五十五章 私が「あの頃」好きだったことを(5)
待っていた〝返事〟がきたのは、昼食休憩も終わって少し経った頃だった。
騎士が訪ねて来てほんの少し、やりとりから呼び出しを受けたことを察したのか、作業台にいたアーシュが椅子ごしに振り返ってちょっと怪訝そうに顔を顰めてきた。
「また、例の班か?」
彼はマリアが剣を使えるらしいことは察したらしいが、それでも危険に飛び込ませるのは嫌なようだ。
マリアはふるふると首を横に振った。
「ううん、友人から」
突っ込まれて聞かれるかなと思っていたのだが、アーシュは表情そのままに「そうか」と即答した。
「珍しいわね」
「バカいえ、ここまで付き合ってる友達のことくらい分かるだろ」
「ふうん、そっか」
「……おい、露骨にいい顔するな」
友達、と言われてマリアは嬉しかった。
はじめてそんなことを言われた時は照れていたものの、最近アーシュはさらりと口にした。
「それに、あれだろ、王宮にいるお前の友人って――まぁ、友人関係ってちょっと変わってるからな。かなり、聞くのも勇気がいる」
あの総隊長補佐様とか、とアーシュが口元に手をやって深刻な表情をする。
アーシュとは、何度か一緒にいる時モルツに襲撃されている。
「……うん、なんか、ごめん」
「友人と言えばさ、最近あの赤毛全然来ないな?」
マリアは騎士の退出を見届けつつ、にこにこした。
「気になる?」
「ばっ、俺はあいつとは仲良くねぇよ! 毎日仕事ができていいしなっ」
「まぁ静かではあるわよね」
「たださ、あいつも『臨時班?』てやつなんだろ。来てないってことは、ちゃんと仕事っぽいことしてんだなぁとか思って」
どこで、何をしている人間かは分からないが、アーシュはニールを『軍人ではある』とは認識していた。
グイードが突撃してきたせいで、やりとりからいよいよそう思った感じはある。
みんな、今は忙しい。
準備していることがあって、とは打ち明けられないことなので、マリアはそのまま自然な流れでいったん外に出た。
(――ニールはニールで、用事に出されているんだろうなぁ)
この王宮で、出勤も時間も気にせずに動ける貴重な一人だ。
公にされていないが、その上司は大臣ジェラン・アトライダー。
軍人だった頃と変わらず、友人達からは『ジーン』と呼ばれている男で、そして――マリアの相棒だ。
マリアは今から、彼に会いに行く。
◆
マリアが移動したのは、王宮の裏側だ。
建物の壁を背に、目の前には植物が生えていて外からは人の姿が見えない場所。
日差しだけはまだぽかぽかと温かくて、そんな木漏れ日が差すそこは静かで、風のお供よく聞こえて最高の休憩スポットの一つだ。
「よっ、親友」
向かってみると、ジーンはすでに壁を背にあてて楽な姿勢でしゃがんでいた。
「おい、衣装が土についてるぞ」
「いいんだって。これ、すぐ落ちる素材だから」
衣装の豪華な赤と金の帯を持ち上げて、彼がひらひらと振る。
こんな貴族、いや大臣は見たことがない。
マリアは嘆息し、けれど口元にちょっと笑みを浮かべて隣に同じようにする。
「おい親友よ、さすがに足は閉じたら?」
「スカートで見えない」
「あっそ。ま、いいけどさ。俺はポルペオみたいに、こだわりとかないし?」
そんな会話をきっかけに、流れるようなお喋りは続く。
「すぐ汚れる衣装はさ、全然機能性がなくて『マジでやめて』って何着か変えてもらったんだよなぁ」
「職権乱用だ」
「当然の権利。あと、座る時間減らせって言った」
「現場で動く方が好きだもんな。あ、雲が肉の形だ」
「ロマンがねぇなぁ。――で、どっちの肉よ」
「鶏肉」
「あ、確かにあれは鶏肉だわ。丸焼きの方」
そして、なんとなく間ができたそのタイミングで顔を見合わせ、二人して「ぷはっ」と噴き出した。
「急だったのに、時間を作ってくれてありがとう」
