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八章 錯乱した魔王と、再会した親友(3)下

 マリアは、目の前の男から視線がそらせないまま、長い間動けずにいた。


 目と鼻の先には、不自然な角度でこちらを覗き込むジーンの顔がある。自分をよく連れ回し、慣れるまで世話を焼いてくれた友人との日々が脳裏に蘇る再会だった。


 しかし、かなり困る。ものすごく、どうしていいのか分からない。


 懐かしいというのが本音だが、マリアは、もうオブライトではない。そういう感情だけで、一使用人である自分が関わっていい人間達ではないとも知っている。


 今のマリアは、所詮、彼らにとっては全くの見知らぬ人間なのだ。


 自分がオブライトであったのは確かでも、マリアは今や、アーバンド侯爵家のメイドである。リリーナの事で手いっぱいであるし、次期侯爵であるアルバートの婚約から結婚まで、これから忙しくもなるだろう。

 

 そもそも、こんな奇天烈な話しを誰が信じるというのだろうか。


 自分は今や、全く無害な一使用人の少女なのだ。

 ここは、笑ってやり過ごせば万事オーケーな気がする。


 ヴァンレットを思わせる、キョトンとしたジーンの眼差しを受けながら、マリアは、この場をどうにかするべく愛想笑いを浮かべた。しかし、誰よりも一番長くそばにいたジーンの目に、過去の自分を見られているような錯覚に陥り、口許の笑みがぎこちなく引き攣った。



「…………」


「…………」



 いや、何か言えよ!


 普通ならそこで何らかの言葉を掛けて取り繕い、スムーズに話しを進めるのが大人ではないのか。使用人が先に問い掛けるのは、失礼だというものだ。


 しかし、数分ほど待っても、ジーンはきょとんとした様子でマリアを見つめたままだった。


 仕方ないと覚悟を決め、マリアは、出会ってから別れるまでの年月を数え、彼が今年で四十九歳になることを思いながら「あの」と声を絞り出した。


「何かご用でございますか? 私、お仕事で少々あちらに用事があるのですけれど……」


 メイドらしく指を揃えて前に置き、控えめな愛想笑いを作って、マリアはそう問い掛けた。少々不安が表情に出た自覚はあったので、ついでに、あざとい角度に首を傾げて内気な少女風を演じる。


 すると、ジーンが掌に軽く拳を打って「おぉッ」と瞳を輝かせた。



「会いたかったぜ親友! 俺を覚えてるか、お前の先輩で相棒のジーンだ!」



 そう言ってのけたジーンが、男にやるように思い切りマリアの肩を叩き、抱擁を待つように両手を大きく広げて「さぁ来い!」と力強く言い切った。。



 待て待てッ、どこでその結論に至った!?



「ひッ、人違いでは?」

「はははははッ、何言ってんだよ、オブライト! 相変わらず鈍い奴だな。俺が親友を忘れる訳ねぇだろ!」


 どんぴしゃで名指しされた! 揺るがない信念がすげぇ!


 思わず感心してしまうほど、ジーンは微塵の疑いも持っていなかった。あの頃と変わらなない様子でカラカラと笑い、真っすぐこちらを見降ろして「さぁ、再会の抱擁をしようじゃないか!」と自信たっぷりに宣言する。


 動かないマリアの様子を見て、ジーンが「今更恥ずかしがんなよ~」と手を伸ばしてきた。


 腕を取られそうになって、マリアは慌てて距離を取った。

 ジーンは気にした様子もなく「はははっ」と愉快そうに笑う。


「いやぁ、しかし、まさかお前が裏を牛耳る【アーバンド侯爵家】に所属しているとか、面白すぎるわ。やれば出来る子だと俺は思ってたんだよ、うんうん」

「待て待て! どうしたらその結論に至る!?」


 思わず素で訊き返したマリアは、ハッと我に返った。


 こちらを不思議そうに見降ろすジーンの目が、特に変化していない事に安堵しつつ、咳払いを一つして冷静に言葉を続けた。


「……えぇと、あなた様と私は、今日初めてお会いします。それに『オブライト』というのは男性でいらっしゃいますよね? ご覧の通り、私は――」



「んなもんすぐ分かるって。言ったろ、俺は親友を間違えないし、魂がおんなじだ」



 不意にジーンの声が真剣味を帯びて、マリアは口をつぐんだ。


 こちらを見つめるジーンの瞳は、いつの間にか涙で潤み、ひどく儚げに揺れていた。そうだと言ってくれよと、縋るように唇を噛みしめてじっと見降ろしてくる顔は、今にも泣き崩れそうだった。

 


 ――お前の後ろは俺に任せろ。どこにいても相棒は見失わねぇから!


