五十五章 私が「あの頃」好きだったことを(10)
帰宅したジーンは外套を預かった執事に状況報告を聞き、そして手短に打ち合わせをした。早く行動を起こしたかったからだ。
「旦那様、いくつかまた招待状が」
「そこについてもアネッサが興味を持たないものに関しては、出席しない旨を適当に返事しておけ」
「かしこまりました」
執事には仕事を言いつけて、ジーンはまずアーバンド侯爵への用事の下準備をすべく、書斎へ向かう。
だが、その時、勤めて長いメイドに声をかけられた。話を聞けば、王宮から使者があって『忘れ物を届けてくれた』のだそうだ。
「白衣?」
「はい。旦那様も知っていると。すぐに行ってしまって、名前はお聞きできませんでしたが」
「そのまま別れを切り出されたのか?」
「いえ? 目を向けたら、どこにも姿が見えなかったのです」
そうメイドに聞いて、ジーンは『相変わらず、速いな』と思った。
知り合いに青年も多いが、中でもまた珍しいタイプですねとメイドは感想を交えて報告していく。だが、ジーンは密かに驚いていた。
(救護班の腕章、か)
正直、驚いた。
知らせについては、アーバンド侯爵からだろうとは理解した。
いったいなんの用なのか気になるところだが、今度やってきた『使者』が、救護班であるのは意外だった。
(そこにも暗殺部隊が入っているのか)
ジーンは口元を手で覆った。救護班は、王宮にいれば見かける部署だ。目立った色の腕章というのは覚えている。
メイドは、外出用のローブを着たその青年が『大臣の忘れ物だ』と言って荷物を差しだしたと語った。手紙も入れていると、説明して。
荷物を受け取る際、彼女は白衣を着た青年の腕に『救護班』の腕章を見たという。
(いったい誰だ? 俺が知っている奴か?)
薬学研究棟にも出入りしている班がいるとは、把握している。
マリアがそこにいるので、そのうちの誰かなのではないか、という憶測がジーンの頭に浮かんでいた。
(とするとマリア繋がりで……?)
暗殺部隊の上にいるのは、アーバンド侯爵だ。
しかし、その救護班は、もともとアーシュという青年の同級生であり、全員が彼が倒れるたび呼ばれるメンバーだとは大勢の者が知っている事実だ。
彼らの付き合いは子供の頃からだという。
マリアの近くにいる人間については、ジーンも身上書を取っているので間違いない。
(誰も、何にも、経歴にも不審な点はなかった)
だがマリアの近くに出入りしているのに、無関係とは思えない。
(白衣のまま俺のもとに来たのも、意味があるはずだ)
牽制か? なんの? それとも持っている情報を少し見せてくれている、と取るべきか。
ジーンは、メイドから受け取った荷物にちらりと視線を下ろす。
この中に〝裏〟からの手紙がある。
もし衣装を見せたのが信頼の証だというメッセージ性を孕んでいるのなら、恐らくココに、ジーンも知らなかった情報があるのだ。
アーバンド侯爵は、何かを教えてくれるつもりなのか。
(持ってきたのは救護班に所属している青年、連れはいなかったらしいな……一人、表立って動いているとなると、それぞれの隊長格か。その下で直接働いている主要戦力の一人か――……)
どちらにせよ、とんでもないバケモノが身近にいることだけは分かった。
それもまた、かなり大きな情報だ。とすると手紙に書かれているのは、それ以上のことなのか――……?
「旦那様?」
「あ、ああ、俺の忘れ物だ。急いで出てしまったもので〝あいつ〟には感謝しておこう」
「まぁっ、やはりお知り合いでしたのね」
安心したメイドに、ジーンは妻が帰ったら教えてくれと伝えて二階へと向かった。
メイドが嬉しそうに動きだしたのは、今日早く帰るのはアネッサと日が暮れるまで観劇デートを計画立てていると知っているからだろう。
ジーンは書斎に入ると、鍵をかけた。荷物の袋を開けてみると、中には覚えのない着替えが入っている。
中を探ってみると、見覚えがある黒い封筒が一つ置かれていた。
(アーバンド侯爵なのか、それとも彼に許可をもらった誰かからの情報なのか――)
アーバンドが持つ『暗殺部隊』は、えげつない。
国軍とはまったく別ものの異質な部隊だと言っていい。彼らはアーバンド侯爵家にだけ絶対忠実で、異常なまでに尊敬を抱いている。
まぁその部隊と同じ力量を持ち、あのアーバンド侯爵から指揮権も与えられた国王陛下、アヴェインも怪物じみているのだが――。
アヴェインは家族を失った日を境に、アーバンド侯爵へ戦闘指導も乞うた。
何を考えているのか分からない。その話をアヴェインから酒を飲みながら打ち明けられた際、ジーンは、自分だったらそんなことは絶対思い浮かばないなと思った。
しかも素質と才能があったようで、アヴェインはアーバンド侯爵に「まぁ、よいでしょう」と言わせた。そして彼の指導を卒業し、暗殺部隊の指揮がとれるくらいには『その部下たち』からも、力量を認められている。
「――ん? 報告書の写し?」
荷物を足元に置いたジーンは、いつでも燃やせるよう書斎机のほうに移動しながら手紙を開封して、首を捻る。
封筒の中身を取り出してみると、折りたたまれた紙には【極秘】と真新しいインクで書かれてあった。
(何か情報の一つを共有してくれる、ということか?)
メッセージも添えられていない。
いったいどんな情報なんだ? そう不思議に思いながら、ジーンは折りたたまれた用紙を開き――思わず口を押えた。
「……なんだ、これ……?」
ジーンは絶句した。
【オブライト、そして彼がテレーサと呼んでいた異国女性の同時死亡を確認】
そんな『記録』から始まった記録には、続いてこう書かれていた。
【オブライトが守ろうとした『彼女の弟』は、同日、暴行により国内で死亡。
複数による暴行を受けてそのまま絶命した現場に、アーバンド侯爵が到着し『粛清』処分する。
子供の遺体を清め、破り散らかされていた服も新しくして着せたアーバンド侯爵。我々は彼と共に、黙祷を捧げながらすべてを燃やした】
書かれている確認日付は、オブライトの死亡日だ。
(死亡、誰が?)
ジーンは、頭がぐらぐらするような感覚に襲われた。
あの日、テレーサも確かに、オブライトと同時刻に死んでいた。そしてもう一人、おもいもよらないところでひっそりと、子供が死んだ。
破られてただの布きりになった服のことからも、子供の身にどんなことが起こったのかは、ジーンも容易に想像がつく。吐き気がする最悪の結末とも言える。
「というかテレーサ……弟がいたのか?」
いない、と彼女は答えていた。
「……そうか、守ろうとして……この俺さえも気づかないくらいの、演技をしていたのか」
ありえない、と心で呻く。
現実だと思いたくなかった。ありえないというよりも信じたくない。
(なんて、残酷なんだ)
テレーサも死んでいた。それだけでなく、オブライトと彼女だけが知っていたその子供も、同時に亡くなっていたのだ。
ジーンは彼女に感じていた芯の強さの理由が、今になって理解できた。
そして、これまで親友に何があったのかとずっと探し続けていた全体像――それが、ようやく見えてきた気て――衝撃が強かった。
「…………なんてことだ」
オブライトは、テレーサの弟の存在をどこかで知ったのだろう。
テレーサは弟を守ろうとした。そしてオブライトも同じく、守ることにした。
――なのに、なんらかの約束を果たすべく二人が戦場で絶命したその日、子供は、最悪な形で殺されたのだ。