五十五章 私が「あの頃」好きだったことを(7)
(アヴェインに、何か隠し事でもしているのか?)
アヴェインとアーバンド侯爵。あの二人を第三者として眺めていた時に、なんとなくそんなことを最近覚えた。
――とにかく、違和感。
一度、その勘めいたようなものを抱いたら、注意深く観察していると所々でジーンはうまく隠されているような感覚を味わうことがあった。
オブライトのことで何か知っていることは、他にないのか。
当時のことで何か他にも知っていることがあるのなら、教えて欲しい。
「痛みを……分かち合いたいと思っちまうんだよなぁ」
少しでも、背負うことができれば喜んでそうするのに。
王都を、あの頃みたいに一人で歩くのにも、今の親友にとてつもなく勇気がいることなんてジーンは知らなかった。
「はぁ……」
そこに気付けなかったことを、申し訳なく思っている。
ジーンは腕を組み、車窓にコツンと頭をあてた。
「……俺の親友が、助けてって言える奴なら、よかったんだけどなぁ」
あの頃も薄々は感じていた。
優しすぎて困るのだと、共に過ごすうちに気づいた。
『優しいのは構いませんが、彼は冷酷で最強の黒騎士だと言われているのに、優しさの慈愛が不釣り合いなんですよ』
ふと、昔、誰かが言っていた声が耳元で蘇った。
『優しすぎるところが、いつか彼を殺すのでは?』
どくん、と心臓が嫌な音を立てた。
何かが思考の先で形になるようなものが見えかけた時、ジーンは車窓の向こうに「あ」と注意を引っ張られた。
まだ残っていたその店は、オブライトがテレーサと出会った場所だった。
出会って間もない頃、彼は一人歩きが増えたことがあった。
それをジーンは今になって思い出し、まさか、と思って目を見開いた。
『よく外で会うんだ、偶然――だから、今度は俺が歩いていたら、会えないかなと思って』
そうしたら次に会った時に、オブライトは会えたと嬉しそうに報告してきた。
(そうか――捜してたのか)
考えてみれば当然だ。会いたかったから、彼は一人で歩いた。
一人でいる時にしか会えないことに違和感を覚えることもなく、ただ、テレーサにもう一度会いたくて。
当時は無自覚で、そして好きだと自覚したあとは意識して捜して――。
「あーくそっ、まずった……!」
ジーンは、もっと早めに気付けよと頭を抱えた。
(マリアが王都を用もなく出歩きたくないのは、当時の〝それ〟を思い出すからかっ)
一人で出歩いていると、いつもテレーサと会った。
それはテレーサが、できるだけ他の者に存在を認識されたくなかったからだ。
(あいつは、思い出しても大丈夫なように克服したいと言った)
でも、つらい思いでばかりでは解決しない。
親友の自分にできることは、直接ではなくても手助けすることだ。
直接でなくとも、手助けがしたいのだ。
泣いて、欲しくない。
当時みたいにこの場所を、親友が帰って来る場所を、好きになって欲しい。
「ちょっと止まってくれ!」
御者席の窓をバコッと開けたら、御者が二度見した。
「は、――えぇぇえええ!? また引きちぎったんですか!? 何度目ですかっ、いい加減にしてくださいっ!」
御者はもうほとんど、最後は悲鳴に近かった。
「今はそんなこといいからっ、至急引き返せ!」
「えっ、何するつもりです?」
「総隊長に急ぎの知らせを持たせたいんだよ」
「……仲の良いファウスト公爵ですか?」
御者は指示に従いながらも「あとででもよろしいのでは」と首を捻っていた。
「あいつの株を上げんのは癪だが、恋にはマジでばかになるから」
「はぁ」
「持てる全部を躊躇なく活用するところを、今回発揮してもらわねぇと」
「……なるほど?」
御者は、言いながらも「紙、紙はどこだっけ」と窓から身を乗り出して衣装をさぐっている〝大臣〟を横目に眺めていた。