「いやいやいや、親友からってことではりきったわ。これからもどんどん呼んでくれ」
手を振って得意げに告げたジーンに、マリアは柔らかな苦笑をもらした。
「そんなことできないよ」
「昔はよくやってただろ。副隊長で、相棒だからな。何がなんでも隊長のもとに駆けつけるさ」
マリアは「うーん」と言いながら青い空を見上げた。
「あの頃とは、変わったからなぁ――」
「変わってねぇよ」
穏やかな声で言葉を遮られた。
「なぁんも、変わってないさ」
雑草を引き抜いて、指で弄んでいるジーンの表情は穏やかだ。
「お前が呼んだら、みんな考えもせずすぐ駆けつける。愚痴でも、弱音でも、何気ない出来事で話したくなったことだって、きっと聞きたがる」
その時、間を攫うみたいに風が優しく流れていった。
秋のひんやりとした涼しさを含んだ風だった。
「もし俺が――いや、今聞いても困らせるだけ、か……」
頭の大きなリボンと、流れる髪の音でうまく聞き取れなかった。
「なんだ?」
見つめ返すと、マリアのきょとんとした目にジーンが肩を小さく揺らして笑った。
「いや、なんでも」
なぜか、そのまま頭をぽんぽんと撫でられる。
(……子供扱い、されてるなぁ)
今の身長差を考えると違和感がないかもしれないが、相手がジーンだと思うと違和感が――。
と思いかけて、出会った頃は年齢差と身長差でそうされていたのを思い出す。
国境戦に参加した当時、オブライトは十九歳ほど。
ジーンは二十代半ばを超え、それでいて立派に隊長をしていた男だった。
「それで? 俺、お前から話があるって言われて嬉しかったんだぜ」
笑い声を含んだ催促に、ハタと我に返る。
「そうだった。時間もないから、サクッと話すつもりだったのに」
「ははは、そっちもあまり派手な行動ができねぇからなぁ。で、何を話したかったんだ?」
「実は、明日はメイド仕事が半休なんだ」
「うん?」
「王宮の方は休みで……」
「あ、なるほど、うんそうか。いいぞ、ゆっくり話して」
緊張を察したのか、ジーンがそう言ってくれた。
だがほっとしたマリアは、彼が急にしんみりとしてしまったのに気付く。ジーンは膝に腕を乗せ、後ろの壁に頭を押しつけて空の方を見る。
「明日は抜け出せたのに……」
そんな言葉が隣から聞こえてきて、マリアは表情が無になった。
今度こそ抜け出す時間を見つけて突撃してくるつもりだったらしい。
とりあえずは、聞かなかったことにして続けた。
「それでな、その、久しぶりに……この姿で、あの頃みたいに一人で歩いて、見て回ってみようかと思って」
ジーンが頭を起こし、こちらを見るのを感じた。
「実はな、マリアになってから……ずっと、できなかったんだ」
こんな弱いことを口にしていいのか躊躇いが込み上げたが、こんなことでつまづいてどうすると自分に思った。
いつか、あの頃のことを全部話そうとしているのに。
まだ知らないでいる友人達にも、その時には打ち明けようとしているのに。
どんな反応をされるのか考えると怖いが、あの頃のことを語れるようになるためにも、色々と目の前にあることを乗り越えていきたいのだとマリアはぽつりぽつりとジーンに話した。
「そうか、怖かったんだなぁ」
大きな手が、隣から頭をぽんぽんと撫でた。
「気づかなくて、ごめんな。それなのに色々と誘っちまってさ」
そうされて初めて、マリアは自分がいつの間にか膝を抱え、そこをじっと見つめながら話していたことにハタと気付く。
「お前は――……優しいなぁ」
ぽつりと膝に言葉を落としたら、笑う気配が隣から聞こえた。
「誰かさんのせいで移ったんだよ。心底いい男でさ、困るくらいに優しすぎる隊長がいたからなぁ」
どこかジーンの声は小さかった。
(かすれて……?)
ちらりと見上げた彼の横顔は、気軽に返事をしてはいけない気がした。