五十五章 私が「あの頃」好きだったことを(4)
「ね、分からないでしょう?」
マリアは話し終えたところで、ようやくアーシュの方を見る。
「お前さ……いや、お前が一つのことへの集中力だけはすごいことは分かった」
「残念ながら分からないでしょ」
「残念ながら、なんとなくだいたい分かる」
アーシュの目は真剣だが、マリアは一回目にロイドから先に視線を外されたことがあったので、もやっとした拍子に取り合わなかった。
「とにかく、わんこ云々は絶対になし」
「なぜそうかたくなに……」
アーシュが「こいつ最悪だ」「信じられねぇ」と口元にあわあわと手を持っていくそばで、ライラック博士が持っていたクッキーの皿を、ちょうどいいと言わんばかりにそのままルクシアへと差し出していた。
「でもマリアも、何度も近くで見かけること自体おかしいとは思うだろ?」
「ええ、思うわね」
「それをまずは考えてみろ、な? しかも求婚してきた相手だぞ」
マリアは『考えてみろ』で素直にそうしていたので、アーシュの続く言葉は聞こえていなかった。
(一回目に見かけた時、もしかしてあのひねくれた性格のドSだし、私かあとで来るとでも思った……?)
そんなこと、普通に考えて『ない』可能性だ。
しかし、ロイドの切れるタイミングもわけが分からないところがある。
「何度も近くで視線を……こっちの近くで見かけた時は草の向こうだったな……とすると……?」
マリアがぶつぶつと思考を呟いていくのを聞きながら、ルクシアが途中まで食べていたクッキーを持ったまま、その表情をとっても不安そうにしていく。
ライラック博士も、おや、まさか、とぎこちない笑顔で見守っていた。
(気付くと、どこからか様子を見ている)
そこでマリアは、ピンと結論に至った。
「……ストーカー?」
「おいお前、相手は総隊長様だぞ」
その時、突然窓が外側からバンッと開き、ルクシアが飛び上がった。
ライラック博士も「うひゃっ」と身体をはね、あやうく作業椅子が後ろに倒れそうになっていた。
窓から顔を出したのは、大きな熊――ではなくバレッド将軍だった。
「私はストーカーではありませんぞ! 今や、ルクシア様の正式な護衛です!」
「その前はストーカーだっただろうが」
椅子から振り返ったアーシュが、騒ぎに慣れつつある、という様子でげんなりとツッコミしていた。
マリアは、確かにと心の中で彼に同意する。
(ん? ストーカーと言えば、あいつ静かだな?)
最近、モルツをとんと見かけていないことに気付いた。
思えば朝にロイドのそばにもいなかったのは、珍しい光景でもある。
◆
ちょうどその頃、マリアが思い出していたストーカー、――王宮で変態と周知されている総隊長補佐モルツ・モントレーの姿は、とある会議室にあった。
窓のないやや小さめの、しかしながら貴賓室と同等に美しい部屋だ。
そこは国王陛下が一部の者にだけ教えている、秘密の部屋の一つだった。
そこに集まった軍人と高官の数人は、設けられている一人掛けソファに座らずに、円卓の周囲を固めていた。
「――というわけで、ここまでの闇組織とマフィアの懐柔が進んでいるんだと」
円卓の上で地図を叩き、グイードが言った。
「他国の、次世代の頭がいい雇われマフィアみたいだな」
国内の地図の上には『機密』と印鑑が押された報告書の束も、何個も積まれている。
「ルート的には、真っすぐこちらを目指しているようです」
高官の一人がそう告げた。
別の者も悩ましげに意見する。
「ここまでの条件が揃ってしまうと、我々から見すとやはり、十五年ほど前に陛下が結成したこの国の体制である〝頭脳の分散〟が知られている可能性があります」
「ガネットグループにも〝誰か〟は知られていねぇから、それで探り探りなんだろうな」
「警備隊から盗まれたのは、あなた方のことも載った情報でした」
「つまりこの王都と、王宮が頼りにしている面々を把握した、ってわけだ」
そういつも通りの口調でさらりと語ったグイードに、レイモンドが「大丈夫なのか?」と不安を滲ませた。
「奴ら、恐らくガネットの件で動く時に行動してくるぞ」
「だろうな。百通り以上の手を考えても〝俺でも〟そうする」
「騎馬総帥、陛下もおっしゃっていた通り、彼らが潰したがっているこちらの守備と情報網側の〝頭脳〟については、誰であるのかの情報を得られないでいるのは幸いです」
「そりゃあ、それはほんの一部のトップシークレットだ。この王宮内に裏切り者がいても対応できるように、な」
その場にいたグイード達よりも年上の男達が、言いづらそうにして一人の人物へと視線を向けた。
そこにいたのは、この中では一番年下のモルツだ。
「彼らが勘違いしてくれているのは、今回巻いた餌にくいついたので確実でしょう」
「やれるのか?」
グイードが静かに聞く。
見つめているレイモンドは、後輩の身を案じる表情だった。
「やれます。少し前、名演技でとある人を騙しましたから」
グイードが「へぇ、気になるな」と顎をさすった。
「こんな時にジョークはやめろよ。なんだ、名演技って。顔面の無表情さなら分かるけどさ」
「そこも使える材料ですからね――勘違いしてくれているのなら好都合です。私は〝そちら側の頭脳〟ではありませんが、私という餌にくいついてもらいましょう」
モルツは銀縁の細い眼鏡を、正面からくいっと押し上げた。
「どちらにせよ、私がやらねばなりませんからね」
相手は『モルツがそうである』と勘違いしている。
ガネットの件で参戦しないメンバーで、と考えると確かにモルツが適任だと、レイモングも納得せざるを得ない。
「ま、お手並み拝見といこう」
グイードが、この会議を締めた。
「厳しい先輩ですね」
「俺も、今回は相手の手が読めねぇからな。そっちはお前に任せて、俺は俺で別で動かせてもらう」
円卓の上の資料を手早く男達にそれぞれ戻し、グイードは「国王陛下のために」と祈るように言葉を落とした。
「国王陛下のために」
そこにいた全員が口にし、そして秘密の会議はまたいったん幕を閉じる。