 ――戻ったらまたいっぱい酒を飲もうぜ! んでキレイな姉ちゃんをお前でつって、皆で朝までどんちゃん騒ぎだ!



 最期の日、オブライトは彼にヴァンレットを付けて、後で落ち合おうと約束して、自分から引き離した。



 ――分かった。どうせ最後に立ってるのはお前だけだろうし、すぐに見付けられるから心配ねぇな! ニールよりも先に向かうからよ!



 別れる直前まで、ジーンの顔はどこか不安に揺れていた。オブライトはそこに目を瞑り、執拗に戻った後の事を口にする彼に「そうだな」と初めて嘘を重ねたのだ。


 あの後、オブライトの死体を一番に見付けたのは、一体誰なのだろうか。


 優しい彼が「そばを離れなければ」と悔やむ姿が脳裏に浮かび上がった途端、激しい後悔がマリアの胸を貫いた。涙を堪えるジーンが鼻を啜る音を聞きながら、マリアは俯き、震える手で顔を覆った。



「…………魂が同じとか、何だよ、それ。お前を裏切ったも同然なんだぞ……」

 


 友人に嘘を吐いた時のオブライトの苦悩と痛みが蘇り、思わず、素で言葉を吐き出した。


 前髪をくしゃりと握り潰すと、近づいてくるジーンの足音が聞こえた。


「…………俺、もう一度会えるかもしれないって、馬鹿みたいに信じてたんだ。覚えてるか、俺の妻のアネッサ。あいつの国ではさ、生まれ変わりがあるらしいんだ。神様がいるのなら、悲しい結末のままで終わらせないって、彼女はそう言って俺を励ましてくれた」


 夢みたいな事だろうと信じていたかった……そう、らしくもないか細い声で続けながら、ジーンがまた一歩、距離を近づけてきた。


 マリアは、彼がそういった夢みたいな希望に縋ってでも、どれほどこの時を想像してくれていたのかが痛いぐらいに分かって、今にも崩れ落ちそうになる身体を木に預けた。


「……なぁ、答えてくれよ。お前、オブライトなんだろう? 俺の相棒で、上司で、後輩で、親友の、馬鹿な癖に聡い『ぼんやりオブライト』だ」


 騒ぎの噂を耳にして勘付き、一目見て確信してしまった友人を騙せる訳もなく、マリアは、ゆっくりと手を離した。


 涙を堪えた目で彼を見つめ返すと、ジーンの顔がくしゃりと歪んだ。


 人の失敗や騒ぎを見て、馬鹿みたいに笑っていたジーンが、みっともないぐらいに悲しい顔をするから、マリアの涙腺も緩んだ。罪悪感と悲しみとでぐちゃぐちゃになって、堪らず涙が溢れた。


「ごめん、ごめんジーン……あの時、お前に何も告げずに酷い事を――」



 名を口にした瞬間、マリアは、ジーンに抱き締められていた。



 男がぐずぐずと泣きながら、かき抱くようにマリアの小さな身体を抱き締めた。存在を確かめるように震える腕で全身を引き寄せて、彼の肩にも届かない華奢なマリアを覆い隠すように抱き込み、「おかえり」と喉を震わせた。


「ッ会いたかった……ずっと会いたかったんだ親友…………俺、俺ッ、あんな別れ方、ッ会えて良かったよぉおおおおおおおおお!」


 途端に、ジーンが大きく口を開けて、子供のように泣き出した。


 マリアは彼の大泣きに驚いたが、ジーンが過ごした十六年の歳月が、どうしようもないほどに長く、悲しく感じて、思わず彼のローブを握りしめた。


 いつかまた会えたら、と、ずっと待っていてくれた友人を想った。


 どうしてか、本当の意味で彼に再会出来た事に熱いものが込み上げて、マリアも泣けて来た。



「ごめん、ただいま」



 マリアは、か細い声でそう答えて、彼の薄く広い胸板に頭を押し付けた。

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