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五十五章 私が「あの頃」好きだったことを(16)

          ◆◆◆


 その少し前のことだ。


 悪魔、と、とある人物から呼ばれることもある狂暴なその司祭は、めかしこんだ衣装で――屋根から飛び降りていた。


 急いでいたのは予定外の出来事が起こったからであり、そして衣装も着替えるしかなかったためだ。


「あ、剣の血、処理したっけ?」


 忙しすぎるので僕もそろそろ誰か使えそうな侍従でも付けるかな~陛下付けてくれないかな~――なんて、彼は空中で呑気に呟いていた。



 午前中の爽やかな空気の中、暗殺を終えたところだった。


 彼が着地したのは、まさに角から早馬の馬車が曲がった瞬間だった。



「きゃーっ」


 自分を落ち着けようと仲のいい御者席の窓を開け、彼と話していた十二歳の令嬢は、彼と共に人が落下してきた光景をバッチリと見た。


 ジョナサンが振り返り、その新緑の瞳が見開かれていく。


 護衛も兼ねたガタイのいい御者の横、小窓から小さな顔を覗かせた令嬢、ジョセフィーヌも目が合う。


「ひ、人をっ――ひいてしまったかもしれませんっ!!」


「!?」


 正直、ジョナサンは初めて人間に対し『こいつ、大丈夫か?』という心底信じられない気持ちでそう思った。


(見てたよな? ひいてないぞ?)


 急ブレーキを踏んだ馬車は彼のすぐそばで停まった。ジョナサンは、さすがに自分と認識は同じだろうと思って御者と真っすぐ目を合わせたのだが――。


 御者が続いてクワッと目を開く。


「人をひいてしまったかもしれないっ!」


 ――いや、嘘だろ? お前もか?


 ジョナサンはそちらの驚きに動けないほどだった。とにかく、変なその二人を見比べる。


「大変ですわっ、お怪我はっ?」


 馬車を降りようとしてきたのは、想像していた以上に子供の令嬢だった。ジョナサンは年齢を把握しかねた。


 行動力はあるようだが、全然鍛えておらず、下車する様子があやうい。


「あ」


 ジョセフィーヌの手が、手すりから離れる。


 ――何してんの、このバカ?


 思った時には、ジョナサンの姿は馬車の前から消えていた。目を瞬いた時、御者はジョセフィーヌを腕に抱く彼の姿を見ていた。


(え、何、保護者もなし?)


 信じられない……ジョナンは呆れたが、歩いていた貴婦人たちが羨ましげな溜息をもらしている。


 しまった。好意を振りまいても、メリットがない相手なのに。


(僕もまた――『あの人』が根深く居座っているんだろうね)


 子供さえも大切にしていた【黒騎士】と呼ばれていた、黒騎士部隊最後の隊長。


 面倒なことにならないといいけど、そうジョナサンは思った。


 だが、相手の女の子はその予想を見事に裏切る。


「良かったっ、ひかれたあとは見られませんわね! 頑丈なお身体をされておられますのね!」

「……?」


 今の話の流れから、彼女は『ひかなかった』という可能性を浮かべなかっただろうか?


「しかしながら引いてしまった事実に変わりはありませんっ、わ、私、主人として責任をっ。彼に責任はございません!」


 ジョナサンは首を捻り、数秒ほど自身の次の行動をわかりかねた。


(…………なんだって?)


 涙で目を潤ませている令嬢、そして御者席には「お嬢様っ、王都にきてますますご立派になられてっ」と涙ぐんでいる、どう見ても田舎から出てきた三十代そこそこの御者。


 ――いや、お前らは現実を認識しろ。


(そして僕は、ひかれて、ねぇ)


 馬車ごときにやられるわけがないだろう。ジョナサンは斜め方向に切れそうになった。口許の作り笑みがひくつく。


「お嬢様、僕はひかれていません」

「え? ですが」

「『ひいてしまったかも』ということは、ひいたところは見ていないということです」


 ジョナサンはひとまず令嬢を腕から降ろした。彼女と御者が、目を合わせる。


 ――あ、いや、この二人はあてにならないんだった。


 同じ人間が二人揃ったところで話は進まない。


 ジョナサンは、まともな大人も同行していてほしかったな、と、にっこりと二人に浮かべて見せた作り笑顔で思った。


(とはいえ、これならイケるかも)


