五十五章 私が「あの頃」好きだったことを(14)
数秒ほどじっと見ていたかと思うと、ロイドが口を開く。
「なんだ、今度は何が気になった?」
「私を荷物のように抱えたままなのも気になってます」
「今はそこじゃない」
「ですがロイド様、このままじゃ不審者扱いですよ」
「離れて付いている俺の護衛たちがなんとかする。気にするな」
(ちっ。そういえばこいつ、公爵だったな)
マリアはどうしてか不貞腐れたみたいに反論しか浮かばなくて、心の中で舌打ちしてしまった。
「他に気になったことがあるだろう。言ってみろ」
「解放してくださったら」
「解放したら逃げるだろ、だから逃げなくなったら降ろしてやる」
こいつ、とマリアはもう少しで口から出そうになった。
大人になった彼は、ちょっとやりづらい。
「どうしてロイド様が気にされるのですか」
「お前が気になることは、俺も気になるからに決まっているだろう」
「だから、どうして――」
イラッときてつい声を荒げそうになった時だった。
「好きになった女が気にして、求婚話に消極的になりかけてる。気にしない男はいないだろう」
「っ」
は、え、と言葉が一音ずつ口からこぼれたマリアは、みるみるうちに頬が赤く染まっていった。
突然の言葉にマリアは頭数沸騰したみたいに、うまく考えられなくなった。
「い、今、求婚の話なんかしてな――」
「俺の言葉が何かを気にさせたのは感じた。だから、言ってみろ。マリアの前だと、気取るのも忘れてしまう」
だから社交では出ない言葉も出す、と彼は言いたいのだろう。
(それ、友人なのでは?)
マリアはそう思ったものの、すぐに「違う」とロイドが難しい表情で強く言ってきた。
「心を読んだんですかっ?」
「読むまでもない」
なんとなくお前の思考が掴めてきた気がする、なんて言いながら、ロイドが歩き出す。
「ちょっと、人目があるから恥ずかしいのですがっ」
「これくらいの人目、俺は恥ずかしくない」
「この鬼畜」
「なんとでも。俺は、お前に悪いことはしていないしな」
何やらロイドは機嫌がよいようで、はなうたをやりながら交差点を渡っていく。
「俺はなんとなくわかってきたぞ、お前が気にした箇所」
「なんです?」
「お前相手だとうまくいかない、といった際に、僅かな反応が見られた。きっと、そこだ」
分析されていることにギクリと肩がはねる。
「あたりか。これ以上、む隠し事をしてもいいことにはならないと思うが?」
「……そう、ですね。私に求婚しているくせに、私相手にはうまくいかないと言っているのが矛盾しているなぁと思っただけと言いますか」
「くくっ、それで面白くないと思ったわけだな?」
「なんで笑っているんです?」
マリアはむっとして睨む。
ロイドが何やら間を置いた。ここでコレは言ってはいけないよな、と彼が初めて空気というものを読んでいる気がして、マリアは訝しむ。
「ロイド様?」
「いや、なんでも」
「ふーん、まぁいいです。それで? うっかり口から出てしまったらしいその言葉、矛盾ではないと説明できるんですか?」
「ほら、やはり気にしているじゃないか」
彼の横顔が、楽しげに笑う。
「お前って、案外子供じみたところがあるんだな。いてっ」
「次バカにしたら力を入れてやります」
「運んでいる人間の腹を殴る奴がいるか……」
呆れたように言っているはずなのに、ロイドの横顔は、気のせいか嬉しさも混じっているように見受けられる。
(……殴られるのが案外好きなのか? まさかな)
あのロイドに限って、とマリアは思い直した。
「うまくいかないのは、お前が、俺の心底好きな唯一の女性だからだよ。俺だって、緊張くらいする」
マリアは固まって数秒後に、両手で顔を覆い隠した。
覚えがあった。
オブライトもうまくやろうとして、そうしてどう誘えばいいのか分からなかった時がある。
あの時、察したように笑って、カフェで食事なんてどうだろうかと提案したのはテレーサだった。
(あぁこいつ、本当に私のこと……好き、なんだな……)
マリアは顔が熱くて、困った。
困ったと言えば、自分がオブライトだと言ったらロイドが死んでしまう可能性についてもだ。
(うん。ショックで、倒れそう)
どうしていいのか分からない。
でも、そう思っている傍ら、心の底では固まりだしている事もあった。
脇に抱えるなと、再会したばかりの頃だったら自分の力でどうにかしていただろう。
彼をどうこうしない時点で、家族と同じか、近いくらいには、彼の存在がマリアの懐に入り始めている。
「俺と歩いてみないか?」
道を渡ったところで、ロイドが降ろしてくれた。女性相手だと思ってのことだろう。大きな手は優しくて、そっと地面についていく自分の足はマリアがもどかしく思うくらいだった。
一人で、勇気を出して歩いてみる予定だった。
けれど気付けば蘇った寂しさも、胸の痛みも半減している。
「歩き出したのは、ほんの少し前なんですけど」
マリアは、ロイドを見上げてそう言った。
「ならば光栄だ。数時間、そばに寄り添えるな」
なぜ彼は、こうも堂々と言ってのけるのか。
でも――
(二人で、というのも悪くないかな)
なんとなくそう思えた。
普段の意地悪く笑っていないロイドの笑顔が、ただただ偶然の出会いを喜ぶみたいに子供っぽい表情に見えるからだろうか。
オブライトだった頃、テレーサに出会えた時の自分と少し重なる部分もあるから?
――いや、違う。
たぶん、とマリアは自信がないなから思った。
「寄り添うなんて、誤解でもされそうな言い方ですね」
「驕ってやる」
ロイドが素早く黒い長財布を懐から出した。
「乗った」
日頃迷惑をかけられている分、使わせてやろうと、マリアは負けず嫌いの気持ちが呼び起こされた。
赤面を見せた恥ずかしさを挽回してくれる。
「よし。それならまずは仕立て屋に行こう」
「……はい?」
マリアは、目が点になった。
「数時間、俺にくれるんだろう?」
そういえば『数時間』と言われていたなと、マリアは今になって思い出した。
(え……私、数時間もロイドと過ごすの? 何をすれば……?)
歩いてみる、とは言ったものの、予定は未定だ。
「初めて歩くなら、知らないところも多いだろう。既製品も多く揃えている仕立て屋のおすすめを、まずは案内しよう」
「へ?」
ガシリと手を摑まれた――ではなく、まるで掴まえるみたいにガッチリと、指を絡めて手を握られた。
それが恋人繋ぎだとマリアが記憶から引っ張り出すまでの間に、ロイドはすでに勝手に上機嫌な様子で、彼女を連れて歩き出していたのだった。
◆◆◆
その頃――王都の一角にあるとある教会の入り口に入ってすぐ、昼休憩を迎えて静かなはずなのに叫び声が響く。
「誰だっ、この教会に悪魔を入れたのは!?」
目尻に皺が見えても、うねるブロンドやブルーの目からも気品さが漂う美しい男が、指先を戦慄かせて一人の訪問者を指差していた。
その指先にいるのは、にこにことした、これまた貴族だろうとしか思えない服装に身を包んだとても美しい男だ。
彼の名前はジョナサンであり、そんな彼に指を突きつけている年上の男は――元騎士であるミゲルだった。