「…………ひとまず旦那様、車内にお戻りいただいては?」
また、ご自身で馬車を動かすと言われたらたまりません、と御者は本音もつけ足した。
ジーンは速く駆けていく馬車の揺れを感じつつ、こんにちまで〝クソ忙しかった〟ことで慣れた言伝用の知らせを器用に走り書いていく。
そうしている間に、アトライダー侯爵家の馬車が王宮の門扉に到着する。
急ブレーキを踏んだ馬車に衛兵たちが驚いた。
「うわあぁっ! ――て、また大臣様かよ!」
「すみません」
俺が悪いわけではないのだが、という慣れきった覇気のない顔で御者は答える。
「ちなみに大臣様、中にいらっしゃいます」
「えっ、嘘っ、乗ってんのっ。た、たたた大変申し訳ありません閣下――」
「あー、そんなの今はいいから」
窓をあけて顔を出したジーンに、非礼を詫びようと集まった他の若い衛兵たちも、声をかけた一番目の衛兵と共に「『そんなの』……」と言葉を繰り返す。
「とりあえずこのメモだ、総隊長に急ぎ言伝を頼まれてくれないか? 至急だっ」
「はぁ、かなりお急ぎなのですね……」
身を乗り出されてしまったのを見て、一番目に声をかけた衛兵が、同僚たちにつつかれる形でその紙切れを受け取る。
「とにかく、今すぐだ。いいな?」
今の時間ならまだ『総隊長』は執務室で捕まるはずだから、とジーンに念を押され、衛兵が不思議がりつつ承諾する。
御者はその間、肩越しに壊れた御者席の窓を眺めていた。
豪華な装飾品が引っかかってぶら下がっているのを見た他の衛兵たちが、
「見覚えある光景……」
「あの人の馬車、どうしていつも壊れるんだろう」
ひそひそと話していた――なんてことは、勝手に満足して馬車を走らせたジーンは、気づいていなかった。
◆
その少し前、ロイドは執務室でグイードから報告を受けた。
もちろん秘密の会議の、だ。
ここに残るモルツが動くことを受けて、必要なものや調査があれば調整する権限をグイードには許可した。ロイドは任務で離れるので彼らの方に任せるしかない。
とはいえ。
「はあぁ…………、リリーナ嬢が、羨ましい」
「お前俺の話聞いてた? 聞いてたってことにしていい? 俺、今日はルルーシアちゃんの予定あるから。舞台のチケット取ってんのよ」
突然、組んだ手に額をゆっくりと押しつけたロイドを見て、グイードが書斎机にやや乗せるようにしていた腰を上げた。
だがロイドは、視線をやや横に向けたまま目を合わせない。
「よし、分かった、後輩よ。話を聞いて欲しいんだな」
「そのツラぶっとばすぞ」
「うんよかった、返答はいつも通りだ!」
グイードは持っていた書類を脇に抱え、腕を組んでロイドを眺める。それでも視線が上がってこないことを見て取ると、首を右へと傾げた。
「なんだ、どうした?」
「マリアは、――リリーナ嬢にだけ、甘い」
「そりゃそうだろ」
何言ってんだお前?とグイードが首を捻っている。
見下ろされるのは不快だが、そんなことに気を回していられないほどで――ロイドは、また後悔のような溜息をこぼした。
「ん? その顔、そういや会議でも見たな?」
「…………」
「それと関係がある?」
まさにそうで『違う』とは言えない。
「なぁ教えろって。悩みは一つでもなくなった方がいいと思わねぇか?」
悩み、というか本日の後悔。
マリアが明日休みだと知ったのだ。
ロイドも社交関係で、本日は早めに業務を終える。けれどその頃には彼女はすでに王宮にはいないわけで――。
それを思い出したら、ロイドは椅子の背にもたれて溜息をこらえる顔をした。
「やせ我慢をしたらこうなった」
思わず『自称恋愛の』、という先輩にこぼした。
その途端グイードの目が輝く。
(やっぱやめときゃよかったかな)