 まさかその手が通用するとは信じがたいが、ジョナサンは見もせず、ひとまず路肩のほうを指差してみる。


「僕はそこの棚から落ちてしまっただけです」


 そこにどんな光景があるのか目にはしていない。


 『棚』なんて、正確にはないだろう。ゴミ箱やその他の何かをそう見立てた、と受け取ることは可能だが。


(うん、普通は、質問してくる)


 ジョナサンは相手の反応を待つ。


「まぁっ、そうでしたのね! 確かに棚がありますわ! よかったですっ」

「ありがとうございますお嬢様っ、俺、人をひかなかったようです!」


 二人が感動したように顔を見合わせている。


 ――嘘だろ?


 ジョナサンは作り笑顔で珍しく固まる。

 彼女たちが何を見て『棚』と表現しているのか気になったが、見たら負けるような気がした。ここは好奇心を押さえよう。


 もちろん、相手の顔は知っている。


 ディアン男爵家の末の娘、ジョセフィーヌ・ディアンだ。


(まさかグイードの遠い親戚が、彼に輪をかけてアレ……)


 いや、見方を変えれば面白いかもしれない。


(彼女も彼女で稀有なタイプだな)


 幼い彼女を遠目で数回見かけたが、いつも俯いていると思っていた。何か心境の変化でもあったのか。


 ジョナサンは気にならない。彼女自身には興味がないからだ。


 人の話を聞かない、一方的にしゃべってもくるグイードが話していた。


(でも、まぁ――そうやって顔を上げて、笑っていたほうが彼女らしさがある気がするな)


 雰囲気がクイードと似ている。裏がなさそうなところや、運動音痴、そしてかなり純粋そうな部分だって、まるで似ていないが。


       ※・※・※


 そんなことを彼が笑顔で思っているとも微塵にも気付かないまま、ジョセフィーヌは馬車に戻った。


 なんと、こちらがひいてしまうところだった紳士が、わざわざ手を取ってエスコートしてくれたのだ。


「と、都会の貴族はすごいのですねっ」

「今こけられでもしたら困るから」


 何やら笑顔でズバッと冷たく言われた気もするが、相手はにこにこと笑っているし、違うだろう。


「それから、君たちはひきかけてもいない。いいね?」


 この笑顔、『気にしないで』と言いたいのだろう。


(都会の紳士はすごいわ!)


 ジョセフィーヌは、一緒に王都まで来た家の御者と素早く目を合わせる。


 扉から素早く顔を出したためか、見目麗しいその貴族の男性がジョセフィーヌを車内へと押し込み直す。


「はいはい、危ないのでそのまま座ってしまいましょうね~」


 もう茶会デビューだって済ませてある。子供扱いにむっとするが、にっこりと微笑みかけられると、聖人にそう言われているような気がしてほだされた。


「保護者も同行していないようでしたら、安全運転するように」


 紳士が御者に声をかけた。


「も、もちろんですっ」

「あまり遠くないといいけどね――ところで、これから両親と合流かな?」

「いえっ、私の天使に会いに行きます!」

「……? そう」


 相手がほんの少し止まったのち、何やらうんと一つうなずいて、身を引いていった。


 彼は馬車の扉まで閉めてくれる。それをジョセフィーヌは都会ってすごいと思って、つい車窓を開けてしまった。手を出す暇もなかった御者も感動してこう言う。


「高貴なお方に違いないっ、わざわざ扉まで閉めてくださるとはっ」


 見る限りでも、高貴な血が流れているお方だろう。


「他に護衛をつけほうがいいんじゃ……?」

「え? なんです?」

「いや、訪ねる先に、いい警備がされていることを祈っておくよ」


 彼は初めて出会ったというのに、優しいことを言った。


「それじゃあ、気を付けていってらっしゃい」

「はいっ」


 そう、行こう、アーバンド侯爵邸へ。


 ジョセフィーヌはそう思い、きらきらと希望を宿した目で、進みだした馬車の車窓が動いていく様子に目を向けたのだった。

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