斐があるだろ?」


 マリアとギースの向かい側の椅子に座ったのは、四十歳になる料理長のガスパーだった。彼は胡坐をかくように腰かけ、含みのある笑いを浮かべた。


 ガスパーは、屈強な肉体を持った料理人だ。目立つ橙色の髪は清潔感を重視するため刈り上げられているが、コック服は皺が入り、袖は無造作に捲くられたままである。白髪知らずで健康的な中年男であり、屋敷の使用人の中で唯一のタバコ愛用者でもあった。


 酒と賭博が好きで女に縁がなく、私生活は滅茶苦茶で見本にもならないような不真面目な男なのだが、毎回レシピをしっかりと記録し、栄養が偏らないよう時間をかけてメニューを考える気配りは持っている。



 マリアにとって、昔から美味しい物を食べるのは、剣の他に唯一持っていた趣味のようなものだった。


 少々燃費の悪い身体だとは自負しているが、どんなに食べてもすぐに腹が減るのだから仕方がない。腹が減っては戦が出来ないというのが、オブライトの頃からのモットーでもある。



「マリアがここにいるって事は、嬢ちゃんには、サリー坊やが付いてんのか」


 面白そうにこちらを見つめるガスパーに、マリアは、鶏肉にかぶりつきながら「うん」と肯いた。


 その様子に額を押さえたギースが、ゆっくりと首を左右に振り「姉さんに見られたら怒られる。絶対に」と深い溜息をついた。彼は諦めたようにフォークを置くと、夕食のレシピを考案するべくノートを広げたガスパーへ視線を向けた。


「それで、さっき厨房で話してた件ですけど、お嬢さまが第四王子の婚約者候補に上がってるって噂は本当なんですか、料理長?」

「アルバート坊ちゃんが言うんだから、間違いないだろ。まぁ噂が事実なのか『そういう設定』なのかは置いても、俺らは旦那様に従うだけだ。おおかた何かしらの問題があって、第四王子を守るために『アーバンド侯爵家』の力が必要になるぐらい切羽詰まってるって事じゃね? そうだったら追々指示されるだろ」


 ガスパーは話しながら、思いついたようにノートにメニュー案を書き足した。屋敷の情報司令塔は、執事長フォレスと料理長ガスパーが担っている。



 マリアは、唇についた鶏肉料理のタレを舌で舐め取りながら考えた。



 出会って十年、リリーナも貴族令嬢として婚約者を持てる歳になっていた。アーバンド侯爵が認めた相手ならば安心だが、はたして今回の婚約者候補の話しは、どのような意図で進められているのだろうか。


 アーバンド侯爵は、娘のリリーナを溺愛している。


 嫁ぎ先については何年もかけて厳選されているらしいが、一族の特殊性もあって、王族への婚姻の打診はしていなかったように思うのだ。望ましいのは恋愛結婚であり、陰謀とはほど遠い家に嫁がせるとも聞いていた。


 どちらにせよ、彼らは判断を間違えないのだから、マリアが考えるべきではないのだろう。


 本当に第四王子の婚約者になるのであれば、少々臆するものがあるが、外に付き添う場合は一介のメイドではなく、未来の護衛騎士である侍従のサリーのはずだ。マリアが王宮に行く事はないだろう。



 それにしても、友人であった国王陛下も、今じゃあ四人も子供がいるのか。



 マリアは、今更ながら感慨深く思った。前世に関わる事については、意識して情報を断っていたので、あれからどのように変わったのかは知らない。オブライド時代は二人の息子しかいなかったが、王妃への溺愛ぶりは相変わらずのようだ。

 

 唇のタレを舐めるなよ、はしたない。そうギースが咎めるようにマリアを睨みつけた。ガスパーがゆったりと顔を持ち上げて「いいじゃねぇか。いつもの事だろ」とニヤリとする。


「そう言えば、ギース。マークの奴はちゃんと『畑』を整えてたか?」

「はい、問題なしです」

「それならいい。今回は、アルバート坊っちゃんが動いてるからな。旦那様より短気な坊ちゃんが動くとなると、てっとり早く『害虫』を呼び寄せて叩き潰すと思うぜ」


 最近はリリーナと触れ合う時間を騎士業に阻まれて、内心ストレスが溜まっているらしい、とガスパーがこぼした。


 マリアとギースは、彼に標的にされた『害虫』一向に、心の中で合掌した。

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